佐倉美佳 6月

 5月のあの日以降、椎名はよくあたしに話しかけてくるようになった。ちょうどクラスの座席が近いこともあって、休み時間によく会話した。僅か一ヶ月くらいで、あたしは一気に椎名のことに詳しくなっていた。

 そのころから、あたしたちは机をくっつけてお昼を食べるようになっていた。

 6月も半ばを過ぎて、そろそろ梅雨つゆがやってこようとする時期になっていた。窓の外はそんな梅雨を先取りしているかのような大雨で、窓に打ち付ける雨水が五月蝿うるさかったのを覚えている。

 外の雨音にほぼかき消されて何も聞こえなかった歴史のお爺ちゃん先生が出ていくと、教室は一気にお昼ご飯のムードになる。

 グラウンドで昼休みに遊べないことを嘆く男子や、湿度のせいで髪の毛が纏まらないことを嘆く女子の声を聞き流しながら、あたしは椎名と机をくっつけた。

 家から持ってきた冷凍食品だらけのお弁当を開く。椎名のお弁当に目をやると、そちらも似たようなもので少し苦笑する。

 「そういえば、椎名って部活なんだっけ」

 とりあえず、お弁当のど真ん中に鎮座するソースに浸ったコロッケをぱくつきながら、あたしはふとそんなことを問いかけた。

 「帰宅部ー。ピアノの練習あるからねぇ」

 椎名もまた、弁当からピックに刺さったブロッコリーを口に運びつつ答える。

 「え、意外。椎名ってもっとこう」

 「がさつな私には似合わねーってか? 喧嘩売ってんのかこらー」

 「いやごめんて」

 「いいって、よく言われるしなー」

 椎名がコップの麦茶を煽った。

 「それでも、一応3歳からずっとやってるんだぜ。割とガチよこんなんでも」

 へぇ、とあたしが目を細めると、その反応が不満だったのか椎名は持っていた箸であたしを指さしてきた。お行儀が悪い。

 「あーその態度。信じてないなー?」

 そんなことない、と言おうとするあたしを椎名は箸で制止すると、机にかけてある鞄を何事かごそごそ漁りだした。

 「受け取りたまえー」

 そう言って椎名があたしに差し出してきたのはくしゃくしゃになった紙切れだった。全体的に黒っぽい印刷で、ステージのようなところに置いてある椅子に、ドレスを着た女性が腰掛けていた。その彼女が向き合っているのは───。

 「……チケット? ピアノのコンサートの?」

 「そのとーり。天才ピアニスト……は言い過ぎだけど、それなりに上手いこの椎名有紗ちゃんの生演奏を聞くチャンスを佐倉に進呈しようぞー。感謝するがいい」

 そのやけに仰々しい言い回しにあたしは苦笑を浮かべながらも、チケットはありがたく受け取った。

 「なかなか捌けなかった発表会のチケット、貰ってくれてありがとね」

 きししし、と椎名が笑う。オチを付けるなオチを。

 いよいよ雨音は強くなり、水が窓に打ち付ける鈍い音もまた激しくなる。それは賑やかな昼食時のクラスの喧噪すら包み込んで、今この場所にはあたしと椎名の二人だけしかいないようだった。

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