第7話 ウィンウッド夫妻、ご対面

 応接室でキャロルはソファに浅く腰かけ、ぴんと背筋を伸ばしていた。


 ロジャーに会うのはいつぶりだろう。


 彼が出征したのは半年前だった。でも帝都にあるタウンハウスにいるか、国境沿いの視察に行くばかりしていたので、領地で暮らしていたキャロルとは居城が異なっていた。だから前回からだと一年以上は会っていないはずだ。


 いや、会った、というより見かけた、のほうが正しいだろう。同じ城にいたところで食事を共にすることはないので、顔を合わすことさえ稀、会話となるとさらに少なくなる。


 その会話だって、キャロルが「帰っていたのね」とか「今度はいつ出発なさるの?」といった類の声掛けをし、それに対し、ロジャーは無視するか、見知らぬ女に話しかけられたといわんばかりの怪訝な顔をして、「ダニエルに聞け」とはね付ける、の二択だった。


 もしかしたら、まともな会話は、今日が初めてになるかもしれない。その会話が離婚に関してだとは、なんてユニークなんだろう。


「ドキドキするわね」


 キャロルは小さく深呼吸して緊張をほぐそうとした。でも心臓は怯えたように小刻みに鼓動するばかりで、息をするだけでも苦しくなってくる。


 ロジャーと相対してまともに意見を述べることが出来るだろうか。まさか、妻で、ルビイ大公国の大公女でもある自分の首を、いきなり跳ね飛ばしてはこないだろうけれど、にらんだり、怒鳴り散らしたりしてはくるかもしれない。


「キャロル様、そんなに固くなることはありませんわ」

 緊張しているキャロルを見て、サラが頼もしくいう。

「いざとなったら、わたしの鉄板が入ったこの特注ブーツで閣下の股間を蹴ってやりますから」


 スカートの裾を軽く上げ、がっしりしたブーツを見せる。キャロルは小さく噴き出した。


「ほどほどにね」

「さあ、どうでしょう。あちら次第ですね。それよりお茶のひとつも出さないなんて無礼ですよ。物資不足なのかもしれませんが、いくらなんでもバカにしてますって。それにいつまで待たせるつもりなんでしょうね」


 サラはキャロルが腰かけるソファの後ろを行ったり来たりしながら、腹立たし気に「ちっちっ」と舌を鳴らした。キャロルはそんな侍女の姿に気持ちが和んでくる。


 気弱になるのはやめよう。もう好かれる努力も、うまくやらなくちゃ、と婚姻関係に責任を感じる必要もないのだ。言いたいことはなんでも言ってやる。我慢するもんか。


「ねえ」

 キャロルはいたずらっ子のような笑みをして、向かいのソファを指差した。

「ちょっとそっちに座ってみて」


 ——一方、こちらでは。


「まったく髪すらまともに乾かせないんですか!」


 応接室のドアの前である。


 ダニエルがロジャーの黒髪に魔道具で稼働するドライヤーを当てていた。このドライヤーは、キャロルがデザインし、ウィンウッド公爵家傘下の技術者たちが開発したもので、ドラゴンの形をしていて、口から火を噴くがごとくに熱風を吹き出す代物だ。売れ行きは上々。類似品まで出る始末。


 ちなみにドラゴンが怖いという人に向けて、天使のラッパ型(天使が吹くラッパから熱風)と夢食い獏型(鼻から熱風)バージョンもあるが、やっぱりドラゴン型が人気だ。それにこちらのほうがカラーバリエーションも豊富である。


 社交界には顔を出さないキャロルだったが、実はこういった家門の事業にはデザイン協力などで密かに活躍していた。だから、いざ離婚となると、こちらの面でも今後権利をどう扱うのか話し合う必要がある、なんてダニエルは思うのだが、ロジャーのほうはまるで関心がなさそうだ。


 ブオオオオと景気よく熱風を吹き出しているドラゴンちゃんを誰がデザインしたかなんて知らないだろうし、そもそも家門の事業にだって興味がない。ロジャーは人を斬るしか能がないのである。


「いいですか」


 ダニエルは櫛でせっせとロジャーの黒髪を整える。ロジャーが鬱陶しそうに整えたそばからかき乱そうとするので、手をパシパシ叩く手間まであった。


「とにかく愛想よく笑顔で、親切に穏やかに紳士的に、ですよ。いいですね?」

「へー、へー」

「誰だお前、なんていった日には、わたしが背中から蹴飛ばしますからね、いいですね?」

「蹴ったら蹴り返す」

「蹴られないようにするんですっ」


 櫛が絡まったので、ぐいっと引くとロジャーの頭ごと釣れた。


「痛いだろ、やめろよ」

「ではご自分でなさいませ」

「べつに今さら妻ごときに会うのに身ぎれいにする必要があるのか?」

「妻ごとき!」


 ダニエルは聞き逃さなかった。


「妻ごときとはなんです、ごときとは」

「今さらって、意味でいいたくてだな」

「ごとき、というのは見下したときに出る言葉ですよ、見下してるんですか、キャロル様を。そんな態度だから——」

「へーへー」

「だいたいね、ビシャビシャな髪して出て来て会おうなんてどうかしてるんですよ。あれだと沼から這い出てきたのかと思われます」

「なんでおれが沼から這い出るんだ、ザリガニ星人かよ」

「身ぎれいにしろといってるんです!」


 ダニエルは櫛で後頭部を叩いた。


「お、お前……」


「シャキッとして。さ、笑顔笑顔!」


 背中をどつかれ、不満げながらもドアを開けたロジャー。と、そこには二人の女性がいて、向かい合うようにソファに座っていた。まさかおれには妻が二人いたのか、……なあんて。


「やあやあ、よく来たね。楽にしてくれ」


 ロジャーは向かって右にいた女性に声をかけた。やけに芝居臭い言い草だったが、本人なりに愛想よくした結果だった。


 さて、右を選んだのは、こちらのほうがブラウスの襟元にあるリボンが大きくて立派だったからだ。立派なほうが妻だ。たぶん。あとこっちのほうが華やかな雰囲気がある。なんせピンク髪だから。もう一方は明るい茶髪、カボチャ色だ。妻はカボチャよりピンクが良い。カボチャはゴロゴロいるが、ピンクはあまり見かけない。


「久しぶりだね、ジャネット」


 ドス、と後ろにいたダニエルが殴ってくる。続けて聞こえてくる小声。


「キャロル様と申し上げたでしょ」

「あー、キャロル様」


 様づけで繰り返しちゃったロジャーだが、


「わたくしはサラでございます、閣下」

 

 ピンクが冷たい視線でそういった。

 ロジャーはがっかりした。ピンクじゃなくてカボチャがキャロル様だったらしい。


「もちろん、わかってるよ」


 ロジャーは、やけに好戦的な目でにらんでくるカボチャに声をかけなおした。


「久しぶりだね、キャロラ、……キャロル」

「閣下、わたくしはサラでございます」


 カボチャは立ち上がり会釈した。皮肉気に口角を上げたのは座しているほう、ピンクだった。


「閣下。まさかとは思いましたが、妻の顔すら覚えてないんですね。これでは冗談もいえませんわ」

「冗談?」

「わたしがキャロル・ウィンウッドです、閣下」


 ロジャーはダニエルを振り返った。ダニエルは顔をしかめて首を振っている。このサインがロジャーには理解できなかった。結局どっちがキャロルなの? カボチャ? ピンク?


「ちょっとキャロルは手を挙げてくれ」


「はい」とピンクが手を挙げた。

「わたしです、閣下」

「ほんとにほんとにキャロルだな?」

「正真正銘キャロルです」


「でもさっきはベラといったじゃないか」

「サラと申しました。誰です、ベラって?」

「お前がいったんだろ」

「ですからサラと申しました」


「じゃあキャロルは?」

「だから、わたしがキャロルです。あっちがサラです」

「おい、おれは何が何だかわからんぞ」

「わたしもわけがわからなくなりました」


 二人は黙った。


 キャロルはロジャーを試したのだ。

 自分と侍女。どっちがウィンウッド公爵夫人でしょーか?という簡単すぎるクイズだ。


 それをミスったロジャーなのだが、少々思考の時間をおいて、その戯れを理解すると、「おれを試すんじゃないっ」と大きな声を出した。


 でも。


「イテッ」


 ダニエルがロジャーの肩を殴った。彼が先に動いて良かった。侍女サラが飛び出して股間を蹴り上げる寸前だったから。


「なんだよ」

「大声を出すからです、めっ、です、めっ」


 叱りつけていると、


「ベイカー卿!」


 侍女サラが、つかつかと戸口にいるダニエルに詰め寄った。


「キャロル様は長旅からご到着したばかりなんです。それなのに一切のねぎらいもなく、こんな薄暗い部屋に追いやって放置するなんて。お茶のひとつも出ないんですよ!」


「それはおかしいですね、従僕に声をかけてきます。少々お待ちを」


 ダニエルは焦った様子で廊下に顔を突き出して、


「おーい、あ、きみきみ。ちょっと。え? そんなわけないだろ、ご本人だよ。うん、そう。だから早く。勘繰るなよ、裏なんてないって。本当に奥方だよ。何がスパイだよ。お前、妄想がすぎるぞ。いいから紅茶くらいすぐ用意できるだろう、もたもたするな。まったく」


 と、顔が室内に戻る。


「申し訳ありません。リンゴでは今、高貴な女性を目にする機会なんてないものですから。どいつもこいつも、てんやわんやでして、はっはっはっ」


 ダニエルの笑い声がやけに目立つ静けさが続いたのだが。


「はぁーあっ」


 盛大なため息をつくと、ロジャーはキャロルの向かいに腰を下ろし、


「で、お前何しに来たわけ?」


 この態度だ。掴みかかろうとする勢いのサラを、キャロルが片手をあげて止める。

 にこりと微笑を浮かべると、彼女は愛らしくいった。


「わたしと離婚しましょう、ロジャー・ウィンウッド公爵」

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