三鹿ショート

 多忙だった恋人と久方ぶりに会い、食事をした。

 しばらく会うことができていなかったために、話したい事柄が多かったのだが、何もこの場で全てを語る必要は無い。

 繁忙期が終了したゆえに、これからは恋人と多くの時間を過ごすことが可能となるからだ。

 週末に再び会うことを約束し、恋人と駅前で解散したところで、私は見知らぬ女性に声をかけられた。

「真実を知ることと知らないことでは、どちらが幸福なのでしょうか」

 奇妙な問いを発する彼女に対して首を傾げていると、彼女は私の恋人が去って行った方向を見ながら、

「あなたの恋人は、嘘を吐いています。その理由を知ったとしても、あなたは恋人を愛し続けることが出来ますか」

「その理由の内容によりますが」

 私がそう告げると、彼女は私の恋人について語り始めた。

 その内容とは、恋人が私を裏切っているということだった。

 私の恋人は、繁忙期のために私と会う暇が無いと説明していたが、実際のところ、他の異性との時間を愉しんでいたらしい。

「何故、あなたがそのことを知っているのですか」

 彼女の言葉を即座に信ずることができなかったため、私が問うと、彼女は自身の頭部を指差しながら、

「私は、他者の思考が分かるのです。ゆえに、嘘を吐いているかどうかが分かり、同時に、何故そのような嘘を吐いたのかということも分かるのです」

 もしかすると、彼女は関わるべきでは無い人間なのではないか。

 私が彼女を不審に思っていると、彼女は首を横に振った。

「私を奇妙な人間のように思うことは、止めてほしいですね。では、こうしましょう。今からあなたが思い浮かべた一つの言葉を、私が当てます。それが正解ならば、あなたの恋人があなたを裏切っているという私の言葉を信ずることができるようになるでしょう」

 厄介な人間に絡まれたものだと考えながら、戯れに、私は彼女の言葉に従うことにした。

 だが、思い浮かべた言葉は、一つではない。

 三つほど考えたところで彼女に頷くと、彼女は苦笑を浮かべた。

「一つだと言ったにも関わらず、三つも思い浮かべた上に、そのような変態的な言葉を思い浮かべるとは、意地が悪い」

 彼女が発した三つの言葉は、確かに私が思い浮かべたものだった。

 これは、彼女の言葉を信ずるしかないのだろう。

 つまり、私は恋人に裏切られていたということになる。

 あまりの衝撃にしゃがみ込んだ私の肩に、彼女が手を置いた。

「嘘を吐かれることを厭うのならば、良い場所が存在しています」

 顔を上げると、彼女は微笑を浮かべていた。


***


 何時間もかけて辿り着いた場所は、別荘のような建物が何軒も存在している山奥だった。

 建物に目を向けている私の横で、彼女は説明を開始した。

「此処は、誰もが正直に生きている場所です。喜怒哀楽の理由を隠すことなく説明し、恋人を裏切ってしまったのならば、それを正直に明かさなければなりません。これだけを聞けば、何とも窮屈な場所だと考えてしまうことでしょう。ですが、この場所では、嘘を吐いてはならないという一つの規則を守れば、何をしても問題になることは無いのです。生活は、私が保障しましょう」

「何故、そこまでのことを」

 私の言葉を聞くと、彼女は寂しげな様子で、

「他者の嘘を見抜くことができるということは、苦痛なのです。私に笑顔を向けていた相手が内心では私を嫌っているなど、そのようなことを数多く経験してきたために、私は偽りの多い人間ばかりが溢れる場所に耐えることができなくなってしまったのです。ゆえに、このような場所を作ったのです」

 つまり、正直者だけが得をする場所だということだ。

 このような場所を紹介してもらうことができたのは、心の底から愛し続けた恋人に裏切られてしまった私に対する彼女の情けなのかもしれない。

 元々、虚言などとは縁の無い生活を送ってきたために、この場所で生活する上で大事な規則に不満を抱くことはないだろう。

 私は彼女に同情しながらも、この場所で楽に生活することが出来るということに、感謝の言葉を述べた。


***


 己を偽ることなく過ごすことができるということは、想像以上に良いものだった。

 自分の好きなように生きることができているためか、この場所で生活をしている人間たちは、漏れなく幸福そうだった。

 新たなる恋人も、私に対する想いを正直に伝えてくれるために、私は相手を心から理解することができるようになった。

 しかし、新たな恋人もまた、私を裏切った。

 正直にそのことを告げられるということが、これほどまでに辛いものだとは想像もしていなかった。

 このような思いを抱くのならば、何も知らずに生きていた方が幸福だった。

 私は新たなる恋人と間男を罵倒し、殴り、蹴り、そしてその生命を奪った。

 荒い呼吸を繰り返しながら、私は正直に、彼女に子細を説明した。

 さすがにこれほどの行為が許されるわけがないと考えていたが、彼女はあっけらかんとした様子で、

「では、処理は私の方で行っておきましょう。あなたは疲れているでしょうから、休んでください」

 私は驚きを隠すことができなかった。

「私を罰しないのですか」

 私の問いに、彼女は首肯を返した。

「あなたは、己の罪を正直に話しました。この場所では、正直さ以上に大事なことは存在していませんから、何も問題はありません」

 私は、この場所が恐ろしくなってしまった。

 嘘を吐かないということだけを守れば、文字通り何をしたところで問題にはならないなど、異常者にしてみれば天国のような場所ではないか。

 これでは、私もまた、何時狙われてしまうのか、分かったものではない。

 その不安を正直に伝えると、彼女は微笑を浮かべながら私の肩に手を置いた。

「心配することはありません。何時の日か、あなたも慣れる日が来ます」

 そう告げると、彼女は私が作り出してしまった死体を処理するために、私の前から姿を消した。

 私は逃げ出したくなったが、一方で、二人を殺めた感覚を忘れることが出来ない自分が存在することにも気が付いていた。

 この場所で生活を続けた場合、その存在感が強くなるのは、前者か、後者か。

 ひとまず、私は自宅に戻り、疲れを取ることにした。


***


「いきなり二人も殺めるとは、なかなかの人物ですね」

「彼が将来に殺める罪の無い人間の数を思えば、驚くことではありません。それを避けるために、この場所に罪のある人間ばかりを集めているのです。この場所で彼の危険な欲望が満たされれば、誰にとっても良い未来ではありませんか。これは、他者の嘘や思考だけではなく、相手に潜む殺人願望までも見抜くことができる私がやるべきことなのです」

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三鹿ショート @mijikashort

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