第3話 光の中で
春馬との出会いは、高校生の頃だった。
同級生ではあったが、人よりも本と向き合うのが好きな私と、対比するように、たくさんの人に囲まれた春馬。
交わることは無いであろうという関係が、ある日を境に一変した。
学校帰りに突然の雨に襲われ、濡れながら自転車を押していた私の背後から、春馬が走ってきた。
「津村さん!これ、俺のだけどさ、予備あるし、貸すよ」
雨傘を差し出し、爽やかな笑みを浮かべる春馬に、私は怪訝な表情を隠さなかった。
「別に、いいです。家、近所なんで」
頑なに受け取らないまま歩き出す私を見た春馬は、傘を広げると隣を歩き始めた。
「なんですか、勝手に」
自分のテリトリーにずかずかと侵入してきた春馬に、私は苛立ちを覚えたが、彼はそんなのを気にも留めず、傘の下から、空を見上げて言った。
「津村さんてさ、いっつも本読んでるよね。何読んでんの?」
「別に……普通の文学書です」
「俺、あんまり詳しく無いけど、昔読んだ『夏の庭』って小説がめちゃくちゃ好き。今でも読むよ。泣いちゃうから、家でね」
「……え」
その作品は、私が初めて自分のお金で買った小説だ。
思い入れが深く、何度も何度も読み返しては感動に揺さぶられ、涙を流した。
ある女性作家の代表作でもあるこの作品は、毎年夏休みの時期には店頭で推薦書として並べられる。
表紙を見るだけでも、胸の奥に熱いものが込み上げるほどだ。
「それ、私も好きです」
思わぬ共通点に、警戒心が解け、口を衝いて出てしまった。
「ほんと!?」
そして、私の返事が思いがけなかったのか、春馬も驚いたあと、くしゃっと笑いながら言った。
「ずっと聞いてみたかったんだ。俺、津村さんとずっと話してみたくて」
その日を境に、彼は私の推薦した本を仕切りに読むようになった。
また、私は彼が好きな音楽を聴き始めた。
義理のような気持ちで聴き始めた彼のおすすめの洋楽たちは、自分が思っていたよりも素直に入り込み、耳に残った。
彼は本のレビューを話しにきて、私は彼に音楽の感想を伝える。
学校に行くことが、急に楽しくなった。
そして、私の視線は、常に春馬を探すようになった。
目で追っていることに気づくと、彼はいつだって屈託のない笑顔を返してくれた。
私のような小さな存在など、彼のような人を惹きつける、お日様のような人にかき消されてしまうだろうと思っていた。
けれど、彼の放つ優しい光は、私のような人間すらも、優しく照らしてくれた。
彼のしてくれること全てが、嫌なことではなかった。
購買で差し入れを買ってきてくれたり、誕生日にはいつも本を読んでいる私に、綺麗な栞をプレゼントしてくれた。
これ一つを探すのに、隣町までたくさんで歩いたと、照れ笑いするか春馬に、
私はどうしようもなく惹かれていくのがわかった。
春馬という光の中で、徐々に私の塞ぎ込んでいた心が開き、彼と話している時に、笑うことが増えた。
私が笑うと、彼も同じように笑った。
夏祭り、同級生の何人かで花火大会に行こうと誘われ、集まった。
女の子のグループはみんなお洒落に浴衣で現れたけれど、持ち合わせの無い私は制服で出向いた。
女の子たちの中で浮いている私を、春馬がそっと人混みの中から連れ出し、丘の上まで登り、とっておきの場所から、ふたりで花火を見下ろす。
「綺麗……」
「ここさ、俺のお気に入りの場所」
「うん、すごい。風が気持ちいいし、それに、花火も綺麗」
「あのさ、津村さん。俺たち、付き合おうよ」
「え」
打ち上げ花火の下で、思いもよらない告白に動揺する私だったが、春馬はいつもの笑顔を絶やさずに言った。
「俺、津村さんと一緒にいる時が、1番自分らしくいられるから」
「私、そんなすごい人じゃないです」
「そんなことない。少なくとも、俺はそう思う」
クライマックスに近づこうとする花火の連射に、かき消されそうになりながら、私も、自分の気持ちを抑えることなく伝えた。
「私、私も、佐伯くんと、春馬と一緒にいると、自分が、いつもと違う人になれるみたいで、嬉しくて、楽しくて……でも」
こんな自分と、春馬のような、誰からも愛される人は釣り合わない。
そうささめく自分がいる。
「蛍」
それ以上何も言えない私の肩を、春馬がそっと抱き寄せた。
轟く花火の音はいつしか途絶え、静かな夜が戻り始めた。
暗闇の中、自分をそっと包む温かい腕を、私も、そっと抱きしめた。
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