おやっさんのこと

@kibun3

ショートショート版

 秋が終わり、季節がだんだんと冬に近づいて来ると、僕は毎年思い出すことがある。そう、風の吹く寒い夜などは、僕はおやっさんのことを思い出すのだ。

 あれは僕が大学を中退したばかりの頃だった。僕は高齢者を騙して嘘の投資信託を買わせる商売をしていた。それはとても簡単で手っ取り早く面白いように大金が手に入った。勿論、犯罪だとは判っていたが、遊ぶ金が欲しくて止められなかった。

 当然ながらある日突然、僕は投資詐欺容疑で警察に逮捕され、北国の拘置所に収監された。そこで親方やおやっさんと同じ部屋で暮らすことになったのである。

 親方は目つきの鋭い、でっぷり太ったスキンヘッドの強面の中年男だった。部屋一番の古株で班長でもある。職業は左官屋の親方だと言っている。

 おやっさんは落ちくぼんだ目と髭ぼうぼうで皺だらけの顔の、痩せ細った元ホームレスにしか見えない老人だ。近寄るとぷーんと臭う。おやっさんの体をよく見るとズボンの前が小便のシミでいつも濡れていた。

 初日に親方は僕の耳元で、「おやっさん、頭がイカレてるから、余り関わらない方がいいぜ。余計なことはするなよ」と囁いた。

 拘置所での生活は、食べることと眠ること以外は殆ど自由時間だが、部屋から出ることは許されず、うんざりするほど退屈だった。

 朝食の後の自由時間、僕は母親から差し入れて貰った本を読むのが習慣だった。親方はスポーツ新聞を読み、おやっさんは床にA4の紙を二三枚広げてブツブツ呟きながら鉛筆で何か書き込んでいた。図形と記号のように見えたが、僕には何だかちっとも判らなかった。

 おやっさんはブツブツ呟いてたかと思うと、突然立ち上がり、「こちらアカシ、応答願います。応答願います」と叫ぶのだった。親方が鬼の形相で、「静かにしろ! 班長の俺が怒られるじゃねえかよ。まったくよう」とぼやいた。親方のぼやきも聞かず、おやっさんは床に這いつくばって、「チクショウ、何で救助に来ないんだ」と涙を流して拳で何度も床を叩いていた。親方は、「張り倒すわけにもいかねえし、しょっちゅう、こんなんじゃやってられねえよ」と呟き、おやっさんを哀れみと軽蔑の入り交じった目でいつまでもじっと睨んでいた。

 おやっさんは一日に二三度「故郷 くにへ帰りたい」と呟いていた。僕は「どちらの出身ですか?」と一度尋ねてみた。すると、おやっさんは「クレモナス」と答えた。「えっ、外国なんですか?」と僕は聞き返した。でも、親方が僕に怪訝な顔をしてみせたのでそれ以上聞くのを止めた。

 しかし、ある時僕は試しに、「故郷 くには遠いんですか?」と改めて聞いてみた。すると、おやっさんは少し驚いた顔を見せ、「クレモナスは地球から四十五光年離れたサソリ座十八番星の第五惑星さ」と答えた。「サソリ座って、もしかして夜空のあれですか?」と、僕は右手の人差し指で天井を指して、おやっさんに確認した。おやっさんは軽く頷いた。案の定、腕組みした親方が首を横に振り、「やめとけ」の合図を出している。しまったと思った。僕はその日、昼休みまでおやっさんに話しかけるのを止めた。

 昼食が終り、親方が横になり腕枕でウトウトし始めた時を狙って、僕は再びおやっさんに質問した。

「では、どうやって地球に来たのですか?」

おやっさんは少し明るい顔で答えた。

「乗っていた宇宙船がエンジントラブルで大破して、二万五千年前の地球に吹き飛ばされてしまったのだ」

良く解らないが、僕はおやっさんが次は何を言い出すのか興味が湧いてきて、話を合わせて質問してみた。

「未来では人はどんな生活をしていますか?」「星々を探検して毎日忙しくしているよ」と、おやっさんは、そう答えると遠い目をした。

 とうとう、親方が目を覚ました。

「えっ、忙しいんですか? 例えばどんな風にですか?」と僕は急いで聞いた。おやっさんが何か言おうとしたとき、目覚めた親方が僕に近づいてきて、目を三角にして怒った。

「お前、もう、いい加減にしろ!」

僕は一瞬、親方に殴られるのかと思ったが、親方の注意はすぐにおやっさんに向けられた。おやっさんは急に涼しい顔で、言いかけた言葉の続きを言った。

「すまない。二万五千年後のことは詳しく話すことができないんだ」

親方の顔が怪訝な表情のまま固まっていた。僕はおやっさんの話を聞くのはそれきりにした。

 暫くして僕は弁護士と接見して、保釈請求が通ったことを知らされた。一方、地獄耳の親方はおやっさんが医療刑務所に行くらしいと僕に耳打ちした。


 保釈の日がだんだん近づいてきたある日の寒い夜、布団の中でウトウトしていると、突然、おやっさんの声が部屋に響いた。

「やっと来た! これで帰れるぞ!」。

眠い目を擦って布団から顔を出してみると、暗闇の中、おやっさんが立っている気配がした。僕は、またいつものやつが始まったのかと目を凝らした。その時、僕は忘れもしない、あの虹色の光を見たのだ。

 光は窓の鉄格子の前で小さく虹色に煌めき、段々大きく眩しくなると人の背丈くらいの宙に浮いた卵形の白い物体に変わった。辺り一面が柔らかい白い光で満たされている。親方は布団から顔だけ出して、あんぐりと口を開けたまま凍り付いていた。

物体の下の方から三本の脚がするりと伸びてきて、物体は静かに床に着地した。

「救命ポッドがやっと到着したよ!」

おやっさんは嬉しそうにそう叫ぶと物体に近寄った。

 物体の正面の白い扉がシューと音を立てて開いた。中に様々な色の光が点滅している。

「はい、お待たせしました」と、中から機械的な声が聞こえてきた。

「私は時間移動式救命ポッド一〇二号です。オリオン腕第八艦隊エフレーモフ号乗員アカシ中尉ですね?」

「そうだ。遅かったじゃないか」と、おやっさんが答えた。

「遅れて誠に申し訳ございません。二万五千年分のタイムラインの捜索に時間が掛かったものですから。それでは緊急医療プログラムを起動します。服を脱いで下さい」と、また中から声が聞こえた。おやっさんは急いで服を脱いで素っ裸になった。

 すると物体の中から無数のイカの足のような白い触手がスルスルと伸びてきて、おやっさんの痩せこけた体にピタピタと吸い付いた。触手はドクンドクンと脈打ち、何かをおやっさんの体に注入しているようだった。たちまちのうちに、おやっさんの顔から皺も髭も無くなり、みるみる若返っていく。あっという間にボディービルダーのように筋骨隆々の逞しい青年の姿になった。

 さらに物体の中から二本の白い触手が伸びてきて、青い楕円形の塊をおやっさんに差し出した。

 おやっさんは青い塊を手に取ると自分の胸に押し当てた。するとシャーという音と共に青い塊がおやっさんの体の表面に薄く広がっていった。それは、体にぴったりなサイズの青い服になった。制服のようだった。

「じゃあ、世話になったね」

おやっさんは満面の笑みで親方と僕に声を掛けると物体の中に乗り込んだ。そして、扉を閉める前に中から一度身を乗り出した。

「あと一人乗れるけど、行かないか?」

親方はブルブル震えながら首を横に振り、床にうずくまっていた。

「若者よ、一緒に行かないか?」

と、おやっさんは僕に尋ねた。僕はちょっと迷ったが咄嗟に、

「来週、保釈なので」とうっかり答えてしまった。

「そうか」と、おやっさんは残念そうに頷いた。そして、「アカシ中尉、帰還します」と力強く叫んで敬礼をした。僕も連られて敬礼をしてしまった。

「発進します」

物体はそう告げると直ぐに扉が閉まった。

 虹色の光が煌めき、グルグルと光が渦を巻くと、卵形の白い物体は再び宙に浮き上がり、忽然と消えて真っ暗な夜に戻った。

 風が窓ガラスを叩く音だけが聞こえている。おやっさんは行ってしまった。暗闇の中、親方がいつまでもガタガタ震えているのが判った。

 翌日、朝の点呼でおやっさんが居ないことが発覚した。僕と親方は刑務官にみっちりと取り調べを受けたが、「眠っていたので知りません」とシラを切った。本当のことを言っても信じて貰えるわけがない。僕は予定通り保釈された。


 保釈後、僕はコンビニでバイトしながら勉強してファイナンシャルプランナーの資格を取り、証券会社に就職した。今度は誰も騙していない真面目な証券マンになった。それから結婚して家庭を持ち、平凡ながらも幸せな日々を送っている。

 でも、風の吹く寒い夜になると、時々おやっさんのことを思い出す。

「若者よ、一緒に行かないか?」と、おやっさんが誘う声が風に乗って聞こえてくるような気がするのだ。

 そして、あの未来の虹色の光が煌めいて、卵形の白い物体がうちの庭に着地してやしないだろうかと、僕は夜中にこっそり起きて庭を確かめてみたりするのだ。

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