第28話 インナーチャイルド
人生をひとつの物語として想像してみると、誰もが主人公として 生きている。
想像することで遺伝子の本能に従って行動するパターンから抜け出したホモサピエンスは、他の人型の種族を全滅して現在まで滅亡せずに存続している。
滅亡していないけれど、個人単位で考えてみれば、自らの命の危機に身をさらしている人は少なくない。
本宮勝己は、震災孤児であることを悩みとして考えすぎないようにして生活していた。
のちに本宮勝己は結婚後、KSという青年と協力して取材し、引きこもりの家庭という社会問題についてルポルタージュを執筆して考察した。
本宮勝己は保護施設で育ち、本当の両親の顔すら知らない。
結婚後、家庭を持つ立場となって、子供が欲しいと思いながら、どのように子供と関わっていけばいいのか不安を抱いていた。
「どうして私を産んだのかな?」
「自分は何もしたいことがない」
KSと本宮勝己は、自宅警備員の引きこもりニートとなった人たちや、その家族の親族にインタビューを続けながらその声をたくさん記録した。
勝己は保護施設で他の保護されている子たちから、親に対しての恨みごとや、それでも消えないさびしさを聞いて育った。
毎晩、何度も考えても不在の両親からの答えはない。やがて、考えることを諦めて考えないことを選んでいく。
引きこもりとなった人たちや登校拒否を選んだ子たちは、何かや誰かを恨んでいるだけでなく、どこか投げやりな発言をすることがあった。
その諦めは保護施設で暮らしている子供たちととても似ている気が、勝己にはした。
「似てるなんてまとめられたくないね。それぞれ事情も家族構成もちがうし、性別や年齢もちがうじゃないか」
KSは勝己と携帯電話で通話して言った。
KSは引きこもりのいる家庭でよくあるパターンを集めた情報を、同情せずに整理して分析している。
そうしたとしても、誰がその家庭の状況の原因だとは決めつけることはできない。
インタビューに同行してしばらくのあいだ、KSは親が悪かったのか、引きこもりを選んだ自分や子供たちが悪いのか、多くの実例を調べて、白黒はっきりつけたいと考えていた。
絶望して不安と人間不信に陥っていて、登校拒否をしている中学二年生の女の子。
この子には小学六年生の弟がいて、勝己とKSはこの弟にも話を聞いている。
「夜、姉ちゃんの話を始めると、うちの親は俺に部屋に行ってなさいって仲間外れにするから」
KSはボイスレコーダーで録音している。
「何を話してるか知りたい?」
「別にどーでもいい」
「お姉さんが学校に行ってないのはなんでだと思う?」
すると、たとえば引きこもる前から、夕食で何が食べたいか母親が子供たちに聞くと姉は「別になんでもいい」と返事をする。自分はカレーとかハンバーグとか適当に答えている。学校で「なんでもいい」って言ったら、何を押しつけられてもしかたない。
「だから、姉ちゃんは、もう学校に行きたくなくなったんだ」
学校で彼女はいじめられていたことはなかったか、勝己は姉弟の母親に質問したが、そんなことはなかったと思うと母親はとまどう表情もなく答えた。
KSはそれを聞いて、勝己と顔を見合せた。
「そんな、私は娘と悪い関係になんてなってないと思います。きっと学校で嫌なことがあって」
(それはいじめはあるだろうけど「なんでもいい」って返事して、利用できるやつはグループで仲間外れにはされない。リーダーにはなれないだろうけどね)
KSは彼女が学校でいじめられてはいなかったと推測できた。学校でのいじめや子供の交遊関係に親がよくわかっていなかったり、わかったつもりになっているのも引きこもり家庭では、よくあるパターンだ。
「はっきり言います。お母さんと娘さんとの関係はあまり良いとは言えません」
勝己は、母親に対して娘が気持ちでは何も期待していないということを話して聞かせた。
「お母さん、もしかして、学校でいじめられたこと、ある?」
KSが、あまり勝己とインタビューを受けている人のあいだに口を挟むことはないが、めずらしく割り込むように質問した。
「え、あっ……あの」
それまで平然としていた雰囲気を保とうとしていた母親の表情が勝己にもわかるほと、あきらかに変わった。
「あるんですね。それをお子さんたちや旦那さんに話したことはありますか?」
「もう子供の頃のことですから、話したことはありません。あの、私のいじめられたことは、娘の引きこもりと何か関係があるんですか?」
KSはまじまじと、勝己に質問する自分より歳上の母親の顔を見つめて何も言わなかった。
説明は勝己に任せるつもりらしく、次は隣の勝己に軽くうなずいてから、KSは冷めかけた紅茶を一口飲んだ。
引きこもり家庭で、よくあるパターンをKSは勝己に教えた。
父親が母親に子育てを任せきっている。そして、母親は任されていることを、私の生きがいぐらいに思っていることがある。
そのために、父親が子育てに干渉するのを遠ざけてしまうケースもある。
しかし、一人で子育てをしていて、さらにパートで夕方まで、共稼ぎで働いている主婦は年中無休で忙しい。
生活を収入で少しでも援助しようとしながら、家事全般をこなしている。
子供が引きこもりという行動で意思表示を親にした時、子育てを母親に丸投げにして、仕事をして給料を渡していれば、父親の役目を果たしていると考えている人は「母親のくせに、なにをしてたんだ。何も気づかなかったのか?」と母親を責めることすらある、
責任を感じた母親は引きこもった子供や登校拒否をした子供を、むきになって、自分がなんとかしなければとあせって、叱りつけることもある。
父親の無関心、母親の過干渉。
これは引きこもり家庭でありがちなこと。なぜ、母親が無理をしながらすべてをこなそうとがんばってしまうのか。
そこを母親自身が気づいていないことがある。パートナーの夫には任せられない、負担はかけたくないと考えて一人でがんぱってしまうのを家族への愛情と思い込んで、それ以上は考えない。
「娘さんとはパソコンのインターネットを使って、僕らは一ヵ月ほど娘さんとメールを交換していました」
引きこもって登校拒否をしたけれど、不安になった女の子は、父親にノートパソコンを部屋に入れてもらって使っていた。
それを母親は娯楽があると部屋から出たがらなくなるかもしれないと、父親と口論になったので、ノートパソコンを娘が使っている件は母親も把握している。
この家庭のケースでは、父親は無関心ではなかった。そして、娘は父親に甘えて頼ることは忘れてなかった。
「覚えてらっしゃらないかもしれませんが、夕食のメニューをお子さんたちにお母さんが聞いて、娘さんはオムライスと唐揚げ、息子さんはラーメンと言った時があったはずです。その時、お姉さんなんだから我慢しなさいと彼女に言って、ラーメンにしたことがあったはずです」
「あったかもしれません。でも、それは、インスタントラーメンのほうが手軽に作れると思ったからで、息子のほうを優先したわけじゃないんです」
引きこもりになる子供は、親に対して小さな恨みを蓄積していることがある。それも、よくあるパターンだとKSは知っている。
「それは彼女がお母さんに何かをお願いしても、無駄だと思うようになっていった小さなきっかけの一つだと思います。それからは、夕食のメニューをお子さんが聞いても彼女は、何でもいいと答えるようになっていったでしょう?」
学生の頃にいじめられていた経験がある母親は、自分の理想を知らず知らずのうちに、娘で叶えようとしていた。
いじめられない子供に育てる。母親自身は、学校でいじめられている状況を耐えきった。
自己実現できなかったことを、子供には自分のような苦労をさせたくはない、幸せになって欲しいと思い、子供を知らず知らずのうちに自分の考え方や行動パターンに誘導して教え込もうとするのも、引きこもり家庭のよくあるケースだ。
「嫌なことを嫌だと言うよりも、自分が我慢すればいいという考え方で、彼女はお母さんに教えられたように、いい子を演じていたといえるでしょう。あの、娘さんの大好物は何かご存知ですか。息子さんの大好物はカレーライスですよね。僕らも聞きましたよ」
勝己とKSは引きこもっている彼女の大好物を、父親から会って聞いてみたので知っている。
彼女は勝己の書いたライトノベルの小説を読むまで、なかなか信用してくれなかった。
彼女に仕事帰りに勝己の小説の文庫本を買って、母親に内緒で渡したのも父親だった。
そして、彼女の大好物のパン屋で焼いたアップルパイも一緒に手渡した。
(みんなが食べ終わったあと残りのパンを、私だけあとで食べてたから、気づかなかった)
【弟は行きたいところかあれば、お母さんに連れてってと騒ぐし、食べたいものは、お母さんに言って甘えられるから】
母親は姉と弟を比べて、弟を特にかわいがったり、えこひいきしたわけではない。
一人っ子の家庭では目立たないが、親が自分に愛情をむけてくれていないと感じていて、我慢の限界に達して、甘えたいという意思表示で引きこもってみたり、登校拒否をするケース。
この家庭の場合はこれだった。
「私が悪かったと今すぐあやまれば、娘はまた、学校に行ってくれるのでしょうか?」
KSが顔を静かに横にふった。
「あやまられても、とても気まずいと感じるでしょう。できることは、今、僕が思いつくのは家事を子供たち二人にも頼ってみることや、自分の大好物を子供たちにも話しておいしそうに一緒に食べることかも。あと、お母さんだからとか、お姉さんなんだからと決めつけないほうが楽になれると思います。勉強のほうは彼女は学校に行ってる時よりもがんばっているみたいですよ」
「はい、ありがとうございます。家族全員で食事をしてみることからしてみようと思います」
KSは、また自分とは同じケースではなかったと、訪問の帰り道にスター・バックスで、アイスのキャラメルマキアートをストローで吸ってぼやいていた。
勝己は今回の取材も、KSが母親の気持ちのガードを、いじめられていた母親の忘れようとしていた思い出を指摘することで崩してくれなかったら、うまく納得してもらえる気がしなかった。
彼女は引きこもってまだ4ヶ月ほど。それも、家の中で弟と二人の時間は部屋にこもらずにすごしている。
彼女の母親は弟の世話に気を取られている分、引きこもってみて父親が、弟よりも姉の自分を心配してくれているのがよくわかったので、近いうちに学校に行ってみようと思うと、帰りぎわに連絡があった。
二人が家の外に出て部屋の窓を見上げると、彼女が笑顔で小さく手をふっていた。
「反抗期ってやつかな。あの子はちゃんと友達いるのかなぁ?」
「もう学校は、友達をつくるところじゃなくなってるのかもしれないよ。自分の親のことを話すなんてこともなくて、電車の中みたいに他人とじっと静かに同じ時間を過ごす訓練場みたいなのかも」
KSはそう言ってキャラメルマキアートを飲み終えると、席を立って飲み終えた容器をゴミ箱へ捨てた。
学校で子供がいじめにあっていても、いじめに気づかない。または親や教師の対応が甘いというのも、引きこもり家庭では、それもありがちなケースだ。
家庭内とは別の人間関係が初めてできる。学校で生徒たちは気の合うグループに分かれて、相手から印象や特徴からキャラクターのように見られたり、あつかわれたりする。
理不尽にいじめられつづけていたり、暴言を言われ続けているとその印象で、大人になってもなお自分をとらえて考えてしまうことがある。
インナーチャイルドは、家庭で作られるとは限らない。
インナーチャイルドとは、直訳すると「内なる子供」となる。
幼少期の環境で、トラウマとなった負の感情のキャラクターを指す。人は大人になるにつれて身も心も成長し、社会生活や人間関係を円滑に進められるようになる。
しかし、インナーチャイルドの影響が強く行動に出てしまうと、社会生活を送る上で、人間関係を築くことが難しいと感じ、生きづらさを感じることもある。
自分の心を守るために、幼いながら「甘えたい」などの自分の感情を抑え込んだり欲求を表現しなくなったりする。
それによって、大人になっても子供の頃の出来事の記憶が影響して、子どもの頃と同じ考え方や習慣を繰り返してしまう。
例えば「言い返しても何も変わらない」と考え、自分の心の殻に閉じこもってしまったり、他人に頼るのが苦手になるような状態が挙げられる。
今回のケースは、母親がインナーチャイルドとして、娘にイメージを重ねていた。
共依存は、自分の価値基準がなく、周りの人に判断を委ねてしまう状態のこと。
共依存に陥ってしまうのは、インナーチャイルドが強く作用して適切で、適度な関係を築くことができず、過剰に相手に合わせてしまったり、依存してしまったりすることが関係している。
そしてそれがお互いにそのようなことをしてしまうことで、共依存をさらに深めてしまう。
娘のほうは母親を信頼できず、極端に父親に甘える娘になりかけていた。
インナーチャイルドの悲しみやさびしさが癒しきれていないと、大人になって父親的なキャラクターの大人に甘えたくなる癖ができるだけでなく、同時に家庭内で母親やたとえば弟や妹などから独占できないことから、独占しなくても一時的に甘えられたらいいと諦める癖がついて、恋愛などの行動に強い影響を受けることがある。
中学生の彼女は、登校拒否をして引きこもることで、中学生のうちに親に甘えたいインナーチャイルドのさびしさや小さな恨みの蓄積を、大人になるまで引きずらないことを選んだといえる。
学校はインナーチャイルドが、同年代の子供のインナーチャイルドを感じる機会がある場所ともいえる。
勝己は保護施設で癒されていないインナーチャイルドを抱えた同年代の子供とたくさん遭遇してきていた。
KSは勝己とインタビューをしながら、親たちの癒されていないインナーチャイルドと子供たちの今、傷ついているインナーチャイルドを想像しながら面談していくことで、自分のインナーチャイルドに向き合っていく。そんな旅をしているような体験をしているのだった。
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