第3話
あの日もそうだった。
学園は広大な敷地を有しており、校舎以外に豊かな庭があった。その庭には池があり、暑くなるとそこに浮かべられたボート目当ての学生で賑わう。
しかし、その日はもう夏の盛りも過ぎ、水に浸かるには寒い気候だった。外にいる学生もまばらだった。
アルフレッドは、一つ年上の同級生に、教科書を取り上げられ、池に沈められていた。けれど別に騒がず、水に濡れた教科書を、柄の長い箒で寄せるように集めていた。それを見ながらクスクス嗤うアルフレッドの同級生。そんな現場にたまたま通りかかった私。あんまり腹が立ったから思わず言ってしまったの。
「よってたかって何してるの?そんなことしてる暇があったら帰って勉強でもしたら?だから年下に負けるのよ、みっともないわね」
異性とはいえ年下の男の子達だからこそ言えたのよね。彼らは上級生の登場に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
私は腰に手を当てて、アルフレッドを振り返る。
「あんたもあんたよ。やられっぱなしになるから相手がつけあがるのよ!ビシッとやり返しなさい!」
アルフレッドは、何か汚いものでも見るような顔でこっちを見上げていた。ちょっと怯んだけど、乗りかかった船よね。一緒に教科書を引き上げるのを手伝った。
アルフレッドはその間一言も話さず、最後に少しだけ頭を下げて去っていった。
いいことしたなーって思ってたのに。それなのに。
何故か次の日から、アルフレッドは私にだけ憎まれ口を叩いてくるようになったのだ。
職員室で先生に分からないところを質問していたら。
ーーーーそんなことも分からないんですか、先輩。
女子の必修科目の刺繍のハンカチが再提出になって、放課後に縫い直していたら。
ーーーー女子力低すぎませんか?
なんで私にばっかり突っかかるのよ!と切れたら。
ーーーー…やられたらやり返すように言ったのは先輩ですよ。
ブスッとした顔で言い返してきた。
(私はあんたに何もしてない!)
良く分からないが、私はアルフレッドの逆鱗に触れたらしい。
私も言われっぱなしにはならないから、アルフレッドに何か言われたら言い返して…そんな感じの付かず離れずの関係だった。
翌年。アルフレッドは、また一年飛び級した。私達は同級生になったのだ。これまでだって勉強に力は入れていたけど、そこからはさらに死に物狂いで勉強した。
前に言った言葉がブーメランのように返ってきたから。
ーーーーだから年下に負けるのよ、みっともない
年齢なんか関係ない。でも、同じ土俵に立った以上、絶対負けたくなかった。
ふと、今目の前にいるアルフレッドに焦点を合わす。
あの頃、少し長めのおかっぱのようだった髪は、短くスッキリとし、会わなかった5年の間に背もすらりと高くなった。
そして何より、あの頃にはなかった柔らかい笑顔を浮かべている。
「あなた、そんな風に笑う人だった…?」
「大人になりましたからね」
「なによ、それ」
それじゃ、未だに愛想笑い一つ浮かべられない私が、子供みたいじゃない。
拗ねた気持ちで、唇を噛んだ。
アルフレッドは、私の学園時代の思い出の象徴だ。私の学園の思い出には必ず彼がいる。
あの頃、没落すると決まった時。家族を選んだ私が、それでも大事すぎて、投げ捨てるように振り切った思い出が、形を変えて戻ってきてしまった。
涼しい顔で笑うアルフレッドを直視できなくて、俯いて話題を変える。
「あなたが雇い主?」
「ええ、18歳になって、王都での商会の代表を引き継ぎました。仕事が増えたので補佐を探していたのですよ」
「商会…」
「ご存じですか?フローレンス商会というのですが」
驚いた。はしたなく口が開いているだろうが、そんなこと気にしてる場合じゃない。知っているか、なんてとんでもない。
フローレンス商会と言えば、釘1本から国が買えるレベルの宝石まで、なんでも手広く扱ってる大商会じゃない。資本力のとても大きな商会だと思っていたけど、まさか貴族が運営してたなんて。貴族が出資してパトロンについている商会は数あれど、実際に運営までしているなんてかなり稀なんじゃなかろうか。
私の唖然とした顔を見て、アルフレッドが肩を竦めた。
「愛妻家の義父が、妻の欲しがるものをどこよりも早く手に入れたいと立ち上げた商会ですよ。義母の名前を屋号にしてね」
開いた口が塞がらない。妻のおねだりのために立ち上げた商会?正気じゃないわ。でも、経営手腕が素晴らしいのね。たしかできてまだ10年くらいじゃなかったかしら。
「僕は普段は、商会の中の事務所で仕事をしています。今日は初めての顔合わせなので、こちらに来てもらいました」
そう言って、ベルを鳴らした。
メイドがきちんと折りたたまれた服をそっとテーブルの上に置いた。それをきちんと揃えた手で指しながら、アルフレッドが言う。
「こちらが制服です。明日はこちらを着て商会の方に訪ねてくださいね」
きれいに折りたたまれた服と、アルフレッドを交互に見る。急に、自分の服装のみすぼらしさに泣きたくなった。新しい服なんてもう何年も買えていない。せめて不潔ではないようにとこまめに洗濯はしているが、色褪せと裾のほつれは誤魔化しようがない。
アルフレッドは仕立ての良い服を着て、私じゃ一生かかっても買えないソファに悠々と腰かけて、従業員に月に金貨1枚と銀貨50枚のサラリーを払うことができる。
ふと、俯いて自分のかさかさの手にもっと泣きたくなった。そっと握り込んで見えないようにして。
すると、視界に大きな手が入り込んできた。そっと手に触れられる。アルフレッドがこちらに身を乗り出しているのだ。
「触らないで、こんな手…みっともないわ」
「何でですか。貴女が頑張ってきた証でしょう?」
柔らかく言われて、さらに落ち込む。
(…こんなに差ができるなんて。私このままここでお世話になったら、もっと惨めな気持ちになる)
服まで恵まれるなんて真っ平だ。
意を決して顔を上げる。
「私やっぱり…」
「おや、逃げるんですか?」
口許は笑みの形に歪めながら、瞳は全く笑っていないという器用な表情を作ったアルフレッドが被せるように話しかけてくる。
そんな風に言われたら、反射で答えてしまう。
「誰にものを言っているの?逃げるわけ無いでしょ!」
て、ああああ。
この売り言葉を買ってしまう性格、何とかしないと…
「そうですよね。では、明日からよろしくお願いしますね、先輩」
ガックリと項垂れてオーエンス伯爵邸を後にした。
…ちなみに帰りにクッキーを包んで持たせてくれたから、それもありがたく頂戴した。
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