第15話 水槽の魚たち(1)

 自然、花鳥風月、風雅……そうしたものが伝統としてあり、それを普段の日常生活では忘れているけれど、短歌や俳句の知識が身についていることで伝統を身につけ心おだやかに安心感を得られる。

 それが文化の豊かさであり、詩に求められている役割であり、価値が生まれる。

 そうした考えかたの根拠を説明しようとすることに対して、芸術のひとつである創作作品の尊さについて、説明などいらないものでそういうものだと言われ、またそうしたものでありたいと努力や工夫をしてきた先駆者たちの願いを忘れてほしくないと熱心に語られさえもする。


 道教の太極図のような「不易流行ふえきりゅうこう」という言葉がある。

 日が昇り、また沈む。

 月は照り、星が瞬く。

 そうした自然と呼ばれてきた環境を示すとき「不易ふえき」という言葉と言い換えてみることができる。地球の自転や公転、太陽の燃焼、月の満ち欠け、天候。心臓の鼓動、呼吸。

 松尾芭蕉の「奥の細道」には


そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず


と記されているのは、芭蕉にとって文飾だけではなかっただろう。


あらたうと青葉若葉の日の光


 これは「奥の細道」の日光を芭蕉と曽良が訪れたくだりの、芭蕉の一句。


涼しさやほのづきの羽黒山

雲の峰幾つくずれて月の山

語られぬ湯殿にぬらすたもとかな


 この三句は出羽三山のくだり。

日光の「日の光」と出羽三山の「三か月」「月の山」。

つまり太陽と月というかたちで、これらのくだりは対応している。

密教の最高位の仏である大日如来の信仰から山の名前とされている聖地のひとつ「日光」を訪れたのは元禄二年の初夏。

 「奥の細道」で芭蕉と曽良は、和歌の歌枕となっている聖地めぐりをしてゆく。神仏や目には見えない精霊のようなものや、かつての歌人たちの詠んだ和歌をなつかしみ、聖地を尋ねて歩く巡礼の旅。

 「不易」が不変のありのままの自然であれば、絶えず変容していき過ぎ去っていく時代性のようなものを「流行」と言い換えることができる。


 芭蕉の生きて旅をした時代から十数年後の蕪村の句では


近達きんだちに狐化けたり宵の春

巫女かんなぎに狐恋する夜寒かな


という後の芥川龍之介が「今昔物語」の本歌取りのように「鼻」「羅生門」「地獄変」などの短編小説を執筆したような方法の句もある。

 蕪村は、江戸時代ではなくもっと遠い過去に発想を飛ばし、昔話に登場するのような「狐」を創作している。


狐火きつねび髑髏どくろに雨のたまる


 この一句は「狐火」のほのかな明かりに浮かび上がる髑髏と夜の闇の明暗のコントラストや、雨音の聴覚の表現がまるで「たまる」と書かれることで、雨音も耳にたまっていくような感じさえ覚える一句だけれど、それがいつの時代なのか、髑髏は誰なのか、など説明なしにわからないまま出された感じがして過去に発想を飛ばした創作なのか、蕪村が実際に目にした光景なのかもはっきりしない。


ばけさうな傘かす寺の時雨かな

草いきれ人死居ひとしにいるとふだたつ


 もう開国より以前の蕪村の時代の俳諧には、芭蕉の句にふくまれている八百万の神々や野山の精霊や神仏への信仰の雰囲気が、芝居がかった虚構性を仕立て上げなければ表現されずに、また「化さうな」と主観を述べる描写もすでにあらわれている。


宝石の大塊たいかいのごと春の雲

旗のごとなびく冬日をふと見たり

白酒しろさけの紐のごとくにつがれけり

山の雪胡粉をたたきつけしごと

父を恋ふ心小春の日に似たる

去年今年こぞことし貫く棒の如きもの

(高浜虚子)


 のちの正岡子規の俳諧から俳句への改革といえる活動は、芭蕉の死のあとのすでに百年以上前に起きていた表現にある「流行」の変化を確認して、整理したものともいえる。


 光の中にも闇があり、闇の中にも光がある。道教の教えを示しているとされる太極図。

 「不易流行」という言葉を考えるとき、どちらが上か下かもない太極図のように、ありのままで不変の「不易」と、常に表現として変化していく「流行」はどちらも矛盾せず同時にふくまれている。


 俳句の詠みかたの方法としての「流行」が提唱され、それまでの既存の作品の評価が変わり、その後の創作された作品にふくまれている「不易」なものは何度も繰り返し再編成されて、微調整されたアレンジメントのひとつとしてあらわれてくる。


 オリジナルの創作作品は存在しない。あるものは既存の作品のアレンジメントにすぎない。

 だから、もう今さらわざわざ自分が工夫して執筆した作品を公開する意味はない。代わりの作品はいくらでも存在している。そう考えてしまう人もいるだろう。

 また自ら創作などしなくても、既存の作品の表現された内容をよく読むことで、感情移入する想像力や読解力があれば、心おだやかに安心感を得られるものと考えるかもしれない。

 さらに、創作するためにはアレンジメントできるぐらいの知識が必要というなら、まずいきなり詠むのではなく、既存の作品を読んでから「流行」をふまえるための対策を立てようという慎重な人もいるかもしれない。


 すると、過去に創作された作品のうち、「流行」のふるいにかけられて、現存している作品なのでかなり減っているはずなのに、どれから手をつけたらいいのか困惑することになる。

 膨大な量の既存作品が存在しているからだ。

 すべて読み尽くすことは、人には難しい。

 これは「不易」な事実なのだが人の寿命には限りがあるのと、たとえ黙読したとしても、一生かかっても現存しているすべての作品を読みきることは不可能なのだ。

 また詩作品の場合は、新作が書籍化されている情報を知ったとしても、もともとの発行部数が少ないこともあり、作者本人から贈呈されない場合には、入手が困難な場合もある。出版されたあと絶版になっている作品の場合は、作品が公表されたことすら忘れ去られてしまうことがある。

 それは「流行」のふるいにかけられてこぼれ落ちた作品と考えて気にせずに、書店や古書店などで見かける本から読むことにしたとしよう。本を入手することが目的ではなく、本の中身である作品を読むことが目的だからである。


 これは詩作品だけに限らない。世界規模で考えると芸術作品として公開されている創作物は絵画、彫刻、写真、映画などもある。

 また芸術作品ではなく「流行」のものと考えればファッション、料理などもある。

 それも、消費者の好みに合わせてかなり細分化されている。

 どれも、他人に喜びを与えようとして提供されているように見えるものばかり。


 なぜか。それは商品として提供されているから。


 「流行」といっても芭蕉が俳諧師として創作していた頃には、限られた同好の人たちが集まる場としての「座」があった。

 客人の「宗匠」などを招き、時にうまいものを食べ、酒を飲み、笑い、放談をして、そこでは社会的な地位も関係なくいられた。俳句は「座の文芸」と言われることがある。

 その場で即興で詠まれた句から「宗匠」と連衆で話し合い良い句を巻物に清書して鑑賞していた。これは個人的な創作物ではなく、共同の創作物だった。

 また詠んだ句について同好の人たちに語り広める場でもあった。

 芭蕉が「奥の細道」の旅を終え元禄二年の秋から二年間、江戸に戻らなかった。上方に留まり、近江、京、伊賀上野を行き来してすごした。芭蕉は「奥の細道」の旅から五年後の元禄七年の冬に大阪で亡くなっている。

 芭蕉を師匠とする「蕉門」の俳諧は、芭蕉が人生の寂寥せきりょうを嘆くより、さらりと詠む句風の変化があったので「当門のはい諧すでに一変す」と芭蕉の没後に弟子の去来が「俳諧問答」に記している。


 選挙で投票権を使い投票して、指導者であり自分たちの代理である代表を選ぶことで国や市町村のあり方を決めている。

 その他にも市民が社会のあり方を方向づける手段がある。

 資本主義社会は経済、とりわけ市民のお金の使われかたに従順な社会となっている。何が買われているかにすぐ影響をされて、売れた商品の関連企業がのしあがる。

⊥資本主義社会は革命として暴力で訴えなくても、消費者のお金の使い方で変化を起きる。

 投票の一票と同じように、お金の使い方によって確実に変化が起きる場なのである。


 「流行」が商品として何が売れているかという傾向という意味の言葉に使われるようになった。

 心おだやかに安心感を得られるものは、作品を創作することや、それを通じて同好の人たちとの語らいの場を持つことではなくなっている。


 商品としての作品。

 商品として需要があるかないか。

 その作品が経済的な価値があるものなのか。

 何のために創作するのかではなくて、先に価値を考えてしまう人もいるのには根拠がある。


 言葉が本来は自己主張をして安全を確保したり、他人との関係を円滑にして、疎外されないようにするために発達してきたコミュニケーションの手段であること。

 まだ狩猟して暮らしていた大昔の人類は、小規模な人数の集団の中で疎外されることが、生命の危機に直結していた。集団の中で危険な人物であったり、集団に負担となる人物は残酷かと思われるかもしれないが、石で頭部を殴られて殺害されていた。

 頭蓋骨が陥没した人骨が発見されていて、狩猟中心から稲作などに生活が変わって、食糧の確保が狩猟中心の時代よりもましになったあとも、さらに疎外され殺害される人数は狩猟中心の時代よりも増えた。

 集団生活する人数の増加した結果、不安も増加したからだ。

 生命の危機を脱するために、自分が集団の中で役立つことや安全であることをアピールする言葉やしぐさを作り上げた。

 その習性は、現代になっても人間の脳に残されている。


 風雅とは、もののおもむきを解し、気高く、動作なども優美なこと。

 趣を解すということは、他人との共感やコミュニケーション能力のことで、その重要性は注目され続けている。

 それが、礼儀作法もふくめた伝統の役割だと思われてきた。


 しかし、周囲の人の意図をすばやく予想し、できるだけ誰とも波風立てずにつきあうということに矮小化わいしょうかされている考え方もあり、大多数の人との共通の認識が通用する場に生活している安心感は失われつつある。

 大多数の人との物事に対する共通の認識を常識という。

 常識というものは、時代や地域性がもともとある。状況や集団の人数が、現在とは異なっているからである。


 創作した作品を通じて、不特定多数の他人に何かを伝える。

 それが、本当に許されていると信じられるかどうか。

 まず、使っている言葉そのものが気持ちのままに他人に伝わっていないと感じるだけでなく、他人と自分との親密な関係性を不用意に持ちたくない人もいる。

 他人に干渉されたくないということも感じているかもしれない。


 本能として、人間は集団生活では他人と関わり続けなければ生命の危機に陥るため、他人と何らかのコミュニケーションを取り、安全を確認する習性がある。

 しかし、それを成長する過程でコミュニケーションに失敗した体験が強く記憶されていると、その後の行動や感じ方に大きな影響を与える。





















































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