第6話

 今日は夜会の日だ。

 から早三週間。

 社交界シーズンに入ったため、毎晩あちらこちらで夜会が開催されている。アルフレッドは昼は商会の会頭として社交場に顔を出し、夜は領地から出てきたオーエンス伯爵と共に夜会での挨拶回り、と大変忙しそうだ。結局、あのお出掛けの日より後のアルフレッドは、顔を合わすことも稀な程の過密スケジュールだった。

 そんな多忙を極める状況でも、商会のお得意様の貴族の夜会には厳選して顔を出すという。そして、その場には相変わらず私を伴う。


(じろじろ見られることにもいい加減慣れたわね)


 扇の下で、ため息をかみ殺す。

 大きなホールには、フローレンス商会から先日納品した東の方の国由来の大きな花瓶にたっぷりと花が活けられている。不愉快な視線から逃げるように、大きな花瓶を見上げていると、横からアルフレッドが囁く。


「先日はありがとうございました。義母も喜んでました」

「そ、なら良かったわ」


 庶民的すぎるかしらと思っていたけど、一安心ね。

 アルフレッドと微笑み合い、一時穏やかな雰囲気が漂う。

 その時、アルフレッドに軽い調子で声をかけてきた男性がいた。


「よお、アル」


 アルフレッドは振り返り、少し目を見張る。


「ジーク、来てたんですか?」


 私はアルフレッドがジークと呼んだ青年に、不躾にならないよう、さりげなく視線を向けた。

 さらさらストレートな黒髪を後ろで1本に結わえた、スラッと背の高い美丈夫イケメンだ。アルフレッドよりはいくつか年嵩に見える。貴族は近親婚を繰り返してきたので、金色に近い髪をしたものが多い。だから、黒髪の貴族は珍しい。顔はにこやかだが、どことなく嘘くさい笑顔…。何となく油断のならないものを感じる男性だった。

 私は知り合いなのかな、と思い一歩後ろに下がる。正直、あまり近づきたくない。

 しかし、その男性は一歩踏み込みこちらを覗き込んできた。

 予期しない動きに驚く。

 男性は馬鹿にするように私を見て嗤う。


「なんだ、お前が随分入れ込んでいると聞いたが…思ったよりちんちくりんだな」

「はぁ!?なんでそんなこと言われなくちゃいけないのよ!」

「ぶはっ…!」


 しまった!

 慌てて口を両手で抑える。はっとしたけど、もう遅い。貶されたのでつい条件反射で返してしまった。

 アルフレッドが呆れた顔をしている。


「…ジーク、いきなり失礼ですよ」


 ジークと呼ばれた男性は、先ほどまでの嘘くさい笑顔を引っ込め、私を見ながら爆笑している。


「ははは!ブラウンの言うとおり、鉄砲玉みたいな女だな!」


 …ブラウンも知り合い?

 嫌な予感がして、ぎぎぎとアルフレッドの方を見る。

 アルフレッドは肩を竦めた。


「…紹介します。義父のオーエンス伯爵です」

「ジークフリートだ、よろしくな」


(最っっっ悪!!)


 アルフレッドの言葉に大きく目を見開く。まさかとは思ったがやはりそうだった…。恋人の父親に初対面でメンチを切るなんて…なんてことを。心の中は大混乱で大忙しだ。

 でもでも、私は社交界デビューもしてないのよ。初対面の人の顔を知らなくても仕方なくない!?しかも、アルフレッドと幾つも変わらなく見えるわ。若すぎない!?それに愛妻家って言うからもっと朗らかな人かと。え?何でこんな失礼なの?というか、何でアルフレッドは義父を愛称で呼んでるのよ!

 自分で自分に盛大に言い訳し、アルフレッドに八つ当たりするが後の祭りだった。

 現実には何も言えず固まってしまった私を慰めるようにアルフレッドが言う。


「今のはジークが悪いですよ。先輩に謝ってください」

「ははは!悪かったな!どんな女か気になってたんだ」


 それは絶対謝ってない!…でも、私の態度も目上の人に対してあり得なかった…!

 葛藤するが、恐る恐る伯爵を見上げて謝る。


「こちらこそ失礼な態度を…改めましてご挨拶させていただきます。オリビアです」


 伯爵は笑いながら、鷹揚に片手を上げる。

 …でも、その目は笑っていない。


(何なの、この人。怖いんだけど…)


 一応、その場に決着が着くと、アルフレッドがやれやれとでも言いたげな顔で、オーエンス伯爵を見る。


「それで?あなたから話しかけてくるということは、僕に何か御用ですか?」

「あぁ?可愛い義息子むすこの顔を見に来るのに理由が必要か?」


 にやにや笑う伯爵をアルフレッドがぴしゃりと制す。


「言葉遊びは結構です。要件をおっしゃってください」

「なんだ、つまらん。まぁいい。喜べ、お前の婚約者候補が決まったぞ」


(はぁ!?)


 伯爵は、まるで本日の献立でも述べるように平坦に告げる。そんな伯爵の言葉に、アルフレッドよりも私の方が驚く。先程の二の舞にならないように何とか声をかみ殺した。

 アルフレッドは額を抑えながら低い声で問う。


「…どうしてそんなことに?」

「フロウがな、いつまでもお前の相手が決まらず可哀想だと、自分が目をかけてるご令嬢を紹介してくれるんだと」

「…迷惑な」

「勿論、フロウに恥かかせるんじゃねーぞ」


 伯爵は凄みのある笑みで、アルフレッドの方を見る。

 そして、女子の集団に向けて顎をしゃくる。アルフレッドが面倒くさそうにそちらに視線を向けると、黄色い声が上がった。その中の一人が仲間たちに励まされるようにおずおずとこちらに向かって歩いてくる。緩やかなウェーブのかかったピンクブロンドをハーフアップにし、瑠璃のように青い瞳でこちらを見つめる女の子。

 成人したばかりなのだろう。少し幼さの残る、まるで砂糖菓子のような、真っ白なシフォンを使ったふわふわとしたドレスを着ている。期待に瞳をキラキラ輝かせていて、本当にかわいい。


(…何よ、それ)


 いつか来ると分かっていた別れだけど…まさかこんなに早く来るなんて。

 目の前が真っ暗になるって、こういう時に使うのね。

 私はドレスの襞の上から、そっとポケットを押さえる。そこには、アルフレッドに渡そうと練習した、約束のハンカチが入っていた。

 …本当は今日の帰りにでも渡すつもりだった。

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