第7話

 ポケットに入ったハンカチをそっと抑えながら目を瞑る。

 思い出すのは、ルーシーとのやり取りだ。


「え?会頭がそんなことを?」

「そう、デートのお礼にハンカチが欲しいんですって」


 意外そうに目を見張ったルーシーは、すぐに口元を抑えて肩を震わせる。


「ふふふ、手作りのものが欲しいなんて可愛らしいところあるじゃないですか」


 私はなんだか気恥ずかしくなってルーシーから目を逸らした。


「…まぁ、それはいいのよ。ねぇ、どんなものがいいと思う?」

「うーん、流行りなのはイニシャルをモチーフにした意匠をレースで編んだものですかねぇ」


 ルーシーは顎に手を当てながら休憩室に置いてあったバインダーを手に取る。そこには商会新聞と言う業界紙の、流行についての記事がスクラップされていた。ぺらぺらと生地をめくりながら、見せてくれた意匠の豪華さに怯む。


「私…裁縫苦手なんだけど…」

「でしたら、オーソドックスに絹のハンカチの隅に、イニシャルの刺繍ですね」

「刺繍の仕方を教えてくれない?あと、他に良い贈り物はないかしら」

「会頭はオリビアさんのくれるものなら何でも良さそうですけどね」


 ルーシーはふふふ、と目を細める。

 結局、悩みに悩んで、四角い絹のハンカチに、オリーブの木の枝と、紫色の糸でアルフレッドのイニシャルを刺繍することにした。

 わたしの手元を覗き込んだルーシーが言う。


「そこはオリビアさんのイニシャルでなくていいんですか?」

「……いいの」

「まぁ、これでもオリビアさんにしては随分大胆な意匠ですね」


 からかうようなルーシーに、真っ赤な顔をして俯く。

 そんな会話をしたことがすでに懐かしい。


(ルーシー、折角教えてもらったのに渡せなくなっちゃったわ)


 私がぼんやりしている間に、砂糖菓子の少女はこちらに来て挨拶を始めていた。


「初めまして、アリス・キャボットです。アルフレッド様、お会いできて光栄です。アル様って呼んでもいいですか?」


 私は聞こえてきたその名前に目を見開く。


(キャボット公爵家の天使…)


 そう渾名されるほど、当主から溺愛された御令嬢がいたはずだ。

 確かに、きゅるんとした瞳で屈託なく話す彼女は愛嬌があって、皆少々の非礼なら目を瞑ってしまうだろう、と思う。そして、アリス嬢は他のことなど眼中に入っていない様子で、一心にアルフレッドにアピールしている。男なら、そんな風に一生懸命自分に話しかけてこられたらぐらつくものだろう…。なにより、地位も財産もある公爵家の若く麗しい御令嬢。


(彼女はわたしの持っていないものを全て持っている…)


 自分の女子力の低さと比較してしょんぼりした。

 ちらりとアルフレッドを見る。

 しかし、アルフレッドはアリス嬢の健気な様子にも微塵も心動かされた様子はなく、貼り付けたような笑顔で挨拶していた。そんな様子に少しほっとして、そう思った自分にまた自己嫌悪する。


「私、本格的な社交界シーズンは初めてなんです。心細く思っていたので、もしよろしければ、エスコートしていただけませんか?」

「すみません。僕にもお相手がいますので。心細ければ、お目付け役シャペロンに相談するのがいいでしょう」

「おいおい、アルフレッド、男らしくないぞ。デビュタントの令嬢には優しくしてやるものだ」

「…僕にも連れがいますので」


 アルフレッドが再度そう言い募ると、アリス嬢はウルウルした瞳をこちらに向けてきた。


「今日だけでいいんです。思い出にしたいので、アルフレッド様を譲っていただけませんか?」

「…彼はモノじゃないわ」

「そんな言い方、ひどい…!」


 私じゃなく、アルフレッドと交渉してほしいという意味だったのだけど、伝わらなかったようだ。これまで、自分の思い通りにならないことなんてなかったのだろう。アリス嬢は顔を覆ってしまう。こんな、沢山の人の見ている前であからさまにそんな態度を取ると、周囲からどう思われるか分からないのだろうか。

 私は溜め息をつくとアルフレッドに言う。


「…ここはいいから、少しゆっくりお話でもしてきたら?」


 人の注目を集めすぎて、アルフレッドも少しうんざりしていたのだろう。


「……あなたがそう言うのなら」


 そう言って、目を輝かせるアリス嬢と二人で人の視線を避けるように場所を移動していく。

 後には、私と伯爵が残された。


「悪いな、気を使わせて」


 思ってもいないような声音で謝罪される。

 私はチラリと伯爵に視線を向けると言う。


「別に…。ここには仕事できてますので」


 ふーん、と言うと伯爵は興味を失くしたようにこの場を立ち去った。

 去り際に一言言い残して。


「こんな些細な事で傷つくなら、さっさとあいつの側を離れろ」


 私はそのままアルフレッドの戻りを待たずに帰ることにした。エスコートする相手は二人も要らない。

会場にいたスタッフにアルフレッドへの言付けと帰りの馬車を頼む。さすがにこんな格好で一人歩いて帰ることはできない。呼んでもらった馬車に乗り、俯いた。

 ドレスの裾をくしゃりと握った手にぽたりと雫が落ち、慌てて上を向く。こんな高いもの、汚したら大事だ。そのまま、深い溜め息をついて目を閉じる。ゆっくりと座席の背にもたれ掛かった。


 ――――アリス嬢の出現に傷付いたのではない。

 私がアルフレッドの隣にいない未来をまざまざと見せつけられたようで堪えたのだ。


 私は心の中で、そう伯爵に反論した。

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