第2話:ファーストキスと鼻水

 二度目の人生で、ヨシュアは初めて幼稚園に通った。一度目の人生は、大半が研究所で軟禁生活。お世辞にもマトモとは言い難い環境で育った。


 彼には、一度目の人生の記憶がある。なので誓った。『次こそは上手くやってみせる』と。人を傷つけたくない、人の役に立ちたいという思いが強かったのである。


 だがいざ、幼稚園で過ごしてみると、それはまあ酷かった。


 積み木遊びをしている子と友達になりたい。よし、私が手伝おう! 一人で全部完成させちゃう。友達になりたかった子が泣く。


 先生が絵本を読み聞かせしている。よし、私が力になろう! 先生の話をさえぎり、一人でとうとうと絵本のうんちくを語り続ける。


 こんなものは序の口で、まいきよいとまがない。

 最もタチが悪かったのは、ヨシュアにコミュ障の自覚がない事であった。


 幼稚園で浮くのに一ヶ月と掛からず、腫れ物と化したヨシュア。普段通りに接してくれるのは、姪のナオミだけになった。


 ちょいとややこしいのだが。二度目の人生を始めるべく、オギャった十ヶ月後に生まれたのがナオミである。彼女は、実弟キングの娘だ。


「ヨシア。新しい子が入ってきたよ」


 ぽつねんと一人で本を読んでいたヨシュアは、自信なさげに眉を下げると背中を向けてしまった。


「友達と行けよ、ナオミ。僕は読書で忙しいんだ」


「んもー。すぐ、いじけ虫になるんだから。ほら、行こう?」


 ナオミが差し出した手を、ヨシュアは振り払えなかった。「仕方ないな」超ちっせえ声で呟いて、しがみつく。

 

 沢山の子に取り囲まれた新入生を、ナオミの背後からチラ見したヨシュアは、目を見開いた。


「俺の名前は7sセブンス。変な名前って言うヤツは許さないからな!」


 ハチミツを思わせるブロンドと、エメラルドグリーンの瞳。忘れようがない。ヨシュア一度目の人生において忠実なしもべであった、男の血縁者だ。


 男はヨシュアを愛し、忠誠を誓ったまま命を散らした。やらかし過ぎて後戻りなど出来なかったヨシュアは、遺族に匿名で大金を遺した。


 一度だけ、寝物語で聞かせてくれた。「俺には、年の近い弟がいるんです」と。


 ヨシュアはついぞ、男の愛を受け入れる事が出来なかった。7sセブンスに男の面影を見た彼は、堪らずその場から逃げ出してしまった。


「待てよ! どうして逃げるんだよ!」


 ぽやーんとした園児の集いから飛び出して、ヨシュアを追いかけてきたのは、7sセブンスであった。


「ヒッ!」


 7sセブンスは、この時から筋肉の塊だった。走るスピードがえげつない。過去の後悔から逃げ出した筈なのに、いつしか追われる怖さで必死に逃げ倒していた。


 あっという間に追いつかれたヨシュアは、派手に転倒してしまった。振り向きざまに見た7sセブンスは無表情で、復讐鬼そのものに映った。


 硬直して動けなくなったヨシュアに、7sセブンスおおかぶさってくる。


 ――殴られる!


 ヨシュアが身構えた、その時だった。

 鼻水が、べっちょりと顔に押しつけられたのは。


「お前、可愛いな。名前、なんて言うんだ?」


「へ?」


「俺は7sセブンス。かっけえ名前だろ! 叔父さんの名前を貰ったんだ」


 大型犬のように7sセブンスは笑っている。しかしヨシュアは、のしかかられている恐怖で「ヨシュア・キンドリーです……」と言うのが精一杯だった。


「ヨシュアか、可愛いな! お前、俺のモノになれよ!」


 ベッチョー


 結局、ヨシュアがヒスって叫びだすまで、鼻水押しつけ攻撃は続いたのであった。

 

 7sセブンスの登場によって、ヨシュアが学校生活で孤立する事はなくなった。

 

 彼が一方的に話をしていても、7sセブンスはニコニコと聞いてくれる。内容の理解はしていないけど。


 積み木遊びも一緒にしてくれる。「あったまいいんだなー、ヨシュア!」口実を作っては、キスするチャンスをうかがっていたのでは? という疑念は拭えないが。


 何をするのも何処へ行くのも一緒。

 

 ヨシュアの顔はいつだって、7sセブンスが親愛の印でつけていった鼻水で、ガビガビだった。


 中学生になり、ヨシュアに初恋が訪れたのと時を同じくして、7sセブンスまとわりくのを辞めた。





 ◆





 ――そう言えば、いつから7sセブンスは私にくっつかなくなった?


 個室トイレでぼんやりと考えていたヨシュアの背後で、バコンバコン扉を叩く音がする。


「おい、ヨシュア! 気絶してないなら、開けろって!」


 7sセブンスの声だ。留め具が割れてヨシュアの頭をかすってゆく。今にもぶち破りそうな勢いだ。


「生きてる! 生きてるから扉を壊すな!」


「出られる? 胃薬、買ってきた」


 バコン!


 言葉と行動がチグハグ過ぎる。ダメ押しの一撃で、扉がついに壊れてしまった。スチール板で嫌というほど頭を打ったヨシュアは「お前のそういう所が嫌いなんだよ!」と叫んでいた。


 とはいえ、ヨシュアのヒスなど、家族や7sセブンスからすれば通常営業。『健康で宜しいんじゃないでしょうか』である。

 トイレに居合わせたガチムチモブ男が、ドン引きしているのもお構いなしに、7sセブンスが細い身体に抱きついた。


「あーん、無事だったー! ヨシュアー!」


「これの何処が無事なんだ、貴様。扉が頭に直撃したぞ」


 苦い顔でブルネットを押さえるヨシュアに「痛いのとんでけー」と脳天気に唱えた7sセブンスが、頭にキスの雨をじゃぶじゃぶ降らせる。胃薬が床を転げていった。


「まあ……鼻水を押しつけられるよりは、マシか」


 意味不明な理由で納得したヨシュアは、されるがままだ。ドン引きしていたモブ男が、気を利かせて7sセブンスの肩を叩いた。


「モーテルなら、ワンブロック先にあるぜ。連れて行っちゃいなよ、イケメンのお兄さん」


「そういうんじゃないんです! 俺、真剣なんで。黙ってて貰えませんか?」


 キッパリと言い放つ7sセブンスは、ヨシュアの目から見てもイケメンだった。ハチミツ色のブロンドが、お日様のように7sセブンスの瞳を照らしている。


 ブツクサ文句をいうガチムチモブ男をにらんだ7sセブンスは、彼が出て行ったのを見届けてから、改めてヨシュアの手を握った。


「俺、お前が好きなんだ。なあ、デートしてくれねえ?」


 ――ゲイバーのトイレで言う事なのか、それ。


 ウブなさくらんぼよろしく、頬を赤らめる7sセブンスを見ながら、今度はヨシュアがドン引きしていた。


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