第2話

 私の拒絶に、側仕えの巫女は一瞬だけ戸惑って、けれど直ぐにその澄まし顔を取り戻した。


「人間の子を孕みたくないというのは……その、なんですか。若い男も、年配でもが好みではないと、そう聞いたときに気づくべきところを、大変失礼いたしました。まだ生殖能力のない男児をご所望とのことですか」

「たわけっ!!」


 この女子おなごは、真顔でなんと恐ろしいことを言うのか。


「そんなこと言っておらんのじゃっ! そんなわらわを無理矢理連れてきて、やれ神のつがいなどと! どこぞの村の風習と変わらんっ、生贄のつもりかっ!?」

「生贄などと……秋穂ノ比売神あきほのひめがみ様は連れてきた男児を愛でてくださるのではないのですか?」

「愛でんわっ!!」

「…………その、あくまで人間をより身近に置き、ご寵愛いただくことで神力を再起していただくことが目的ですので……愛でていただけないのであれば……はっ、もしかすると、そういった特殊な愛情表現を望まれていると? 抵抗する力のない男児を一方的に屈服するような愛のない交渉を――」

「お主、自分が何を言っているかわかっておるのかっ!?」


 それでは、よいよ神への供物くもつではないか。こいつのがよっぽど邪の者だ。巫女服なんか着ているが、悪魔か何かが化けていても不思議ではない。


「そういう意味ではなく……そもそもな、神である私と人間が番じゃと? そこからまず考えられんよ」

秋穂ノ比売神あきほのひめがみ様は、神は人間と番わないとおっしゃられるのですか?」

「ま、まあ、そうじゃな。普通はそうだろ。悪いが、住む世界が違うのじゃよ」

「……ずいぶんと考えが遅れていらっしゃいますね。まるで多様性に対する理解がないようで」


 そう言って巫女は、大袈裟に呆れた仕草をする。こやつ、やっぱり私を神と崇めているようで、あまり敬っていないような。


「よろしいでしょうか、秋穂ノ比売神様。世界の神々は往々にして、人間と交わり子を成しております。もちろん日本でも例外ではありません」

「そうかも知れないがあくまでそれは特殊な事例じゃろ」

「そういった一例も、あるべき可能性として考慮するのが多様性なのですっ! 第一に、前任の早津稔ノ比売神はやつみのりのひめがみ様でありましても人間と子を成されて、今は産休中なのですよ」

「待ていっ!? そうじゃったのか!? 私は、早津先輩の産休で代わりに呼ばれただけなのか!?」


 この村を以前任されていた神が不在になったと急遽派遣されてきたが、まかさ産休であったとは知らなかった。そんな仕組みがあることにも驚きである。


「いや待て、それだと私も子をつくるとおかしいのではないか!? それだと私も……」

「早津稔ノ比売神様は十五人目のお子様ですので、今回は特例として五年間のお休みを取られております。しかし基本的には子育てはわたくしのような側使えが行います故、秋穂ノ比売神様につきましてはご懐妊、ご出産の後もご安心して本業を続けていただけます」

「十五人!? 産みすぎではなかろうか……」


 しかもそれで五年もまとめて産休とは、かなり雑な制度ではないだろうか。普通一人産む度にもらうものじゃないのか。ただ村の決まり自体には口出ししても仕方がない。


「む、そうなると私の任期は五年なのか?」

「はい、五年間はこの村で子を成し続けていただきます。五年の孕み勤めです」

「ちょっと待つのじゃっ!! 最早お主、私の仕事を子作りと断言していないかっ!? 私は豊穣の神だぞ!?」

「……子を成すことが、豊穣に繋がるんです。さっきも説明しましたよね?」


 ため息交じりの巫女の顔には、呆れを超して怒りすら見える。私が間違っているのか? 人間相手だけど、少し怖いので話を逸らそう。

 それに先達の実績がある以上、この話題では押し切られてしまう可能性がある。しかし五年間散々孕まされたあげく村から追い出されるなんて、断固として拒否しなくてはならない。


「でも待て、それだと男児では結局ダメではないか? いや、私は童を所望しているわけではないが……子は成せないじゃろ? だいたい大人の男相手だからと言っても、そう都合良く子が成せるかなどわからんしな」

「そうですね。もちろん子を成していただくことは、神様と人間が手を取り合い愛し合う形であり、神力の再起に置いてもっとも有用な手段としております。ですが子が成せない場合でも、神様と人間が互いに深く愛し合うことで同等に近い効果が得られることを確認しています」


 巫女は淡々と言いながら、最後に一度微笑んだ。


「ですから安心して、秋穂ノ比売神様は正直な趣向でお相手を選んでいただけます」

「そ、そうなのか。待て待て、それだと私が本当に男の童を選ぶようじゃないか……? 違うからな? 選ばんぞ?」


 とってつけたように視線を逸らす巫女が、なにか私をおちょくっているように思えた。気のせいだよな。


「そうじゃがな。私が選ぶと言うが、相手の方はどうなのじゃ? 気のない相手と無理矢理番うなど、私が神で、相手が人間だとしても考えられんのじゃよ。そういうのは……双方の同意あってからじゃな、当然!」

「ご心配無用です。秋穂ノ比売神様は大変魅力的なお方です。選ばれた者が誰であれ、喜んで秋穂ノ比売神様のお相手を全力で務めるでしょう」

「え、魅力って……そうかの? まあ、神だし、人間からすればそうかもしれんが」

「秋穂ノ比売神様は神様でなかったとしても、とても魅力的に感じますよ。美しい顔立ちに、ころころと可愛げのある表情ばかりで、自然と引きつけられます。きっとどなたであっても、すぐ秋穂ノ比売神様に恋い焦がれ、愛をささやくようになるでしょう」


 甘くさえずるような巫女の口調に、思わず背がぞくりとした。


「ほ、褒めすぎじゃないか? まあうん、悪い気はせんが……」

「チョロいのもまた可愛らしいです」

「ちょろ……? 待て、それはどういう意味だ?」


 私は神であるから、あまり人間の流行言葉には詳しくない。このような古い伝統が続く村ではあまり困ることもないけれど、時たま若者達の会話には意味のわからないものもある。

 巫女も容姿からすればまだ十の後半か、二十の手前。盛りの若者と言って差し違えないだろう。だから私相手で言葉には気を遣っているのだろうが、自然とそういう言葉が口に出てもおかしくなかった。

 ただし問題なのは言葉の意味なのだが。


「いえ、たいした意味ではありません。ただ秋穂ノ比売神様を褒め称えるつもりでして」

「……嘘じゃ」


 涼しげな顔こそ変わらないものの、一瞬逸らした視線からは彼女が私を小馬鹿にしている真意が見て取れた。上面だけ取り繕って、内心は適当な男に孕ませて収穫だけ増やそうという魂胆に違いない。新米だからと言ってそこまで舐められては神の名折れではないか。

 しかしどうしたものか。このまま人の子など孕みとうないと拒絶するだけでは、まるで私が駄々をこねるように扱われて終わりではないか。もっとこう、この巫女を困らせてやりたい。


「……村の者であれば誰でもと言ったな。よし、決めたのじゃ」


 私の言葉に、巫女は少しだけ頬を緩めて「本当ですか」と喜ぶ。馬鹿者め、今からお主のその綺麗な顔に苦悶を浮かべてやろう。


「お主じゃ、巫女」

「わたくし……わたくしがどうかしましたか?」

「私の番には、お主を選ぶぞ。お主も村の者じゃ。それにあれだけ多様性がどうのと言ったからには、まさか性別どうこうで拒むこともせんじゃろうなぁ? 子を成さずとも良いと先ほど聞いたばかりじゃしなぁ」


 にやりと、私は笑ってみせる。

 すべて彼女が言った言葉を返しただけだ、これには巫女も反論できず困り果てるに違いない。そのままつけ込んで、番や子を成すという話もうやむやに断ってやろう。

 そして、巫女はやはり今までで一番その顔を歪めた。けれど、困っていると言うよりはただ驚いているだけというか。


「……いいんですか、わたくしで?」


 ほんのり赤らんだ頬と、ゆるんだ口元はどこか嬉しそうだった。――何故じゃ!?

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