第一章

 市立久礼野高校は、岐阜県久礼野市に存在する普通科の高等学校。

 生徒数は三百人程度で、一般的な高校と比べて少し少ない。

 校舎も特別広くもなく、狭くもなく、北館と南館に分かれている事以外は特に取り上げる特徴などは無い。

 強いて特徴を上げるなら校門から校舎までの間に桜並木があることだが、大体どの学校にもあるのでやはり特徴にはならない。

 久礼野高校を分かりやすく表現するならば『田舎にある普通の高校』というやつだ。

 久礼野高校まで我が家のある東京から毎日ヘリで通学するのも面倒なので、私は高校の徒歩圏内に家を建てた。

 百坪程度の小さな家だが、二人で住むには問題無いだろう。

 父上は例え仮住まいとはいえ、高度な防犯システムを搭載するべきでは無いかと言っていたが、同居する者が極光七型(きょっこうなながた)なので必要無いと断った。

 従者は一人居れば十分であり、この家には目的を達するまでの間しか住まない。

 私の計算では二週間程度で目的は達成するので、ほんの仮住まいなのだ。

 運命の登校初日。

私は自らの美しさをより引き立たせる為に、母譲りの艶やかな黒髪を結い身支度を整える。

 鏡に映る私はやはり美少女。圧倒的美少女。絶対的美少女。

 こんな田舎にあるちんけな高校の制服でさえも、私が袖を通せば美しく見えてしまうのだから、もう私の美しさはこの世界の理を捻じ曲げてしまっていると言っても過言ではない。

 おっと、あまりに自分が美しすぎてにやけてしまった。

 どうもこの、にやける癖だけは治らない。

「マスター。お出かけですか?」

「今から学校へ向かう。七型お前も付いてこい」

「御意」

 玄関前で待機していたメイドには、私の鞄を持たせている。

 私は手荷物を持たない主義なのだ。

「今日からお前は佐藤光莉(さとう ひかり)と名乗り私のクラスメイトだ。人格データはH―一〇四をセットしろ」

「分かりました!」

 デフォルトである無表情とは異なり、人格データを変更した光莉は少女的な愛嬌のある笑みを使いこなす。

 外見はあくまで平均的な女子高生を再現しており、茶髪のショートボブ。身長は157cm、スタイルも平均的に設計してあるが、機械人形だからか不思議なもので平均的外見のはずが美しい。

 当然、私の美しさの足元にも及ばないが、私の従者である事に必要な美しさのボーダーラインを超える程度の美しさは持ち合わせている。

「何をしている? クラスメイトなのだからメイド服では不自然だろう。制服は用意させてあるから着替えてこい」

「はーい!」

 元気よく返事をした後、光莉はこの場でメイド服のファスナーを下ろした。

「ここで脱ぐな! 自室で着替えろ!」

「はーい!」

 返事だけは元気の良い光莉は下着を露出したまま自室へと向かって行った。

 光莉に搭載したAIには、まだ改善点が多そうだ。


 なぜ始業式というのは、こうも形式的で退屈なのだろうか?

 体育館に集められ、偉そうなおっさんの話を聞かされる。

 この後は教室に移動させられ、ホームルームという名目の自己紹介だそうだ。

 教室というものは資料で目にしていたが、こんなに狭い中に四十人が机を並べて勉学に励めるのだろうか? おまけに空調の類は扇風機しかない。

 なぜこんな過酷な教育環境を日本政府は黙認しているのか、甚だ疑問だ。

 頬杖を付きながら、窓から空を見上げていると一人の女性が教室へ入ってきた。

「私がこの一年二組を担任する大川美沙(おおかわ みさ)です。では、出席番号順に起立して、自分の名前と出身中学校と好きな物を言って……」

 教壇に立つ二十代前半の女性教職員は、クラス名簿に目を落とすと一瞬黙った。

 きっと、出席番号の一番がこの私である事に疑問を持ったのだろう。

 このクラスには相川(あいかわ)と相沢(あいざわ)が在籍している為、順当に行けば私は出席番号三番になる。

 しかし、有栖川家の家訓として一番以外は許されない。

 この私が出席番号一番、そして従者である光莉は出席番号二番、その後五十音順という形式に変更させたのだ。

「……あ、えっと、じゃあ、出席番号一番の有栖川さん」

「はい。名前は有栖川美桜(ありすがわ みおう)、中学には行っていない。好きな物は無い」

「あの、もうちょっと真面目に……」

「はいはーい! 次は光莉の番だね! 一年二組のみんなこーんにーちはー!」

 耳に手を当てて返事を待つ光莉に、クラスメイト達は動揺し誰も返事をしない。

「あれれー? みんな緊張してるのかなー? こーんにーちはー!」

「うーん聞こえないなー。こーんにーち」

「光莉、人格データをG―四〇三に変更しろ」

「佐藤光莉と申します。生産国は日本。好きなものはご主人様への奉仕です。皆さま宜しくお願い致します」

 ほんのさっきまでのあほ丸出しな態度と打って変わって、淡々と自己紹介を終えた光莉は冷徹な表情で着席する。

 ぽかんと呆けた表情の担任教師、きっと他のクラスメイト達も同じような表情をしているに違いない。

「え、えーと、じゃあ次は出席番号三番の……」

 その後もクラスメイトの自己紹介が続いた。

 ホームルームが終わった後、各々帰宅を始めるクラスメイトの中、一人の男子生徒が光莉に声を掛けに来た。

「……あ、あの、佐藤さんってアニメとかアイドル好きなん?」

 気持ちの悪い笑みを浮かべながら声を掛けてきたのは、小太りの男子生徒。名前は憶えていないのでコブトリと呼称しよう。

 コブトリはどうやら、光莉のH―一〇四人格から何か勘違いをしているようだ。

「大変不快なので、公害並みの悪臭を放ちながら話し掛けて来ないでください。貴方のような存在がご主人様と同じ言語を使うのは許し難いので、今後は家畜のようにブーブー鳴きなさい」

「分かりましたぶー」

「は?」

「…………ぶぅ」

「目障りですので、消えて下さい」

 コブトリは光莉の罵倒に頬を紅潮させ、息を荒くしながら教室を出て行った。

「ご主人様の貴重な時間をあのような家畜以下の存在に……大変申し訳ございません」

「気にするな。それと、クラスメイトとは仲良くしろ」

「畏まりました」

 Hシリーズは活発でGシリーズは大人しいという説明を受けたが、どうやら人格データは制作者の趣味嗜好がかなり反映されているようだ。

 帰ったら、マニュアルを読み返す必要があるな。

「さて、生徒達が帰り始めている。目的を果たしに行くとしよう」

 光莉には予め標的の外見データをインプットしてある。

「既に遠隔カメラがターゲットを捉えております」

「場所はどこだ?」

「たった今、校門を通過したところです」

「一人で行く、近くで待機していろ」

「畏まりました」

 私の言う目的とは当然、あの少年に再び出会い交際を申し込ませる事だ。

 昔の私ならともかく、今の完成された美少女であるこの私が一声掛ければ、あの少年であっても土下座して交際を申し出て来るに違いない。想像するだけで口元が緩んでしまう。

「行ってらっしゃいませ、ご主人様。どうかご武運を」


 思い出の少年、もとい彼の名前は新井柊(あらい ひろ)。

 銀行員の父親と専業主婦の母親の間に生まれ、兄弟等は居ない一人っ子。

 家族は東京都新宿区に住んでおり、新井柊本人は高校進学を機に岐阜県久礼野市に転居。

 転居がきっかけで新井柊の所在地が把握出来たが、私は彼への接触をしなかった。

 何故なら、新井柊が私に向かって雑魚と言った時に彼は私に見向きすらしなかったのだ。

 つまり、当時の私では彼の眼中に無い存在だった。

 きっと今の私を前にしたら、緊張で上手く喋れないに違いない。

 そして、そんな新井柊に私は優しい言葉を掛けてあげるのだ。

 最初は友達からでも良いな。徐々に二人の仲で深まっていき、彼の表情にも笑顔が増えていく。時が経つにつれて互いを意識し始め、自然と交際に発展する。

 うん、実に素晴らしい。パーフェクトな計画だ。

 限りなく実現可能な未来を想像しただけで、自然と早歩きになってしまう。

 下駄箱で靴を履き替えた私は、足早に校門に向かう。

 下校する生徒達が散在する中で、新井柊の後ろ姿を探すが見つからない。

「校門に来たが、一体どこに居るんだ……?」

 男子生徒一人一人の顔を確認するのは面倒だ。

 ポケットからスマホを取り出すと、光莉に電話を掛ける。

「光莉、私だ。ターゲットに目印を付けろ」

『了解』

 直後、下校している生徒達の中から一人の背中にレーザーポインタが当たった。

 照射角度からして、校舎の屋上から光莉が当てているのだろう。

 気が付けば私の足は桜並木の中をアルプスの少女のように駆け出していた。

 やっと会える! やっと会える! やっと会える!

 目印が付いた男子生徒の前に回り込み、両腕を組む格好で立ち塞がった。

 見知らぬ女子生徒が目の前に立ち塞がった事で、足を止める新井柊。

 その驚いた表情は間違いなく、記憶の中の少年――新井柊だった。

 男子にしては長い髪、常に不機嫌そうに細めた目。制服も気崩していて明らかに素行の悪い生徒という恰好をしている。

 二年前に会った時よりも大人っぽくなってる!

 そして相変わらず不機嫌というか、そこはかとなく寂しそうな顔をしてる!

 今すぐ頭撫でてあげたーい!

「…………邪魔だ、どけ」

 思わずぼーっと見つめてしまった私に対して、猟犬のような鋭い目で威嚇してくる新井柊。

「もしかして、私の事覚えてないのか……?」

「雑魚に興味ねぇって言ったろーが」

「えっ! お、覚えてるのか⁉」

 きゃーっ! 覚えていてくれた! やっぱりあの出会いは運命だったのだ!

「何笑ってんだ? 気持ち悪りぃな」

「き、気持ち悪いとか言うな! 私は貴様にお礼を言う為にわざわざ来てやったのだぞ!」

「あっそ、別にお前を助けるつもりとか無かったから、礼なんていらねーよ」

「なんなのだその態度は! 人の事を雑魚呼ばわりしたり、私のような美少女がここまで言っているにも関わらず不愛想な奴め!」

「美少女って……冗談だろ?」

「美少女だろうが! どっからどう見ても、完璧に究極に美少女だろうが!」

 憤慨する私を新井柊は憐れむような目で見ると、

「……可哀そうな奴だな」

 そう言い残して、歩き去っていった。

「おい、待て! 逃げるな卑怯者!」

 いくら呼び止めても、新井が振り返る事は無かった。

 当初の予定では、私のあまりの美しさにすぐ新井柊が土下座して、私に対して交際を申し込んでくるはずだったのだが……どこで間違えた?


 帰宅後。

 私は光莉に命令して緊急会議を開かせた。

「えー、只今より新井柊対策会議を始めます」

リビングにある丸テーブルを囲むように三人の天才が顔を突き合わせる。

「本日、進行兼書記を務めさせて頂きますのは、対国家用人型戦闘機兵『極光七型(きょっこうなながた)』改め佐藤光莉でございます」

「七型、佐藤光莉という名前は学校だけでいいのだが」

「いえ、マスターから頂いた大事なお名前ですので、積極的に名乗らせて頂きます」

「そ、そうか」

「では、本日のゲスト。料理研究家の松前(まつまえ)シェフです」

「なんだ、そのバラエティ番組みたいな紹介の仕方は」

「美味しい料理を作って皆さんの舌を驚かせたいわ」

 コック帽を頭に乗せた中年男性が妙に女性らしい振る舞いで席を立ち一礼する。

 なぜ料理研究家を呼んだのか、私には分からないが何か意図があるに違いない。

 コック帽みたいなの被ってる人が居るなと思っていたが、本当にただのコックだったのか。

「本日の議題は【新井柊を美桜様にどうやってメロメロにさせるか?】です」

「えーなになに? 美桜ちゃん好きな子いるの?」

「絡み方がうざいぞ松前! 貴様は親戚のおばさんか!」

「そうなのです、ミスター松前。マスターは新井柊という一つ年上の男子生徒に恋をしているのですが、本日アプローチしたところ見事に振られてしまったのです」

「振られてない! あれは、そう。ただ奴が私のあまりの可愛さに動揺してどこかに行ってしまったのだ」

「屋上から見ていましたが、マスターが女々しく何度も呼び止めているように見えたのですが……私の勘違いだったようです。念のため再度確認してみます」

 そう言って光莉はリビングの壁に掛けてあるテレビを指差すと、同時にテレビの電源が付いて映像が流れ始めた。

『おい、待て! 逃げるな卑怯者! コラー! 私を無視するなー!』

 映し出された映像は、屋上視点から撮影された放課後の私と新井だった。

「いちいち再生しなくていい! なんで録画しているのだ⁉」

「私は見たものを一か月分自動で録画しています」

「貴様は最新のレコーダーか⁉ なんだその機能! 要らないだろ!」

「あらま~若いって良いわねー。私も若い頃は好きな男子に積極的にアプローチしたわ」

「興味も無いし、聞きたくも無いわ! というか、貴様男ではないか!」

「あら、恋に性別は関係無いわよ?」

「流石、ミスター松前。言葉に説得力があります」

「無いだろ説得力! 職業は料理研究家だろう!」

 その時、キッチンから炊飯器が高い音を鳴らして炊飯の完了を知らせた。

「あら、お米が炊き終わったわね。下ごしらえは出来てるから、すぐにご飯出来るわよ」

 席を立った松前はキッチンへと姿を消すと、ものの数秒でキッチンから香ばしい香りがするステーキを持って来た。


「驚異的な速度の時短料理! もはや手品の領域!」

「落ち着いて下さいマスター。キャラが崩壊しています」

「キャラとか言うな!」

「まぁまぁ、そんなぷりぷり怒らないで、冷めないうちに召し上がれ」

 差し出されたフォークを強引に奪うと、私は一切れのステーキを頬張った。

「…………腹立つぐらい美味いな」

「まぁ、嬉しい」

 その後、オカマは人数分の料理を持ってきて夕食が始まった。

 もちろん、食事を必要としない光莉は、取る必要性が皆無の今回の議事録をノートにせっせと書いている。

 え、この会議の内容で書く事あるか?

 しばらくして、ふと何かを思い出したようにボールペンを持った手を止める光莉。

「マスター。松前シェフはマスター専属のシェフとして雇いました」

「なら何でさっき挨拶した⁉」

「本日の夕食前までにマスターに紹介しなければと思っておりましたので、効率的かと」

「ゲストって言っていたのは何だったのだ! まぁ、料理の腕は認めるので採用するが」

「まぁ! ありがと! 私も美桜ちゃんの恋、応援するわ! お弁当作ってあげるから好きな子と一緒に食べたら?」

「いらん! 余計なお世話だ!」

「では、今回の議事録を元に微力ながら私も新井柊対策プランをご用意させて頂きます」

 第一回新井柊対策会議は新井に振られた私の恋を応援するみたいな形になってしまい、不本意極まりない結果となった。

 第二回が開催されない事を心の底から願う。


 一晩明けた翌朝、毎朝決まった時間に体が勝手に起きる私は目覚まし時計の類を必要としない。寝起きから完璧な私は早々に身支度を整える、今日も美しい。

 思わず洗面台の前でにやけてしまう。

【本日、米露関係悪化に伴う防衛費用増額の議論について、少なくとも五兆円以上の増額は間違いないという方針を政府は発表し――】

 今朝のニュースも第三次世界大戦をほのめかすような内容ばかりで、実に不愉快だ。

 朝食の終えた私はコーヒーを飲みながら、対国家用人型戦闘機兵『極光七型』のマニュアルを読み返して分かった事がある。

 自己紹介序盤までのH―一〇四人格は歌のお姉さんを元にした人格データだった。

 その後、咄嗟に変更したG―四〇三人格はドSメイドを元にした人格データ。

 というように、人格データは必ずモデルと呼べるものがあった。

 学校に居る間のデフォルト人格データはH―四〇二で、元気な幼馴染という一番クセの少なそうな人格データに設定した。

「さて、ではそろそろ登校するとしよう」

「はいマスター」

「あ、待って待って美桜ちゃん。はい、今日のお弁当」

 無駄にマッチョな体をした料理研究家オカマこと松前が、エプロン姿でキッチンから出てくるとピンク色の風呂敷に包んだ弁当箱を差し出した。

「朝からご苦労! 光莉、受け取れ」

「はいマスター」

「気を付けて行ってらっしゃーい!」

 いや、お前は残るんかい。

 昨日会ったばかりのおじさん一人を家に残すという気色悪さを感じながら、私は玄関の扉を開けた。


 今日から普通に授業が始まり、大変退屈な学校生活が幕を開けた。

 出席番号が一番の為、席は一番前の一番窓際の席。今日も頬杖を付きながら空を見上げていた。

 今まで研究や鍛錬ばかりで、こうやってゆっくり空を見上げる時間など無かったな。

 ちょうど良い日差しが差し込み、春の陽気が眠気を誘う。

 次第に瞼が閉じていき、意識がゆっくり落ちていく――。

「――じゃあ、せっかくだから出席番号順で当てていこうかな。出席番号一番の有栖川さん」

「はーい! 答えは6でーす!」

「えっ、なんで佐藤さんが答えたの?」

「美桜ちゃんが代わりに答えるようにってー!」

「え、なに? 虐め? ちょっと有栖川さん起きなさい!」

 きゃんきゃんと子犬のように煩い教師に安眠を妨害された為、仕方なく瞼を開ける。

「今日は同じ理由でやたら当てられるので、命令した」

「クラスメイトを何だと思ってるの⁉ そんな命令しちゃダメでしょ?」

「光莉は私の所有物なので、命令するのに何も問題は無い」

「……佐藤さんはそれで良いの?」

「もっちろーん! 光莉は美桜ちゃんに命令されて幸せですー!」

「百合だ」

「百合だね」

「百合以外の何者でもない」

「…………ぶぅ」

 教室の彼方此方から「百合」と聞こえてくるが、今花の話はしてないだろう。こいつら頭おかしいのか?

 数学が担当科目だったらしい、クラスの担任である大川は苦悶の表情でこめかみを抑えた。

「えーっと、授業を再開します」

 さて、私も就業のチャイムが鳴るまでひと眠りしよう。

 四限の終わりまで寝て過ごした後、昼休みになった。

 昼休みは教室で過ごさなければいけないという決まりは無く、光莉と一緒に屋上に来ていた。

 新井のクラスは確か二年四組だったはず……。

 南館の屋上から双眼鏡で北館にあるはずの二年四組の教室を探していると、転落防止の柵を背もたれに腰掛けている光莉が弁当箱の風呂敷を開きながら、

「新井君なら欠席だよー?」

「なんだと⁉ では今日登校した意味が無いではないか!」

 衝撃的な一言に、思わず双眼鏡を落としそうになりながら振り向く。

「美桜ちゃんって、本当に新井君の事以外どうでも良いんだねー」

「そ、そういう事をいちいち言うな!」

「二年四組の人に色々聞いたけど、新井君学校に来る日よりも欠席の方が多いみたいだよ。はい、お箸どうぞ」

 箸を受け取り、松前が作った弁当を頂く。

 栄養バランスも考えられているその弁当は、やはり腹が立つ程美味い。

「うーむ、どうにか新井が登校するかどうか事前に知る方法は無いものだろうか」

「住んでるアパートに監視カメラでも仕掛ける?」

「それではまるでストーカーみたいではないか!」

「え? 同じ学校に通ってる時点でストーカーじゃない?」

「断じて違う!」

 こいつ、H―四〇二人格になると言いたい事を直球ストレートでぶつけてくるな……。

「もしかしたら、新井の人間離れした強さの秘訣は学校に来ていない時にあるのかも知れないな……」

「昔から美桜ちゃんは新井君が強いって言ってるけど、そんなに強いのー?」

「普通の人間が自動車をバウンドさせられると思うか? 正直、私は奴が人間かどうかも疑っている」

「もし新井君が人間じゃなくても、美桜ちゃんは新井君が好きなのー?」

 膝を抱えながら、上目遣いで顔を覗き込んでくる光莉。こいつ、そんな高等テクニック一体いつ覚えたのだ?

「当然だ! 人間かどうかなど些細な問題だ。生物学上一応私も人間だが、この美しさや持って生まれた才能の数々を踏まえると限りなく神に近い……って、顔を隠してどうした?」

「もぅ、美桜ちゃんは無自覚にそういう事言うんだから……」

 え、なんだ? 全然分からん。

「もし、新井君と光莉が戦う事になったらどっちが勝つと思うー?」

「聞くまでもなく光莉だろう。いくら新井が強いと言っても強さの次元が違う」

「良かった! 美桜ちゃんを守れなかったら大変だったよー」

「世界中の人間が束になっても、光莉は私を守れるから心配無用だ。ごちそうさま」

 弁当を食べ終わった私は、箸を光莉に渡して横になった。

 清々しい晴天の下、気持ちの良い春風が私の毛先をかすめた。

 腹が程よく満たされると、次第に眠気が襲ってくるのが生物というものであり、私はまだ神ではなく人間だと実感しながら昼寝を始めた。

「おやすみなさい。美桜ちゃん」


 翌日も新井は学校を休んでおり、新井と次に会えたのは翌週水曜日の事だった。

 朝、校門で新井を待つ事が既に日課となった私は、遠目で新井を見つけた時にはついついにやけてしまった。

「おはよう! 新井柊!」 

「……朝から勘弁してくれ」

「こんな絶世の美少女が挨拶しているのだ、おはようぐらい返したらどうだ?」

「あー、おはよう。じゃ、俺行くから」

「待て! ここで偶然会ったのも何かの縁だ。握手してやろう!」

「意味分かんね。お前って暇なの?」

 眠たそうな欠伸をしながら、どうでも良さそうに聞いてくる新井。

「暇とか言うな! 私は貴様に会う為に毎朝校門前で待っていたのだぞ!」

「偶然じゃなかったのかよ……」

「全ては貴様ともう一度話をする為だ! 前回貴様はこの私から逃げたからな!」

「……一体、何が狙いだ?」

 校門前に立つ私を壁ドンする新井。

 突然、新井の顔がほんの数センチまで近づいて来た事に私は顔が熱くなる。

「ちょ、ちょっと、近い! 近いからぁ!」

 新井を引きはがそうと両手で新井の体を押し返すが、ビクともしない。

「言え、一体お前は何が目的で俺に近づく?」

「はぁ⁉ も、目的⁉ 目的は、その何というか、貴様だ……」

「答えになってねぇ! 俺に何をする気だ? 何をさせる気だ?」

「する気⁉ させる気⁉ どんな気⁉ ない! ないない! 本当に私はただ貴様と仲良くなりたいだけであって……」

 恥じらう私から新井は離れると、

「どうだかな。白々しい」

 校門を入って行ってしまった。

 新井の壁ドンから解放された私はその場に尻もちをついた。

「……し、刺激が強すぎる……」

 その時、始業開始のチャイムが鳴り響き、私は二時間前から学校に来ていたのに遅刻した。


 壁ドンの一件以来、新井は露骨に私を避けるようになった。

 それは、よく晴れた心地の良い朝。

「おはよう新井柊!」

「…………」

 それは、夕日が綺麗な放課後。

「グッドアフタヌーンミスター新井!」

「……うぜぇ」

 それは、気の沈むような雨の日。

「今日は雨だな、新井」

「…………」

 校門前に傘を差して待っていたら、他人のフリされて素通りされた。

「なぜだぁ! 新井が私の事を無視する! 助けて光莉えもーん!」

「よしよし、それは美桜ちゃんの絡み方がうざいからだと思うよー」

「びぇ~ん!」

 休み時間、教室内で光莉に泣きつく私を見て見ぬふりをするクラスメイト達。

 クラスメイトの中では、私は関わっちゃいけない人という共通認識になっているようだ。

「なぁ、私はどうすればいいのだ⁉ どうすれば返事してくれるのかなぁ!」

「落ち着いて美桜ちゃん。メンヘラみたいになってるよー?」

 私の頭を撫でてくれる光莉の手は機械なのに暖かい。不思議だ。

「光莉はどうすれば関係を改善出来ると思う?」

「もう修復不可能じゃないかなー」

「諦めるなよぉ! 全人類の知恵と技術を結集させて作ったAIでもどうしようも無いというのか……」

「残念ながら、光莉に搭載されてるAIは戦闘用だからねー」

 みんなどうやって恋人関係に発展しているのだ! 光莉以上のAIを持っているとでも言うのか!

「そうだ! クラスの中で彼氏がいる子達にどうやって付き合ったか聞いて来てあげる!」

「なるほど、成功例を集めれば解決の糸口が見えるという訳か! 頼んだぞ光莉!」

「ラジャー!」

 知らない間にクラスメイト達と打ち解けている光莉は、クラスの女子生徒達に片っ端から話し掛けて情報を集めた。

 放課後、帰り道を歩きながら光莉は集計結果の報告を始めた。

「久礼野高校の女子生徒、百人にアンケートを取った結果、一番多かったのは『彼氏から告ってきた』でしたー!」

「絶対に不可能‼ 最近の女子高生はそんな楽な方法で彼氏作っているのか⁉」

「美桜ちゃんは新井君からの好感度マイナスだから、難易度高めだねー」

「くそ! どうして私ばっかり……」

「マイナスになったのは自業自得なんだけどねー」

 私は悪くないと思う。新井柊が普通の男子だったら私が声を掛けただけで交際を申し込んでくるはずなのだ……経験は無いが。

 光莉と話ながら、新井の好感度マイナス問題をどう改善するか考えていると私達の前に黒塗りのベンツが止まった。

 警戒するように光莉が私の前に立つと、停車した車内から一人の男が出て来た。

「お久しぶりです、美桜さん! この京宝院竹光(きょうほういん たけみつ)がお迎えに上がりました!」

 高身長でイケメン、女たらしを具現化したような金髪男が片膝をついて、私に手を差し伸べて来る。

「なんだ貴様。まだ生きていたのか?」

「生まれて一度も死の危機に瀕してませんが? まったく、美桜さんは相変わらず恥ずかしがり屋さんだなー」

「いや、貴様を相手に恥じらう道理が無い。目障りだから消えてくれないか?」

「久しぶりの再会なのに、辛辣! もしかして僕の事忘れちゃったんですか⁉」

「覚えているから辛辣なのだ。相変わらず阿呆だな」

「なら、僕との婚約の話も覚えているかな?」

 わざとらしい笑みを浮かべる京宝院に光莉が食いついた。

「婚約ってどういう事ですかー?」

「おや? そちらの華麗なレディ、お名前を伺っても?」

「光莉は佐藤光莉って言います! 美桜ちゃんの所有物です!」

「所有物……という事は、まさか極光七型……完成していたのか! どうして僕に教えてくれなかったんだい? 美桜ちゃん!」

「なぜ貴様に報告せねばならんのだ! 気色悪い呼び方するな!」

 光莉の呼び方を真似する京宝院に私は怒鳴る。

「なぜって、三大財閥の一つである京宝院家時期当主のこの僕は極光について知る権利があるだろう?」

「ただの派手好きのボンボンが偉そうに。行くぞ、光莉。阿呆と話していると阿呆がうつる」

「待ってー! 美桜ちゃーん! 婚約について詳しく!」

 京宝院の横を通り過ぎる私に、

「美桜さんには、とびっきりのサプライズを用意してるから楽しみにしていて!」

 何か意味深な事を言っていたが無視した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る