第2話 どんぶらこ


 ――どういうわけか、桃浦太一は幼少の頃から『力』が強かった。

 

 友達や、同い年の子、更には大人に至るまで。桃浦太一の『腕力』は子供のモノとは思えないくらいに群を抜いていた。

 

 コンクリートや巨大な岩を粉砕するとかではない。もっと単純に、『力』が強かった。

 

 例えばコップを持てばヒビ割れて、例えばペンを持てば折れ曲がり、例えば『鬼ごっこ』で相手をタッチするとそのまま吹っ飛ばして全治二週間の大怪我を負わせたり。

 

 とにかく桃浦太一の『力』はズバ抜けていて、中学三年生になるまでコントロールはできなかった。

 

 本人も親も、どうして『力』が強すぎるのか解明できず、頭を抱えて悩んでいた時に解決案が降ってくる。

 

 ――桃浦流剣武術。


 母親方の実家で、祖父が師範代として門を開く武術を習ってみれば、『力』の抑制も制御もできるのではないかと。


「こぉらぁ! このクソ孫がなぁにいつまで寝とんのじゃああああああ!」


 バッチーン‼︎ と、しなやか且つ痛々しい音が和室に響く。

 

 ニ◯ニ三年、六月二十日。

 東京都乙木市、一寸町。

 午前、七時四十分。


 天気は快晴だが、午後から雨が降るらしい。

 江戸時代からそのままタイムスリップしてきたような和風建築の大きい平屋の一室だった。

 

 深緑の和服を着た老人が、竹刀を布団に潜っている人物に振り下ろした音だ。


「まだまだ修行が足りん! お前の腑抜けたその心持ち、ワシが叩き直してやる!」


「――甘いぜクソジジィ!」


 緑和服の老人が鼻から息を吐いたと同時に、天井から豪語する声。キランと目が光り、声を発した少年が蹴りかかった。

 

「もらったぁ!」


 勝利を確信した少年の蹴りが緑和服の老人に直撃する、その寸前。

 ご老体とは思えない俊敏な動きで、老人は背後からの少年の蹴りを交わした。

 これには少年も「げっ!」と驚愕する。


「腑抜けとると言ってるじゃろうがぁ!」


「後ろに目でもついてんのかテメェ⁉︎」


 バッチーン! と、二度目の正直と言わんばかりに緑和服の老人が振り下ろした竹刀が、少年の脳天に直撃。

 そして十分後、少年――桃浦太一は頭に大きなタンコブを乗せながら、不貞腐れた顔で朝ごはんをもぐもぐしていた。


「……納得がいかん」


「ふん。日々の鍛錬が足りぬから朝からワシにやられるんじゃ。精進せい、精進」


 ムスッと、まるで弟子が全然成長しない師匠のような顔つきで、緑和服の老人――桃浦源太郎は焼き鮭を一口食べた。

 

 一方で、そんな源太郎を祖父に持つ桃浦太一は心底納得がいっていない様子で味噌汁を啜っている。

 

 薄い桃色の髪の毛に、平凡な顔立ち。十六歳の平均身長に、制服姿。まさに高校一年生真っ只中の太一くんだ。


「日々の鍛錬? あれのどこが鍛錬って言うんだ」


 太一は味噌汁をテーブルの上に置いて不満を呟いた。

 日々の鍛錬。

 それは文字通り、己を鍛えること。

 本来なら強くなりたいという明確な目標があって、初めて取り組むモノだが、太一の場合は違う。 

 彼だけは、『己の力を制御』するために鍛錬を行っていた。

 当然、祖父である源太郎の鍛錬は生ぬるいモノじゃなかった。しかし、厳しい鍛錬の中、太一は気づく。


 ――これはただのイジメだ!


 鍛錬を開始したのは小学四年生。親元を離れて祖父の家に住み、朝から晩まで修行三昧。


 就寝中でも『気を抜く』ことがないようにという理由で深夜でもおかまいなく祖父に竹刀で打ち続けられたり。


 またある時は起床してあくびをする度にリストバンド型電流装置に全身をビリビリされたり。


 またある時は学校の登下校、下校中にも鍛錬が出来るように鉛の入った服やら靴やらランドセルを装備させられたり。


 またある時は道場でボコボコにされたり、山に一ヶ月放置されたり、谷に落とされて溺れかけたり、ライオンの檻に入れられたり、地下格闘技に強制参加させられたり……。


 とにかく孫にやる所業じゃないことをこれでもかというほどに太一はやられてきた。

 

 結果的に『力を制御』することは叶ったが、代わりに心も体もボロボロだ。具体的には超泣きたかった。泣いたら地域五十周だったから泣けなかったけど。

 

「あれは修行でも鍛錬でもねえ。ただの拷問だ」


「たわけ。おじいちゃんの愛じゃ」

 

「だったら歪んでるわ!」


「歪んでるとはなんじゃ! ワシは孫に愛されたいんじゃ!」


「どの口が言ってんだクソジジィ!」


 愛されたいなら愛されたいなりの行動をすればいいのにと心の底から思う。鍛錬が地獄すぎておじいちゃんからの愛なんて感じる暇もないのだ。

 

 ……まぁ、あったとしても気持ち悪いだけだが、と素直に思ったことは源太郎には内緒にしておこう。


「はいはい。太一くんもお父さんも朝から喧嘩しないでください。せっかくの美味しい朝食が不味くなりますよ」


 そう言って、二人の喧嘩を宥めるように口を開いたのは艶のある黒い髪の毛を長く伸ばした、エプロン姿のグラマラスボディの美女――桃浦千歳ももうらちとせだ。

 

 彼女は太一の母の妹で、彼と源太郎の世話をしてくれている。

 太一はお茶碗に盛られた白米をガツガツ食べて、


「千歳ねぇちゃんはクソジジィに甘いんだよ。この白髪野郎は人の心がねーんだ。鬼だよ鬼」

 

「太一! お主が軽々しく『鬼』などという忌名を口にするでない!」


 太一に厳しくそう言った源太郎はテーブルの上にお椀を勢いよく置いた。

 

「よいか太一! ワシたち『桃浦』の家系は、かの有名な御伽話の英雄、『桃太郎』の直系子孫なんじゃ! その子孫たるお主が、先祖様の宿敵である「鬼」の名を口にするなど……恥を知れ!」


「なーにが『桃太郎』の子孫だ! そんなのはただの伝承だろ! いいか、クソジジィ。『桃太郎』はお伽話! 昔の人が作ったまやかしだ! 英雄も鬼もいるわけねーだろ!」


「たわけ! 『桃太郎』のとぎは実際に起きていることじゃ! その証拠に見よ! この家には『桃太郎』の刀ときび団子が祀られておるではないか! 」


 太一の発言に激怒した源太郎が、リビングのすぐ隣りにある居間を指差した。

 

 そこには、仰々しい飾り付けで祀られている『刀』と巾着袋が一つずつ置かれている。

 源太郎いわく、『桃太郎』が鬼退治に使用した刀と『三匹の仲間』を作ることに成功した団子らしい。

 

 小さい時から耳にタコが出来るくらい聞かされた『桃浦家』の話。『桃太郎』の直系子孫で、桃浦流剣武術も先祖が編み出した戦闘技法だという。


「あんなのちょっと古い刀と腐った団子だろ。アレを見たくらいで誰が『桃太郎』のことを信じるんだっつーの。寝言は地獄でいいやがれ」


「先祖様に向かってなんたる口の聞き方か! その腐った性根を叩き直してやるぞ太一!」


「上等だクソジジィ! やれるもんならやってみろ!」


「――うるさいですよ、二人とも」


 と、男二人が取っ組み合いの喧嘩を始めようとした時、その熱が冷めて凍るくらいの声が食卓を支配した。太一も源太郎もビクッと肩を揺らし、青冷めた顔で声の主……桃浦千歳を見た。


 笑ってる。

 笑ってるけど、目が笑ってない。

 背後に鬼が見える。


「あ、いやすまんの千歳。じゃがこの孫が……」


「ち、千歳ねぇちゃん。オレじゃなくてこのジジィが……」


「ご飯。いらないんですか?」


「「……ごめんなさい」」


 もう謝るしかなかった。

 黙ってご飯を食べ続けるしか生存の道が見えないのである。

 そうして千歳の覇気にビビりまくった二人は朝食を食べ終え、犬猿の仲のように睨み合った後自室に戻った。


 太一は部屋で学校に行く準備をしながら千歳の恐ろしさに身震いし、源太郎の発言とかに苛立ちを再発させて、


「あのクソジジィめ。絶対殴ってやる」


 日頃のというより、もはや積年の恨みを晴らしてやろうか……と藁人形があったら釘で打ちまくっている太一は一通り学校へ行く準備を済ませると部屋を出て玄関へ。

 

 その道途中、源太郎の部屋を横切った。

 襖が開いている。

 チラリと見てみれば、源太郎が古そうな巻物を広げていた。

 思わず太一は足を止めてしまう。


「……太一か」


「ジジィ。何見てんだよ」


「桃源書。『桃太郎』の人生が書き記された書物じゃ」

 

「絵本ってことね」

 

「違うわ。これは、過去と未来を記述している聖典のようなものじゃ」


「……過去と未来?」


 言い得て妙な言い方に、太一は眉を顰めた。

 『桃太郎』の人生とは、つまり鬼退治が成されるまでの話だろう。だが、それは過去の話であって、未来ではない。

 そもそも、『桃太郎』などただの作り話だ。

 

 なのに、そうだと理解しているのに、太一はその聖典から目を離せなかった。


「それが「桃浦」の運命さだめじゃ。『桃太郎』の血を引く者は、この桃源書に魅了、執着、興味を示してしまう」


「……どういうことだよ」


 まるで遺言、もしくは死に逝く者に対して最後の言葉をかけるような、そんな声色だった。

 源太郎は桃源書から太一に視線を移した。


「過去も今も、まだ終わっていないということじゃ。……よいか太一。ワシからお前に言えることはただ一つ。――お前は歴代最強じゃ。お前はお前の力を信じるだけでよい。いいな?」


「……? ジジィ、何言って――」

 

 源太郎の言っていることが理解できなかった太一が口を開いたその直後だった。

 桃源書。

 源太郎が読んでいた書物、『桃太郎』の歴史が記されているという巻物が、白桃色に眩く発光したのだ。

 

「ジジィ! おい、なんだよこれ!」


「頼むぞ太一。お前が終わらせるんじゃ」


 意味がわからなかった。

 白桃色の光が、太一を包み込んだ。次の瞬間には少年の体は光に溶けるように分解され、桃源書の中に吸い込まれていく。


「うぉおアァァァァァァァァァ⁉︎」


 叫び声を発したところで桃源書からの吸収は終わらない。

 そして、たった五秒の時間だった。


 ――桃浦太一は、『世界』から消失した。




△▼△▼△▼△▼



 

 ――どんぶらこっこ、どんぶらこ♪


 ――どんぶらこっこ、どんぶらこ♪


「……ん。な、なんだここ。暗いし狭い……?」


 桃浦太一が目を覚ますと、視界いっぱいに広がったのは何もない、ただの暗闇だった。まるで段ボールの中に詰め込まれたかのようにぎゅーぎゅーで、実に狭苦しいしほんの少し揺れてるし。


「なんなんだよここ……。何も見えないし狭いし、ちょっと臭いし。甘ったる」


 なんなら少し酸味がある匂いで、太一が一番嫌いな果物の「桃」に似ている。なんとなくここにずっといるのは不快だから、太一は手足を動かしたりして無理矢理出ようとするが、やっぱり脱出不可能。


「だー! 一体ここはどこなんだよ!」


 謎の真っ暗空間から出れなくて苛立ちが最高マックスになったところで、感覚が変化した。

 謎空間が一瞬強く揺れたのだ。

 

「うお⁉︎」


 揺れが収まり、太一は首を傾げる。

 すると、外から音がした。

 声だ。


「――……!」


 何か言ってる。

 しかし何も聞こえない。

 耳を謎空間の壁に当てて、外の音を聴こうとした。

 瞬間、暗闇がひび割れた。

 頭上が、二つに割れたのだ。

 光が射し込み、太一は目を細める。


 そして――。


「――おはよう新生児! ようこそ〈桃の世界〉へ! 共に鬼を退治しよう!」


「…………………………はい?」


 そう言って、人間サイズの桃の中からパカーンと生まれた桃浦太一の目の前に現れたのは、真っ赤な髪をポニーテールにしたどえらい美少女だった。

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