最終話 向かい合う二人
——そうして月日は流れて。
あのリンゴでの騒動から二か月経過した。
ウィンウッド城のフロントガーデンは、バラの季節はとっくに終わり、今は白いピラミッド型の花を咲かせるノリウツギが、孔雀の羽根のように咲き誇る。わさわさ茂るセージの葉の前には、マリゴールドが今年も元気いっぱいに咲いていた。
「お二人の結婚は来年なんですってね?」
白い丸テーブルの上にはティーセットが並んでいる。
手紙を置いたキャロルは、向かいに座る相手に話しかけた。
「そうらしいな。でもアンリくんは今頃、ジャルディネイラに表敬訪問してるから、もしかしたら来年までそのままあっちにいるつもりかもな」
「いいのかしら、皇太子が不在で」
「いいんだろ、すっかり両国仲良しなんだから。今のところ、我がソル帝国は敵なし、誰も攻めないし、攻めても来ない」とロジャーは太い声でいって、
「と、おっさんがいってた」
ティーカップを口に運び、ずず、とすする。
「マッズ、何だコレ」
「カモミールティーよ。わたしが入れたの」
「通りでうまいと思った。大切に飲まなくちゃ」
「いっぱいあるから、たくさん飲んでね」
キャロルがポットを押し出すと、ロジャーは泣き笑いみたいな顔をして喜んだ。
「おじさまって陛下のこと?」
「おじさまがおっさんのことなら違う、軍総司令官のこと」
「チェスター公爵ね。そう、なら安心ね」
キャロルはまた手紙を一読すると、ニコリとし、それから丁寧に閉じて封にしまう。
「お二人が上手くいっているようで嬉しいわ。お似合いのカップルよね」
「さあ、どうかな。あのおしゃべりに付き合えるアンリくんは立派だと思うけどね」
「明るくて可愛らしい王女様じゃないの」
「おれは綿菓子のお姫様が好きだね」
「砂糖菓子ね?」
キャロルは笑顔で訂正すると、その表情のまま、さっきの手紙とはべつの紙片を取り出してロジャーに見せた。
「ロジャー」
「なあに?」
「ここにサインしてちょうだい」
どうやったら自然にカモミールティーを芝生にこぼせるか考えていたロジャーは、示された紙に目をやって、思いっきり口に含んでいた茶を飲み込んだ。
「ウ、毒の味だな」
「毒は効かないんでしょ、ロジャー?」
「うん、効かない」
「あなた」キャロルは笑顔のままいった。
「サインして。離婚しましょう」
あとはロジャーの名前を書くのみ。
「断るっ」
離婚届をぐしゃぐしゃに丸めると後ろに投げ捨てるロジャー。ついでにうっかりを装って、ティーポットもこぼして、芝生にキャロル直々に入れたティーを献上する。
「絶対に離婚しない、君もいい加減あきらめろ」
「離婚したいの」
「ダメだ」
「どうしても?」
「君はおれを愛してるんだろ?」
「愛してないわ」
「愛してるっていったじゃんっ」
「……あれは違うのよ、ロジャー」
「何が違うんだよぅ」
「あれはお別れの言葉なのよ。そういうものでしょ?」
「何がそういうものなんだ」
「死にゆく人には『あなたを愛しています』と、一人きりじゃありませんよ、って伝えるものなの」
「誰がそんなこといった」
「伝記で読んだわ」
「誰の伝記だ?」
「愛情深い方の本よ。あなたは絶対に読んだことないわ」
「読んでみるから教えてくれ」
「読まないわ」
「キャロちゃんが勧めた愛読書はいつも読んでるじゃないか、声に出して」
「恋愛詩集を勧めたのが間違いだったわ。わざと声に出して読んでるでしょう?」
「毎晩、君に囁くのがぼくの楽しみなのさ」
「うるさくってかなわないわ」
「喜んでるくせにー」
「黙りなさいロジャー」
「今日は何番のポエムを読もうかな」
「大好きな詩集だったのに、嫌いになってしまったわ!」
……そんな口論が続く中。
「仲が良いですね」
「そう見えるならそうなのでしょう」
公爵夫妻のティータイムを見守る二人、秘書官ダニエルと侍女サラである。
ダニエルはニコニコ嬉しそうで、何を見ても幸せいっぱい、ポジティブに光り輝いてみるらしい。一方でサラは生気のない、すべてを諦めちまった哀愁が漂っている。
「わたしには、恋も愛もさっぱりわかりません。キャロル様の選択に従うだけです」
サラの抑揚のない声に、ダニエルはニパと笑うと、彼女の手を握った。その二つの手にはきらりと指輪がはまっている。もちろんペアリングだ。
あれから。
サラはダニエルと結婚した。あっという間に出来事だった。
帰城してすぐのことだった。まだ荷解きのさなか、「二人っていつからお付き合いしていたの?」とキャロル。その興味津々の少女のような眼差しに向かって、「火遊びですよ、別れたつもりなんですが、しつこくて」などと、サラはいえなかった。
だからはぐらかしていたのだが、それよくなかったのだろう。ダニエルのほうであることないこと、サラとのラブロマンスを語られて、ますます言い逃れ出来なくなった。
そんなこんなで。あれよあれよと祝福を受け、ダニエル絶好調で結婚と相成ったのである。まあいいさ、とサラは思う。彼が飽きるまで結婚とやらに付き合ってやろう、と。そもそも自分が純情な彼に手を出したのが悪かったのだ。責任をとろう。
けれどもサラは知らなかった。
ダニエルの愛が飽きることはなく、生涯に渡って貫かれるということを。彼女はいったものだ、「まさかこんなに長く続くとはね」。その時、サラは白髪でしわくちゃのおばあちゃんだったのだが、それはまた別の物語である。
「ロジャー、離婚してよっ」
「いーやーだー」
「ロジャー」
「やだねー」
プンプンしているキャロルの手を、ロジャーが掴んで自分のほうへ引く。
「なあキャロル。二人だけで旅行しないか? それとも結婚式をやり直そうか?」
「……わたしは離婚したいのよ、ロジャー」
「そうだっ、ルビイ大公国に行こう! 君の家族にご挨拶しなくちゃな。『ぼくがキャロルの愛してやまない夫ロジャー・ウィンウッドです。ラブラブです。ぼくも彼女を溺愛してます!!』って」
そうと決まれば即行動。ロジャーは張り切って席を立つ。
キャロルはむっつりしていた。
「わたしは行かないわ」
「じゃあおれだけで行ってくる」
そしてロジャーは、そのまま大公国まで出かける勢いで歩いていく。キャロルは焦った。
「待って。ねえ、本当に行くの、ねえっ。パパたちに会って本当にそんなこと言うつもり!? 待ちなさい、ロジャー! こらっ、待って!!」
——かくて、暗く陰鬱だったウィンウッド城。
今は賑やかな声が聞こえるようになった。丹精込めた庭の植物たちは、そんな様子を喜んでいるのか、きらきら輝き、風に揺れる葉擦れの音はまるで彼らを祝う拍手のようだった。
🌸【完】🌸
公爵夫人は俺様な夫を捨てたい~冷遇七年、今さら溺愛したって無駄ですから!~ 竹神チエ @chokorabonbon
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