第22話 孤児の物語
まだ一歳にも満たない乳幼児の本宮勝己は、搬送された病院から児童養護施設に保護された。
本当の両親の情報を、勝己は何も知らない。
戸籍謄本の両親の名前の欄は、空白となっている。
勝己という名前が記されたメモ用紙。
嬰児の彼を包んでいた毛布。
九月の深夜のコインランドリーに、段ボール箱に入れられて置き去りにされた乳児。
保護されたコインランドリーの住所が、本籍地とされた。
名前のわからない孤児は、保護された市区町村の長が、孤児の名前を与えることになっている。
ライトノベルの小説やマンガ原作の執筆以外に、彼は本宮鏡という別のペンネームで、評論や詩を執筆する作家でもある。
「本宮鏡というペンネームを持つことは、生きていくために必要なことだったような気がします」
彼が孤児となった背景には、複雑な事情があるだろう。
避難勧告が出された地域で、彼はコインランドリーの乾燥機の中に入れられたおかげで、外部の溢れた水から逃れることができた。
被災地へ救助に来た自衛隊員に勝己が発見された時には、かなり衰弱していた。
誰が何を考えて、乳幼児をコインランドリーの乾燥機の中に入れたのか。
しかし、ただコインランドリーのテーブルの上などに、勝己の入った段ボール箱を置き去りにしていたら、勝己は命を落としていたにちがいない。
勝己は被災地から離れた県の児童養護施設と、民間の自立援助ホームで19歳まで暮らしていた。
民間の自立援助ホームの創設者の竹宮薫(55)は、48歳までは小学校の教員をしていた。
児童養護施設では職員の人手不足という問題がある。
親の虐待や貧困から児童養護施設で暮らす子供たちが、相談相手がいないまま非行へ走るケースに何度も直面し、竹宮薫はある決意をした。
「教員として家庭を失った子供たちと、家庭で暮らす子供たちを分けへだてなく対応することばかりに気を取られていて、どちらでも話し合うことが必要な子供たちを見落としてきたのかなって。だから、残りの人生は学校ではなく、もっと近いところで子供たちと話せるところが欲しかったんだと思います」
児童養護施設には18歳までしか暮らすことが許されていない。
退所義務があり、その後の支援体制はほとんとない。
実際に一人暮らしを始めて自立するためには、元手となる費用が必要になってくる。
児童養護施設から出されたあとは行くあてがなく、路頭に迷うケースもある。
それを見越して、以前は法的にグレーゾーンだった「パパ活」をして、学校と児童養護施設から姿をくらましてしまう子供たちもいた。
法改正後は16歳以上でなければ本人の同意として認められずに「パパ活」で「不同意性交罪」として罰金刑を受ける大人の男性もあらわれたこともあり、警察の取り締まりが厳しくなるほど、逆に少女や少年たちは、高額な「おこずかい」を与えられて相手との共犯意識から「パパ活」を隠すことになった。
児童相談所で相談されて、孤児となった子供たちの引き取り先の優先順位は、ガイドラインによれば、最善の委託先を親族としている。
それが無理なら養子縁組。
さらに里親養育。
児童養護施設への入所は、最終手段となる。
児童相談所では、85%以上の子供たちを児童養護施設に入所させている。
「里親支援機関という制度が諸外国にはありますけれど、日本にはそれを補うシステムは根づいていないので、児童相談所が担わなければいけない。そうなった場合に児童相談所は忙しくて人手も足りない。どうしても、里親家庭に委託できず、多職種の人手もある児童養護施設のほうに、と考えてしまうのは致し方ないものと思います」
児童相談所の職員側の意見を、本宮勝己はかなり取材してみた。
おおむねこうした「どうしても」という意見が大半だった。
「パパ活」「援助交際」「風俗店勤務」……堕落するように自分を商品化して自立していくことを選ぶ人たちもいる。
竹宮薫は、社会の仕組みをどうにか無くすことはできないが、そうした流れを成りゆき任せで受け入れさせられていく前に、子供たちに選択できる期間を与えることができるのではないかと考えた。
「そうですね。ひとりでいるということに慣れないですね。まず、ちっちゃい時から、まわりに子供たちがいる状況で、大人になってもひとりでいるとすぐに淋しくなっちゃいますね。そのひとりってことに慣れないっていうか……ひとりの時間の過ごし方が、今、まだわからなくって。すごく淋しくなっちゃいます」
児童養護施設から出されて、貯金もなく、どうにか生活保護を申請することで、生き方を選択する期間を得た女性は、本名を公開しないという条件で、本宮勝己の取材の申し出を受けてくれた。
彼女は高校生になって、周囲のクラスメイトとなじめず、登校拒否となった時期に、竹宮薫と知り合い、自立援助ホームへ一年間ほど移ったあと、他県の別の児童養護施設へ入った。
退所後は竹宮薫と文通しながら生活保護を受けて、精神科のクリニックに通っている。
本宮勝己の取材を彼女は受けたあと、しばらく竹宮薫の自立援助ホームの職員として働き始めることになる。
自立支援ホームには、五人の入居者が暮らしている。
彼女は、入居者のための炊事や事務業務を近くのアパートから通って行っている。
一人暮らしで人と関わらないことに、彼女は淋しさを感じていることを、本宮勝己に打ち明けた。
それを聞いた竹宮薫が、粋なはからいとして彼女に協力を頼んだのである。
「生後から六歳までのあいだに、愛着に関わる大脳辺縁系は成長します。その成長は、大人との関係性に大きな影響を与えます。とても大切な時期といえるでしょう。施設では愛着を築きたくても、1対1の関係にはなりません。職員一人で、五人の子供を担当することもある。職員は交代制です。安定した関係性は築けません。しかし、乳幼児に必要なのは安定した関係性なのです」
子供と大人との1対1の関係を施設よりかは、築ける可能性がある里親支援に期待されるところだと取材に応じてくれた大学教授の大島恵子(59)は、本宮勝己に話していた。
日本の里親委託は15%前後。
政府は十数年以内に、里親委託率を30%まで引き上げげる方針を公表していた。それは本宮勝己が詩人サークルの告知を図書館に出した頃で10年目だったが、実現されていなかった。イギリスの里親委託率は71%、アメリカは77%、ヨーロッパでは93%となっている。
「日本では里親委託を嫌がる親が多い傾向があります。施設に入れたら、会いに来れるからと。しかし、生活のために働いている親はあまり会いに来ないのです。どういうことかと言えば、他の親と自分を、子供に比べられたりしないから、里親に子供を委託するのを嫌がるのです」
政府の支援と財政手当ての不足も問題の一つとなっている。
日本の里親への支援やトレーニングが充分に行われていない。児童相談所としては、そのトレーニングが不十分な状況の里親に子供を委託することは難しいと判断することもある。
実習だと社会福祉士では4週間の実習がある。大島教授に言わせれはこれも不十分だと感じるが、里親に関しては2日間しか実習が行われていないと本宮勝己は聞いて驚いた。
政府が里親を政策として増やすのであれば、里親となりたい人たちをバックアップする支援体制をもっとしっかりと行われなければならないと本宮勝己も感じた。
六歳までのコミュニケーション不足。それ以外にも大島教授が危惧していることがあると言った。
「施設の規模が大きいほど、子供の個人としての主体性が育てられない傾向があります。決められた時間に出された食事を食べる。決められた入浴のタイミングだと指示され入浴をする。指示された時間に就寝する。日課をすべて決められているので、子供たちは自己決定する機会がないということ。しかし、18歳になると強制的に
施設から出なければならず、誰も指示してくれない状況にいきなり置かれて、とても困惑するということになります。そこで、他人から指示を与えられた場合に、疑うことなく不安を感じていても、言いなりになったように従ってしまうことも起きてきます」
愛情不足と主体性の喪失。
本宮勝己はラパン・アジルで珈琲を飲みながら、編集者たちと打ち合わせをするのを好んだ。
編集者の長澤美紗(34)に「これは、孤児の保護について世間に実状を訴える取材の記録を公開したいのですか?」と聞かれ「ちがいます」と答えた。
本宮勝己が送信してきた本宮鏡のペンネームで執筆した原稿データを、編集部の自分のデスクで目を通した長澤美紗は「問題ありません。原稿、あずかります」と誤字脱字に注意しながら読み終え、すぐに本宮勝己に電話をかけた。
本宮勝己は孤児であってもなくても、愛情不足になっている子供はいることや、家庭環境や学校などで、主体性を喪失するようにすることで適応していたとすれば、その後に、従えば自分に得に思えるルールや考え方だと感じるものがあれば、考えずに真似をして行動するのではないかと書いた。
「恋愛や結婚に対しても、そうなのかもしれないですよね?」
長澤美紗はこれが恋愛に関するエッセイだと説明されて、Web連載のサポートとして、本宮勝己のために取材の約束を取りつけたりして協力してきた。
Webサイトで人気のラノベ作家のエッセイだからと、まあ気楽にやれよ、と編集長から言われて引き受けた仕事だった。
最初は気乗りがしない仕事だと思っていたが、Webサイトに掲載する前に、読者よりもチェックのために先に読めることが、とても楽しくなった。
彼女はこの仕事をサポートしてみて、編集者をやっていて良かったと何回も思った。
35歳から40歳の五年間に言い寄ってくる男性が減っていくのは、なぜなのか?
【そろそろ冒険ではなく、本気で結婚したい勇者様】
本宮勝己のラノベ担当の編集者から、本宮勝己との打ち合わせはおもしろいと長澤美紗は聞かされていた。
「ラノベでも、登場人物の恋愛対象になる年齢ってことを考えてみたんですけど」
本宮勝己は、妻の読み漁っているWeb掲載のライトノベルやマンガの感想から、作品の発想を得ることがよくあった。
男性の登場人物が、10代のうちは、30代から40代の女性キャラクターにでも師匠であったりしても、憧れていることはある。
男性の登場人物の20代は自分の同年代から3歳ほと下の年齢から上限は40代まで広範囲の女性キャラクターを恋愛対象とする可能性がある。
男性の登場人物が、30代から50代となると恋愛対象の女性キャラクターは平均24歳で、年齢が上がるほど同年代か多少は年齢が上であっても、恋愛対象としているのは、結婚している男性の登場人物が妻に対してずっと愛している場合を除き、恋愛対象は若い女性キャラクターになっている。
「逆に女性が主人公の作品で、恋愛対象とされる男性キャラクターは同年代か前後5歳ぐらいの作品が多いです。そう考えると女性の主人公が男性キャラクターにちやほやされるのは35歳から40歳で、年齢が上がるほど、何かしらの相手から尊敬されたりする条件がない限り、平均24歳前後の女性キャラクターより恋愛するチャンスが減るかもしれません」
「で、女性の騎士の主人公が引退して結婚を考えると、どうなるのかという話なわけですか?」
「男性キャラクターたちも、40代から50代になると、国王ぐらいにならないと、さすがに20代は無理って自分の年齢から五歳下あたりを基準にするのではないかと。でも、この物語の世界では、女性たちは自分と同年代か、自分にとって特別な意味を感じられる男性でないと恋愛対象として考えないという設定にしたいんです」
本宮勝己は、どんなラノベ作品でも、社会のありかたや家族やパートナーシップなどの人間関係について考えている。
「魔法や武器、あと神話とかの設定を話す人は多いんだけど、そういうことばかりを話し合うと、俺たちはよっぽど変わった設定じゃないと仕上がった原稿を読んでもつまらない」
「たしかにそうですね」
「読者が憧れてそうなことを登場人物たちが思っていて、それを可能にしたい人物とあきらめてる人物とのぶつかるドラマだけじゃなくてさ、憧れが嘘だと登場人物ががっかりしたり、でも、できることからやってみたりしていて、実際にいそうな感じの人物に書き上げてくるから、そうきたかってなるから……おもしろいものを書いてくる人なんだよ」
本宮勝己のエッセイを担当になったので、ラノベで担当になった編集者たちに、長澤美紗は変わった癖がある作家なのかを事前に聞き込みしてまわっていた。
締め切りギリギリまで手直しする作家や打ち合わせとはまったくちがうものを書いてくる作家など癖がある人たちがいることを、長澤美紗は知っている。
聞き込みをした全員の編集者たちが、それぞれ自分が担当した作品を懐かしんで長澤美紗に饒舌に話すこと。
もう一つ、本宮勝己の噂に共通していることがあった。
それは本宮勝己がかなりの「愛妻家」という噂だった。
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