第3話 帝都へ

「そういうことね……経緯は理解しました」

 唯が建築したロッジの中で、唯が製作した椅子に腰掛けて、新一はこれまでのあらましを説明していた。話すことが随分と多かったためか、昼過ぎから話し始めたにもかかわらず、気付くと外が赤らみ始めている。

「それで? 新一はどうしたいの?」

「……俺は――」

 唯のクリッとした目が、まっすぐに新一を見つめている。彼女が聞いているのは、リリアーヌの要請に乗るかどうか、ということだった。

 新一は、リリアーヌの言葉を思い出す。

『新一様が倒した相手はリシュアーナ神聖国の精鋭、エルピス騎士団の手のもので間違いないでしょう。かなりの手練れです。それを貴方は、たった一人で倒した。未だに信じられないほどです。そして私は、その信じられないほどの力を有した貴方に、是非お力を貸していただきたい。上洛の途上はもちろん、私の治世のために。そして、帝国の平和のために』

 その時新一は、その要請に返す言葉を持ち合わせていなかった。

 内心、興味をそそられる話ではあった。彼女についていくことは、帝国最高権力者をパトロンにすることと同義だ。それは新一たちの安全を確保する上で大きな力になる筈だし、更に言えば、帝国の全面的な援助を受けることができれば、故郷であるティーガーデン星系に帰還するためのエネルギーも、確保できるかもしれない。

 だが同時に、リスクが多い選択であることもまた事実であり、そのことが新一の判断を鈍らせていた。

 最大のリスクは、先住民の争いに巻き込まれることだろう。アジルバート帝国は大陸最強と言えど、今はクーデターの直後であり、その基盤は大いに揺らいでいる。おまけに、一度政争に敗れ、皇族から離脱させられた姫君の側につくとなれば、間違いなく帝国内部の権力争いに巻き込まれることになる。安全を確保するつもりが、より大きな危険の最中に飛び込んでいた――なんてことになっても不思議ではない。

 それでも、新一一人ならばまだ良かった。幸い、先住民との手合わせは既に済み、その結果から、自分の身の安全くらいは確保可能だろうという見立てが、新一の中では立っていた。しかし、そこに唯が加わるとなると、話はまったく違ってくる。

 リリアーヌへ協力し、結果、唯が危険に晒される。

 それだけは、避けなければいけない。

 故に、新一は悩んでいる。


 悩む新一を、唯はじっと見つめている。新一と共にあり、そしてずっと彼を見てきた唯にとっては、彼が何に悩んでいるのか、手に取るように分かった。そして、彼の本心がどこにあるのかも。

(新一は、多分まだ気がついていないんだろうなぁ)

 と、唯はそんな風に思う。

 新一は理性の塊のような男だが、かといって感情がないわけではない。ただ、その感情が理性と相反した時、決まって理性の声を聞くようにしているだけだ。その結果、理性が優遇される環境に慣れすぎて、感情が発する声に気が付きにくくなっているだけだ。

 だから、注意深くその言葉に耳を傾ければ、その奥に潜む感情の息遣いを感じることができる。

 だから唯は、いつものように、迷う新一の背中を押す。

「行っておいでよ」

 新一が驚いたように顔を上げる。

「私のことは心配しないで。私はまだしばらくここで研究したいことがあるし、それに新一が回収して来てくれた血液サンプルの解析もしないと。そういうことは、新一よりも私が専門なんだから」

「しかし……」

 と、新一は尚言い淀む。そんな新一に唯が優しく微笑みかける。

「私は大丈夫。だから、新一は新一のやるべきことを……ね? 落ち着いたら、私もそっちに合流するから」

「俺の……やるべきことか……」

 新一がそう呟く。

 その一言で、決心がついたのだと唯は悟った。

「……分かった、俺はエル・オーラムに行く。ここのことは、任せたぞ?」

 新一が、未だに気掛かり残した顔のまま、唯に意志を伝える。

「はい。任されました」

 だから、唯はできる限りの笑顔で答える。その笑顔が、少しでも新一の不安を取り除いてくれることを願って。


***


 新一と別れた後、リリアーヌとアーデルハイトは、町の旅宿に滞在していた。要請を受けるにしろ断るにしろ、一度ここに戻って来ると言い残して去った新一を待つためではあったが、もう一つ、彼女たちには大事な用事があった。

「どう? 似合うかしら?」

 宿泊している部屋の一室で、クルリとターンして見せるリリアーヌは、昨日までとはまるで違った格好をしていた。

「もちろんです、お嬢様。お嬢様に似合わない服などありませんから」

 彼女の無邪気な姿に、僅かに顔を綻ばせながらそう評しているのは、彼女の従者。

 アーデルハイトも、主人と同様の格好をしている。

「私も普通の皇女よりは色々な経験をしてきた自負があるけれど、まさか村娘の格好をする日が来るとは思わなかったわ」

 聞きようによっては、不満を表明した言葉にも聞こえるかもしれないが、彼女の表情を見れば、それが違うのが分かる。彼女は純粋に、今の状況を楽しんでいた。

「でも、新一様も面白いことを考えるわね。いくらカムフラージュとは言え、普通はここまでは中々やらないわよ」

「体面というものがありますから。その点、新一の『見つからなければ体面など関係ない』というのは、些か暴論のような気がします」

「でも、合理的な手だとは思うわ。身分制の中で生きていればいるほど、思いつかない手ね」

「……はぁ。そうですね。村人に混じるなど……相手がお嬢様で無ければ、斬って捨てられても文句は言えません」

「私だから言ったのよ、あの人は」

 リリアーヌは確信したような声で答える。

 それを聞いて、また僅かに、アーデルハイトの胸は締め付けられるような痛みを覚えた。

 新一が理性主義者であるのに対し、アーデルハイトは合理主語者であった。故に、この二人は本来的に近い性質を持つ。だから、アーデルハイトは新一のこの案にも特に反対を示さなかった。

 常識で考えれば、クラウン=プリンセスに村娘の格好をさせるなど、あってはならない。しかし、エル・オーラムに無事に辿り着くという目的を達成するためには、やむを得ないことだと納得していた。

 しかし、それとは別に、アーデルハイトは新一に強い反感を抱いていた。

 その反感の正体は、実のところ敗北感と嫉妬心であったのだが、彼女の表面意識はそれを直視することを拒んだ。いや……もしかすると、彼女はその感情の正体を、ただ知らなかっただけなのかもしれない。

 何故なら、彼女のこれまでの人生において、敗北感と嫉妬心を与えてくれるような存在は、ついぞ居たことがなかったのだから。

 彼女は――天才だった。

 特にアニマの力量に限って言えば、実力者が多いボーデンシャッツ辺境伯の家の中でも、自他共に認めるナンバーワンだった。

『アニマの源泉――万物の種子スペルマタに愛されている』

 皆、彼女の勇姿を見ては、口々にそう褒め称えた。

 しかしその天才も、数多の秀才の前では無力だった。彼女は確かに実力者ではあったが、決して超越者では無かったのだ。先の戦闘で、彼女はそのことを嫌と言うほど思い知らされた。

 だがそれだけなら、彼女は敗北感を知ることは無かっただろう。彼女は依然として、最強の個としての輝きを失うことは無かったはずだ。

 そう、彼が現れるまでは……


(強い。あまりに、強い――)

 それが、戦う彼を見た、彼女の率直な感想だった。

 彼女が苦戦した数多の秀才を、まるで赤子の手を捻るように無力化していく。その姿は、もはや同じ人間とは思えない。

 だが、彼女が衝撃を受けた最大の要因は、敵が無力化されたというその事実よりも、むしろその過程――その方法にあった。

 信じられないことに、彼は一度も使わなかったのだ。彼はついに一度も……アニマを使いはしなかった。

(超越者――)

 そんな言葉がアーデルハイトの脳裏を過ぎる。

 武装した聖騎士――しかもエルピス騎士団に所属する精鋭を、アニマも使わず、素手で倒し切る。果たして、そんな芸当を可能にする人間が、他に何人いるだろうか。果たして、そんな人間を形容する言葉が、他に存在するだろうか。

 あの瞬間、アーデルハイトのアイデンティティは、音を立てて崩壊したのだ。あの戦闘は、彼女にとっては単なる人間同士の戦いではなかった。『アニマ』という大陸最強の力が、その地位を失墜させた戦いであったのだ。そして、アニマによって最強になった一人の少女も、あの瞬間、アニマと共に失墜したのだ。

 そんな圧倒的な敗北感が冷めやらぬうちに、次なる衝撃が彼女を襲った。

 彼女の敬愛すべき主人――リリアーヌ・フォン・アジルバートが彼に惹かれてしまったのだ。

 もちろん、恋心ではないだろう。クラウン=プリンセスとして、帝国を背負う者として、そしてすべての臣民を治める者として、彼の実力を心から欲したのだ。

 だからこそ……彼女は嫉妬した。

 無用な仮定ではあるが、もし、二人の間に割り込んだのが彼でなかったなら、彼女はこれほどまでに嫉妬心を感じることは、恐らくなかっただろう。何故なら、リリアーヌの側にいる最強戦力は依然として変わらず、彼女であり続けただろうから。

 しかし、彼は彼女に敗北感を与えた男だった。そんな彼に対するリリアーヌの熱い視線は、彼女に嫉妬の情を覚えさせるのに十分だった。

 しかし――繰り返すが、彼女は合理主義者なのだ。故に、彼女は密かに感情から目を背ける。目的遂行のためには彼の力が必要、もしくは重要であることを、正しく理解していたから――


 新一がリリアーヌたちに合流したのは、その日の夕方になってからだった。

 本当はもう一日程度は早く合流する予定だったのだが、準備に多少手間取ったのだ。なにしろ、次にトライアドに戻れるのがいつになるのか、よくわからない。そもそも、そのエル・オーラムについての具体的な情報は、新一の知識――正確には村人の持つ知識の中には含まれていなかった。よって、どの程度エル・オーラムがここから離れているのかもよくわからない。自然、持っていくものには慎重にならざるを得ない。

 更に、新一はこの機会に、エル・オーラムとトライアドを繋ぐ通信網を確立しようと思っていた。幸い、この星における電波の減衰率は、平均的な値であることがわかっている。そのため、五十キロおきに中継機を置けば問題ないだろうと、新一は見込んでいた。しかし、それでもエル・オーラムまでの距離によっては、膨大な数の中継機が必要になる。どの程度持っていくべきか、悩ましい問題だった。

 こうして、予定よりも遅れて到着したわけだが、それでも、彼女たちにとっては充分早い到着となったようだ。

「驚きました……新一様の到着は翌日になると思っていましたから。馬でも使われたのですか?」

 実際に使ったのはホバーバイクだったが、もちろんそんなことは話せない。適当に誤魔化す。

「えぇ、そんなところです。それよりお二人とも、その格好は良くお似合いです。どこから見ても、立派な村娘ですよ」

「そうですか?」

 と、リリアーヌが嬉しそうな顔をする一方、アーデルハイトは露骨に嫌そうな顔をする。

「それでは、新一様」

 そして、リリアーヌは居住まいを正す。

「お返事を聞かせていただいても、宜しいでしょうか?」

 真っ直ぐな視線が、新一を正面から捉える。先程の可愛いらしい様子から一変。その表情は未だ笑顔であるにも関わらず、その声には力が宿り、刺すような気迫まで感じる。

(……流石は、次期皇帝か)

 人を従わせる何かが、このお姫様には備わっているようだ。先日彼女の要請を聞いた時、何故興味を持ったのか――冷静に損得勘定をした結果のつもりだったが、もしかすると、あの時既に影響を受けていたのかもしれない。

 新一は頭の片隅でそんなことを考える。だがそれでも、ここに来て答えを変えるつもりは無かった。

「そのお話、お受けいたします。リリアーヌ皇女殿下のお力になりましょう」

「! そうですか! 感謝致します」

 リリアーヌの笑顔が変化する。先程までの気迫は後ろに下がり、代わりに喜びが全面に現れる。見る者の心を高揚させる笑顔だった。

「ですが殿下。条件もございます」

 しかし新一は、息をするようにその感情を無視する。

「私は殿下の武力となりますが、配下になるつもりはありません。意思決定の自由、そして武功に対する正当な報酬を望みます」

「ふむ……ちなみに報酬とは何を? 私は配下に対しては、金銭や土地、地位などで報酬を与えるつもりですが」

「それは、時が来た時に。しかし私が欲しているものは、物質的な何かというよりは、殿下のお力そのものです。物質はその結果として、付属してくるに過ぎません」

「ふふっ。何だか恐ろしいですね。まるで悪魔との契約のよう」

「ご安心を。私が望んでいるものは破壊ではなく、創造ですから」

「そうですか」

 リリアーヌの目が光る。新一の真意を探っているかのような視線。新一は気負うことなく、受け止めた。

「……分かりました。帝国の存亡に関わることでない限り、貴方の願いを叶えましょう」

 やがて、リリアーヌはそう結論づけた。新一は頭を下げる。

「感謝いたします、殿下」

「しかし、私からも一つ条件を付けることにします」

 だが間髪入れずに、リリアーヌがそう付言する。

「……何でしょう?」

 新一が僅かに緊張する。まるでこのやり取りが、交渉のようになってきていると感じたからだ。

 しかし、リリアーヌは思いがけない事を口にする。

「簡単なことです。新一様、私の友人になってください」

「……は? 友人ですか?」

 思わず、呆気に取られる。

「そうです。だから、公の時以外で、そんな形式ばった話し方をしないで良いのですよ。私のことも殿下ではなく、もっと別の呼び方をしてください。お勧めはリリアですね」

「お嬢様、それはなりません」

 遂に我慢できなくなったのか、アーデルハイトが口を挟む。

「お嬢様はアジルバートの血を引くものです。その責をお忘れになってはいけません」

「新一様は、アジルバートに属する人間ではありません」

 しかし、リリアーヌは譲らない。

「帝国臣民ではない新一様が、本来私に従う理由はないのです。ですから私は、友人として新一様に助けられ、そして助力したいと思うのです」

 そこまで聞いて、新一は理解する。このお姫様は、ただ酔狂でこんなことを言い出したのではない。彼女は、新一と主従とは異なる形での契約を結ぼうとしているのだ。そして、その曖昧模糊とした契約の拘束力を、なぜか彼女は信じているのだ。いや、信じることで、この契約に拘束力を持たせようとしているのだ。

 不思議だった。何故そんなことができるのか。初めて会った相手に、何故それほどの信頼を預けることができるのか。その根拠は一体何なのか。彼女には、新一がどのように見えているのか。

(……おもしろい)

 新一は、今の状況をそう形容する。彼女の思考は、新一に何か新しい示唆を与えてくれる可能性があると、彼の理性が囁いている。

 とても、新鮮な気分だった。

「分かった。これからは友として、リリアの側に控えよう」

 そう口にした新一を、もし唯がそばで見ていたのなら、きっと、嬉しそうにその顔を綻ばせただろう。その瞬間、新一の心は、確かな温もりに包まれていたのだから。

 

 しかし納得しなかったのは、アーデルハイトだった。新一のリリアーヌに対する馴れ馴れしい態度にひとしきり激怒し、リリアーヌに翻意するよう懇願し、それが受け入れられないと知るや、最終的にはすっかりいじけてしまった。

 そんなアーデルハイトに対し、リリアーヌは終始新一と仲良くするよう諭していたが、事ここに至ってはそれも諦め、新一の一時的な退出を願った。

「ごめんなさい。ハイジのことは必ず説得しますから、少しの間、新一様は席を外してもらえますか?」

「あぁ、構わないよ。俺も少し、街の様子と、そしてエル・オーラムまでの道程に関して検討しておきたい」

「ありがとうございます。それでは今晩、日が沈んだ頃に、またここで」

 そう言って、リリアーヌは扉を閉める。

 新一はしばらくの間、その閉じた扉を見つめていたが、やがて思い出したように踵を返し、街の中へと消えていった。


「珍しいわね、ハイジがそんなに意固地になるなんて」

 顔を背けて座っているアーデルハイトの隣に、リリアーヌは腰掛ける。

「……申し訳ありません。お嬢様の目的のために、新一が必要であることは理解しています。ですからそれ自体を止めるつもりはありませんが……それでもいくらなんでも……」

 新一のことを受け入れたのは、あくまでも目的のためだと、アーデルハイトは自分を納得させている。故に、それを逸脱するように見える今回の展開は、到底受け入れ難かった。

「ですが、私はお嬢様の従者です。納得させる必要はありません。どうぞご随意に。私は、変わらずに私の仕事を果たします」

 だから、それがアーデルハイトの精一杯だった。そして、自分の取るべき対応だと思っていた。

「……お嬢様?」

 しかし、そんなアーデルハイトの背中は優しい温もりによって包まれる。

「そんなことを言わないで。あなたは私の半身。何があっても、私たちは常に共にある。そうでしょう?」

「……はい、お嬢様」

 首に回ったリリアーヌの腕に、アーデルハイトは頬を合わせる。心の中のわだかまりが、すべて溶けていくようだった。

「それにね、ハイジ。私は別に新一様と友達ごっこがしたい訳じゃないのよ?」

 少しだけ、リリアーヌの言葉に不満の色が混じる。

「新一様はとても計算高い方だけれど、その実、とても優しい心の持ち主。彼の計算は、その優しさを補完するためのもの。だから私は、彼の優しさを頼ることにしたの」

「……どういうことでしょう?」

「新一様は、自己の欲得のためには動いていないということよ。彼には何かの目的があるようだけれど、その優しい心根は他者に対して依然として開かれている。だから彼は、その優しさに理屈を付けようとする。彼の目的に資する理由を、そこに見出そうとしてくれる。だから私は、彼と友人であることを望んだの。彼と、ギブアンドテイクを超えた関係を築くために」

 リリアーヌの言葉を、アーデルハイトは半分も理解できない。ただ、随分と新一のことを理解し、また評価していることは伝わってきた。力ではなく、その内面を。それがアーデルハイトには、不思議でならない。嫉妬心でも、敗北感でもなく、ただただ純粋に。

「不思議がる必要はないわ。私の主天使が、彼をそう見た。それだけ。だから私も、そう信じることにしたの」

 恐らく、アーデルハイトの内心がその表情に表れていたのだろう。リリアーヌはそう言って、クスリと笑う。

「本当は、あなたの指導霊も同じ意見なのではなくて?」

「……」

 言われて、気がつく。新一と出会ってから、一度も指導霊からのインスピレーションがなかったことを。改めて、如何に自分の心が乱れていたかがわかる。

「もう、仕方ないわね」

 そんなアーデルハイトを、リリアーヌは呆れたような困ったような顔で見つめる。それでもその表情には、彼女に対する確かな愛が、ひっそりと息づいていた。


 一方で新一は、今になって明らかになった事実に、頭を悩ませていた。

 思いの外、エル・オーラムは遠い。

 街の人と会話していく中で、その事実が確かな現実感を伴って新一の目の前に立ち塞がっていた。

 最初は、服屋だった。リリアーヌから貰った銀貨を持って立ち寄った服屋で、新一の新しい服を見繕っていた店主がこう漏らしたのだ。

『エル・オーラムでゴタゴタが起こったせいで、仕入れが滞っちまった。それが片付いても、ここまで五十日はかかるから、しばらくは今の在庫でもたせるしかない』

 新一は店を出ると、街の外のことを知っていそうな人を片っ端から捕まえて、話の裏付けを取っていった。エル・オーラムからこの街――ポーンサワンまでどれくらいの距離があるのか。

 結論はすぐ出た。約二千キロ――それが、エル・オーラムまでの距離だった。

 二千キロ。新一がホバーバイクを使えば数日の距離だ。だが、徒歩と寄合馬車を組み合わせていくとなると……最悪二ヶ月程度は覚悟した方が良いかもしれない。

(やっぱり馬車くらいは、リリアたちが乗ってきたものを使った方が良いか?)

 新一の頭の片隅を、そんな考えがよぎる。リリアーヌの動向を隠し切るため、『ただの人』に完全に成りすますつもりでいた。そのため、専用の馬車などは使わず、人々の中に紛れながらエル・オーラムを目指そうと思っていた。どんなに見窄らしくともエル・オーラムにたどり着き、そこでリリアーヌの到着を待っている別働隊に合流することができれば、こちらの勝ちなのだから。

 ただし、それでも敗北条件が一つだけある。それが、時間制限だった。

 この上洛にはタイムリミットが設定されていた。それが、今から丁度五十日後なのだ。

 曰く――帝国の一大事、そして皇帝陛下直々の招聘に対して、巧速でもって応えることができるのか。それすらできないようならば、それはクラウン=プリンセスとして相応しくない――ということのようだった。

 なんとも、胡散臭い要求である。リリアーヌの上洛を足止めし、即位を阻止しようという魂胆が見え隠れしている。

 しかし、いくら胡散臭くとも、皇帝の名前を使った命令書は絶対である。間に合わなければ、皇位継承権を剥奪される。

(さて……どうしたものか)

 新一は思案しながら、馬車の寄合場から離れる。エル・オーラム行きの馬車が出るのが最短で十日後。最有力の移動手段だったが、選択肢から外さざるを得なかった。

「ん? 何事だ?」

 その時、突然の喧騒が前方から湧き上がり、新一はそちらに目を向ける。原因はすぐに分かった。

 一匹の馬が暴走している。首に巻かれた手綱の先で、御者と思しき男性を引きずりながら、一目散にこちらに走り込んでくる。

「良い馬だな。あの商団の馬か……」

 新一は迫ってくる馬から一度目線を逸らし、その奥――複数の馬車とその周辺に立つ人々に目を向ける。そのうちの何人かは、必死に馬を追いかけているようだ。

 その時、突然、新一は閃いた。

「そうか、その手があったな」

 新一は、今思いついた案に一人頷きながら、既に目と鼻の先に迫った馬へと自分から近づいていく。

 それを見ていた群衆から、悲鳴が湧き起こった。

 今まさに目の前で轢かれようとしている男性。その未来を想像して、皆一様に目を背ける。

 だから――彼らは見逃した。その男性が、ゆっくりと片手を馬に向かって差し向けたところを。


「新一、すまなかった。少し感情的になっていたようだ。私もお嬢様の従者として、お前を歓迎しよう」

 リリアーヌに説得されたアーデルハイトが、新一に向かって手を差し出す。もう少し禍根が残ると思っていた新一はやや拍子抜けしつつも、その手を取る。まだ固さはあったが、少なくとも明確な敵愾心は無くなっているようだった。

「それにしても新一様。その服、良くお似合いですよ」

 リリアーヌが新一の服装を誉める。なんの変哲もない平民の格好だったが、初めて着るタイプの服で、内心新一も気に入っていたから、悪い気はしない。

「ありがとう。リリアのお陰だ」

「いえ、あの程度のお金。気にしないでください」

 リリアーヌが微笑む。

「ありがとう。ところで、リリアは今お金をどれくらい持ってる?」

「お金……ですか? ハイジ、どれくらい?」

「フローリン金貨が三十枚。テレジア銀貨が五十枚です」

 リリアーヌの代わりにアーデルハイトが答える。

「……それだけあれば、十分か」

 そんな新一の呟きに、リリアーヌは首を傾げる。

「何を考えておられますか?」

「エル・オーラムまでの足を考えていてね。今まで乗ってきた馬車では目立つし、公共の馬車を使うと期限に間に合わない」

「そうですね。私たちもそのことは懸念していました」

 リリアーヌが頷く。

「だから、馬車をチャーターすることにした」

「チャーターって……そんなことしたら、目立つだろう? 検問だってある。すぐ特定されるぞ?」

 アーデルハイトが眉をしかめる。

「あぁ、そうだ。俺たちは平民に紛れないといけない。だから、馬車をチャーターしつつ紛れるんだ」

「どういうことだ?」

 訝しげな顔をする二人に向けて、新一は早速説明する。なにせ、待たせているのだ。痺れを切らして先に出発される前に、二人の了解を得て、彼らに合流する必要がある。


「お! 来たな。あと十分経っても来なければ、出発しようと思っていたところだ」

 町外れの一角、広場のようになっている空間で、彼らは新一たちを待っていた。

「何を言う。約束の時間まで、あと十三分はあるぞ」

「あぁ? そんなの誤差だ、誤差。てか、そんな細かい時間なんぞ分かるか」

 そこで、彼――ミヒャエル・ハルトマンは新一の後ろを歩く二人の女性に気がつく。

「おい……あんたが言ってたツレってのは彼女たちのことか?」

「あぁ……下手なこと考えたら、殺すからな」

 リリアーヌたちに釘付けになっている様子のミヒャエルに忠告する。無論、冗談ではない。新一がやらなくても、アーデルハイトがきっとやるだろう。

「分かってるよ。お前には恩があるし、何より敵に回したくない」

 ミヒャエルが大真面目にそう答える。有り難い話だったが、正直、そこまでのことをしたつもりは無かった。

「大したことはしてない。馬を止めただけだ。無属性のアニマが使える人間なら、誰でもできるだろう?」

 アニマには大別して六つの属性がある。その中で無属性のアニマは、人間以外の物体の重力と運動量ベクトルを操作することができる。走る馬を止めるなど、造作もないだろう。しかし――

「それが……あの馬は俺と主従契約を結んでいてな。無属性アニマが働かないんだ」

(……なんだ、それは?)

 知らない情報だった。無属性アニマが効かないのは、人間に対してだけではないのか?

 今すぐにでも解消しておきたい疑問だったが、自分の服の袖がひょいひょいと引っ張られるのを感じた新一は、一先ず、彼女たちに彼のことを説明することにした。

「リリア、アーデルハイト。紹介する。彼が、このハルトマン商団を率いるミヒャエル・ハルトマン。俺たちの、エル・オーラムまでの足だ」

 新一が、目の前の商団を指差す。そう――彼らに紛れることこそ、新一が考えた最速の上洛プランだった。


「それにしても、無茶をしすぎですよ。新一様」

 商団の最後尾。エル・オーラムへと運ぶ荷物と共に揺られながら、新一から事の経緯を聞いたリリアーヌは気遣わしげに顔をしかめる。

「確かに、暴走する馬を素手で受け止めるとは正気の沙汰ではないな。しかもアニマも使わずに」

 アーデルハイトもやれやれと首を振る。

「人を引きずっていたから、それほど速度は出ていなかったんだよ」

 新一がそう弁解するも、

「そういう問題ではないだろ。ホントに……新一は底が知れないよ」

 と、アーデルハイトが今度は溜息をつく。

 確かに、迂闊だったと新一も思っている。あの馬に無属性アニマが効かないと分かっていれば、もう少し別の方法を取っただろう。

 しかし、そんなこと知らなかったのだ。だから、アレくらいは特に目立たないだろうと判断してしまった。不幸中の幸いは、新一の力をミヒャエルに示したお陰で、不意に彼らに襲われるリスクが減少したことだろうか。

 力がないものは、騙されるか、奪われる――そんな弱肉強食の理を『有り得ない』と一笑に付せられるほど、この惑星の文明レベルは成熟していなかった。

「それにしても、新一様はあまりアニマに詳しくないようですね」

 突然、リリアーヌがそんなことを口にする。思いがけない指摘に、新一の心臓が跳ねた。

「何故……そう思う?」

「だって、先程のミヒャエルの話。新一様はご存知無かったのでしょう?」

「……気付いていたか。参ったな」

 新一としては、顔には出していないつもりだったから、少し驚く。

「何? おまえ、あんな基本的なことも知らなかったのか?」

 どうやら気付いていなかったと思われるアーデルハイトが驚いたような、しかし少し愉しそうな声をあげる。

「……南方では、あまりアニマの理解が進んでいないんだよ」

 適当だったが、バレる心配は無いだろう。案の定、リリアーヌは頷いている。

「南方には、ルス・ティエラ教の教えが行き届いていないでしょうからね。仕方ありません」

「なるほど、そういう……ん? ということは、新一はあまりアニマが得意ではないのか?」

 アーデルハイトが痛いところを突いてくる。この星の住人は、成人していればほぼ例外なくアニマを使えるから、それが使えないとなればそれだけで不審だ。だからこの話題を新一は極力避けていたのだが……

(いや、しかし……逆に良い機会か)

 新一は、そう思い直す。今の話の流れに乗れば、『使えるけど苦手だから使わない』――という立場を手にすることができる。今後のことを考えれば、悪くないかもしれない。

「実は……な。弱味になるから、あまり周りには言わないでくれ」

 新一の告白に、アーデルハイトが何故か少し嬉しそうな顔をする。

「そうか、新一はアニマが苦手か。そうかそうか…………良かった、それならやりようによっては勝てるかもしれない」

 恐らく、後半は完全に独り言で、周りに向けての言葉ではなかったのだろう。確かに、ブツブツと呟く声はかなりか細くて、ほとんど声になっていなかった。普通の人間には、まず聞こえない。

 だが、新一は今、周囲の警戒のため聴覚感度を引き上げていた。更に、新一の目はアーデルハイトの口の動きを正確に読み取っている。アーデルハイトが口にしたことはほぼ正確に認識できてしまった。

(参ったな……ライバル視されているのか)

 と、新一は内心で溜息をつく。敵愾心を持たれているよりは数段マシだったが、注目される類の感情もあまり好ましいとは言えなかった。それは、面倒ごとの火種になり得る。

 だが、それも今更なのかもしれない。リリアーヌの側に控える時点で、新一に求められているのは純粋な武力だ。そして武力は、周りに誇示してこそ、抑止力としての力を発揮する。

(アニマ……本気で何とかしないといけないかもな)

 武力を期待されているからこそ、やはり周りが使えて自分だけが使えないというのは、不安要素でしかなかった。対処可能だと言っても、すべての状況でそれが当てはまるかもわからない。失敗は、即死亡であることを考えると、楽観視は許されなかった。

「そうだ。もし宜しければ、私がアニマについて詳しくお教えしましょうか?」

 そんな新一の思案顔を心配そうな眺めていたリリアーヌが、突然『思いついた』と言わんばかりに手を打つ。

「私、アーニャとは仲が良かったから、普通の人よりはアニマに詳しくてよ?」

「アーニャ?」

 新一は首を傾げる。

「聖女セラフィムのご本名だ。アナスタシア・ホーエンハイムという。そちらの名前は知らずとも、聖女セラフィムは流石に知っているだろう?」

 アーデルハイトが補足してくれる。幸い、その名前は知識の中にあった。

「あぁ。確か……ルス・ティエラ教の最高神祇官だったか?」

「えぇ、そうです。彼女とは、彼女がまだセラフィムの名前を継ぐ前から親しくしておりまして。と言っても、ここ十年ほどは親交がないのですが」

 ラインシュタイン城にいた頃の知己ということだろう。何にせよ、有り難い申し入れだった。

「それは助かる。アニマとルス・ティエラ教との関係について、詳しく知りたかったんだ」

 成人し、洗礼を済ませることで使えるようになる力。そのメカニズムは、是非知っておきたかった。

「任せてください。私がしっかりと講義してあげますから」

 嬉しそうに微笑んだリリアーヌが、ゆっくりと話し始めた。


「まずアニマについて、おさらいをしましょう。アニマとは、この世界に遍満している万物の種子を操作する力のことを指します」

 いきなり知らない情報だった。

「その万物の種子とは?」

「すべての物質の核になっている存在のことです。物質はすべて、この万物の種子に宿った想いによって生成、または破壊されます」

 恐らく、素粒子の一種なのだろう。新一の知識の中で、それと最も近しい存在はフェルミ粒子だった。

「人はアニマによって、この万物の種子に書き込まれている情報を書き換えることができますが、書き換え可能な内容が人によって異なってきます」

 この辺りは、何となくわかる。アニマの属性に繋がる話だ。

「その種類は、細かく言えば膨大な数になりますが、大別すると六種類に分けられます。光・闇・火・水・雷・無の六属性です。この中で、光と闇はとても特異的なアニマで、使える人が限られるか、ほとんどいません。無属性は洗礼を受けた人なら誰でも使えます。ここまでは良いですか?」

 新一は頷く。

「ではその属性についてですが、基本的にはルス・ティエラ教の洗礼を受け、顕現体に力が宿った段階で決まります」

「顕現体? ……それは初めて聞くな」

「そう言うと思いました。この辺りの話は帝国臣民でも詳しく知らない人は多いんです。何故洗礼を受けるとアニマを使えるのか――それは、顕現体に力が宿り、それが我々人間へと流れ込んでくるからです」

(なるほど、それが彼らの信仰か……)

 と、新一は理解する。そうなると、あまり突っ込んだことを聞くのも野暮だなと、新一は考えるが……相変わらずアニマと洗礼との関係性は不明なままだった。

「その洗礼の際は、何かを飲んだりするのか?」

 先日立てた仮説――特別な何かを摂取することで、血中にある例の細胞を活性化させる可能性を、確かめるための質問だった。

「いえ、神の前で宣誓するだけです」

 しかし、特にそう言ったことはないらしい。流石にこれ以上突っ込んだ話は聞けないし、これに関しては唯の分析結果を待つしかなさそうだった。

「……それで、何故顕現体に力が宿った段階で属性が決まるんだ?」

 気を取り直して、話を元に戻す。

「どうやら顕現体の属性がそのまま反映されるようです。ただ、顕現体によっては複数種類の属性のアニマを使うことも可能です」

「確かに、あの……エルピス騎士団か? あの連中にもそういう奴がいたな」

 同一人物から、電流と炎を撃ち込まれたことを思い出す。

「そうですね。エルピス騎士団には指導霊が憑いている人も多いと聞きますから」

「指導霊……それが顕現体の種類か?」

「そうです。神格によって、これは四種類に分類されます。まずは守護霊(ガーディアン)。ほとんどの人に憑いているのが、この顕現体です」

 そして、リリアーヌがチラリとアーデルハイトを見る。

「次に多いのは、先ほどの指導霊。ハイジに憑いているのも、この指導霊です。力の大小は様々ですが、ほとんどは二種類以上の属性のアニマを使えます。貴族位を持っている人の中に多いですね」

「身分に関係するのか?」

「そうですね……厳密に言えば、『家』にでしょうか。由緒ある家の子供にはやはり、高い位階の顕現体が憑きやすい傾向はありますね。ただ、あくまでも傾向です。村人の中にも、時にそういう子供は生まれますよ」

 家に関係する。それは恐らく遺伝が影響しているのだろう。

「そしてその上が、主天使です。この数は本当に限られています。何しろ、アジルバートの血縁者のみなんですから」

 アジルバートの血縁者……ということは、

「リリアにも、その主天使が?」

「はい、そうです。そして、実はそれがアジルバート帝国の皇帝の座に就く一つの条件になります」

 なるほど……精神的な血統書みたいなものか。

「さて、では最後です。最後にして最高位階の顕現体――それが、熾天使セラフィムです」

「『セラフィム』?」

 それは、ルス・ティエラ教の最高神祇官の名前だったはずだ。

「はい。最高神祇官の名前は、実はこの顕現体の名前から付けられています。というのも、代々の最高神祇官は、前任の最高神祇官に就いた熾天使によって指命されるからです」

 ……紛らわしい言い方をする。要は『前任の最高神祇官が指名する』ということだろうと、新一は理解する。

「ちなみに、この熾天使が憑いている人間、もしくは、その力を譲り受けた者のみ、光属性のアニマを使うことができます」

「ということは……それを使えるのは、同時代に一人だけか」

「そうです。ただ、能力もそれに見合って強力です。その力を持つ者は、時空間を透視することができるんです」

 ……時空間を透視する?

「どういうことだ?」

「分かりやすく言うと、離れたところの景色を見ることができ、また現在以外の時間にアクセスする――すなわち過去視や未来視ができるんです」

「……」

 俄には信じがたい情報だった。ルス・ティエラ教の権威づけのために流布されている情報と見て、間違いないだろう。

「あと、光属性の話が出たので、ついでに闇属性についても。この属性は、簡単に言えば破戒者の属性です。教団の教義に著しく違反した者――例えば殺人者などがこの属性に堕ちます。能力は、他人の精神に干渉することです」

「干渉? 具体的には?」

「よくあるのは、感情爆発です。特定の感情を増大させ、対象の行動に方向づけを与えます。例えば、暴動の扇動などですね」

「それは厄介な能力だな」

 為政者からすれば、たまったものではないだろう。

「えぇ。ですが、幸いそれほど力は強くないことが多いんです。煽動者アジテーターになるほどの人間は滅多に現れません」

 と、そこまで話したところで、リリアーヌが大きく伸びをする。

「少々疲れました。おおよそ、基本的なことは話し終えましたし、あとはその都度聞いてください」

 確かに、気づくと随分話し込んでしまっていた。新一はリリアーヌに感謝を伝える。

「いえ、構いません。新一様の弱点を埋めるのは、私のメリットですから。あと、もし良ければ、そのうち新一様のアニマも見せてくださいね。私の主天使が何かアドバイスしてくれるかもしれません」

 それを聞いた新一は、曖昧に笑いかける。最低限、無属性に見える何かを考える必要があるかもしれない。


 夕方。商団も移動を止め、ワイワイと夕食の準備に取り掛かる。この惑星には電気がないため、人工灯がほとんどない。自然、太陽と共に活動は停止する。

 思いの外、リリアーヌとアーデルハイトは一行と打ち解けているようだった。リリアーヌは持ち前の愛らしさで男女問わず惹きつけ、そしていつの間にか周りの人間が彼女にかしずく格好になっている。

 アーデルハイトは無愛想で通すかと思ったが、意外に人当たりが良く、特に傭兵の面々とは気があっているようだ。どうやら、新一に対する敵愾心は、ある種の特別だったようだった。

「お前さんのツレ、やっぱりタダモンじゃねぇな」

 輪の外から一行を眺めていた新一の隣に、いつの間にかミヒャエルが立っている。

「詮索はなし――じゃなかったのか?」

 新一は横目でミヒャエルを睨む。

「あぁ、分かってるさ。だからこれは詮索じゃなく、俺の感想だ」

 しかし、その視線に臆することなくそう前置きしたミヒャエルは、続けてこう言った。

「あの嬢ちゃんは、第四皇女だ」

 瞬間、ピクッと新一の手が動く。だがその手には、既にミヒャエルの手が添えられていた。

「気にするな。俺の独り言だ。まだ誰にも言ってないし、言う気もない」

(……何が目的だ?)

 ミヒャエルの真意を図りかねた新一は、ひとまず武力行使を見合わせる。ミヒャエルはその様子を満足そうに眺めると、再びその口を開いた。

「俺は商人だ。エル・オーラムを拠点にして手広くやってる。危ない橋を渡ることも多い。事実、何度も死にかけた。だがそんな時、決まって生命を守ってくれたのが情報だった。腕っぷしなんて関係ない。いくら強くても、死ぬ時は死ぬんだ」

 ミヒャエルが新一を見る。

「だから当然、第四皇女の噂も耳にしていた。幼い頃に、ボーデンシャッツ家に養子に出されたことも、近々上洛するということも……な。そして、そんな時に来たのがお前らだ。俺はすぐにピンときたよ」

(……そうだろうか?)

 と、新一は疑問に思う。上洛と聞けば、普通はもっと仰々しい一団をイメージする。しかも今の話を聞く限り、陽動で動いている大名行列の情報は当然入っているだろう。その情報を差し置いて、ただ帝都までの同行を頼んできた程度の村人の素性に、そこまでの確信を持てるだろうか?

「信じないか? まぁそうだろうな。普通はそんなこと考えない。だからこそ、俺の商団の奴らは微塵もあんたらのことを疑っていない。俺と同じ情報を持ってるくせしてな。だからこれは……俺の勘だ。俺の勘が怪しいと囁いた。それで、一応嬢ちゃんとも話をしてみた。そしたら、勘が確信に変わった」

 ミヒャエルが、商団の面々と楽しそうに話しながら、料理の手伝いをしようとしているリリアーヌに視線を向ける。新一もそれに倣う。そして改めて思う。この姿から、どうやって彼女が皇族――しかもクラウン=プリンセスだと思うことができるのか。

 アジルバート帝国は民主国家ではない。

 頂点に至高神エルを称え、その権威を借り受けて統治をしている皇族は圧倒的な権力者であり、単なる臣民とはもはや異なる人種である。しかもリリアーヌは次期皇帝。直接神の意を布く者だ。間違っても、商人階級の人間と口を聞くような立場にない。

「お前の言いたいことは分かる。あんな皇族はいない――だろう? そうだな。その意見には異論はない。嬢ちゃんは特別だ。外の世界のことも、そこに住む人間のことも、そして彼らが自分と何ら変わらない存在であることも理解している。それが、一度皇族の外に出た、嬢ちゃん特有の価値観なんだろう」

 そう。それがリリアーヌの特徴だ。何処の馬の骨ともしれない新一に『友達になりましょう』などと宣うような変わり者。

「だからって世俗に堕ちてはいない。それは話してみれば分かる。その立ち振る舞い、表情、言葉、その一つ一つに言い知れぬ気品が漂っている。そして仄かに薫る威厳の香りも。そこに嬢ちゃん特有の優しさと寛容さが相まったら、もうそれは立派な人徳だ。それに当てられちまった奴らは……ご覧の通り。知らないうちに嬢ちゃんの信奉者だ。俺は今まで色んな奴と会ってきたが、あそこまでの人たらしには会ったことがない。きっとああいう存在が、『生まれながらの王』って奴なんだろう」

 自覚は……ないでもない。

 新一自身、あくまで目的のためではあったが、彼女を助けたいという思いがまったくなかったかと言われれば、決して首を縦には振れないだろう。情に流されたつもりはなかったが、判断結果に何らかの影響を及ぼしたことは、否定できないかもしれない。

「それで俺もな、思っちまったんだよ。こんな王になら、仕えても良いかも……なんてな」

 少し照れくさそうに、ミヒャエルがそう結ぶ。

 それを見て、何故ミヒャエルがこんな話を切り出したのか、やっと分かった。別段、彼は新一たちを脅そうとした訳ではなかった。単純に協力したかっただけだったのだ。

 新一は、肩の力を抜く。

「……紛らわしい真似をするな、まったく」

「お前が勝手に変な勘違いをしたんだろ?」

 ミヒャエルが笑いながら、新一の背中を叩く。

「あとな、現実的な理由として、俺は役に立つぜ」

「何だ? 今度は売り込みか?」

「あぁ、だが同時にすこぶる真面目な話だ」

 そう言うミヒャエルは、言葉の通り、顔から笑みを消す。

「お前さんなら当然知っているんだろうが……お嬢ちゃんの立場は帝国内では決して良くはない。『昔、他家に出されたにも関わらず、中央の騒乱のドサクサで成り上がってきた』と、多くの人間がそう見ている。実際、彼女の支援者なんて、エル・オーラムじゃあ、現皇帝とその側近くらいだろう」

「現皇帝が支援者なら、問題ないんじゃないか?」

 帝国においては、皇帝は絶対権力者なのだから。

「それがそうでもないんだよ」

 しかし、意外にもミヒャエルはそれを否定する。

「今の皇帝には力がない。こんなこと、大きな声では言えないが、率直に言って皇帝の器じゃあない。特にこの乱れた世の中では駄目だ。配下の言葉を聞きすぎて優柔不断になり、猜疑心がないせいで子供の増長を許した。その結果が、先のクーデターだ。第二皇子の軍勢がたまたま遠征先に行かずに戻って来ていたから良いものの、そうでなければ皇帝が討たれていたかもしれない。それくらい、今の皇帝の直卒は少ない」

 ミヒャエルが溜息をつく。

「しかも今回のクーデターで更にその数を減らしている。まぁ第一皇子を筆頭に多くの有力者が消滅、もしくは弱体化しているから、今すぐに大事には至らないかもしれないが……今まで以上に有象無象が権力の輪の中に入ろうと暗躍している。そして俺の情報では、その有象無象の多くは宰相に擦り寄ってきている」

「宰相?」

「あぁ、現皇帝の弟だよ。皇帝の直子ではないから皇位継承権は低いが、その資格はある。恐らく嬢ちゃんが何らかの理由で継げなくなれば、奴が次期皇帝の筆頭候補だろうな」

「どう考えても、胡散臭い奴だな」

「あぁ。だがどうやら奴には皇帝を継ぐ気はあまりないらしい。不遇の中にあった嬢ちゃんのことを思い出し、嬢ちゃんに跡を継がせるよう進言したのも、奴だったって話だ。しかも今回の上洛に際して、ボーデンシャッツ家に対して個人的な援助までしているらしい」

「援助? 何のために?」

「リシュアーナ神聖国による侵攻を阻止するためだ。ボーデンシャッツ領は、アジルバート帝国の外縁にして、絶対防衛圏だからな。抜かれたら一気に帝国が危うくなる。だが、上洛には人手と金がかかる。上洛を敢行しつつ、防衛に十分な余力を残すほどの力はボーデンシャッツ家にはない」

「だがそれは……帝国の安全のためには当然の措置だろう?」

 帝国が滅びてしまえば、元も子もないのだから。

「そうだ。だからそれを理由に、嬢ちゃんに継承させるのは止めようという意見があった」

「何だそれは。完全に難癖じゃないか」

「だがそこで宰相の鶴の一声だ。自分が必要なだけの軍隊と資金を援助する――とね。幸い、宰相は先のクーデターの際は北方に進軍していてほとんど被害が出ていなかったから、他の有力者と違って充分にその実力がある。反対できる者はいなかった」

「なるほど……そのお陰でリリアーヌの皇位継承の芽が残ったというわけか」

 確かに、宰相についての評価は、一度保留にしておいた方が良いかもしれない。

「とまぁ、こんな感じで、今エル・オーラムは混沌の最中にある。いくら嬢ちゃんが王の器でも、あそこでやっていくのは骨が折れるだろう。そこで、俺の出番ってわけだ」

 ミヒャエルがニヤリと笑う。

「俺は中央じゃ、そこそこ力がある。俺が本気で動けば、商人ギルドを丸ごと嬢ちゃんの側につかせることも可能だ。な? 悪い話じゃないだろう?」

 と、ミヒャエルがウインクする。確かに、帝都の商人を丸ごと味方にできるのは旨味がある。充分な売り込みポイントだった。

「話は分かったが……だが、俺の一存じゃあな。なにせ、俺もまだまだ新参で、別段発言権は――」

「歓迎しましょう」

 その時不意に響いた声が、新一の言葉を打ち消した。

「ミヒャエル・ハルトマン。私は貴方を歓迎します。貴方は――私に従いますか?」

 他の商人と雑談に興じていたと思っていたリリアーヌが、いつの間にか立ち上がり、こちらをじっと見つめていた。それは、初めて見る表情だった。

(そうか……こんな顔もできるのか……)

 少女とは思えない。もうそこには人懐っこい、愛らしい少女の姿は無かった。

 その雰囲気は、どこから見ても人の上に立つ者のそれであり、有無を言わさず、しかし、それでいて人を不快にさせない、絶対的な支配者の立ち振る舞いだった

「もう一度、問います。ミヒャエル・ハルトマン。貴方は私に忠誠を誓いますか?」

 まるで刃物のような鋭さを持った視線が、真っ直ぐにミヒャエルへと注がれる。

 リリアーヌのあまりの豹変ぶりに、そしてその威容に当てられていたミヒャエルは、その言葉でやっと我に返る。

 自分は返答を求められている。しかもそれは、ミヒャエル・ハルトマンとしてではなく、商人の代表として。

「……心より、忠誠を誓います」

 リリアーヌの意を悟ったミヒャエルは、更に一拍遅れて頭を垂れる。その瞬間、彼らの間の力関係が確定した。

「はい。働きに期待しています」

 リリアーヌが妖艶に微笑み、今度はその顔を、周囲で呆然とその様子を見守っていた他の面々へと向けた。

「さて、では皆さんにも問いましょう。貴方がたは、この私、リリアーヌ・フォン・アジルバートに従いますか?」

 その一言で、空気が変わった。今目の前に立っている女性が一体誰なのか――それを知った面々は、先の言葉が示す意味を、そして自分たちの代表が首を垂れたことの意味をようやく理解する。

 理解して、しかし彼らは迷わなかった。

 既に魅せられていたのだ。会って一日にも満たない、たった一人のこの小さな少女に。

 先頭の一人が、膝を折った。それを皮切りとして、次々と皆が彼に倣う。その様子は、まるでリリアーヌを中心として、同心円状に波が進んでいくようだった。

「ありがとう。皆さんの想いに、心よりの感謝を」

 リリアーヌも僅かに腰を折る。そして改めて、頭を下げたままのミヒャエルに向き直った。

「ミヒャエル。頭を上げなさい」

「は」

 恐縮し切った体のミヒャエルが顔を上げる。

「他の商人、そして傭兵の皆さんの統制は任せました。一先ずは、エル・オーラムまでの護衛が主任務になります。仔細はアーデルハイトに確認しなさい。アーデルハイト!」

「は」

 いつの間にか、リリアーヌの隣りに控えていたアーデルハイトが返事をする。

「彼らを貴女に預けます。ミヒャエルと良く相談し、すべて滞りなく進めなさい」

「心得ております」

 アーデルハイトが頭を下げる。その様子を無表情で見つめていたリリアーヌだったが、やがて『ふぅ』と小さく息を吐き――

 パンッ!

 ――っと、いきなり両手を合わせた。

「それでは皆さん。食事にしましょう? 私、お腹が空いてしまいました」

 まるで、さっきまでの出来事が嘘のように、その顔には可愛らしい笑みが広がっている。すっかり元の愛らしい少女に戻ってしまったリリアーヌを見て、周囲の人間はポカンと呆気に取られている。

(仕方ないな……)

 と、その様子を見た新一はやれやれと首を振り――

「リリア、まず手を洗え。さっきまで料理の手伝いで色んな所触っていただろう?」

 そう言いながら、リリアーヌに向かって歩く。歩きながら、近くにいた商人の一人に、

「水筒はあるか? お姫様が手洗いをご所望だ」

 と声をかけた。

「え? あ、あぁ……あるぜ!」

 その一言で、時間停止の魔法がやっと解けたその商人は、あたふたと慌てて動き出す。

「もう……私、そんなこと頼んでいないのに。新一様は、少し過保護過ぎます」

 一連のやり取りを見ていたリリアーヌのいじけたような声。その声で、場の空気が一気に弛緩した。

 止まっていた商人がようやく動き出し、思い出したように食事の準備に取り掛かる。元の喧騒が戻るのに、そう時間はかかなかった。

 リリアーヌはリリアーヌで、さっきまでと同じようにその輪に加わり、食器を並べ始めている。

「ホント……とんでもないお方に仕えることになっちまったよ」

 苦笑したミヒャエルがそう言って、背後から新一に近づいてくる。

「嬉しそうな顔をしているぞ?」

 ミヒャエルの方も見ずに、新一はそう答える。

「鏡でも見てるんじゃないか?」

 ミヒャエルも、新一の背中に向かって、そう答えた。


 食事――というより、もはや宴のような何かが終わり、皆がその片付けと就寝の準備に取り掛かっている。

 リリアーヌは、食器の片付けも一緒にやろうとしていたが、流石に周りの皆が恐縮し、今は少し離れたところから皆の様子を眺めている。

 それでも、時々作業する人に話しかけているようで、その度に、楽しそうな笑い声が風に乗って流れてきた。

 新一は、その声を後ろに聞きながら、中継機の設置作業を進めている。誰にも見られないように、人知れず集団から離れて、約二百メートル。気付いて追ってくる人は一人もいなかった。

 設置作業はすぐに完了した。早速、装置を起動させ、トライアドに向けて電波を飛ばす。

『ハロハロー。三日ぶりかな? そっちは特に問題無さそう?』

 聞こえてきたのは、唯の声。ホログラムだから、姿も映るはずだが、今は音声だけだった。

「声だけだが……カメラは切ってるのか?」

 新一は首を傾げる。

『うん。今お風呂上がりでまだ服着てないから。そ、れ、と、も……』

 ニヤッと笑う唯の顔が見えた気がした。

『見たいのなら、すぐにカメラの電源入れるけど?』

「見せてくれるのか?」

 間髪入れず、新一はそう答える。すると、何の返事も返ってこない。そのまま沈黙がしばらく続き、やがて……

『駄目……エッチ』

 と、小さな声が返ってきた。今度は、自爆して顔を真っ赤にしている唯の顔が、新一の目に浮かぶ。

『……何だか、楽しそうだね。そんな反応、新一にしては珍しい』

 やや間を開けて、唯のいじけたような声がスピーカーから聞こえてくる。

「そうか?」

『そうだよ』

 唯が断言する。

 こうまではっきり言われてしまうと、新一には反論の言葉が出てこない。自分では分からなくても、唯が言うのなら、きっとそうなのだろう。

『コホン……まぁ良いや。それで? そっちは特に問題ないの?』

 これ以上この会話に意味はないと思ったのだろう。唯は話を打ち切り、最初の質問を繰り返す。新一にも当然異議はなく、その話題に乗った。

「あぁ。今のところ順調だ。エル・オーラムまでの足は確保できたし、このまま行けば、無事期日までには辿り着けるだろう」

 一挙に商人と傭兵が二十人近く陣営に加わったのだ。危険が潜むようなことへの協力も取りやすくなったし、随分と上洛の難易度が下がった感がある。

『そっか。それは良かったね。私の方もあの細胞の分析に取り掛かったから、新一がエル・オーラムに着く頃には、きっと成果をまとめられると思うよ』

 心強い言葉だった。今日リリアーヌからアニマについて聞いて、益々この研究の重要性が高まっている。

「それは助かる。頼りにしてるよ」

『うん、任せて』

 その声と同時に、ホログラムが起動した。目の前に、唯の姿が映し出される。

「……恥ずかしかったんじゃなかったのか?」

 その姿を見て、思わず新一は目を逸らした。

『え? だからちゃんと服着てるでしょ?』

 唯がその場で軽くターンする。その動きに合わせて、薄い布地が軽やかに宙を舞った。

「……薄すぎじゃないか?」

 もっと正しく表現すれば、『面積が小さすぎ、かつ透けすぎではないか?』だったが、それを実際に口に出す勇気は新一には無かった。唯の格好はそれだけ扇情的だった。レースが至る所に施された水色の可愛らしいネグリジェなのだが、余りに薄すぎて下着のラインが少し浮き出ている。

『そう? 別に普通だと思うけど』

 唯が不思議そうに首を傾ける。

「……まぁ、お前が良いなら良いんだ。それじゃあ、他のみんなが待ってるから、もう切るぞ」

『うん、分かった。それじゃあ新一、頑張ってね』

「あぁ、唯もな」

 そう言って、新一は早々に通話をオフにする。

「まったく……唯の羞恥心の基準がまったく分からんな」

 新一は、先程の唯の格好を思い出しながら、そう一人愚痴る。新一の感覚から言えば、バスタオルで体を覆っているだけの方が、余程露出が少ないとさえ言えた。

 新一は自分の頬に手を押し当てて、普段よりも顔が熱くなってないかを確認した上で、皆がいる野営地へと戻って行った。


「……勝った」

 通話が途切れた瞬間、唯の口からそんな言葉が漏れる。そして次の瞬間、ボッという音と共に、顔が耳まで真っ赤になった。

「あぁぁ……恥ずかしかった……」

 唯はその場に崩れ落ちる。

 新一にやり込められた悔しさから、ついつい身近にある一番薄い寝巻きを着てカメラをオンにしてしまったが、途中からはあまりの恥ずかしさで、自分が何を言っているのかよく分からなくなっていた。

 よく最後まで、悶えずに平静さを装ったと思う。

「……装えてたよね?」

 改めて思い返してみると、ちょっと不安になってくる。顔の表情は平静でも、流石に赤くなってしまっていたかもしれない。

「でもまぁ……新一も焦ってたみたいだし、多分大丈夫か」

 唯はそう呟き、改めて自分の格好を見る。

「ていうか、これほとんど下着だよね」

 昨日、バイオ繊維を作れるようになり、試みに何着か仕立ててみたのだが、流石にこれはやり過ぎだった。昨日の自分は一体何を考えてこんな服を作ったのか……魔が差したとしか思えない。

「まぁ良いか……新一の焦る姿も見れたし」

 いつも冷静な新一が珍しく慌てていた。少し……可愛かった。

「フフッ」

 その時の新一の顔を思い出し、唯は一人小さく笑う。頑張った甲斐があったと、まだ赤みが引かない顔を綻ばせながら、唯はしばらくの間、幸せの余韻に浸っていた。


***


 その後の道程は、驚くほど順調だった。

 やはり、商団を丸ごと味方に付けたのは大きなメリットだった。各領地を跨ぐ度に大なり小なりの検問が設置されているのだが、商団の面々は慣れたもので、素早く、かつ自然にパスしていく。

 何らかの妨害を企図してリリアーヌの人相書きが出回っていることも想定していたため、検問中はリリアーヌとアーデルハイトを密輸品用の収納スペースに隠していたのだが、そのことがバレる気配はまったくなかった。というよりも、ほとんど調査らしい調査はなかったと言って良い。

『ハルトマン商団は各方面に顔が効くからな。検問なんてあってないようなもんよ』

 ミヒャエルは得意げにそう言って笑っていたが、恐らく、それは事実なのだろう。新一は今更ながら、あんな辺境の地でありながら、これほど力がある商団と出会えた偶然に感謝した。


「そう言えば、何故ミヒャエルはあの街に滞在していたのですか?」

 エル・オーラムの様子について、ミヒャエルに質問していたリリアーヌが思い出したように問いかける。丁度、新一も疑問に思っていたことであったため、自然と意識がそちらに向いた。

「あぁ。あの近くにミリス鉱山があるだろう? そこから採掘される赫灼石かくしゃくせきの仕入れに来てたんだよ」

 そうミヒャエルが答える。その口調は、あの夜以前と変わらない。

 『鯱張ったのは嫌いなんだ』というミヒャエルの言葉と『えぇ、構いませんよ。ただし、公私の区別は付けてくださいね』というリリアーヌの言葉で、その言葉遣いが許されることになった。と言っても、そんな図々しい人間はミヒャエルくらいなもので、他の商団のメンバーは皆、リリアーヌに対して敬語を使う。ただ、それは形式的な敬語では決してなく、親愛の意味を込めた敬語だった。そういう意味で、ミヒャエルも他の商団の面々も、本質的なところは変わらない。

「赫灼石! そう言えばあの辺りが名産地でしたね。今も積んでいるのですか?」

「あぁ。別の馬車だがね。今は戦時中ということもあって、需要は増える一方だからな」

 二人の会話を聞いていた新一は、初めて聞く石の名前に首を傾ける。戦で使う石――鏃などに使うのだろうか?

 分からないことがあるとすぐさま解消したいと思うのが、研究者の性だ。そして勿論、新一もその御多分に洩れず……躊躇うことなく、質問を口にした。

 それはしかし、やや軽率に過ぎる行動だったのかもしれない。続く平穏に、きっと気が緩んでいたのだろう。

「赫灼石とは、どんな石なんだ?」

「…………え?」

 新一の何気ない質問に、リリアーヌが目を見張る。その顔には一瞬驚きの色が浮かび、そして次の瞬間には、今までリリアーヌからは見たことがない感情が滲み出していた。

「……新一様。今、何と?」

 それは――不審だった。リリアーヌが、新一のことを疑っている。

 その顔で、その声で、新一はようやく自己の失言に気がついた。

 『赫灼石とは何か?』

 恐らくこの問いは、新一の出自からすると、あり得ない質問だったのだろう。事実、新一の出自を聞いていないミヒャエルは、リリアーヌの剣幕にポカンとした顔を浮かべている。と、なると――

(……南方か)

 新一は内心で舌打ちする。それしか考えられない。恐らく赫灼石とは、南方では当たり前に知られているはずの石なのだ。かつ、帝国臣民だったら知らなくとも不思議ではない石。ならば、それを知らない人間がどんな人間か……考えるまでもない。

(さて、ではリリアーヌならどう考える?)

 南方出身を偽称した帝国臣民。それだけならまだ良い。だが、新一はもう一つ嘘を付いている。そしてそこに思い至れば、芋づる式に一つの疑惑に行き着く。そして……聡明なリリアーヌがそれに気付かないわけがない。

「新一様……失礼ですが、アニマを見せてもらえますか?」

(来た……)

 新一は思わず目を伏せる。

 新一が付いていた嘘――それは、南方出身だからアニマが苦手だということだ。そしてそれが、新一がアニマを使わない理由になっていた。

 しかし、今その前提が崩れた。それでも、新一がアニマを使わないという結果は残る。ならば、その理由は何だ? 帝国臣民が、嘘をついてまでアニマの使用を秘匿する理由。

 そんな理由、一つしか思い浮かばない。そう――そんなことをするのは……破戒者だけだ。

「……」

 沈黙が、馬車の中を支配する。

(この場に、アーデルハイトがいなくて良かった)

 と、新一はふとそんなことを考える。今アーデルハイトは、エル・オーラムに入ってからラインシュタイン城に行き着くまでの道程と警戒体制に関して、傭兵団長と相談するため席を外していた。もし、彼女がここにいれば、既に新一は斬られていたかもしれない。

「ふぅ……分かったよ」

 新一は覚悟を決めた。事ここに至っては、アニマを使わない理由を、リリアーヌに説明して納得させられる自信がない。真実は当然話せないし、例え話せたとしても、信じてもらえるとは思えない。

 なら、見せるしかないだろう。闇属性とは違うアニマを使うところを。

「ミヒャエル。馬車を止めなさい」

 リリアーヌが王としての威厳を纏って、ミヒャエルに指示を飛ばす。ミヒャエルも事の重大さを悟ったのか、すぐに馬車を止めた。

「ミヒャエル。今回の件を今の段階で公にする気はありません。他の皆さんには、一度馬車に入るよう指示を出しなさい。貴方はその後、アーデルハイトを連れて、外にいる私の元へ」

「かしこまりました」

 ミヒャエルが軽く礼をし、指示を実行に移すために、馬車の外に出る。

「俺と二人っきりになって良いのか?」

 その様子を見つめながら、新一はリリアーヌに問いかける。すると、リリアーヌはその顔に薄く笑みを浮かべた。

「二人っきりであろうとなかろうと、貴方がその気になれば、私の首は既に胴には付いていないでしょう?」

 そして、リリアーヌは立ち上がった。

「では新一様、馬車の外へ」


「では、新一様。どのようなアニマを見せてくださいますか?」

 リリアーヌが顔に笑みを浮かべながら、しかしその目には厳しい光を宿しながら、新一にそう問いかける。

「残念だが、アニマが苦手というのは本当でね。あまりご期待には添えそうにない。そうだな……あの岩を持ち上げる――なんてどうかな?」

 新一はそう言って、三十メートルほど前方にある岩を指さす。

「無属性ですか。良いでしょう。元々新一様は、そう仰っていたのですから」

「お嬢様!」

 と、その時、ミヒャエルから話を聞いたアーデルハイトが走り寄ってきた。

「お嬢様。何が、どうなって?」

 しかし、アーデルハイトはまだ状況を掴めていないようだった。そんなアーデルハイトにリリアーヌは笑いかける。

「新一様にアニマを見せてもらうことになったんですよ。アーニャも、ここで一緒に見ていてくださる?」

「え? あぁ……はい。それはもちろん、構いませんが……」

 頭上に疑問符を浮かべているアーデルハイトを尻目に、新一は対象の岩に近づく。

 直径一メートルくらい。巨岩というほどではないが、生身で持ち上げるのは骨が折れるだろう。

 新一はその岩の形を確かめるように、岩のあちこちをペチペチと叩く。

「新一様。そろそろ宜しいですか?」

 リリアーヌの呼ぶ声が聞こえたため、新一はゆっくりと立ち上がり、その場を離れた。

 元の位置に戻った新一は、リリアーヌの方を見る。

「どれくらい浮かせれば良い?」

「そうですね……五メートルは浮かしてください。できるなら、その場で色々と動かして貰えると助かります」

「分かった」

 そう言って、新一は右手を構える。顔では平静を装いながらも、緊張で掌には汗が滲んでいた。果たして本当に上手くいくのか――こればかりは、新一にも予想できなかった。

(だが……やるしかない)

 新一は覚悟を決め、命令を発する。

 『Starting――Gravity Maniplation』

 瞬間、岩が重力に逆らった。


 目の前で岩が空中に浮かんだ瞬間、リリアーヌはその場に崩れ落ちそうになった。

 そのくらい、彼女は安心していた。

 新一が破戒者であるかもしれない――その想像は、思ってもみないほどにリリアーヌの心神を衰弱させていた。

 もし彼が本当に破戒者であれば、リリアーヌは決断を迫られることになる。クラウン=プリンセスに破戒者が近づくことの意味を読み違えるほど、リリアーヌは自分に甘くはなれなかった。

 新一が敵になる。それは、リリアーヌにとってはほぼ死刑宣告に等しかった。このタイミングでリリアーヌに近づいた破戒者が、その正体が露呈しても尚、リリアーヌを傷つけないと考えるのは楽観が過ぎた。

 しかし、リリアーヌの心を蝕んだのは、そんなことでは決して無かった。彼女は、そもそも自分の生死に対する関心が普通の人よりは薄弱であった。

『人は生きるべき理由がある故に生き、死すべき理由がある故に死ぬ』

 それが、リリアーヌの死生観であり、故に、もし自分が死ぬならばそれも天命――と、リリアーヌは半ば以上に本気でそう考えていた。もちろん、それは自身が全力を尽くした上での結果であることは、勘違いしてはいなかったけれども。

 だからリリアーヌは、自分が新一によって殺されることを懸念したのではなかった。

 彼女の心を傷つけたのは、新一が無抵抗の人間をこの場で殺す未来であり、彼女の心を痛めたのは、新一が大罪を犯すことになった過去の出来事であり、そして、彼女の心を千々に乱したのは、新一のことを大切に思う、彼女の只今の感情だった。

 そのすべての想いを背負って、リリアーヌはリリアーヌを装った。それはまだ十八になったばかりの少女にとっては、些か……いや、かなり大きな精神的緊張を強いた。

 だから、彼女はその場に崩れ落ちそうになる。きっと、隣に立つ従者が密かに支えてくれなければ、倒れないまでも、よろめいてしまっていたかもしれない。

(ありがとう。アーデルハイト)

 リリアーヌは心の中でそう小さく呟くと、もう一度背を伸ばす。

 リリアーヌは最後まで、リリアーヌでいなければならない。


 新一は岩を持ち上げ、そのままゆっくりと自分の方に移動させる。

 引力制御装置は、惑星探索における必須装備であり、その使用経験も一度や二度ではない。だが、無属性アニマを使っているように見せかけて、重力制御と、ついでに引力生成を操るのは、流石に骨が折れた。

 しかし、どんなに頑張ってみても真似できるのは所詮外見だけ。その動作メカニズム自体は、当然アニマと同じにはできない。それでも彼女たちの目を欺けるかどうか――それが、新一にとっての賭けだった。

 賭けと言えば、引力制御基盤を岩に取り付ける作業が怪しまれずにできるかどうかも、一つの難所ではあった。魔法のような力であるアニマとは違い、新一が引力制御を行うには、この基盤を対象に取り付ける必要がある。だがそれは、アニマ行使には不要な工程だ。まぁ例えそこを突っ込まれたとしても、『アニマを発動させる対象の感覚を掴んでおきたい』とか適当なことを言って逃れようとは思っていたが……

(さて、彼女たちの反応はどうだろうか?)

 新一は横目でチラリと、リリアーヌとそのすぐ横に立っているアーデルハイトを見る。

 二人とも無表情ではあったが、リリアーヌの顔がやや緩んでいるようにも見えた。確信はできないが、うまくいったような気がする。

 新一は、今度は引力を逆方向に発生させ、岩を元あった場所の上に戻すと、そのまま重力を復活させた。

 ダンッ!――という鈍い音と共に、岩が地面に落下する。ちゃんと元の状態に戻っているか、もう一度目を凝らして確認した後、新一はリリアーヌの方に向き直った。

「どうだったかな? 拙いアニマで恥ずかしいんだが」

 俺の言葉にリリアーヌは首を傾ける。

「そうですねぇ……」

 そして、アーデルハイトを見た。

「ハイジ。あなたにはどう見えましたか?」

「下手なアニマですね。新一が使おうとしない理由がよく分かりました。洗礼を受けたばかりの子供のように辿々しい。見ていてヤキモキしましたよ」

 相変わらず辛辣な言葉だったが、今はその評価が何よりありがたい。

「そうですか……ミヒャエルはどう感じました?」

 今度は、自分の斜め前に立つミヒャエルに問いかける。

「はぁ……まぁ俺もアーデルハイトと同じ意見ですかね……あとはまぁ付け足すとすれば、驚きましたね。俺はてっきり、新一はアニマも一流なんだと勝手に思っていましたから」

 少し砕けた敬語になったミヒャエルがそう答える。そしてその評価も概ね問題無さそうだった。新一の脅威判定は下げられたようだったが、既に味方になっている以上、さしたる問題ではない。

「分かりました。私もお二人の感想と大して変わりません」

 そして、リリアーヌが新一に向き直る。

「新一様、まるで疑うような素振り、失礼いたしました」

 そう言って、リリアーヌが深く腰を折る。

「いや、ホントに気にしないでくれ。リリアがそう思うのは当然なんだから」

 新一は慌ててそう答える。嘘をついている手前、謝らなければいけないのは、本当は自分なのだから。

「いえ、それでも。友を信じ切ることができなかったのは、私の不徳の致すところです。本当に申し訳ありませんでした」

 頭を下げたまま、リリアーヌはそう言うと、そこで一旦言葉を止める。そして、

「ただ……何故、赫灼石を知らなかったのか。その理由は説明いただいても宜しいですか?」

 顔を上げたリリアーヌの目が真っ直ぐに新一を見据える。それは、新一の内面までも見通そうとするかのように、鋭く、かつ透明な視線だった。

 その視線に晒された新一は、用意しておいた回答を披露することに、一瞬の躊躇を覚える。

(本当に、彼女に嘘をつき続けても良いのだろうか? 仮に信じられなかったとしても、それでも本当のことを話すべきではないのか? 本当のことを話せば、彼女たちはより協力的になってくれるのではないか?)

「……俺は南方でも、辺境の村の出身だ」

 しかし、新一の口から出たのは、予定していた言い訳だった。

「その村は実に閉鎖的かつ原始的で、外の情報はほとんど一切入って来なかった」

(何故?)

 新一は自問する。答えはすぐに見つかった。異端はリスクだからだ。非文明社会においては、特に顕著に。

「だからこそ、俺はそこから逃げ出した。もっと広い世界を知りたいと思ったから。唯一、漏れ聞こえてくるアジルバートという帝国がどんな所か、知りたいと思ったから」

 話しながら、新一は自分で納得した。そう――すべてを話すなど、馬鹿げている。何故さっきはそんな考えを持ったのか……やはり、緊張で冷静さを欠いていたのだろう。

「だから俺には知らないことが多い。アニマのことも、それ以外のことも。だから、色々と教えてくれると助かる」

 そして、今度は新一が頭を下げる。もうその頭には、先程までの疑問は残っていなかった。だから結局、気付くことはなかった。その理性的な解答の裏に隠された自身の感情に。実に不合理な、そして人間的な感傷に。


(何ででしょう?)

 リリアーヌは首を傾げる。

 新一の説明は一見、筋が通っていた。なるほど、そう言うことならば、赫灼石を知らないということもあるかもしれない。新一の今の状況にも納得がいく。

 しかし、納得がいくだけで、リリアーヌはこれっぽっちもそれが真実だとは思えなかった。

 だからリリアーヌは、疑問に思っているのだ。

 それは『何故、新一が嘘を付くのか』ではない。『何故、自分は新一を受け入れようとしているのか』だった。

 先程自分で言ったように、友は信じるべきだからだろうか? 馬鹿な。あり得ない。リリアーヌはそれほど理想主義者ではない。人の気持ちは変わる。そして、人にはそれぞれの事情が発生する。故に、他人である以上、過去の関係性に縋った信用など、あてにするべきではない。

 では、主天使による新一への評価故だろうか? なるほど、それは一定の理がある考え方だろう。主天使なら、リリアーヌが見えないところも見えているに違いない。そんな主天使が評価するなら、それは充分な好材料と言える。

 だが同時に、リリアーヌは自身の責任を他にすり替えるほど、卑怯な人間ではなかった。主天使と言えど、万能ではない。地上に降りた時点で、その能力は制約され、見える世界も大いに狭まる。間違える可能性も決して低くはない。

 なら、その声を入れるかどうかは、リリアーヌの責任によって為されるべきだ。事実、リリアーヌは一度新一を疑った。それは、疑わねば、責任を果たせないと思ったからだ。

 だから結局、ここに戻ってくる。

(何ででしょう?)

 リリアーヌは首を傾げる。リリアーヌは珍しく、自身の決定に――いや、自身の感情に戸惑っていた。

(何故私は、こんなにも新一様を失いたくないと、思ってしまっているのでしょう?)

 リリアーヌは気付いていなかった。自分が知らぬうちに、新一に惹かれ始めていることに。そしてその感情が、新一を失うかもしれないという恐怖によって、大きく膨れ上がってしまったことに。

 同年代の男性と親しく接したことがないリリアーヌでは、知る由もなかった。自分に宿った、この胸を締め付けるような情動が『恋慕』と言われる感情であることを。その感情は誰にでも向けられるものではない、特別な想いだということを。

 故に、彼女は戸惑う。この未知の感情の置き所が分からず、この未知の感情への接し方が分からず、途方に暮れる。

 だから、彼女は笑みを浮かべる。この想いが、彼女の意志を離れて、勝手に外に出て行かないように。


「分かりました。友人からのお願いですもの。喜んで、これからも教えて差し上げます」

 リリアーヌが微笑み、新一はホッとする。どうやら、この危機的な場面は乗り越えたようだった。

「何だかよく分からなかったが、取り敢えず良かったな」

 いつの間にか近づいてきていたミヒャエルがそう言って新一の肩を叩く。

「それじゃあ嬢ちゃん。もうそろそろ出発しても良いかい?」

 そして、すっかり口調も元に戻して、リリアーヌに向かって問いかける。

「えぇ。皆さんにもご迷惑を掛けました。それでは早速移動を開始しましょう」

 その声を合図に、皆が動き出す。新一も、自分たちの馬車に向かって歩きだした。

「おっと……」

 すると突然、腕に感じる衝撃と柔らかい感触。

「一体どうしたんだ?」

 そこには、腕に巻き付いて、はにかんだように笑うリリアーヌがいた。

「どうもしていません」

 そう言って、リリアーヌが歩き出す。

「……アーデルハイトが見たら、また発狂するぞ?」

「大丈夫。彼女は先に馬車に向かわせましたから。だから、馬車に乗り込むまでは、このままで」

 上目遣いにそう話すリリアーヌを前に、新一もそれ以上は何も言えなくなってしまう。

 結局そのまま、仲良く連なった二人の影は、馬車の影に隠れるまで離れることはなかった。

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