第59話 王女に会いに行く一行
さて。全員でコーデリア王女がいる執務室に向かうことになった。
なぜなら、ロジャーのバカが、王女に毒を盛ったからだ。
「だから毒じゃねぇ、睡眠薬だっつの」
「睡眠薬でも言語道断です、非常識です、無礼者です、大バカ者です!」
プンスカ怒っているのは、王女の護衛官である悪魔ケスティだ。ちょっと目を離したすきに、まさか婚約予定の男が、コーデリア王女に薬を盛るなんて。想像できるだろうか、悪魔は人間を信じすぎたようだ。
「ウィンウッドのせいで国家間に亀裂が入ったらどうするんだ」
小声で叱る皇太子アンリ。それに、
「もうズタズタの関係だろ」
ロジャーは詫びる素振りも見せず、堂々としている。
「戦争してんだから」
「その停戦のために王女と公爵が——」
「だーかーらー」
ロジャーは立ち止まり、アンリに向かって諭すようにいった。
「おれに何か求めるからこうなるんだよ。期待するのは、せいぜい敵将の首を欲しがるくらいにしてくれないかな。それなら得意なんだ」
「この人を関わらせたのが間違いなんです」
隣で聞いていたキャロルは呆れを通り越して悟りの表情だ。
「期待するだけ無駄、信じるだけ損しますよ」
「その通りですね」と皇太子。目が死にかけている。
「侯爵、王女は君の魔法で目を覚ますことができるか?」
「出来ると思いますよ」皇太子にそうトレス侯爵が答えるが、
「でも悪魔様のお力がありますし、悪魔様の国の王女殿下ですから」
期待に満ちた目を悪魔に向ける。トレス侯爵は悪魔が力を発揮するのを見たくて仕方ないらしい。
「もちろん、ケスティの出番です」
悪魔は鼻息荒くうなずく。
「そのあとは閣下、どうなるか、わかってますね?」
「何が?」
「処罰を受けるのよ」
ポカンとするロジャーにキャロルが教えてやるものの、
「何で?」
「ほら、皆さん、ご覧になって」キャロルは両手でロジャーを示した。
「こういう人なんです」
すると、ロジャーは褒められた犬のようにムフと胸を張った。
誰ともなく嘆息が重なり、
「罰はわたしが考えよう」皇太子が請け合う。
「爵位のはく奪でよいか?」
「いいですね」答えるのは悪魔。
「ケスティービームで丸焼きにしてやるつもりでしたが、処罰はそちらに任せるとします」
「わたしは……」
ぼんやり消え入りそうな声が遠慮がちにたずねる。侍女のサラだ。目は虚ろである。
「申し訳ないですけど、王女の安否より離婚届がどうなったのか気になってなりません。破ったんですか?」
「破った」「破ったのよ」
ロジャーとキャロルが同時に返事をする。ハッ、と乾いた笑いをこぼしたのは皇太子だった。
「滅茶苦茶だな。では王女との婚約話はどうするつもりなんだ、平和条約は?」
「離婚届には、またサインしてもらうので」と答えるキャロルに、
「二度とサインしない」ロジャーが断言だ。
「するのよ」
「しないね」
「そもそもですねー」
一行の先頭を歩いていた悪魔が立ち止まって振り返る。ビシと指差したのはロジャーだ。
「あなたとコーデリア王女殿下を結婚させる話はナシになりましたから。無断で薬物を混ぜたお茶を飲ませて眠らせるような男と一緒に暮らせるはずがありません!」
「しかし条約では」皇太子が戸惑いを見せるものの、
「断固反対です、条約? ハッ、知りませんよ。そっちが先に無礼を働いたんです」
悪魔がじろりとにらむので、皇太子も黙ってしまう。
「そこで出番なのが、殿下なんですよね」
サラを支えるように隣で歩いていたダニエルがいう。
サラはずっと、「あっちいって」と疎ましそうに追い払っているのだが、ダニエルは耳が遠くなったらしく、ますます寄り添ってくる状況だ。
離婚ショックで元気が出ないサラもサラで、それ以上強く出られないでいるから、二人は小声で囁き合っている仲睦まじい恋人同士に見えた——少なくとも、ちょこちょこ振り返っているキャロルの目にはそう映る。
「あの二人、本当に仲が良いのね」
キャロルがロジャーに耳打ちした。
「今まで気づかなかったのが嘘みたい。すぐにでも結婚するのかしら?」
「するだろ、絶対」答えるロジャーは口角の端が笑っている。
「でもそうなると困るわ」
「どうしてさ?」
「サラはこちらに残るってことでしょう? わたしは故郷に帰るのに、それは寂しいわ」
「君だってソル帝国に残るだろ」
「離婚するもの、残らないわ」
「しないのよ、キャロットちゃん」
髪をつんと軽く引っ張ると、キャロルは「ロジャーっ」と怒る。
ロジャーは両手を上げた。
「痛かったか? 悪い悪い」
「触らないで。二度と、わたしに触らないでっ」
「それは約束できない」
「約束するのよ。あとキャロットちゃんって何? まだ名前を覚えられないわけ?」
「あだ名だよ、あだ名。キャロルだから、キャロット」
「何、それ」キャロルは気に入らなかった。
「赤毛じゃないのよ。そもそも人参ちゃんなんて嬉しくないわ」
「人参が嫌いだったか?」
「あだ名にしては可愛くないわ」
「おれは可愛いと思う」
「でも赤毛じゃないのよ?」
キャロルはそこが何より不服のご様子で。
「じゃあピンクちゃん、それともピーチちゃん? あっ」
ロジャーはひらめいた。
「綿菓子ちゃんだったな!」
「砂糖菓子のお姫様よ。あなた、またわたしを羊女だとからかうのねっ」
……とかなんとか、痴話げんかしてる横を抜け。
皇太子は後方にいたダニエルに近づき凄む。
「わたしの出番とはどういう意味だ」
「そのままの意味かと」
「皇太子殿下が代わりに王女とご結婚なさったら?」
サラが虚ろにいう。虚ろすぎて迫力がある。
「ウィンウッド閣下は論外です。だいたい最初からアンリ殿下がコーデリア王女と婚約なさる条件にすれば良かったんですよ。どうして閣下を巻き込んだりなんてしたんですか。もっとも、そのおかげでキャロル様が離婚して母国にお戻りになると思っていたのに、今となってはそれも望めないわけでしょう? それとも公爵の爵位をはく奪して奴隷に身分を落としたら、自動的にキャロル様と離婚という形になるのでしょうか、そうなんですね、違うんですか、殿下は、どう考えてるんですか? 何も考えてないなんておっしゃりませんよね。キャロル様が離婚しないのならわたしはコチラに残るとして、そうなると、この男にこうして一生付きまとわれて、日々、神経をすり減らしていけと、そうおっしゃる?」
最後、指差されているダニエルは、「安心してください」と何やらアピールだ。
「キャロル様が離婚して母国にお戻りになるのなら、ぼくも閣下の秘書官の職を辞してルビイ公国に参ります。だからサラさんはどこでも好きな場所で暮らしてください。ぼくはどんな場所だろうと、あなたについて行きますよ」
「嘘でしょ」
「本当です」
気絶しかかっている女と満面の笑みの男。
二人を見て皇太子は話しかける相手を間違えたとくるりと背を向けた。
「もういい、とにかくコーデリア王女をどうにかしないと。まだなのか?」
「こちらですよ」
トレス侯爵がパタパタと前に走り出て誘導する。
「閣下の執務室はあの中央のドアです。ではでは」
トレスは期待に満ちた目で胸をときめかせている。
「あとは頼みます、悪魔様」
「任されよ」
悪魔は腕まくりすると、重々しくドアを開けた。
——そして中に入り。
なあんにも心配事がないかのように、スヤスヤ幸せそうに眠っている王女コーデリアはソファに横たわっていた。
「タオルケット一枚もかけておやりにならないんて。ポンポが冷えたらどうするのよっ」
悪魔はピーッと沸騰音が聞こえそうなほど怒る。キャロルは、「まあ、心配ね」と口元に手を、ロジャーは、「どこにタオルケットがあるんだよ。そこのラグでもかけときゃ良かったのか」と中央の土足で踏みつけられて傷んでいる丸いラグを見やる。
「気が利かない人ですね」
「気が利くと思われてたとは」
「この人に期待しちゃダメなのよ」
「おい、揉めてないで早く起こしてさしあげないか」
悪魔は皇太子アンリに、「わっきゃりましたよっ」と噛みつくようにいうと、背を向け、眠る王女の上に両手をかざす。とばっちりの皇太子は「なぜ、わたしに怒る」と口を尖らせた。
「アンリくーん、もっと王女に近づきなよ」
ロジャーが背中を膝で押す。
「何をするっ。公爵はわたしを誰だと思ってるんだ、帝国の皇太子だぞ!!」
「アンリくんたら、権威をかさに怒鳴るなんて。器が小さいのね」
「何ッ、貴様、絶対、身分をはく奪してやる、絶対だからな!」
「パパに泣きつくの? ぼくちゃん、いじめられたのー」
「ロジャー、やめて。殿下が涙ぐんでるわ」
「ほんとだ。泣かないで、アンリくん。ロジャーおにいちゃんが悪かったよ。今度、一緒にビスケット食べようか。ね、許してくれるね?」
「泣いてないっ、泣いてないってば!」
お静かにっ、と悪魔が叫んだのは当然だ。
悪魔は皆が黙ったのを確認すると、「ごほんっ」と咳して仕切りなおす。
「あーえー、今から王女を目覚めさせます。騒がないように」
「はい」
「了解」
「楽しみです!!」
「思うのだが、目を覚ましたあと、どう説明するつもりなんだ?」
「早くしろよー」
「ところで全員で見守る必要あるんですかね?」
キャロル、サラの良い返事のあとに、トレス侯爵がはちきれんばかりの興奮を抑えて期待する一方で、皇太子が目の端に涙をつけたまま冷静に今後を心配する。そんな横でロジャーが退屈し始め、ダニエルが今さらの発言をした。
「お静かにっ」
「はい」
「わかってる」
返事するキャロルと皇太子。
「静かに、ね、皆さん、お静かに!!」
「お前が一番うるさい」
アワアワしているトレス侯爵と辛辣なロジャー。
そして。
「始めて」
サラの一声で、悪魔は呪文を唱えた。
「ちょちょんげちょちょんげ。おっきの時間ですよー、コーディちゃん、起きて起きて起きてーーー、はいっ」
ぱち。
王女コーデリアは目を覚ました。
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