第2話

 

 宣言して、職業紹介所を出てきたものの。

 今になって、急に冷静になる。だって、あんなに美味しい仕事が残ってるわけない。そもそも、秘書業務に学歴不問な募集があるはずない…。

 今まで、お父様が騙されるのを、どうしてと歯痒い思いで見てきたけど、私も充分その血を受け継いでいるんじゃなかろうか。

 ガックリと項垂れる。でもでも。私は、無職期間を作るわけにはいかないのだ。例え向かうのが鬼の巣窟でも…。


 粗末な家の前で立ち止まる。

 ここが我が家だ。領地を失って、家もなくした私達は王都に出てきて、安い部屋を借りた。今まで住んでいた何十も部屋があり、迷子になりそうな広い庭付きの家から、リビングと他に部屋が二つの集合住宅に。部屋にシャワーはあるものの、トイレは共同。

 本当はリビングの他一部屋にして、もっと安い部屋を借りるのでも良かった。でも、お父様が年頃の娘が部屋が無いなんて、お許しにならなかった。

 …大黒柱は私だけども。


 ガチャリ


 玄関を開けると金色の塊が飛び出してくる。


「おかえりなさい!ねえさま!」


 そう、彼女こそが、私が学園を中退し、一家の大黒柱となって働く理由。

 キラキラと菫色の目を輝かせて笑う、私の宝物。


 お父様が騙されて、ついでに莫大な借金まで拵えた時。

 私だけなら特待生として、奨学金をもらって学園に残ることもできた。ただ間が悪いことに、お父様は再婚したばかりだった。継母様は、家が没落すると見るや、お父様との間に産まれた異母妹ミシェルを置いてさっさと家を出ていった。そして、あっという間に別の貴族と再婚した。

 平民落ちした身では、使用人も雇えない。乳飲み子を抱え、お父様は途方にくれていた。だから、私は学園を辞めることにしたのだ。お父様には稼ぐ力が全くないから必然的に家の事はお父様、大黒柱は私となった。


「ただいま。ミシェル良い子にしてた?」


 しゃがんで目線を合わせて答えると、ミシェルは胸を張った。


「うん!ミシェ、おとーさまのてつだいした!」


 偉いわね、と頭を撫でてやるとミシェルは嬉しそうに目を細めた。あっという間にミシェルも5歳。今ではひとりで身の回りの事ができるようになっただけではなく、お手伝いまでしてくれるようになった。


「お帰り、オリビア。手を洗っておいで。ご飯にしよう」


 キッチンからお父様が顔を出す。フリフリのエプロンが眩しい。

 なんとまぁ、意外なことに、お父様には家事の才能があった。

 領地経営は全くできなかったのに、料理は意外と美味しいのだ。


 お父様の顔を見て、ちょっとだけ今日の事を報告するか悩んだ。

 けれど、怪しいとはいえ、次の職は見つけてきた。無駄に心配させる必要はないだろう。



 翌日。私は紹介状を握りしめ、心を奮い立たせて新しい職場に向かった。

 それにしても、さっきからずっと続く塀。歩いても 歩いても切れ目が無い。何ここ。ほんとに伯爵家?

 領地にあった私達の家なんか比べ物にならないほどの広さに、さらに心が怖じ気づく。

 こんなみすぼらしい格好で訪ねて良い家ではない。


(伯爵家が職業紹介所なんかに募集出すかしら?…やっぱり騙されてるんじゃ)


 やっと門が見えてくる頃には、すっかり意気消沈。

 門番に恐る恐る紹介状を渡した。

 ドキドキしていたのに、すんなりと門を通される。


(玄関までがあんなに遠いわ…)


 時間には充分余裕を持ってきたつもりだったが、時間ギリギリだ。はしたなくない程度に早足で歩く。

 入り口の前で、ささっと髪を撫で付け、咳払いをして心を落ち着ける。

 さすが良家は違う。ドアをノックする前に扉が空いた。

 振り上げたこぶしがさ迷う。曖昧に笑いながら手を後ろに回した。


「ようこそいらっしゃいました。オリビア様。主がお待ちでございます」


 ロマンスグレーの髪をきれいに撫で付け、モノクルをかけた執事に誘われ、応接間に通された。

 今の私の給料じゃ一生弁償できない金額のソファーに恐る恐る座る。香り高い紅茶が、机の上に置かれる。


(あぁ、こんないい匂いのお茶何年ぶりかしら)


 最近は専ら、花屋で廃棄される枯れかけのお花をもらってきて、ドライフラワーにしたものを湯で煮だす、なんちゃってフラワーティーしか飲んでない。

 しかもお茶請けまでついている。このクッキー、ミシェルに持って帰ったらダメかしら。

 あんまり真剣に悩んでいたからだろう、私は人が入ってきたことに気がつかなかった。


「そんなにクッキーが気に入りましたか?」


 急にかけられた声に、弾かれたように顔を上げる。

 目の前でいたずらっぽく笑う男性。あれは。


「アルフレッド・パーマー…」


 私は呆然と呟いた。


「今はオーエンスです。お久しぶりですね、オリビア先輩。お元気でしたか?」


 さっきお茶をいただいたばかりなのに、すでに喉がからからに乾いたように声がでない。

 そんな、まさか。だってアルフレッドは。


「あなた…男爵家の出じゃなかった?」

「養子になったんですよ。跡継ぎのいない親戚筋の家にね。あなたが学園を去った後でしたかね」


 アルフレッドは事も無げに話す。


 アルフレッド・パーマー改めてアルフレッド・オーエンス。

 彼は私の2歳年下の後輩だ。

 学園では早いものは6歳で入学し、最大で18歳まで寄宿舎で過ごす。入学のタイミングは本人の学力と家庭の方針次第。

 一番多いのは、9歳から成人の16歳までの8年間を過ごす者達だ。

 私も、世間一般と同じく9歳から入学した。アルフレッドは、2歳年下だが、私と同じ年にに入学した。

 すごい天才が現れたと持て囃されていたのを覚えている。

 肩につくくらいのさらさらの焦げ茶の髪に、瑪瑙のような琥珀色の瞳。7歳になったばかりのアルフレッドは、声変わりもまだで、少女めいた風貌をしていた。しかし、その瞳はいつも鋭く前を見据えられていて、ピクリとも笑わない少年だった。

 そんな態度がかわいくないと、良く虐められていた。

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