フェアリー・リトライブ

天沢壱成

第1章 桃太郎編

第1話 桃源郷



 ――オレは、こんなに弱かったのか。


 赤い満月に照らされた鬼形の島。

 悲鳴と怒号が叫喚し、火の手と黒煙が燃え上がる。

 島の中を逃げ惑う人々と、それを追いかけては嬲り殺す異形の鬼たち。

 

 どうしてこんなことになったのかと、血の海に沈みかけている『少年』は後悔する。

 

 記憶が、曖昧だ。

 

 何か、大きなことを成そうとしていたような気がする。それはとても大切で、絶対に違えられない約束で、取りこぼしたくない願いだった気がする。


 ――こんなところで、死にたくねぇ。


 体が熱い。

 全身が痛い。

 細胞の一つ一つが悲鳴を上げている。

 体に、手に力が入らない。それどころか、抜けていく。視界もボヤけて、吐血して、体の中から命の証である『血』が流れて止まらない。

 

 目の前に、明確な『死』が待っている。死神が微笑んでいる。 

 力が抜けていくが、それでも『少年』はギュッと拳を握った。弱々しいことこの上ない、頼りない『力』だ。

 

 だが、それでも握って、戦意は喪失していないと自分に言い聞かせなければ、もうダメだと思ったのだ。


 ――クソッ。絶対に、ぶっ飛ばしてやる。


 そうやって意気込んで、己を鼓舞しても傷が傷だ。

 左足と右腕を失った状態で、何が出来る。この傷で、どうやって戦うというのか。

 起きあがろうとして、しかし叶わずに。

 

 ――ちく、しょう……ッ。


 諦めそうになった。

 もう、これは流石にダメだと。

 その時だ。

 

「――アンタが負けても私がいる」


 声がした。

 聞き覚えがある、聴いて心が落ち着く可憐で強い声。

 

 ボヤける目で声の主を探すが、姿がハッキリしない。顔も思い出せない。だけど、それでも分かるのが、『彼女』も同じくらいボロボロだということ。


「――だから。私が負けた時は、アンタが私の代わりに戦って。……私を、守ってね。そういう約束だったでしょ? 太一」


 ――ダメだ、やめろ。

 

 一本しかない腕を力無く伸ばした。

 

 止めようとしたんだ。何を? 分からない。だけど止めようとした。『彼女』が今からすることを、絶対に止めたいと思った。

 

 でも、もう遅い。

 『彼女』は力強く地面を踏み込んで、『敵』に襲いかかった。

 数合、刃を交えた音が響く。


 そして――、


 ボヤけていた視界が微かに色を取り戻した瞬間、『少年』は目撃した。

 

 ――『彼女』から、大量の血飛沫が舞い上がったところを。


 飛びそうになっていた意識が、わずかに復活した。

 『少年』の中で、絶望と悲しみと、圧倒的な後悔が爆発した。

 目の前で、『彼女』が力無く倒れる。血の海に沈む、沈む、沈んでいく。


「……あ、あぁ。あぁ……っ」


 叫びたいのに声が出なかった。喉が潰れている。口からは血しか出ない。起き上がることも出来ないし、拳を握ることさえ、もう出来ない。

 

 何もかもが暗闇の向こうへと消えていく感覚が、『少年』を包み込む。

 何も守れない『少年』は、己の弱さに心底腹が立って、『彼女』をあんな目に遭わせた元凶を深く憎んで。


「――絶対に、ぶっ飛ばしてやる……ッ」



 ギリギリと奥歯を噛み締めながら、怒りに呑まれた少年は――『桃浦太一』の意識は断絶した。

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