第二章
時が流れるのは早いもので、入学式から既に一か月という時間が経過した。
当初は二週間で新井柊を手懐け名門校へ一緒に転校する予定だったが、新井が登校しない日も多々あり、登校したとしても無視され続け進展は何も無いまま時間だけが流れてしまった。
自室で有栖川グループ傘下企業の業績データを確認していると、二度ノックされた。
「光莉か、入れ」
「失礼します」
深々と一度お辞儀をした光莉は部屋に入ると、
「マスター、こちらをどうぞ」
手に持っていた紙袋を差し出した。
「それはなんだ?」
「こちらは、漫画本です」
紙袋の中を覗き込むと、イケメンと美少女が表紙の漫画本が十数冊入っていた。
「この漫画が一体どうしたと言うのだ?」
「こちらの漫画はクラスメイトの吉田さんがお貸ししてくれたものです。マスターに読んで頂きたいのであらすじだけお話すると、不良で不登校の男子生徒を真面目な女子生徒である主人公が更生させ、恋愛に発展するという内容です」
「どうでもいいが、いつの間にクラスメイトと本を貸し借りする間柄になったのだ?」
「クラスメイトとは仲良くしろ、というマスターのご命令を実行しております」
やだ、優秀。
私などすれ違い様に「あっ」「いえ」「どうぞ」ぐらいしか話していないというのに……。
もしかして、私はコミュ障というやつなのか……?
「私も拝見させて頂きましたが、現状を打開する有効な手段が幾つも記載されておりました」
「そ、そうか。光莉が言うのであれば間違いないな。私も読ませて貰おう」
「終わりましたら、教えてください。もう一度読み返した後に吉田さんへ返却致しますので」
読み返す程ハマったのか……。
光莉は一礼した後に部屋を出て行った。
残された紙袋から一巻を探して取り出すと、私は椅子に腰かけて適当に読み始めた。
「入るぞ」
ノックをしてドアを開けると、光莉は部屋の中央で正座をしていた。
白い壁紙にフローリングという特に特徴の無い光莉の部屋には、白色のシーツを被せたシングルベッドしか無い。
ヒューマノイドなので睡眠は不要だが、ベッドは光莉が唯一要望した物だ。
夢を見てみたいという理由で要望されたベッドに光莉は毎晩横になっているらしいが、まだ夢を見た事は無いらしい。
「マスター。泣いているのですか?」
真っ赤に充血させた目で漫画本を返しに来た私に対して、首を傾げるヒューマノイド光莉。
「これは泣くだろう! 少女漫画とは、これほどまでに感動するものだったのか……私もこんな恋がしたい……っ!」
「それ程まで気に入って頂けて何よりです」
相変わらず無表情で漫画の入った紙袋を受け取る光莉、なんか温度差を感じる。
私は読み終わった漫画の感想について語り合いたいと言うのに、なぜこいつはこうも冷めているのだ? 機械だからか?
光莉も読み返す程ハマっている……よな……?
「マスターはどのシーンで感動されたのですか?」
キタキタキタッ!
「感動したシーンはいくつもあったが、特に感動したのは主人公の月(ルナ)の恋心に琉翔(りゅうと)が気付いて抱きしめるシーンだな!」
「なるほど。そうなのですね」
「いや、なるほどって! なるほどって貴様本当に読んだのか⁉ あのシーンめちゃくちゃ感動するだろ!」
「私はヒューマノイドなので、人間の感情というものがよく分からないです」
なるほど、光莉はハマったので漫画を読み返したかったのではなく、理解したくて読み返したかったのか……。
でも、こいつ結構感情的な行動する時あるような……。
「それはすまなかった。しかし、私はこの漫画『初恋バイオレンス』によって胸がキュンキュンするような作戦を幾つも思いついた! 感謝するぞ光莉!」
「…………マスター。……キャラが崩壊しております」
「キャラとか言うな! 早速明日から実行するぞ! 光莉ももう一度読んでおけ!」
「御意」
初恋バイオレンスを光莉に返した私は、明日から決行する新井に対してのアプローチを考えながら眠りについた。
少女漫画より授かった知恵を生かして、絶対に新井を私にメロメロにさせてやる!
ここは日の光も当たらない体育館裏。
普段はこの久礼野高校に通うヤンキー達のたまり場となっている場所だ。
光莉と二人で体育館裏に回ると、そこには三人の不良が煙草を吸いながら絵にかいたようなヤンキー座りをして駄弁っていた。
頭部の特徴から、ハゲ。ロンゲ。トサカと呼称しよう。
アポなしで来たが、居てくれて助かった。
ヤンキー達は人の足音に慌てて口に咥えていた煙草を捨てて、煙草の火を踏み消す。
足音の正体が教師ではなく、女子生徒二人だと分かった途端に三人のヤンキーのうちロンゲが強めの口調で話し掛けてきた。
「おい! ビビらせるんじゃねぇよ!」
「すまないな。驚かせるつもりは無かったのだが、急にタップダンスをし始めてどうした?」
「テメェ、なめてんのか?」
「おい、よく見ると二人共めちゃくちゃ可愛くねぇ?」
は? 遠目で見てもめちゃくちゃ可愛いだろ!
「バカッ! やめとけ! こいつ一年の有栖川だぞ! 外見はいいが中身はかなりキツイって評判の」
「キツイってなんだキツイって⁉ それ言っていた奴の名前全員教えろ!」
「ひぃっ!」
私に胸ぐらを掴まれたトサカは完全に委縮してしまった。
「へへっ、俺は多少キツイぐらいが好みだぜ」
トサカの首を絞めている私の肩を抱き寄せようとハゲが手を回してきたが、
「右手か左目、どっちがいい?」
「いだだだだだだ!」
右手を光莉に掴まれ、そのままねじ伏せるように地面へ組み伏せられた。
「ねぇ、右手? 左目? 答えないとどっちも潰すよ?」
「ひぃぃ! すみません勘弁してください許してください助けてくだひゃい」
「この汚い手で美桜ちゃんに触ろうとしたよね? 近づいて匂いを嗅いだよね? その臭い体臭で美桜ちゃんを汚したよね? 許せない許せない許せない」
怖い怖い怖い。光莉の奴、なんだか私に対する愛情が狂気じみてないか? もしかして人格データ変わってる?
光莉のあまりの気迫にハゲは失禁して気を失ってしまった。
「お前ら一体何しに来たんだよ⁉ 俺ら初対面なのに何でこんな仕打ち受けてんだよ! 意味わかんねぇよ!」
半狂乱になったロンゲが喚き始めたので、私はトサカを放り投げて本題を切り出す事にした。
「今日ここに来たのは他でも無い。貴様らに協力して欲しい事がある」
「この流れで協力する訳ねーだろ⁉ お前頭おかしいんじゃたたたたたた!」
「光莉、突拍子もなくアイアンクローをするのは止めろ。いい子だから、降ろしてあげなさい」
「えー」
「いだだだだだ! ミシッて、今ミシッていった! 頭蓋骨から鳴っちゃいけない音が聞こえたんだけど!」
渋々という様子でロンゲを解放する光莉。
「連れが失礼をした。君達が私に協力したくないと思うのも無理は無い。まずはこれを受け取って欲しい」
懐から取り出した茶封筒を地面で尻もちをつくロンゲへ投げ渡す。
恐る恐るロンゲが開ける茶封筒の中から出てきたのは、現金百万円。
「いや、怖えーよ! 一体俺達何させられるんだよ⁉」
「安心しろ。それは頭金で、成功報酬はその十倍だ!」
「だから金額じゃなくてね⁉ 金額じゃなくて何をさせられるか教えてくれよ! 恐怖も十倍になったわ!」
「貴様らには、これをやってもらう」
指を鳴らすと、光莉は一枚の特大コピーした紙を広げた。
それは、初恋バイオレンスの一ページ。
不良達が琉翔をリンチするシーンだ。
「俺達に誰かをボコらせようって事かよ……」
気に食わなさそうに吐き捨てるロンゲ。
「そうだ。新井柊という男子生徒を知っているか?」
「はぁ⁉ 新井だと! 無理に決まってんだろ! 逆にボコられて病院送りにされるに決まってんだろ!」
「なんだ、貴様達も新井を知っているのか?」
「知ってるもなにも、この辺の悪を片っ端から再起不能にしてるって有名だろうが! 被害者は全員両手両足の骨粉々にされてんだよ!」
「死者は出したのか?」
「さぁ? 知らねーけど、流石に人殺してたら少年院送りだろうし殺しはやってねーんじゃねーか?」
「そうか。力を制御出来ているようで安心した」
「どこが⁉ 完全に暴走してんだろうが!」
新井柊ほどの力があれば、少し力加減を間違えれば人間などアルミホイルの様にぐちゃぐちゃに出来てしまうだろう。
「良かったじゃないか。両手両足を失うだけで百万円も貰えるのだぞ?」
「庶民なめんな⁉ 圧倒的ハイリスクローリターンだろうが!」
ロンゲは強引に茶封筒を私に押し返してきた。
「すまないが、他人が一度触った金は触れない主義なんだ。返されても困る」
「おつりどうしてんの⁉ んな途方もない嘘吐くな!」
「……っち」
突き返された茶封筒を光莉に渡すと、名案を思いついた。
「そうだ! 折れた両手両足は切断して義手義足にするのはどうだろうか? もちろん全てこちらで手配しよう」
「いや発想がサイコパス過ぎる! 両手両足折られる際の激痛も考えろ!」
「わがままな奴らだ。結局、やるのかやらないのかどっちなのだ?」
「一ミリもやる素振り見せてないよね⁉ やんねぇよ! 絶対やんねぇ!」
ロンゲとトサカが全身を使って、ありとあらゆる素振りでやらない意思を表現してくる。
その様はまるで、ベッドの上で必死に何かを訴える赤子のようだ。
「そうか。では、私も無理強いはしない。どうしても嫌だと言うのであれば、貴様ら三人は今後一切、国内の公共交通機関が利用出来ないと思え」
「いやそれ無理強い! してるよ無理強い!」
「それでは邪魔したな」
この三人が協力出来ないのであれば、もうこの場所に用は無い。
私は光莉を連れてこの場を立ち去った。
「え、冗談だよね? 今日電車乗って帰れるよね?」
早歩きで立ち去った。
今時の不良とは、こうも根性なしになってしまったのか……。
体育館裏のハゲ、ロンゲ、トサカが期待外れだった為、私と光莉は『新井柊に怪我をさせて、手当してあげよう作戦』を見直す運びとなった。
屋上で弁当を食べていると、光莉が手を上げた。
「美桜ちゃん美桜ちゃん! 光莉名案があるの!」
「名案とは、まさかその恰好ではあるまいな?」
「その通り! この変装をして光莉が新井君をボコるの!」
光莉の言う変装というのは、リーゼントのカツラを被り番長が着てそうな学ランを着る事のようだ。
「しかし、それではもし顔を見られた場合に今後がやりにくいだろう」
「ちっちっち。それも大丈夫! 光莉に搭載されてるステルス機能の光の屈折率を調整すれば」
見る見るうちに光莉の顔が美少女からおじさんに変わっていった。
「お前そんな事出来たのか⁉ どこからどう見てもおじさんではないか!」
両手を腰に当てて、誇らしげに胸を張るリーゼントの小さいおじさん。
『どすこいどすこい』
なぜ力士なんだ……?
「こーやって! 声帯データを変えれば、声もおじさんに変えれるからバレる心配なし! 今日は新井君登校してるし、ボコりに行こ?」
「カラオケ行こ? みたいなノリで誘う事なのか……確かに、現実的に考えて新井に傷を負わせる事が出来るのは光莉しかいない、か?」
「新井君は常にカメラで監視してるし、下校中を襲うのが良いと思うの!」
「光莉? なぜそんなに楽しそうなんだ?」
「えへへ! 殺さないように頑張るね!」
光莉の笑顔が怖いのだが……。
放課後を待ち遠しそうにする光莉を横目に、私は嫌な予感がしてならなかった。
高校から新井の住むアパートまでは約二キロ、徒歩三十分といったところだ。
新井の通学路は田んぼばかりの田舎道で、民家はぽつぽつと建っている程度だ。
片側一車線しか無い道路、ろくに整備されていないような歩道を一人歩く新井を学校の駐車場に止めてある車の中から監視している。
車内に天井から吊るすように設置しているディスプレイに映している映像は、光莉の操作するドローンカメラで撮影中のものをリアルタイムで映している。
光莉は既に変装した状態で現場へ向かっており、車内には運転席に座る野沢(のざわ)と私しか居ない。
後部座席から光莉の登場を今か今かと待ち侘びていると、インカムから光莉の声が聞こえた。
『マスター。只今よりターゲットと接触致します』
「殺すなよ? 絶対殺すなよ?」
『…………善処します』
それっきり、光莉の声はインカムから聞こえなくなった。
新井に渡す為に用意した絆創膏を持つ手が震える。
まさか、光莉の奴本当に殺さないよな? 新井の事前情報から新井を普通の人間として認識しているのか不安だ。
光莉なりの配慮だろうか。インカムの切断と同時に、ディスプレイに映し出される映像が光莉視点のものへと切り替わった。
新井よりも少し早いペースで歩いて、新井の背中に近づいていく。
『おい、俺になんか用か?』
光莉の足音に新井が振り向く。
『どすこいどすこい』
振り返り様、新井の顔面目掛けてパンチを繰り出す。
初恋バイオレンスの不良がやっていたパンチと全く同じ角度、位置に拳を繰り出すその光景は漫画を完全に再現している。
『――――ッ!』
人間離れした速度で繰り出された光莉の拳を紙一重で躱す新井、その動きは人間のそれではない。
『面白れぇ!』
反撃と言わんばかりに新井が右ストレートを光莉の顔面目掛けて繰り出すが、光莉は左手の甲でそれを捌く。
流れるような動きで繰り出される光莉の足払いに、新井は転倒し後頭部をアスファルトに打ち付けた。
かろうじて頭部が打ち付けられるのは手でガードしていた新井。
息を吐く暇さえ与えない光莉は、転倒した新井に馬乗りになるとなんの躊躇もなく拳を振り下ろした。
光莉の拳を顔面で受けた新井は血を吐き出した後に、ニヒルと笑った。
『こんな重いパンチ受けたの初めてだ! ハハハハハッ! 楽しくなって来たなぁおい!』
容赦の無い光莉の連撃は止まることを知らず、目にも止まらない速さで連続パンチを新井の顔面目掛けて振り下ろし始めた。
『――――っな!』
『どすこいどすこい』
両腕でなんとかガードしている新井だが、ダイヤモンド並みに硬い材質で作られている光莉の拳を秒速十回ペースで叩き込まれ続けるのには流石に限度がある。
というか、一般人なら一発当たっただけで頭が風船みたいに割れるだろ……。
徐々にガードが緩んでいき、光莉の拳は新井の頬に何度か当たるようになってきた。
いやいや、やり過ぎ! これもう絆創膏じゃどうしようもないやつ! 救急車案件!
慌てて私はインカムで光莉を止める。
「やり過ぎだ光莉! 今すぐ撤退しろ!」
『どすこーい!』
私の指示を聞いた光莉はトドメと言わんばかりに、両手で拳を作るとダブルスレッジハンマーを新井の顔面に叩き込んだ。
小型の隕石が近くに衝突したかのような轟音が、学校の駐車場に止めてある車の中にいる私の耳まで直接聞こえてきた。
新井の下にあるアスファルトもまさに隕石落下地点のように大きな亀裂を走らせたクレーターとなっており、新井は頭部から出血。意識も完全に失っている。
「野沢! すぐに車を出せ!」
「了解しました!」
咄嗟に私は運転手である野沢に指示を出し、現場へ急行する。
光莉には現場は離れ、近くで待機しているよう命令を出してある。
返事からして不安だったが、まさか光莉があそこまでやるとは……。
新井が倒れている近くに車を止め、役に立たない絆創膏を握りしめ私は走った。
現場まで行くと、新井がクレーターの中央で倒れていた。
「おい! 大丈夫か!」
駆け寄って顔を覗き込むと、新井は意識を完全に失っていた。
「野沢! 救急車! いや、有栖川の医療班チームへ連絡し至急ヘリを寄越せ! 大至急だ!」
「畏まりました」
「……私のせいだ。私がバカな提案をしたせいでこんな……本当に、すまない」
上空からヘリのプロペラ音が聞こえるまで、私は新井の手を握って謝罪の言葉を何度も繰り返した。
医療班チームの話では、驚くことに命に別状は無いだけではなく骨折などもない。傷と言えば頭部の切り傷と全身の打撲だけだそうだ。
新井の無事を確認した後、気を失っている新井を病院から岐阜の家へ運び、今は私のベッドで寝かせている。
現在、私はリビングのテーブルで光莉と向き合う形で座っている。
相変わらず家では無表情の光莉は、真っ直ぐと私を見つめている。
「光莉、自分が何をしたのか分かっているのか?」
「はい、マスター。私は完璧に任務を遂行しました」
「うん、全然分かってないな。単刀直入に聞く、なぜ新井柊を殺そうとした?」
「マスター、私は新井柊を殺そうとなどしていません」
「していただろう! もし、新井柊が普通の人間だったら百回は死んでいたぞ!」
「普通の人間では無いことは、既にマスターもご存じではありませんか?」
「だとしてもやり過ぎだと私は言っているのだ! あんな重症の人間相手に絆創膏を持って走っていった私がバカみたいではないか!」
全く反省の意思を見せない光莉に対して、怒りを通り越して呆れてしまう。
「新井柊の耐久度で耐久可能と思われる攻撃しかしていません。実際に頭部の切り傷だけでしたので、絆創膏で十分対処可能だと思われます」
全く反省した様子を見せない光莉、今後の為にも光莉の行動をしっかり私が制御出来なければいけない。
「では、新井柊が今もなお意識を失っている現状も予想通りという事か?」
「それは予想外でした。トドメの一撃で脳震盪を起こしてしまったようです」
「あっ! 今トドメって言った! 貴様やっぱり殺そうとしていただろ!」
「言っていません。マスターの幻聴です」
「なんだと⁉ なら、光莉の自動録音データを再生してみせろ!」
「録音データのフォーマットを実行します。フォーマット完了まで三秒…………フォーマットが完了致しました」
「証拠隠滅するな! 最近全然言う事聞かないけど反抗期なのか⁉」
憤慨する私を前に光莉は相変わらず表情一つ変えないが、少し悲しそうな表情をしているように見えた。
「……私はマスターの所有物です」
「ああ、そうだ。その通りだ」
「もし、新井柊もマスターの所有物になったら、私はもう用済みなのでしょうか?」
まるで新しい弟が出来る姉のような心境を語る光莉。
いつからそんな人間みたいな思考をするようになっていた?
そもそも、今回の一件は私が提案して光莉はそれを実行しただけではないか。
いくら光莉がやり過ぎたと言っても、私にも責任はある。それを光莉一人のせいにして、私は大馬鹿者だ……。
私は光莉の目を見て、諭すように言う。
「そんな訳あるか。私にとって光莉はなにもよりも大切な存在だ」
「……マスター。今のお言葉を毎日十回は聞き返します」
「命令だ。録音データをフォーマットしろ」
「マスター、新井柊が目を覚ましたようです。自室へ向かわれた方が良いのでは?」
「露骨に話を逸らすな! 絶対にフォーマットしておくのだぞ!」
「念のためマスターの部屋の前で待機しておきます。繁殖行為は控えて下さいね」
「いや言い方⁉ 誰がするか! 貴様はそこでじっとしていろ!」
「御意」
返事はしたが、リビングで待機しているのか怪しいので念のため松前にも光莉を見張っておくように指示を出した。
まず何を言うか、そして何を言われるのか考えながら私は階段を上った。
自室の扉を開けると、ベッドの上に体を起こした新井が月明かりに照らされていた。
「誰だ? ここはどこだ?」
部屋の照明を付けると、新井は驚いた表情で私を見た。
「げっ、またお前かよ……」
「顔を見た第一声が『げっ』って、結構傷つくのだが……」
「そりゃ、学校行くたびに付きまとわれていたらな。ストーカーの次は拉致か?」
「失礼にも程がある! 私は道で倒れていた貴様を保護して治療してやったのだぞ!」
道で倒れる原因を作ったのも私なのだが、それは言う必要無いな。
「そうか、疑って悪かった。俺を見つけた時、俺しか居なかったか?」
「あ、ああ。私が貴様を見つけた時は他に誰も居なかった」
光莉は既に撤退命令を出して現場を離れていたし、嘘は言っていない。
「そうか。俺は負けたんだな」
「いや、その、負けたというかそもそも相手が……なぜ笑っている?」
今まで見た事の無いような笑顔で瞳を輝かせる新井に若干引く。
「だってよだってよ! 俺をぶっ倒した奴めちゃくちゃ強かったんだぜ! なんだよあれ人間じゃねーだろ!」
いや、君も相当人間じゃないけどね。
「俺より強い奴に会ったの久しぶりだから嬉しいんだ! 今度会ったらゼッテー倒す!」
光莉には今後一切の変装と『どすこい』を禁止させよう。
「気を失っている時は心配したのだが、元気そうで良かった」
「なんでお前が俺の心配をしてんだ?」
首を傾げる新井に私は口を尖らせる。
「その、私をお前と呼ぶのを止めろ。私には有栖川美桜という名前がある」
「お前も俺の事を貴様とかお前って呼ぶじゃねぇか」
「……では、私も今後名前で呼ぶから、私の事をその、美桜と……」
顔が熱い。私の心臓はどうしてこんなにドキドキするのだ!
俯く私に柊は小さなため息を吐いた。
「まぁ、良いけどよ。で、なんで有栖川は俺の事を心配してんだ? 散々俺に嫌がらせしてただろうが」
名前ではなく、苗字なのか……まぁ、良いけど。
「どうした?」
「な、何でもない! そして、私は決して嫌がらせなどしていない! 誤解だ!」
「毎日毎日付きまとって、意味の分からない事ばっかり言ってくるのが嫌がらせ以外何だ?」
「それは、確かに……嫌かもしれないな。だが、私のような美少女が相手だった嬉しいだろ⁉」
「じゃあ、お前はどうして俺に付きまとう」
「それは、その……二年前に助けてくれたお礼を言う為に……」
「それはもういいって言っただろ。あれは俺の為にやった事だ」
「だが! それでは私の気が済まないのだ……。それだけじゃない、私はもっと新井と話がしたい! そう、思っている……」
いかん、自分でも自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
落ち着け、深呼吸するのだ。
「……有栖川お前、もしかして」
真っ直ぐ見つめて来る新井に、私はますます顔が熱くなる。
「友達いないのか?」
「なんでそうなる⁉ いや、いないけども! いないけども今の流れでなぜそうなる⁉」
「なんだ? 違うのか?」
首を傾げる柊に私は言い淀んだ。
今、仮に私が告白したら新井は受け入れてくれるだろうか……。
口を閉ざす私に新井はますます不思議そうな顔で見てくる。
意を決して、私は俯いたまま新井に右手を差し出して、
「ちが、わないから。その、わ、私と、友達になってください……」
告白する覚悟を固めたが、最後の最後で日和って友達になってしまった。
「どうやら、俺は有栖川の事を勘違いしてたみたいだな。いいぜ! 有栖川には助けてもらった恩があるしな」
「本当か⁉ じゃあ、今度から私の顔を見ても『っげ』って言わないな?」
「気にし過ぎだろ……」
「今度から学校で話し掛けても無視しないな?」
「頻度にもよるけどな」
「私は新井に会いたいから、今後は毎日学校に来い。いいな?」
「ま、毎日か? 行く頻度増やすってのは……」
「駄目だ! 学校がある日は毎日来い! 来なかったらアパートまで迎えに行くからな」
「なんで俺の住んでるアパート知ってんだよ⁉ やっぱ有栖川って……ストーカー?」
「違う! 職員室でたまたま新井の住所が書いてある紙を見つけたのだ」
「個人情報の扱い雑過ぎるだろあの学校……わーったよ。学校には毎日行く」
「よしっ! なら約束だ」
小指を差し出す私に新井は照れ臭そうに、
「子供かよ……」
私の小指に小指を絡めた。
「これでよし!」
新井の小指を何度か上下に振った後に開放した。
「もう夜も遅いが夕飯食べて行くか?」
「いや、流石にそこまで世話になれない。そろそろ帰るわ」
ベッドから起き上がった新井は、ベッドのわきに置いてあったブレザーを持って部屋を出た。
帰り際、玄関で新井は私に頭を下げた。
「世話になったな有栖川。もし、どすこいって奴が居たら俺に教えてくれ」
「多分、どすこいって名前じゃないと思うぞ……」
玄関で新井を見送った後、キッチンからスパイスの良い香りがしてきた。今夜はカレーのようだ。
「あら美桜ちゃん、カレー好きなの?」
かつて無いほど上機嫌でリビングに入った私を見た松前の中で、私の好物がカレーに認定された。
「本日の道徳の授業は思いやりについて考える予定でしたが、急遽内容を変更します」
教壇に立つ担任の大川が黒板に大きく『虐めは犯罪』という文字を書いた。
「認めたく無いのですが、このクラスにある『虐め』について皆で話し合いたいと思います」
まさか、この私があまりにクラスで孤立をしているのを見て、虐められていると勘違いしてしまったのか? もしそうならば、この無駄な時間を早々に終わらせよう。
「大川よ。このクラスに虐めなど無いと思うのだが」
「大川先生でしょう! 有栖川さんは何度先生を呼び捨てにしてはいけないと言わせるんですか? 断言します。このクラスに虐めは行われています」
あれ? なんか怒られた。つまり虐めというのは私の事では無いのか?
クラスメイト達も大川の言う虐めというのが分からず顔を見合わせている。
そんなクラスメイト達の様子を見て、大川は大きなため息を吐いて頭を抱えた。
「どうして皆さんは、クラスメイトに『ぶぅ』しか言わない人が居ておかしいと思わないんですか! このクラスに太田(おおた)君を虐めている人が居ると私は考えています。心当たりがある人は挙手をしてください」
大川の言葉にクラスメイト達は手を上げる素振りを見せない。
私はクラスに関わらなさ過ぎて、太田というのが誰の事を指しているのか分からないので沈黙を突き通す。
数分の沈黙の後、クラスメイトの一人が声を上げた。
「太田君は最初から『ぶぅ』しか言っていませんでした」
「自己紹介の時はちゃんと喋っていました! 先生はしっかりと太田君のアニメとアイドルが好きという自己紹介を聞いています!」
教卓を手で叩く音に数人がビクッと反射的に反応し、完全に委縮してしまう。
誰も太田を虐めている犯人だと自白しない事に苛立ちを覚えた大川は、再びため息を吐いた。
「誰も名乗り出ないのなら、太田君から直接聞くしかありませんね。太田君、誰に命令されて人の言葉を喋らなくなったんですか?」
名前を呼ばれて席を立った太田というクラスメイトを見て、私は全身から冷や汗が流れるのを感じた。
何故なら、その男は入学式の日に光莉に話しかけて来た男子生徒だったからだ。
コブトリ、お前太田という名前だったのか……。
まずい、このまま太田が真実を告げれば光莉にいじめっ子の烙印が押されてしまう。
事実悪いのは光莉で、その烙印は押すべきなのだろうが、コブトリが人の言葉を奪われた原因の一端は私が光莉の人格データをドSメイトに切り替えた事にある。間接的に私の責任という事だ。
私は手鏡を使い、窓から差し込む光を反射させ光莉に緊急信号を送る。
手鏡越しに頷く光莉、どうやらちゃんと緊急信号は伝わったようだ。
思いがけぬ窮地にも、人類の叡智を集結させて作った最先端AIが味方であれば心強い。
「…………ぶぅ」
「いい加減その悪ふざけを止めなさい! もし止めなければ、ご両親にもご相談します」
「そん……ぶ、ぶぅ」
コブトリが喋ろうとした瞬間、光莉が凄い形相で睨んで黙らせた。
完全に光莉に怯えてしまった太田は着席した。
「分かりました。では今から太田君のご両親に電話をしてきます」
「待て、大川」
「先生を付けなさい」
「教育者として、それで良いのか?」
両腕を組みながら、疑問を投げかける私に大川は不服そうにも疑問を投げ返す。
「それはどういう意味ですか?」
「もし仮にコブト……太田が虐められていたとする。それが太田にとって何よりの喜びだとしたらどうする?」
「今すぐ病院に連れて行きます」
「それを高い金を払い、風俗街で遊ぶマゾな大人達にも言えるのか?」
「それとこれとは別でしょう」
「別なものか! つまり、大川は我々に生徒はこうであらねばならないという固定概念を押し付け、生徒一人一人の個性を潰そうとしているのだ。本当に教育者としてそれで良いのか? 教育者であれば広い心を持って、太田の個性を受け入れ育ててやるべきではないのか?」
「有栖川さん、貴方の言っている事は屁理屈というのです」
「残念だ。これだけ言っても分からないとなれば、行動に移すしかないな」
そう言って、私は光莉に合図を送る。
合図を受け取った光莉はスマホを持って大川に駆け寄り、画面を見せながら耳打ちをする。
途端、大川の顔が真っ青に青ざめた。
「このアカウント、クラスのグループトークに貼っておきますねー」
えっ、クラスのグループトークなんてあったの……?
「さ、佐藤さん? 本当に止めてくださいね? そんな事したら私の短い教師人生が一瞬で終わっちゃう!」
「えーなんでー? 先生の個性もみんなに知ってもらお? みんなは先生の個性見たいー?」
『みたーい!』
「やめてぇーーーー! 認めるから! 太田君の個性を認めますからぁ!」
結局、大川の裏アカを晒す晒さないの押し問答を繰り返しているうちに終業のチャイムが鳴り、大川は半泣きになって職員室へと帰っていった。
教室内はと言うと、ワールドカップで騒ぐ日本人サポーター並みの活気を見せていた。
「光莉ちゃん凄い!」
人として尊敬出来る行為では無かったがな。
「どうやって特定したの?」
光莉はインターネットに直接アクセスできる。アカウントの特定など用意だっただろう。
ちなみに、担任だけではなくクラスメイト達の全アカウントも光莉は把握済みだそうだ。
「なんで光莉ちゃんは倉之助(くらのすけ)なんて守ったの?」
コブトリ、お前本名太田倉之助だったのか……。
「大川先生の個性って何だったの?」
それは私も気になる……!
クラスメイトに囲まれる光莉は笑顔で一人一人に受け答えしている。
すると、今回の騒動の張本人であるコブトリも光莉に駆け寄った。
「ひ、光莉たん。さっきは庇ってくれてありがとうだぶぅ」
「え? 太田君は何で美桜ちゃんと同じ言葉喋ってるのー?」
「そ、それはどうしても光莉たんにお礼を伝えたくて」
「そっかー。じゃあ、ご褒美をあげないとね」
「え!」
光莉の口から出たご褒美という単語に目を輝かせるコブトリ。
光莉は鞄から鎖の付いた首輪を取り出すと、コブトリの首に付けた。
カバンから本来ロープ止め用として使われるような先端が丸くなっている杭を取り出すと、コブトリの鎖を教室の床に打ち付けた。
「太田君は豚さんだから、一生そこで一年二組の家畜として生きてねー?」
「ぶぅ! ぶぅ!」
四つん這いになって全身で喜びを表現するコブトリ、私は大きな過ちを犯してしまったのかかもしれない。
そして、その光景をまるで微笑ましいもののように見守るクラスメイト達も狂気じみた何かを感じる。
後日、教室に入ってきた大川がコブトリを見て悲鳴を上げた。
「どうして悪化してるのよ⁉」
今日も一年二組は平和だ。
「私は新井柊という男に恋をしているのかもしれない」
心地いい爽やかな風、通学路にはアジサイの花が咲き、日に日に強くなってくる日差しに初夏を感じる今日この頃。
衝撃のカミングアウトをする私を見る光莉の目は、死んだ魚のような目をしていた。
「えっ、今更?」
「え?」
「「…………」」
それから、特に喋る事も無く学校へ到着した。
「そもそも、美桜ちゃんは柊君が好きだからこの学校に来たんじゃないの?」
下駄箱で上履きに履き替えながら、唐突に的外れな事を言ってくる光莉。
「いや、私も自分が何を言っているのかはよく分からないが、最初は恋かな?って感じだったのが、今は好きだぁ!って感じになったのだ」
「だから、なに⁉」
「いや、別に、なにって訳じゃないが……」
一年二組の教室がある南館の三階へ上る階段を上りながら、どう光莉に私の心情を伝えようかと考えていると、
「そうだ! 新井が今日も学校に来ているのか確認しに行かねば!」
「えぇ⁉ 今から行くの⁉ 始業前に行くのは嫌がられるんじゃ……」
二階から三階へと上がる階段の途中で引き返し、渡り廊下を渡って二階北館、二年生の教室がある場所へと向かう。
「新井君なら学校に来てるってばー。美桜ちゃーん」
「直接この目で確認しなければ気が済まないのだ!」
「それって、ただ単に会いたいだけなんじゃ……」
「そうだが⁉」
「開き直った!」
上級生の間を縫って歩くように、二年四組の教室へ向かう。
例の不良達も私の事を知っていたが、どうやら私は本当に有名人みたいだ。
私のような美少女が来ているというのに誰一人話し掛けて来ないどころか、目線さえ合わせない。
私の性格がキツイというデマを流している奴は早々に折檻せねば、新井の耳にも私の良からぬ噂が入ってしまう。
二年四組の教室に到着すると、手前側の出入り口から教室内を覗いて新井を探す。
「光莉や光莉」
「なんでしょう美桜ちゃん」
「新井の席が私と同じ窓側の一番前なのだが、これは運命だろうか?」
「ただの出席番号順だと思うよー」
「いや、これは運命に違いない」
「聞いてないよねー」
まだホームルーム前の朝だと言うのに、机に突っ伏して寝ている新井は私を超えるボッチ力の持ち主に違いない。
新井がボッチだった事に安心したような、心配なような複雑な心境で居ると一人の女子生徒が新井に話しかけて来た。
眼鏡を掛け、スカート丈も長いいかにも委員長という風貌の女に声を掛けられた新井は、ぎこちない笑顔で応対している。
「光莉や光莉」
「なんでしょう美桜ちゃん」
「なんか、新井と親しげに喋っている女が居るのだが」
「そうだねー。しかも清楚系で美人でおっぱいも大きいねー」
神よ。もし貴様が存在するなら言ってやりたい。
眼鏡で巨乳で三つ編みで清楚で美少女とか全男子のストライクゾーン直球ど真ん中みたいな存在を作るな、と。
「ヒロインが私以外に居るとか聞いていないのだが⁉ 私は一体新井にとって何なのだ!」
「ただのストーカーだと思うよー」
「仕方ない。最終手段だが、あの女を光莉の最大火力で消すしかないか……」
「落ち着こう美桜ちゃん! 巨乳眼鏡さんだけじゃなくて日本も無くなっちゃう!」
くっ、私はここで指を咥えながら見ていることしか出来ないのか……。
「新井君が学校に来てる事は確認したんだし、もうそろそろ教室行こうよー」
「いや、敵を前にして逃亡するなど有栖川家の名折れ!」
意を決して、私は二年四組の教室へと入り新井の元へと向かった。
私に気付いた新井は爽やかに笑って手を振った。
なんだそれ、可愛すぎる。好き。
「さては、早速俺が学校に来てるか確認に来たな?」
「ま、まぁな! ちゃんと来ているようで関心したぞ」
やばい、ウェルカム体制の新井が嬉しすぎて顔がにやける。
「もしかして、あなたが柊君の言ってた有栖川さん?」
なんだと? こいつ、今新井の事を下の名前で呼んだか?
興味津々といった様子で私に話しかけて来る委員長。
「そうだが、貴様は何者だ? 新井と仲が良さそうだが」
「私は学級委員の天堂詩織(てんどう しおり)。全然学校に来ない新井君が珍しく登校して来たから、どうして学校に来る気になったか聞いてたの。そしたら有栖川さんに言われたからだって」
「詩織、余計な事言うんじゃねぇ!」
「だって、あの問題児の新井君が下級生の女の子の尻に敷かれてるのがおかしくって」
し、詩織だと……? 私の事は美桜じゃなくて有栖川なのに! 文字数がやたら多いにも関わらず苗字呼びだと言うのに……っ!
「ふっ、ふふっ、良いだろう。貴様がそのつもりなら勝負だ天堂!」
「なんで⁉ 私有栖川さんの事怒らせるような事言った⁉」
「おっ、喧嘩か! 面白くなって来たなぁ!」
「柊君もなんで嬉しそうなの⁉ 私は有栖川さんと仲良くしたいだけなのに!」
「その手には乗らんぞ、仲良くする素振りを見せて寝首を掻くつもりだろう」
「詩織ってなんか狡猾そうだもんな」
「もう! 二人共怒るよ! 有栖川さんはもうすぐチャイム鳴るから教室に帰る!」
「放課後、迎えに来るから逃げるなよ天堂!」
教室から出るように出入口を指さす天堂に捨てセリフを吐いて、一年二組の教室へ向かった。
途中、ホームルーム開始のチャイムが鳴ってしまい、光莉にジト目で睨まれたのはここだけの話。
放課後になり、私は一目散に二年四組へ向かった。
教室内には律儀に新井と天堂が待っていた。
「天堂、逃げずに待っていたのは褒めてやる。二人共ついて来い」
二人を連れて向かったのは、南館の二階にある視聴覚室だ。
教師共への根回しや、会場の用意は既に光莉に任せてある。
「あのー、私一応先輩なんだけど……」
「どうした天堂? 何か言いたい事でもあるのか?」
「いえ、ないです……」
「なぁ、有栖川。勝負って何するんだ? 殴り合いじゃないのか?」
「殴り合いでは、空手五段の私とでは勝負にならないだろうからな。今回は別の物を用意した」
「有栖川って強いのか⁉ 一回俺と組手しようぜ!」
「新井と組手なんぞ命が幾つあっても足りるか! 私はか弱い乙女なのだ!」
「はぁー、つまんねーなー」
視聴覚室のドアを開けると、カーテンが閉められ薄暗くなっていた。
視聴覚室に設置されているプロジェクターからスクリーンへ投映されているのは、とあるゲーム画面。
「有栖川さん、まさか対戦って……」
スクリーンに映された映像を見て、天堂は言葉を失う。
「当然! ハリカーだ!」
ハリカーとは、正式名称はハリオカート7。国民的キャラクターであるオーバーオールを着たハリネズミのおじさん、ハリオとその仲間達を操作して戦うレースゲームだ。
「良いのか、有栖川? ハリカーで俺に挑むのは無謀だぜ?」
意外と新井がやる気になっている事に驚いた。
まさか、こいつ学校休んで家でゲームばっかりしてたんじゃ……。
「あっ! 美桜ちゃん達きたー!」
プロジェクターの角度調整を終えた光莉がやってきた。
「紹介しよう。私の使用人をしている佐藤光莉だ」
「初めまして! 佐藤光莉です! 今日はよろしくお願いします!」
「おう! よろしくな光莉! 俺は新井柊だ」
「よろしくー柊君!」
ちょっと待て……光莉も名前呼びだと……? なぜ、なぜ私だけ苗字なのだ!
「初めまして佐藤さん。でも、学校でゲームなんて大丈夫なの?」
「大丈夫です! 光莉は先生達の個性いーっぱい知ってるから、視聴覚室貸してーって言ったら好きに使っていいよーって言ってました!」
「そ、そう。それなら良いんだけど……」
学級委員なだけあって真面目な天堂は落ち着かない様子だったが、対して新井は早速やる気のようだ。
「では、この勝負のルールを説明しよう。勝負は一発勝負、一位でゴールした者が勝者となる。景品は新井との一日デート券だ!」
光莉は頭上に『デート券』と書かれた黄金のチケットを掲げた。
「待て待て、それは一体誰の得になるんだ?」
「「なるでしょ!」」
私と天堂の声が食い気味にハモる。
「新井以外の三人が勝った場合は、勝者が新井とデートする権利を得る。もし、新井が勝った場合は私達三人の中から好きな女とデートが出来るぞ」
「既に俺が誰かとデートする事は決まってんだな……まぁ、とりあえずやろうぜ!」
早速コントローラーを握りしめ、とにかくゲームをしたい少年のような新井が尊い。
各々好きなキャラクターを選んで、ステージはランダムを選択しレースが始まる。
既に勝敗は決まっているとも知らずに、天堂め……馬鹿な女よ。
今回のゲームは私か新井が優勝すれば、私達のデートはほぼ決定している。
何故なら、新井は私達三人の中で私を選ぶに決まっているからだ。
昨日あんなに仲良くお話したし、それは間違いないはず……!
という事は、光莉が優勝せずに天堂の足止めに徹すれば確実に勝てる。
スリーカウントの終了と同時に一斉にカートが走り出す。
流石、新井は自信があっただけあり早い。
しかし、私も立派なボッチとしてハリカーは相当やりこんでいる。
一つ想定外だったのは、天堂が普通に弱かった事だ。
「あれ? あれれー? 逆走してるって出るんだけど、どうやって前に進むの?」
「やるじゃねぇか有栖川!」
「新井も流石言うだけはある! だが、背後を取らせるのは失敗だな」
ミサイルアイテムを使い、新井の車を爆破し追い越す。
しかし、私の放ったミサイルを食らっても新井の車は無傷で進み続ける。
「なんだと⁉ 一体何が起こった?」
「知らないのか有栖川? バナナガードってやつだ」
「クソッ! 小癪な奴め……」
必死の攻防を繰り広げる私と新井の後ろを追い越さないギリギリで付いてくる光莉。
天堂はまだスタート地点で落下と救出を繰り返している。
遂にラップは三週目に突入し、レースもクライマックス。
現在一位は私、二位が新井、三位が光莉、四位が天堂という順番だ。
間違いなく、優勝は私か新井なので焦る必要などないはずなのだが、もしかしたら新井が私を選ばないかもしれないという可能性が脳裏を過った瞬間、私は本気で優勝を目指した。
理想的な展開としては二位になって、新井に選ばれたいのだが……選ばれなかった時を考えると怖い、怖すぎる。
最終ラップのゴール間近、
「食らえ有栖川! 俺の温存していたミサイルだ!」
「しまった!」
「任せて美桜ちゃん!」
新井の放ったミサイルが私のカートを捉える瞬間、光莉が背後から私目掛けて放ったミサイルと相殺された。
「はぁ⁉ そんなのありかよ⁉」
「よくやった光莉! 帰ったら頭なでなでしてやろう!」
「わっふー!」
結果、ハリカー大会は私の優勝という結果で幕を閉じた。
「ま、待って有栖川さん!」
「どうした負け犬? 遠吠えなら聞かんぞ?」
「もう一回勝負しない? やっと前進出来るようになったの!」
「…………諦めろ、貴様では何回やっても勝負にならん。今度は違う勝負で挑んでくるのだな」
「うぅー。悔しいぃー」
コントローラ―を握りしめたまま悔しそうに視聴覚室のテーブルに突っ伏す新井に、私は咳払いをしてから話し掛ける。
「では、優勝賞品を頂こうか」
「デートって、何するんだよ?」
「で、デートはデートだ! そんなの私が知るか! 貴様が考えろ!」
「へいへい。まぁ、ちょっとずるい気もするが負けは負けだからな! でも、デートどころか友達と遊びに出かけた事すら無いんだ。あんまり期待するな……って、なんで泣いてんだ?」
さりげなく、悲しい事を言う新井に私は思わず号泣してしまった。
そうだ、私はこいつの寂しそうな顔を笑顔にしてやりたくてここまで来たんだ。
「そうか、辛かったな。いっぱいデートしような」
「なんかムカつく言い方だな!」
「うんうん。そうだな。楽しもうな」
「だぁー! それ止めろー!」
ハリカー大会が終わった後、新井と天堂は先に帰らせ光莉と機材の片づけをした後に視聴覚室を出ると、視聴覚室の外で天堂が待っていた。
「なんだ、先に帰ったのでは無かったのか?」
「有栖川さんに一つ忠告をしておこうと思って、待ってました」
「忠告だと?」
作り物じみた笑みを浮かべる天堂に私は少し身構えた。
「貴方は悪い人じゃなさそうなので今は目を瞑りますが、お人形作りはほどほどにしてくださいね?」
そう耳打ちして、天堂は「それではまた明日」と言い残して去っていった。
まさか、奴は光莉の正体を知っているのか……?
今後も天堂詩織という存在には、十分注意する必要があるようだ。
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