鬼殺魔界平城京奇譚

軽井 空気

第1話 カテゴリーS、№7。

 辞令が出た。

 オレの人生はただ一つの目的の為に費やされてきた。

 ただただ鬼を殺すための技術を鍛える為だけに命を捧げて来た。

 オレは生みの親の顔を知らない。

 生まれてすぐに親に売られて物心つく前から退魔師に育てるための調整をされてきて、そしてオレはただただ鬼を殺すことだけを考えて育ってきた。

 施設には俺以外にも老若男女幾人もの精製体がいた。

 知識として教えられた中ではオレの居た施設は退魔師を養成するいくつかのアプローチの中でも一芸特化型の退魔師を育成するカリキュラムをとる機関だった。

 だからオレはずっと、ずっと鬼を殺すための技術をがむしゃらに叩き込まれた。


 それはオレが15歳の誕生日と言う日に通達されたのだった。

 年齢が15に至り、その時点でのオレの退魔師としての実力が規定値を十分以上に満たしていることにより選ばれたとの通達だった。


 特1級左道儀式「逆時送り」


 国連と言う組織によって悪鬼妖魔蔓延る極東の島国「魔界」への対策作戦。

 時間をさかのぼり人を送り届ける超常の技をもって、悪鬼たちがはびこり出した西暦710年代の島国の都を攻略して歴史を変えようというものだ。

 その第一陣にオレが選ばれた。

 そのことにオレは静かに拳を握って今までの人生の意味が結実することの喜びを感じていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「さて、第一陣の選出は終わりましたね。彼らが鬼を殺して原因を除去できればいいのですがね」

 暗く広い部屋に縦長の円卓が置かれていてそこに20人ばかりの人が座っている。

 彼等は一様に手元のみが仄かに明かりで照らされているだけで、その顔を判別できない。

 最初に声を出したのは老いた男性であるのが声質から伺えるのだが、それでもその手元から漂う生気は並の人間を凌駕するモノを放っていた。

「どうでしょうかね。鬼たちには現代の兵器では対処できませんからね」

「だが、古来より続く呪法や戦闘技術は通用することは確かだろ」

 次に若い女性が、続いてまだ青年のような若い男の声が意見を口にする。

「くすくす。1000年以上も放置していた化け物の相手をここ200年ほど培ってきた人間同士の殺し合いの技術をぶつけても全く歯が立たなくて、藁にも縋る思いで古臭い技術に頼って何とか対処できた。なんてすごく皮肉よね」

「その頼みの綱の技術も近代化した社会と2度の世界大戦で多くの伝承が失われてしまっていたのだがな」

 苦虫をかみつぶすように青年が吐き捨てる。

 それに対して老人がくぐもった笑いで答える。

「ククク。それゆえ世界が必死に過去の遺物を漁っておるわけじゃがな」

「それもこれもあの鬼共が島国の中だけで大人しくしておればよいものが、今更になって溢れて来よって」

「ククク。臭いものにふたをして見ぬふりを続けていたら手の付けられぬほどに腐り果てて居っただけじゃろうて」

 老人の声に他の者たちが居心地の悪さを醸し出す。

「ククク。まぁそれ故に今更ながらワシのようなカビの生えたジジイが表舞台に立つ機会を得られたわけじゃがな」

「老師。此度の作戦、上手くいくでしょうか?」

「上手く行くかじゃない。結果が出るまで繰り返すのじゃ。でなければ人は鬼共との生存競争に破れるだけじゃぞ」

 老人の言葉に皆黙り込む。


「こほん。本題に入ってもよろしいでしょうか」

 皆が沈黙したところで暗闇から平坦な男の声が響く。

 その声に皆が注目した気配がすると同時に―――


 カッ!


 と、強い光が部屋に差す。

 その光はスポットライトで、照らし出されたのは黒いスーツに黒いネクタイという喪服のような衣装の髪を整髪料で七三に撫でつけた眼鏡の男だった。

 男はスポットライトで眼鏡を白く光らせながら表情と言うものを一切見せずに、平坦でありながら良く通るいい声で手元の書類を読み上げる。

「逆時送り、西暦710年代の島国の都「平城京」に60人の精鋭を時を超えて送り込み、当時の鬼を駆逐、または鬼の発生原因を突き止めこれを排除。それをもって歴史の改竄を行う儀式。その送り込む60名の選別が終わり現在最終調整に入っております」

「そうかそうか」

「ふむ、上手く行くか……」

「老師。貴方の一押しの仕上がりはどうですか?」

「あ奴か。おい、資料を」

 老人が七三のスーツの男に指示をすると暗い部屋にプロジェクターの光のラインが走り、壁際のタペストリーに1人の男の情報が映し出される。


 カテゴリーS、№7。コードネーム「ホオヅキ」

 性別、男。年齢、15歳。

 身長、174㎝。体重、78㎏。右利き。


「ふむ、15歳か。まだまだ若いな」

 資料を見た男の一人がそうつぶやく。

 その資料には男の写真もあり、そこに映っていたのは黒髪で前髪が伸びていてそれで右目が隠れている。そして、その見えている左目は獣のように鋭い眼光を放っている。

 あと、全身の写真もあるがそれは黒い上下に分かれた布面積の少ないインナースーツを着用したものである。

 その体は細身でありながら筋肉質でやや不健康そうな白い肌をしている。

「若いですけどテストの評価はかなりのものですね」

 資料に添付されてる情報の中には身体能力や状況判断の実技試験の記録があり、それを見た女が感嘆する。

 それを見て老人が自慢げに答える。

「こ奴には安くない金をつぎ込んでおる。プロジェクトの最高傑作と言ってもよいじゃろう」

 老人の言は男を人間ではなく道具のように語るが、それに対して思うところがあるような人間はここにはいなかった。

「ククク。こ奴がどれくらいの成果をあげられるか楽しみじゃ」

 そう言って老人は資料を下げさせ儀式の段取りについての最終確認を行った。

「それでは皆の衆。儀式の成功を願って」

「「「人の世に鬼はいらぬ。今、誅伐の時」」」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「勅命は下された」

 オレの元にそう言葉がかけられた。

 オレに与えられた名前は「ホオヅキ」らしい。

 その初めて与えられた名前を噛みしめてオレは装備の確認をする。

 インナーは黒のボディースーツ型で訓練時に使っていた布面積の少ないやつではない。

 足の指の付け根から手首、そして首の中ほどまでを包むボディースーツは伸縮性に優れた体にぴったり張り付く素材で出来ており動きを阻害することは無い。

 また、ナノサーキットによる電子回路が織り込まれていて、筋肉の伸縮や肌の摩擦により生まれた静電気を用いて様々な身体機能のサポートを行ってくれる。

 そのインナーの上には白い狩衣を着ることになった。

 狩衣は島国の古い貴族が狩りの時に着る服らしく、時代的に違和感がなく、かつ活動的な服として選ばれた。

 そしてオレの武器は刀と言う鬼に支配された島国の中で鬼と戦い続けた戦闘集団が使っていた物を元に、俺の為に造られた専用の物である。

 刀にはその材質や製造法に鬼を斬るための様々な技術が盛り込まれているが、その中に銘と言う方に名前を刻む呪いがある。俺の刀には「望月」と刻まれていた。

 その他にも戦闘に支障をきたさないぐらいに携行性のある装備がいくつかあり、オレはそれらを1つずつ確認しながら身につけていった。

 そして準備が終わったオレは過去の世界へ出撃するための儀式の場へと向かったのだった。


 施設の今まで使ったことのない扉をくぐり、案内の巫女に連れられて階段を下りて地下通路を歩いていった。

 地下通路は無機質な電灯が等間隔で並ぶ廊下だったが、途中から明かりが蠟燭になりその間隔も不規則になり廊下の材質もリノリウムから木製になっていった。

 少しづつ暗くなっていく廊下の奥は闇に包まれていてよく見えない。

 次第に時間の感覚がおかしくなて行く中、オレは大きな扉の前まで来ていた。

 案内の巫女が扉を開くと脇に寄りお辞儀をする。

 入れという事らしい。

 オレは黙って巫女の横を通り過ぎて扉をくぐった。

 その先には巨大な空間が広がていた。

 天井や反対側の壁が闇に染まっていて視認できない。

 ただ、目の前には巨大な木組に大きな炎が燃え盛っているのが見て取れた。

 護摩壇だ。

 オレは真っすぐその護摩壇に近づいていって左右に木で出来た手すりの間に立った。

 そこで気が付いたが頭上から低い抑揚のない呪文が響いているのに気が付いた。

 護摩壇の炎に照らされて見えたのは、闇の中から釣り下がる鎖で宙にぶら下げられている板に白い法衣に身を包んだものが見える。

 5人はいるだろうか?

 その誰からも生気は感じられないが並々ならぬ執念がこもった呪文が紡がれているのだ。

 オレがしばし頭上に意識を向けていたところ周囲に人の気配を感じるようになってきた。

 視線を下げて左右を眺めると色々な恰好をした人物が護摩壇を囲って円を描いて立っていた。

 どうやら俺と同じ過去へと旅立つ選抜者らしい。

 すると何処からともなく「ゴォォォォォォン」と言う鐘の音が響いて来た。

 その音が響くと頭上の呪文が大きくなり、反響しているのかいくつもの呪文が重なり輪唱のようになる。

 鐘の音も何度も鳴り呪文と合わせて頭の中で音が何重にも響いて意識を塗りつぶしていく。

 視線は目の前の護摩壇の炎に集中する。

 炎の揺らめきと音の重奏で少しずつ意識が遠のいてくる。

 オレは自分がトランス状態に入っているのを自覚しながら直立し続けていると、目の前の空間が少しずつ歪んでくるのが見える。

 最初はこぶし大のゆがみだったが、次第に大きくなり人の大きさにまで広がった。

 そこでひときわ大きく鳴り響く鐘の音。

 するとゆがみの中にここではない別の風景が広がっていた。

 それは暗い夜の森を月あかりが照らす光景だった。

 それが見えた時、オレは迷わずに足を踏みだす。

 その場に集まった選抜者はそれぞれタイミングを合わせていたのでは無いにも関わらず一糸乱れぬ動きでそれぞれの目の前のゆがみへと踏み出していった。


 気が付くと静寂の中に有った。

 さっきまで頭の中に響いていた鐘の音も呪文も綺麗さっぱり消え去り、まるで夢から覚めたばかりのように意識がクリアになっていた。

「……成功したのか?」

 ひさしぶりに出した言葉はややつっかえ気味でオレの声ってこんなに平坦だったのかと驚かされた。

 自分の声が耳朶を刺激するとそれまで静寂だった周りから色々な音が聞こえていたことに気が付いた。

 最初は虫の声でオレの声なんかよりもよっぽど情緒を感じさせる。

 そして肌を撫でるそよ風を感じるとザワザワとした風が草や枝葉を揺らして生み出す音を感じる事が出来た。

 そして風からは湿った土の匂いを感じられた。

 それは生の自然の情報だった。

 オレは今月明かりに照らされた森の中に立っている。

 今までいた人工物ばかりの施設や、施設内で受けたシュミレーターの森とは違う、本物の世界が俺を包んでいた。

「はははははは。ついに……ついに来たんだ。オレが生きる世界、魔界となった大和の国に!」

 感極まってオレは叫びを上げずにはいられなかった。

「これよりオレは鬼を狩って狩って狩りまくるんだ。それが俺の生きる――――


 ヒュッ――カッ!


 高笑いしているオレの左肩に突如矢が突き刺さった。

「———っ痛」

 オレはとっさに左肩を押さえて矢が飛んできた方向から反対側の木の影に身を隠した。

 オレは死角に身を隠したまま森の暗闇に意識を注ぐとガサゴソと下草をかき分けて、鉈や包丁などを持った身なりの宜しくない6人の人間が現れた。

 その内の一人は獣を狩る為だろう手作り感が漂う弓を手に持っている。

 そいつが俺を矢で撃ったのだろう。

「貴様ら何者か!」

 オレがそいつらに誰何すると。

「クッ、ケケケ。こいつこんな状況でおい等が何者かとか聞いてやがるぜ」

「くくく、身なりからしてどこぞの世間知らずのボンボンなんだろぉ」

「ひゃはぁー。そいつはまさにカモってやつですね」

 とゲラゲラと野卑た笑いを漏らしながら得物をぶらぶらさせながら近づいてくる。

「どうやら野盗の類のようだな。オレは貴様らには興味がない。今なら見逃してやるから去れ!」

 オレがそう怒鳴ると。


「……プッ、ギャハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 とそいつらは爆笑し始めた。

「ハハハ。こいつ自分の立場が分かってねぇみたいだな」

「テメェが見逃すとかじゃねぇんだ。おい等が見逃さねぇって話なんだよ」

「大人しく身ぐるみはがされとけ。その後テメェが従順なら慰み者として飼ってやってもいいぜ」

「それが嫌ならテメェはここで死ぬしかねぇなぁ」

 ふむ、どうやら話してわかる程度の知性もなさそうだ。そう判断したオレは右手で刀を抜く。

 左手は少々矢じりが刺さり動かしにくいがこいつら程度なら右手だけで十分だろう。

 オレは身を隠していた木陰からそいつらの前に姿をさらす。

「ひょ~~~~、こいつはなかなか身なりがいいじゃねえか。こいつは金になりそうですなぁ」

「ははは。中身もなかなか整ってやがるし、こいつはバラして肉にしちまうのはもったいねぇ。別の意味で食ってやろうじゃねぇか」

 再び下品に笑う野盗共にオレの鼻から深いため息が漏れた。

「ふーーーー。鬼を狩りに来て最初の相手がこんな雑魚供とはオレもついていない」

「あぁ!なんだってぇ―――――

 一番前に出ていたバカが歪んだ顔ですごんできたが、オレは右手を一振り。

 持っていた刀の刃が一閃しただけで、その醜い頭部がポーーーンと宙を舞った。

 オレが刀をもう一振り、上から下に向かって振り下ろして血のりを払うとその後にドサリ!と宙を舞っていた頭部が草むらに落ちて音を立てる。

 それから切り口から血を吹き出す胴体が地面に倒れ込む。

 あっけに取られていた野盗たちが事態を把握して気勢を上げようとしたところで、オレは更に二振り刀を閃かせて2人の野盗を斬り伏せた。

 残る野党は3人。

 さて、と俺が改めて刀を肩に担ぐと。

「ひっ!」

「う、うわああああああああ!」

「まっ、待ってくれ。置いて行くなアアアアア!」

 叫びを上げて俺から顔を背けて森の中に逃げ出した。

「はぁ~~~~~~」

 オレは盛大にため息をついて。

「売られた喧嘩を見逃してやらんよ!」

 野党が逃げた森の中に追いかけていった。


 森の中を野盗を追いかけながら走るが、流石はこの辺を縄張りにしている奴等だけあって逃げ足はそこそこいい。

 とはいっても、本気を出せばすぐ追いつけないことも無かったがオレは左肩の分のお礼も兼ねてわざと余裕をもって追いかけた。

 その際に声をかけてプレッシャーをかけるのも忘れない。

「はっはっは、何処へ行こうというのだね?」

 と、それっぽい悪役のセリフを吐きながら野盗の後を追いかけていたが。

「———!」

 とたんに俺の危機察知センサーに引っかかるものがあり足を止めてしまった。

 ぎゃぁぎゃぁと鳥が鳴きながら空へと飛んで行った。

 すると森の奥から。


「ぎゃああああああああああああああああああ!」


 野盗共の叫び声が聞こえて来た。

 急いで後を追うと。


 巨大な化け物がいた。

 体高は2.5mくらいで、体と比べたらこと更に大きな2つの眼球がギョロリと飛び出したネズミの頭をしたやつ。

 体は灰色の太い直毛に覆われた猿みたいなものだが、尻尾の形はネズミと同じである。

 野盗の一人はそいつに踏みつけられて血の泡を吹いている。

 残る二人の野盗はそのネズミみたいな化け物の両手に捕まっていた。

 で、その内の1人が、左右の目をバラバラにあっちこっちにギョロギョロとせわしなく動かしている化け物に頭から丸かじりにされていた。


 メリッ!ゴキキ、ブチチィ、バツゥ!


 大きな前歯で鎖骨あたりをかみつぶされて、頭と手で肉を引きちぎられて食われた野盗はビックンビックン!とのたうちながら下半身からは汚物を失禁して垂れ流していた。

「ひぃいいいい!ひぎゃああああああああああ!」

 もう一人の野盗は目の前で仲間が無残に食われるのを見て半狂乱で泣きわめきながらも、こちらも下半身は失禁した汚物をまき散らしていた。

 無様ww。

 そう思った俺だったが油断なく両手で刀を構える。

 左肩の傷口は矢はすでに抜いており、インナーの機能により出血も収まっているので大事ない。

 別に野盗を助けるつもりはない。

 しかしオレは刀を手に取るしかない。

 その化け物は俺が狩るべき敵であるからである。

 オレが生まれて今まで生きてきたのはこいつら鬼を誅伐する為だったのだから。

 始めて見る本物の鬼を目の前にして、オレの五感が戦闘用に切り替わっていく。

 鋭くなった嗅覚が風に乗って漂ってくる鬼の獣臭さと野盗の体から垂れ流される血と汚物の匂いをかぎ分ける。

 野盗の情報は邪魔だ。斬り捨てろ。

 ただオレは獲物に食らいつくその鬼の隙を観察した。

 鬼はもう片方の手につかんでいた野盗の頭に次はかぶりついた。

 その様は両手に握ったお菓子に交互にかぶりつく子供のようだった。

 鬼が歯を立てると野盗の体から血が噴き出し、鬼の顔に降りかかる。


 今だ!


 血が顔にかかった鬼はそのむき出しの目玉が一瞬引っ込んで、まぶたを閉じたのである。

 その一瞬の隙を突いて一気に駆け寄り、大上段から刀を振り下ろした。

 硬い手ごたえ。

 刀の刃は鬼の灰色の剛毛に阻まれ、毛を数本断ち切っただけで、肉に届いていなかった。

「くっ」

 鬼はギョロリと引っ込んでいた目玉を飛び出させると、その片方が俺を捉える。

 すると鬼はグイっと体を捻りオレに背を向けようとする。

 とっさに俺は後方宙がえりでもって距離を取る。

 宙を飛ぶオレの真下を鬼の尻尾が鞭のようにしなって鋭く駆け抜け、その先に有った木の幹をへし折っていた。

 まともに受ければ人間の体など積んだ空き缶を崩すようにバラバラにするだろう。

「鉄鼠……か」

 オレは鬼の種類にアタリを付けて呟く。


 鉄鼠。

 鬼の中では下級の獣型の存在である。

 下級ではあるがその体は人よりも大きく、また対物ライフルにも耐える強靭な体毛に覆われているため、かなり攻めづらい相手である。

 養成施設で見た過去の交戦記録では戦車と正面からぶつかりながらも潰されることなく、逆に戦車の装甲を噛み砕いて大破させていた。

 その資料においては退魔師が3人がかりで捕縛の術を掛けて、身動きが出来なくなったところを殺鼠剤を何十倍にも濃縮した毒を眼球に刀でぶち込み、叫び開いた口の中にも毒をねじ込み退治していた。


 目の前の鉄鼠はオレに向き直るとどこを見ているのかもわからないデカい目をギョロギョロとあちこちに向けて、手にしていた野盗の体にかじりつく。

 幸いにも、鉄鼠はネズミでありながらも繁殖力が高くなく、群れることがないので数に囲まれる心配は少ない。

 まぁ、可能性が低いだけで皆無と言うわけではないが、知能は低いのか人間よりも縄張りに入って来た同族の方に敵愾心を持つようなので、その時は潰し合わせてから弱ったところに止めを刺せばいい。

 そう考えながら、さてどうやって目の前の鉄鼠を斬ればいいのかと悩んでいるうちに、鉄鼠は野盗の体を2つとも食べ終えてしまい、長い舌を口からのぞかせながら相変わらず焦点の合わない眼球をギョロギョロさせながら、顔の正面をオレに向けて来た。

 次の餌は俺に決まったわけだ。

 オレは強く刀を握りなおして構える。

 頬を汗が伝うのが感じられた。


 突如、鉄鼠が踏み込み片手を振りかぶり鋭い爪の生えた手でつかみかかって来る。

 その手を刀でいなしながらオレは踏みだした足を軸に体を回転させながら、頭二つほど高いところにある鉄鼠の眼球めがけて刀を振るう。


「ギャウ!」


 鉄鼠は叫びを上げて後ろ数歩たたらを踏んで下がり、切りつけた眼球を手で庇っている。

 しかしオレは苦虫をかみつぶしていた。

 鉄鼠が手をどけると、無傷の眼球がギョロギョロとあちこちに向けられる。

 弱点と思われる眼球でも手ごたえがつかめず、刃先が滑っている感じであった。

 次の動きも鉄鼠が先だった。

 今度は頭からかぶりつこうと前傾姿勢で口を大きく開けながら突っ込んできた。

 ドスンドスンと言うネズミらしからぬ鈍重な動きに、オレは瞬発力を活かして懐に潜り込み横をすり抜け様に胴を薙ぐ。

 しかしそれも毛を何本か断つ程度で肉まで届かない。

 鉄鼠はその後も突進と腕の振り回しをして俺を追いかけるが、オレは素早くそれらを回避していきながらカウンターを叩き込む。

 しかし鉄鼠には有効打は与えられず、鉄鼠の攻撃で木々や草などが薙ぎ払われて、その巨体で踏まれた地面はちょっとした空き地のように踏み慣らされていた。

 結果、最初に鉄鼠に踏まれてそこらへんに転がっていた野盗の体は原形をとどめないくらいに挽き潰されて地面のシミと化していた。

 充満する血と獣と薙ぎ払われた植物の青臭さが混ざり合って、森の中を異様な雰囲気へと変えていく。

 

 何度目かもわからない交錯の時、鉄鼠はかなりじれたのか鋭い奇声を放ちながら突進してくる。

「ぎゅおおええええええああああああああああ!」

 その時もオレは変わらずすり抜け様に攻撃を繰り出し、鉄鼠の背面に回り向き直った。

 そこでグルリと弧を描くように鉄鼠の大きな二つの目がそろって俺の方を向いた。

 オレはその眼と目が合ってしまった。

 その時、鉄鼠の目がニヤーっと嫌な感じに笑ったように感じたので素早く距離を取ろうとした。

 そこで俺は違和感を覚えた。

 足が思うように動かない。

 何か足が絡まるような感覚がして、それを確かめようと視線を足元にやると。

 グニャァリ。

 視界が歪んだ。

 しまった。と思った時には遅く、オレはバランスを崩していた。

 そこに鉄鼠の尻尾が振るわれる。

 何とか崩れたバランスの中で回避を試みるものの、尻尾の先が左目の上の額を捉えていた。

 強い衝撃が頭を襲い吹き飛ばされる。

 勢いよく振り回された頭部に体が引っ張られて、首がもげるかと思った。

 オレの体は森の地面を何度も跳ねて転がり仰向けに倒れた。

 血か泥でも入ったのか左目が良く見えない。

「ああ、もう駄目だ。ここでオレは終わる。……オレは1匹も鬼を倒すこともできないままこのまま死ぬのか。は……はは、俺の人生……何の役にも立たなかったのか」

 もはや諦めていたオレはただ空を見上げていた。

 空にはキレイな月が浮かんでいる。

 左目は見えない。

 見ているのは生まれてから1度も開いたことのない右目だ。

「?」

 そこで俺は違和感を覚える。

 なぜ、右目が見えているのだろうか?

「いや……違うだろう。なぜ、右目が見えないと思っていた?」

 オレの口から勝手に俺ではない言葉が漏れていた。

 見えるはずのない右目が見ている月の光の中に1つの影が見えた。

 それは羽ばたきながらこちらに飛んでくる……鳥?

 フクロウだ。

 そのフクロウはそのままオレの所まで飛んでくると、オレの右目の中に入り込んできた。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!」


 途端に俺の脳に激痛が走った。

 右目から脳の中をかき回されるような痛みでオレの体は跳ね上がって、オレの体を掴もうとしていた鉄鼠の腕を躱す。

 だけではなく、躱しざまに鉄鼠の手を斬り落としていた。

「ぎゅらあああああああああああああああああ!」

 跳ね起き宙がえりをしながらオレの体は勝手に木の枝に着地する。

 オレの前では鉄鼠が斬り落とされた腕の傷口を押さえ、奇声と血を吐き出していた。

「さあ、斬鬼の時間だ」

 またもやオレではない言葉が俺の口からこぼれる。

 いや、今のオレの体においてオレの意識こそが異物ではないのだろうか。

 だって、オレはこんなに痛いのに、オレの体はそんなものを感じていないようで笑いながら右手に持った刀を持ち上げていく。

 その刀の刀身は今では青白く揺らめく光を放っている。

「ぎゅぷらららああああああああああああああ!」

 鉄鼠が奇声を放ちながらギョロギョロとあちこちに彷徨わせていた視線をまたもやオレにそろえて来た。

 その視線とオレの右目があった。


「ぎょががががががああああああああああああああああああ!」


 叫びを上げたのは鉄鼠の方だった。

 オレの右目と視線が合った途端、鉄鼠の大きな両目がはじけ飛んだのである。

 鉄鼠が両目から汚らしい血と眼球の残骸をまき散らしながらのたうち回る。

 ゴロンゴロン、っと。

 その度に手が、足が、体の一部が肉片となって飛んでいく。

 その間オレの右目は刀の刀身に映り込んだ鉄鼠を見ている。その刀身が輝く度に鉄鼠の体が肉片となって飛んでいく。

 徐々に徐々に鉄鼠の体は小さくなっていき、骨がむき出しになり、その骨も飛んでいき、内臓がこぼれ出て周りに広がっていくも、鉄鼠が転がるたびに引っ張られそして破片となって飛んでいく。

 いつしか鉄鼠の体は人間の赤ん坊位の大きさになっていた。

 その体はもう赤黒い肉の塊でしかなく、鉄鼠と言うより流れた水子の様なありさまである。

 正直相手が鬼とは言え直視しかねるようなありさまである。

「目を逸らすな。よく見ておけ」

 オレではないオレの言葉がオレの意識を固定する。

 オレの体は木から飛び降りると鉄鼠だった肉片に歩み寄り、刀を肉片に突き刺した。

 そしてグリグリと肉をこじ開けていく。

「————————――――――!—————!」

 もはや叫びにもならない鉄鼠の苦悶の様な震えが肉塊から放たれる。

 こじ開けられた肉塊の中から禍々しい黄金の輝きがあふれてくる。

 その黄金の輝きは肉塊の中の鉱石のようなモノから放たれている。

 オレの口がまた言葉を紡ぐ。

「これが鬼の核だ。この凶金まがかねを殺さぬ限り鬼は何度でも黄泉返る」

 オレの体は刀を振り上げるとその凶金に振り下ろし真っ二つに斬り裂いた。

 すると凶金は弾けて何匹もの蛍の光のように舞うとオレの右目へと吸い込まれていった。

 凶金が失われると鉄鼠の肉片は途端にぐずぐずと腐る様に解けていき、黒いモヤになって跡形もなく消えていた。

「まぁ、最初はこんなもんだろう。オレはまだまだ弱い。だから最初は弱い鬼から初めて今みたいに鬼の凶金を殺してその魂を飲め。そうすればオレの力になって行く。やがて力が溜まればまた手ほどきしてやる。それまでまたオレの手を煩わせるんじゃねぇんだぞ」

 そこでオレの中にいた気配が遠のくような感じがした。


 それからどうしたのだろう。

 オレは山の中をさまよっているのだろうか。

 分からない。

 解らない。

 ただただ―――――

「目がああああああ!目があああああああ!」

 目が痛かった。

 異物が入った左目はいまだによく見えないが、それよりもずっと右目が痛かった。

 まぶたを閉じても、両手で右目を押さえていても、常に右目の視界は広がっていて森の風景を映し出している。

 そのおかげであてどなく森を彷徨うオレだがぶつかったり転んだりすることは無かった。

 ただ歩き続けていたら突然森から出た。

 開けた山の中腹から眼前に広い世界が見渡せる。

 そこは盆地なのだろうか、遠くに山の稜線が広がっている。

 その眼前の向こうの山からゆっくりと朝日が昇って来ており、その世界を温かな日の光で照らしていく。

 その朝日は凶金とは違う、優しくも力強い黄金色をしていて今までオレを苛んでいた激痛を忘れさせるほどの美しさをしていた。

 この時オレは理解した。


「ここが「陽出ずる国・大和、」か」


 そこでオレの緊張の糸が切れ意識は太陽の光に包まれながら闇へと落ちていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 暗い部屋の中、長い円卓に手元のみが明かりで仄かに見える人物たちが付いている。

「儀式決行から10時間が経ったが作戦の進捗はどうだね」

 中でも老人でありながら生気に満ちた人物が声を上げる。

 それに答えたのは部屋の奥で1人スポットライトを浴びる、喪服で七三分けをした眼鏡の男。

 男は無表情に抑揚のない声で手元の資料を読み上げる。

「第1陣、全60名の目標年代の目標座標への転送が成功したのを確認しました。そして、その内の20名の生体反応をすでにロストしています」

 その報告に神経質そうに指で机を叩いていた小太りの男が声を荒げる。

「3割の損失だと12時間と経たずにか!」

 その叫びにその席についている多くの者から深いため息がこぼれた。

 それは落胆から来るものだろうか。または声を荒げた男に対しての呆れからだろうか。

 答えは老人の口から出された。

「ははは。損害は。これは作戦の成功を意味しているとは思わんかね」

「何を悠長に言っておるのですか!作戦の人員の育成には莫大な資金を費やしているのですよ。誰がそれを出したと思っているのですか!」

「君だねぇ。しかし、だ。作戦に必要な戦力は質より量だと言って育成のコストを分散させて、第1陣の人員も頭数をそろえるのを優先して実力不足の者まで投入したのも、キミ、だよねぇ」

「そうですが……」

「なら、この損失も君の責任ではないかな。これを失敗だと思うのなら次の生産体制と導入基準を見直したまえ」

「わ、分かりました」

 怒鳴った男は老人の有無を言わせぬ圧力に言葉を濁して黙り込んだ。

 それで作戦の経過に意見を述べるものは老人以外に居なくなった。

「さて、第2陣を投入するまで彼らはどれだけ成果を出せるのかな。くっくっく、良いデータが獲れれば良いが」

 ここに集った者たちにとっては鬼退治のために過去に送られた者は駒でしかなかった。

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