第30話 私は猫の下僕です
1
長澤美紗。
ライトノベル作家の森山猫こと本宮勝己の担当になった編集者。
本宮勝己は今回は
作家からの提案に、美沙は理由を聞いてみた。
すでに本宮勝己は、ライトノベル作家の森山猫として執筆してファンがいる。
出版社としては、森山猫の人気があるうちは、ライトノベルの作品を執筆してもらいたいところだと、美沙は上司から忠告されて社外に打ち合わせに出てきた。
すると美沙は、本宮勝己から、自分は震災孤児であることを告白された。
それがなぜ今回は小説ではなくルポルタージュで、わざわざペンネームを変えて執筆する理由になるのか。美沙は本宮勝己の説明を聞いてから考えることにした。
自分のペンネームを変えて、小説の内容を今まで執筆してきた売れてきた作品とはまったくちがうものが書きたいと言い出す作家もいる。
気分転換でペンネームや今まで書いて売れてきた作品のイメージを変えてみたあと、それまてのファンが離れてしまい売れずに、副業として働いていた仕事に専念し始めて忘れられていく人もいる。
作家は鮮度が大事、というのは美沙の上司が他の編集者にもよく言っていることだった。
本宮勝己の場合は、他の作家たちとは、どうも事情がちがうらしいことは、彼の緊張した顔つきや声からわかる。
(もしかして、森山先生はスランプなのかしら?)
本宮勝己は、自分はいつもスランプだと思っている。
だからこそ、自分の興味を持てることを追いかけていたい。
森山猫こと本宮勝己は出版社のそばのファミレスで、美沙に今回の企画書を渡して説明した。
彼がライトノベルとして書いてきた小説の読者のファンには、引きこもりになっている子供たちがいる。
家庭や学校での生活で両親や教師、同級生たちとの人間関係で悩んでいるのは、引きこもりの子供だけでなく、その親たちも人間関係で悩んできたけれど、引きこもりになる選択が今よりも世間の風潮からできなかったので、未解決のまま引き継がれてきたのかもしれないと本宮勝己は説明した。
本宮勝己が孤児として生活してきて、今はライトノベル作家の森山猫であること。
世の中で問題になっている引きこもりについて取材すること。
この2つが、まだ美沙の頭の中でつながってこない。
「ファンの一人の大学生が、引きこもりについて調べていることはわかりました。その問題に先生が関わってルポルタージュを執筆したとしたら、その本の購買層は誰になりますか?」
以前に家出している子供たちの実情を取材した作家がいた。その作家は直木賞を受賞して、その問題に関連するテレビ番組などに呼ばれて、そのルポルタージュだけでなく、小説も文庫化して増刷した。小説のドラマ化も売上に影響した。
執筆以外の仕事の依頼が落ち着くまで、作家としては執筆時間が減ってしんどかったと、美沙はその作家から直接聞いている。
「取材に協力してくれるのは、その大学生だけではありません」
大学教授の大島恵子の名前を本宮勝己が出して、自分が世話になった民間の自立援助ホームの創設者の竹宮薫と大学教授の大島恵子が親友であり、その二人にインタビューした草稿も、すでに用意して持参していることを美沙は勝己から言われた。
美沙は草稿を見る前に、今回の企画のコンセプトなら新書の読者層がターゲットになりそうな気がすると勝己に話した。
2
日本の新書のブーム。
1938年に「岩波新書」が創刊され、戦後になって「角川新書」「文庫クセジュ」などが次々と創刊されて第1次新書創刊ブームが起きた。
54年創刊の「カッパ・ブックス」60年代に入ると「ブルーバックス」「プレイブックス」「ワニの本」が創刊されて、第2次新書ブームとなった。
教養新書は62年に「中公新書」64年に「講談社現代新書」が創刊。岩波新書と合わせて“教養御三家”と呼ばれ、以降の教養新書界をリードする存在となっていった。
70年代から80年代にかけてはブックス系の勢いがまさり「冠婚葬祭入門」「ノストラダムスの大予言」「悪魔の飽食」「プロ野球を10倍楽しく見る方法」などのミリオンセラーがあった。
しかし80年代後半になると文庫ブームに押され、勢いは急速に衰えた。
それに対し教養新書は90年代には「ゾウの時間、ネズミの時間」「超」整理法」「大往生」「日本語練習帳」などのヒット作があった。
バブル経済のあと、生活に密着したものを求める時代の空気に新書の内容は手頃だったといえる。
こうしたヒット作の流行から、教養新書の転機となる「文春新書」が98年に創刊した。
文春新書は従来の教養新書の堅いイメージを一変して、のちに主流となっているライトな読み物の流行を決定づけた。
これ以降には「集英社新書」「宝島新書」「光文社新書」などが次々創刊されて、第3次新書ブームが起きた。
しかし、類似した内容が多く売れ行きは低迷、ブームも終焉かと思われた2003年に創刊されたのが「新潮新書」だった。
「新潮新書」シリーズの「バカの壁」の累計400万部超を記録したのをきっかけに、新書は再び売れた。
ライトノベルの文庫本のブームは、第3次新書ブームと重なっている。ライトノベルブームは三回あった。
最初のブームは80年代後半から90年。当時は中高生を中心にライトノベルが流行し、コミックやゲームと同様に内容はファンタジーブームになった。
続いてのブームは2004年頃で、人気作品が多く、アニメ化や映画化もされて話題になる。この頃から、メディアミックスの流れが定着した。
メディアミックスは1973年に小松左京の小説「日本沈没」の刊行直後から、映画化、ラジオドラマ、テレビ番組のドラマ制作などの宣伝を行ったことからベストセラーになったことが有名。その後に角川書店が1970年代後半に自社発行書籍の映画化を行い、その原作作品を映画イメージと連動させた新装カバーを付けて売り込み業績を上げた。マンガのアニメ化は角川書店も展開したが、先に徳間書店がアニメ制作会社のジブリとマンガ作品と映画のメディアミックスを展開している。
ライトノベルは、マンガ作品のアニメ化というメディアミックスの流れを受け継ぐかたちで宣伝されることになった。
直近のブームは、2010年頃でインターネット上にライトノベルが多く投稿されるようになり、投稿専門のWeb小説サイトも以前よりも増えた。
3
「今はマンガのコミックの売上も以前より減っています。先生のコンセプトだけ聞けば、新書向きな気はします。けど、もう新書は売れるかはわかりません。似た内容の本が増えていけば、ブームは終わります。とはいえ、今はノンフィクションが注目されて、エッセイマンガなども売れています。そうですね……当社のWebサイトに無料掲載して、人気をみさせてもらうかたちにして、その後に書籍化という提案ならできるかもしれません」
本宮勝己から、エッセイ風の保護施設で暮らしていた子供の頃の思い出の文章や、取材した内容の草稿を美沙はあずかって帰った。
「企画会議の結果は来月、連絡させていただきます。企画書や草稿のデータは、今日、書面でいただきましたが、うっかり消去してしまったりしないで下さい」
美沙は最近は恋愛や結婚、深刻な社会問題を扱った内容や、暴力表現が目立つ作品は売れ行きはあまり良くない。
日常のほのぼのした内容や人情話のような内容が安定した売上があり、以前なら官能表現とされていた内容はフィクション作品の内容として、読者層の年齢が上がったことも影響してか、書かれた作品も目立たなくなっている傾向があると考えていた。
(とはいえ、社会問題はフィクションのファンタジー作品の内容に使われがちだけど、まさか、ノンフィクションのルポルタージュの企画なんて、予想外だったわ)
「森山猫先生の作品は、フィクションだけど、妙にリアルな設定から企画して書き始めるんだよな。それがおもしろいんだけどさ」
先輩編集者から、そうは聞いていたけれど、社内の企画会議に作家本人を呼んでプレゼンさせたいぐらい、美沙は気が重かった。
担当編集者が、作家のかわりにプレゼンしなければならない。それも仕事のうちとはわかっているが、今回の企画は本音ではあまり気乗りがしなかった。
現実の嫌なつらいことを忘れさせてくれる作品が読みたいと、美沙は子供の頃から思ってきた。
4
現在の美沙の心の癒しは、一匹の猫である。
「ただいま、ミュー」
マンションタイプの賃貸物件の部屋に美沙が帰宅すると、とてとてと玄関マットの上に猫が部屋からやって来て、ちょこんと座ってお出迎えしてくれる。
キジトラで、首の下と足の先が白い少しぽっちゃりした猫のミューが美沙と暮らしている。
三歳の去勢済みのオス猫で、去勢されたオス猫は子猫の頃の母猫に甘える癖が残りやすいとは、いきつけの獣医から聞いていたが、仕事から帰宅すると、靴を脱いで上がった脚にすりすりと甘えられると、思わず抱き上げてしまう。
猫は人間を、大きな餌の取れない猫だと思っている。
そして子猫の頃から一緒に暮らしているのに、成長するとじっと少し離れたところから寝そべったりしながらだったり、物陰から顔をのぞかせてして見つめていたりする。
これは心配して見つめている。風呂やトイレの前についてくるのも、心配してついてきている。
猫は人間を飼い主だとは思っていない。
むしろ、自分が部屋のぬしで、餌の取れない頼りない仲間の猫を心配して見つめているのである。
猫のミューのしっぽを美沙はさわるのが好きで、ミューがしっぽの先っぽをちょっぴり丸めているのを見るのも好きだ。
しっぽの毛を逆立てふくらませている時は、猫は怒ったり、機嫌が悪い。
これはしっぽをふくらませて外敵に自分を少しでも大きく見せようとしている。
帰宅した美沙の脚にすりすりと顔や体をすりつけるミューは、しっぽを細かく震わせている。
機嫌が良く、また餌やおやつを待っているときも、しっぽを震わせる癖がミューにはある。
ゆっくりと目を閉じて、薄目をあけ、喉を鳴らしているときもミューがリラックスして、かなり機嫌がいいときだと、美沙は思っている。
猫がしっぽや体の側面や顔をこすりつけるのは、甘えというよりも、むしろ挨拶に近い。
甘えるときは、美沙の脚などに頭突きをする。
美沙はミューに髪をかじられることがある。
美沙はミューが私の髪をおもちゃがわりにして遊んでいると思っている。
猫からすれば、仲間の大きな猫に
窓辺やテレビのモニターの前でミューはちょこんと座り、顔を上げて鼻を上げている。
猫は人間でいえば「見たぞ」と思っているときによくこのしぐさをしている。
そして、ミューはリビングでマグカップを両手で包むように持ってミルクティを飲む部屋着のゆったりとしたパーカー姿の美沙の顔を見て「にゃ」「にゃなっ」という鳴き声を出す。
なあ、見たよね、ねっ。
と話しかけられた気がして、美沙は「うんうん」と返事をしてみたり「ミュー、おいで」と名前を呼んでみたりする。
猫も人間と同じように、体験したことを記憶することができる。
その記憶をもとに、そのシチュエーションにて取るべき行動を判断して行動していることがある。
呼ばれたミューは、美沙のそばに優雅に歩いてきて、ごろんと転がり、腹部のあたりを見せた。
美沙がよろこんでミューの腹部を撫でるので、ミューはまた美沙をよろこばせようと判断して、腹部を寝ころんで見せている。
美沙にはミューのお気に入りのしぐさはいくつもある。
そのなかの一つに、前足で毛布やクッションなどをふみふみとしているしぐさかある。
子猫が母猫の母乳を飲むときには、前足で母猫のおっぱいをふにふにと押すことで母乳を出やすくする習性がある。離乳して成長するとこのしぐさは見られなくなる傾向がある。
しかし、家猫で飼われていて子猫の癖が抜けないミューは、美沙のふともものあたりや寝そべっていれば腹部あたりをふみふみとやっていることがある。
ミューは美沙をお出迎えをしてくれるが、猫がお出迎えをしてくれるとは限らない。
縄張り意識が強い猫の場合は、外から飼い主がちがうにおいをつけてくることに警戒するため、気になるにおいが消えるまでは、自分の方から近づかないからだ。
これは猫の習性が勝ってしまっている状態で、飼い主への信頼関係ということは関係ない。
部屋の奥からお出迎えをせず、鳴き声だけで返事をする家猫もいるのは、習性ではちがうにおいに近づきたくはないけれど、仲間の大きな猫が帰ってきたのはわかっているという合図である。
通常、子猫は母猫と寄り添って眠り、暖をとったり、危険から守ってもらっている。
そして、母猫といることで安心感を得ている。特に大切な時期に親猫と引き離されてしまった猫は身を守り、安心感を得るために、大きな猫である飼い主から離れない傾向がある。
ミューは美沙が夜に眠るとき、ベッドでそばに身を丸めて眠っている。子猫の頃の癖が抜けていないのか、美沙という仲間の猫に安心しきっているのかは、よくわからない。
美沙の目の前にねずみの小さなぬいぐるみを、ミューはくわえてきて置く。
猫は室内に侵入した虫を捕まえて、飼い主の前にくわえてきて置くことがある。
猫はもともと狩猟する本能を持つ。家猫として飼われるようになっても、その野生の本能は失われていない。
ミューがねずみの小さなぬいぐるみをくわえてくるとき、美沙は何をくわえてきたのか、おずおずと見る。ゴキブリを得意げにくわえてきたという、よその家猫の話を聞いたことがあるからだ。
ミューは美沙の様子を見て、大丈夫というように「にゃう」と鳴く。美沙を人間を飼い主とは思わず、狩猟のできない大きな母猫だと、ミューは思っているからだ。
美沙は猫の飼い主は全員、猫の下僕であるべきだと思っている。
たとえば猫は仕事が忙しいからといって、猫のトイレの掃除をさぼってしまうようなら、言い訳などは一切聞かずに、なついてくれなくなるからである。
猫のかわいらしさは、世界一だと美沙は確信していて、ミューが毎日一緒にいてくれてありがたいと、感謝して生活している。
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