第3話 古傷

 雪がちらつく寒い夜、一度布団に入って休んでいたみなみは、奥の部屋から響く父の怒鳴り声と母の金切り声を聞いて目を覚ました。確かクリスマスイブの夜だったと記憶する。

 彼女は寝間着の上からジャンパーを羽織ると、二人に見つからないようにそっと玄関のドアを開け、静かに外へ出た。真夜中の団地の共用廊下は、真冬の冷たい空気とともに、しんと静まりかえっている。みなみは少し迷ってから、いつものように階段を上り、屋上へと向かった。近くで何かの割れる音がした。近所の酔っぱらいがまた酒瓶を落としたのだろうか。

 今回はあまり長引かなければいいけれどと思いながら、みなみは手に持っていた毛糸の帽子を目深にかぶり直した。外では雪がちらついていた。両親の仲が悪いのは今に始まったことではないが、彼女が小学校に入ってからはますますひどくなっている。言い争いが身体的な暴力に発展することも珍しくはなかったので、みなみは両親の声色に少しでも険悪な雰囲気を感じ取るとこうして屋上に避難した。母の殴られる姿はもう見たくなかったし、今は無事でも、いつ自分が巻き込まれるとも知れず、気が気ではなかった。実際、同じ学校の生徒のなかにも、親から殴られている子供は何人かいた。自分もそのような一人にならないことを願いつつ、ポケットの中のキャラメルを取りだし、口に入れる。極限状態の中で食べるお菓子はほとんど味がしなかった。

 階下ではまだ言い争う二人の声が小さく聞こえていた。あと一時間して収まらなかったら、この町を出て、どこか遠いところへ消えてしまおうか。その考えと、キャラメルのほろ苦い甘さがみなみを少しだけ元気にした。歩き疲れた彼女が隣町の公園で寝ているのを発見され、しかるべき機関に保護されるのは、ちょうど25日の未明、クリスマスの早朝のことだった。

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