第63話 茶番

 ロジャー、最期の言葉は、「キャロル、君だけは幸せになってくれ」だった。

 そして、ガクリと力尽き、一度大きく息を吸った後、動かなくなった。


「ロジャー!!」


 悲痛なキャロルの声が部屋中、いや世界中に響く。彼女は何度も彼の名前を呼びながら、ポカポカと背を叩いた。


「やめて、目を覚まして。起きてよ、ロジャー!」


 見ているだけで、聞いているだけで。

 それは心かき乱れる叫びだった。


 周囲はただ静かにその光景を見守るのが精いっぱいで、口を開くことすら罪深く感じていた。


 それでも。


「公爵夫人」と皇太子がそっと声をかけた。


 キャロルは泣きじゃくっている。バシバシとロジャーを叩きまくるだけで、相手が皇太子とて返事はしないし顔を向けようともしない。


「ロジャー、ダメよ、ロジャー」


 キャロルはロジャーの背中に顔をうずめ、しがみついた。くぐもった声でいう。


「幸せになんて無理よ、ロジャー。わたし」


 そして彼女は一呼吸おくと、まだ暖かい体の熱を感じながら、ロジャーに聞こえたらいいのに、と思いながらはっきりと口にした。


「あなたを愛してるの」


 そうしたら……。


 動かないはずの背中が動いた気がして、キャロルは急いで体を離した。驚いていると、むくりとそいつは起き上がる。ロジャーは得意げな笑みを浮かべていた。


「おれも愛してるよ、キャロル」


 キャロルに素早くハグすると、ロジャーは軽く唇にキスした。それから、周囲を見回し、ひとりひとり指差していく。


「聞こえたろ、キャロルの『愛してる』! な、お前らも聞いたよな、な、な、な」

「種明かしが雑です」


 ボソと苦言したのは悪魔だった。暇つぶしといった感じで毒薬の瓶を取り出しラベルを見ては「毒、猛毒、下剤、シロップ、毒、避妊薬、毒、目薬、媚薬、毒、毒、睡眠薬、毒、毒」読み上げ、ロジャーを目を細くして見やる。


「いろいろ持ってますね。ご自身は何も効かないのに」

「なんだ知ってたのか」


 悪魔は肩をすくめ、また小瓶を物色し始めた。

「媚薬、媚薬、自白剤、毒、毒。解毒薬がひとつもないです……」


 キャロルの涙は引っ込み、声もなくしていた。起こっていることが理解できない。嬉しいという感情もなかった。ロジャーが生きている。でもでも、でも?


 混乱が続いていると、皇太子がコーデリア王女の肩を抱き寄せていった。


「そろそろ退室してもいいかな。和平条約に変更が出来たのを総司令官に伝えて来たいんだ。ウィンウッド公爵ではなく、わたしがコーディと結婚するってね!」


 コーデリアは何が何やらといった風だったのだが、頭の中の九割は皇太子との目くるめくロマンスでいっぱいだったので、この言葉に満面の笑みになる。


「パパたちにも知らせなくちゃ。ねえ、どんな結婚式にする? ハネムーンは? 新居はどこになるの?」

「どうしようか、さっそく相談だ」

「そうしましょっ」


 抱き合う二人。しっしっ、とロジャーが追い払う仕草をする。


「早く行け」


 そして二人は退室。


 悪魔も「これひとつもらっていきます」と小瓶を一本箱から引き抜くと、パチと姿を消した。あっ、と声をあげたのはトレス侯爵だった。が、悪魔は部屋の隅に移動しただけで、トレス侯爵の背後から肩をぽんと叩いて彼を安心させた。


「わかってますよ、我が弟子よ」

 悪魔の言葉に、トレス侯爵は感激の涙を浮かべる。

「はい、師匠」

「ケスティはいつだって失恋した者の味方なのです。わたしと共に来ますか?」

「もちろん、どこへだってお供します!!」


 というわけで二人は同時に姿を消した。残ったのはロジャーとキャロル、そしてサラとダニエルだった。


「あなた平気なの?」

 キャロルは弱々しく腕を伸ばすと、ロジャーの頬に触れた。

「毒を飲んだのよね? 大丈夫なの?」


「大丈夫だって教えただろ? おれに毒は効かないんだ」


 ロジャーはけろりとしている。

 キャロルは頬に触れていた手を引き戻すと、自分を守るように抱く。


「でも飲んだ毒は強力だから、あなたも……苦しんでたでしょう?」


 ロジャーは一回視線をそらした。戻したものの、キャロルの純粋な眼差しに、また視線をそらす。気まずかった。ドッキリぃ、てってれー、とおどけてみたが、キャロルの表情は戸惑いが増えるだけで、好ましい変化はなかった。


「いやー、そのー」

「演技ですよ」サラがいった。鋭く切り裂くような声だ。

「キャロル様。この者はキャロル様を騙したのです。毒を飲んだふりをしたんです」


「いや飲んだしーぃ」

 ロジャーはバカにするようにいった。

「全部飲んだのは本当ですぅ、毒が効かねぇんだよ、マジで何を飲んでも」


「そうなんです」との声はダニエルだ。


「今では酒で酔うこともない人なんです。昔はへべれけに」

「うるさいぞ、黙れ。お前ところで辞職するんだっけ?」

「……場合によりけりです」


 ダニエルはサラを見、キャロルを見た。


「キャロル様次第なのですが……、閣下と離婚なさいますか? それならわたしもサラさんと一緒に大公国に行くため、秘書官は辞職します」


 キャロルは目をぱちぱちさせた。

 

 じわりじわりと状況が飲み込めてくる。


「全員、知ってたのね? ロジャーが演技してたって」


「とんだ茶番でしたね」ダニエルが苦笑する。

「コーデリア王女はご存じなかったでしょうが、皇太子殿下やトレス侯爵は閣下の体質を知らなかったはずないので。結構有名なんですよ? 毒殺不可な死神公爵だって」


「サラ、あなたも?」とキャロル。


「いいえ」即答するサラ。

「まったく存じ上げませんでした。目の前であんな死に方するなんて最後まではた迷惑な野郎だと思って眺めてましたけど」


 一瞬、静まり返った。キャロルはロジャーを見、微笑を返してきたその顔をにらんだ。


「どうして騙したの。本当に心配したのよ」

「本音を聞きたくて。ばっちりだったな、大成功ぅ」


 と、抱き寄せようとしてくる手を、キャロルは払いのける。


「本音? 本音ですって。違うわ、勘違いしないで」

「あなたを愛してるの」裏声交じりでいうロジャー。


「いってないわ」

「愛してるの、ロジャー、愛してるのっ」感情込めていうロジャー。


「黙りなさい」

「おれも愛してるぜ、キャロル」ウインクするロジャー。


 キャロルは深く深く思った。こんな奴、大っ嫌いだ!!

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