烙印

SATAN・#12

◇◆──第二章、開戦。

          特別巻頭カラー──◆◇



    「SATAN─モモカと悪魔─」



 シラス&ルミル

      新たな物語シナリオが幕を開ける──。


    原作・大崎亜夢 挿絵・Elua


https://kakuyomu.jp/users/oosakiamu/news/16818093076975455489      [挿絵]


─────────────────────



      【SATAN・#12】



 灯りが無ければ、前すらも見えない程の漆黒。


 真冬の様な冷気がだだようこの場所は、死後の世界かと錯覚する程、どこまでも闇である。


 一歩踏み出す度に、ミシミシと小枝を踏む音だけが響く暗がりの道を、ランタンを照らしてただひたすらに進んだ。


 ここは魔界の西側に位置する『黒の森』。

 黒いマントを被った“悪魔の行列”が、森の奥へと突き進む。

 その数は十数。

 そして列の1番後ろを、ただひたすらに尾行し続ける。


 私は……裏切り者。


 戦争でもしに行く様に、張り詰めた空気をかもし出すこの行列は、一体何処へ向かうのだろうか……。


 その答えは、この世の何処どこかに在ると言われる場所、『裏世界』。

『反転世界』とも言われるその場所は、魔界とは全く別の文明を築いている、未開拓の世界という。


 亜空間を通り抜けなければたどり着けない程、どこか遠くの次元に位置するらしく、誰も見たことがない為、まだその真相は御伽話おとぎばなしに過ぎない。


 目的はそう、侵略戦争だ。

 悪魔の特攻隊を送り込み、その世界を乗っ取り、占拠地とする。

 そんな残酷な事を、悪魔やつらは実行しようとしているのだ。


 もう何日目だろうか。

 この暗い森の中、私は悪魔たちを尾行し続けている。

 体力に限界が来ている訳ではないが、少し疲労も感じ始めた頃だ。


 しかし、どんな状況であれ、私には絶対に果たさなければいけないことがある。


 何故ならあの石は、私にとって命ほど重い“形見”であるのだから──。

 

「ここか……」


 すると突然、先頭を歩く一匹の悪魔が立ち止まった。

 奴の名は『ゲルデリッヒ』。

 この行列の中で一番の権力を持つ悪魔だ。

 

 厳格な性格の様で、頭の中は魔王軍への忠誠心で出来上がっている。

 マントの内側には、“大尉たいい”の軍服を着ており、左目を眼帯で覆っている。

 

 私がここに来た理由──。


 それは、今から行われるとある“儀式”の『真偽』を目撃すること。

 森の奥深くに在ると言われる“石碑”の前に、アレを置く事で『裏世界』に行くことができるようだ。

 私の手に入れた情報では、そこで亜空間の入り口が開かれ、それに入り込む事でワープが実現するらしい。

 果たして、それが本当かどうかはわからないが。


天衣石てんいせき』と呼ばれるその石は、“まじない”がかけられており、石碑の前に置くことで、次元の裂目さけめを呼び起こすと言われている。


 だが、あの石に宿る力は、本当はただのまじないなんかじゃない。

 もっと、とんでもないモノがあの石には宿っているのだから……。


 ゲルデリッヒが石を置くと、石碑の奥の空間が歪み始めた。

 そして、見る見るうちに空間に“裂け目”が入り、大きな穴となる。

 きっと、これが裏世界への入り口──。


 悪魔達も、その様子を探る様に伺っている。


 なるほど。どうやら、あの石は本物。

 本物の天衣石てんいせきだ。

 “亜空間”への入り口が出現するという情報も本当だったようだ……。


 そうと分かれば、もう悪魔たちに用は無い。

 全員消えてもらう。


 私は、左手首に刻まれた、『呪紋ルーン』をそっと右手で包むように触れる。

 そして、そのままひねるっ──。


「─ 占導せんどう致縛六芒星ちばくろくぼうせい!!─」

  

 唱えると同時に、被せた右手を押さえつける。

 両手の先に浮き出る“六芒星”の術印シュリフトから、蒼い閃光がほとばしる。


 術印そこから湧き出る、蒼い『魔導粒子バイタル』が蛍の様にはかなげに闇を照らした。


 お願い、私に力を貸して──。


 息をんだまま、その手を術印シュリフトの中に押し込む。

 術印シュリフトから舞い上がる、空を貫く様な疾風が、私の髪を勢いよく逆立てた。


 押し込んだ手には、確かに触れる“はがね”の感覚──。

 それを信じ、後は心に任せて引き抜く。

 顕現けんげんせよ……。


〈──魔導閃機オーバーバース蒼天そうてんのシリウス!!──〉


 つかみ取った“魂の分身”を、思念を込めて構える。

 役目を終え、灯火が消える様にゆらりと消滅する術印シュリフト


 この手に握るのは、樹氷じゅひょうの様に白銀に輝く、魔導銃。

 そこから湧き出る青白い魔導粒子バイタルが気流に乗って、頬の横を吹き抜ける──。


 木陰に隠れ、悪魔たちの様子を伺った。

 どうやら“亜空間”に入り込む準備をしているように見受けられる。

 

「まずは様子見だ。行けラル」

「はっ、はい」


 列の先端で、ゲルデリッヒが下っ端の悪魔に指示を出す。


 ガチャ……。

 荒ぶりそうになる気持ちをなだめるように、銃のスライドを引く。

 息吐くすきも与えず、全員昇天させてやるッ……。

 

「そこまでだ、全員手を挙げろ……」


 掛け声と同時に、悪魔の下っ端は振り返る。

 だが、振り向いてからではもう遅い。


「なんだっ!!ガァっ……」


 ズドン!!!


「グオっ……!?」

 

 振り向く悪魔たちの脳天を、次々に“裁きの銃弾”が貫く。

 5弾連続、あます事なく全て撃ち切った──。

 

 カチッ、カチャ──。

 直様すぐさまに『弾倉マガジン』を引き出し、休むことなくリロードを重ねる。


 魔導粒子バイタル装填そうてん──。

 スライドを引いて、リロード完了。

 そして照準しょうじゅんを合わせて、狙い打つ。 


 トリガーを引くと、銃口が神秘的な“蒼い閃光”に包まれる。

 発射されるのは、ダイヤモンドのように高貴な光を放つ、閃光の弾丸。

 

 魔弾まだん──。


 襲い掛かる正面の悪魔の腹を、その魔弾が貫いた。


「ギャハァァァ……」

「コノッ、ブッコロっしゃ、ギャァァァ……」


 撃ち抜かれた悪魔は、けたたましい悲鳴をあげながら途端に身体ごと破裂する。

 霧状になった黒い魔導粒子バイタルが飛散し、虚しく消えていく。


 悪魔の体内なかに隠れた『ベーゼ』を破壊したのだ。

 魔導でのみ、そこに干渉できる実態のない生命しんぞうを次々に死滅させる。


「ガァっ……」

「やめっ、グハッ……」


 ガチッ。

 取り出した弾倉マガジンをローブのポケットに仕舞い、新たな弾倉バイタル装填そうてんする──。


 さぁ、次はお前だ、ゲルデリッヒ。

天衣石それ』を返してもらおう。

 

「ネズミが一体まぎれてたとはなぁ……」

 

 ゲルデリッヒは、最奥わたしに視線を向ける。

 だが、私が銃口を向けるのは奴ではない。

 その隣のヤツだ……。


 身動きをとりやすくする為、私は着ていたローブを脱ぎ捨てた。


天衣石てんいせきを渡せ……」

 

 腕を突き出し、悪魔ひとじちに銃を突きつけたまま、ゲルデリッヒに焼き尽くす様な焦慮しょうりょの眼差しを向ける。


「さもなければ……コイツを撃つ」


 一瞬、隣の悪魔ひとじちの方に視線をやった。

 冷汗をかきながらも、私を嘲笑あざわらう様に少しニヤけた表情だ。

 いいだろう……どちらにせよ全員抹殺するつもりだ。

 この下級悪魔には、”天と地”以上もの圧倒的な力量ちからの差を見せてやろう。


「フっ……」


 又も此方こちらを小馬鹿にするような下劣な笑い声……。

 ゲルデリッヒが銃口を突きつけたまま立ち尽くす私を見て、ニヤリと笑う。


「そうか貴様、知っているぞ。元『名誉奴隷めいよどれい』の人間の女か。今は『王華おうか』に所属していたはずだが……。裏切りの行為は、極刑に値するぞ?奴隷の女」


 それは、まるで私が最初から仲間だったとでもいう様な言い方だ……。

 収容所にて、散々酷い目に遭わされた私からすれば、貴様らはただの復讐の対象でしかない。


 思い出すだけで頭に血が上ると同時に、悔しさと、切なさと、虚しさの詰まる涙が瞳からこぼれ落ちそうになる。


 何度泣いたか、もうその数は覚えていない。

 いつしか枯れきった私の心は、ただこの日、この瞬間の為に暗躍するための動力源となった。


 心を失くしたっていい。

 生臭い血を浴びすぎて、人に戻れなくなったとしても、私にはやらなければいけない事がある。


 必ず、お母さんのかたきは私が打つ──。


「死ね!!!」


 絶叫と同時に、ゲルデリッヒはふところから拳銃を取り出した。

 

 ドンッ!!!!!

 辺り一面に猛烈な“発砲音”が響き渡る。

 今の私は、もう誰にも止められない。

 

 さぁ全員抹殺してやる……。


「グァあああぁぁ!!!」


 血飛沫ちしぶきが舞うと同時に、ゲルデリッヒの悲鳴が上がった。

 

 そう、撃たれたのはゲルデリッヒの方だ。

 手から血を流しながらあわれにひざまずく。

 阿鼻叫喚とは、正にこの事だろう……。


 相打あいうちなんて、そんな生易しい現実は、この『彗星眼』の前では存在しない。


 貴様らは、奴隷をみくびり過ぎた……。

王華おうか』まで昇り詰めた、この奴隷を。


 一生掛かっても分からないだろう……。

 この『魔導閃機オーバーバース』を呼び起こせるまでに成長した、私の密かな血の滲む努力を。

 奴らを倒す最後の手段を、憎しみと、焦燥しょうそうだけで完成させたこの決意を──。


 私は、一緒に成長してきた。

 このシリウスと。


「次はお前だっ……」


 下っ端悪魔に、殺意の込もった銃口を突きつける。

 ゲルデリッヒの早撃ちを見切ったからだろう。

 下っ端悪魔があせる様に後ずさる。


「早く行けラル!!任務を遂行しろ!!」


 地に這いつくばったゲルデリッヒが、もがきながら叫ぶ。

 しかし動揺しているのか、下っ端悪魔は正面に立ち尽くしたままだ。

 怖くなって逃げ出したくなったか?

 私が悪魔に見えるか?

 貴様らの前でなら、悪魔にでも何にでもなろう。

 その為に、人を辞める覚悟をしてきたのだから。


「何をしてるぅ、早くしろぉお!!」


 その時だった──。

 突然、熱でも出たかのように、私の身体が熱くなる。

 まずい……こんな時に一体どうしたのいうのだろうか。


 身体中から汗が止まらない。

 頭痛も湧いてくる。

 こちらが優勢だというのに、こんな所で引き下がる訳には行かない……。


 震え出す腕を、必死にこらえながら、ブレる照準を合わせる。

 すると、下っ端悪魔は降参したのか両手を上に挙げ始めた。


「なにをしてるぅキサマぁぁ!!」

 

 地に横たわるゲルデリッヒの猛烈なる叫びが響き渡った。

 敵の怒号が響く中、私の口元は緩む。

 滑稽こっけいだ。

 笑ってはいけないと思えば思うほど、口元が引き裂ける様に上がっていく。

 どうやら、私は本当に悪魔の様になってしまったみたいだ。


「うぐっ……」

 

 私の口から、小さな声が漏れた。

 まるで罰でも喰らったかのように激しい頭痛が襲ったのだ。

 だが、もう少し。もう少しで上手くいくのだから、待って欲しい……。

 体調の悪化を絶対に悟られてはダメだ。

 歯を食いしばり、平然な顔を必死に作ってみせる。


 しかし、奴らをすぐに殺すのは辞めだ。

 魔王軍の情報を少しでも吐かせてからにするべきじゃないだろうか……。

 この下級生物も、ゲルデリッヒもだ。


「石は足元にある。これが欲しいんだろ!」


 すると、下っ端悪魔は降参したように『天衣石』を私に差し出す様な素振りを見せた。

 そうだ。それでいい……。


 私は銃を突きつけたまま、下っ端悪魔の方へ歩み寄る。

 この、痛みでどうかしてしまいそうな身体を動かしながら。


「キサマ、自分が何をしているのか分かっているのか!!」


 腕一本分ほどの距離で、睨み合う……。

 足元には、求めていたモノがこんなにも近い距離に転がっている。


「拾えよ」


 やけに、余裕に見える……。

 もっと泣き叫んで命乞いをしてもらわないと詰まらないじゃないか。


 いや、本当は私が恐怖しているのではないか──?

 この不気味な局面を前にして。


 全て失敗する。

 私の計画が全て水の泡になる。

 そんな気がしてならないのだ。

 

 そんな事が起きていい訳がない。

 起きるはずがない。

 この石を拾うだけだ。

 

 決心をして、ゆっくりと慎重にかがむ。

 指先が『天衣石』に触れる。


 ようやく、私の計画の一つが完結する。

 これでようやく……。

 

 ザッ……。

 しかし、目の前の足は突然動いた。

 しまった……逃げる気だろうが、そうはさせない!!!

 私は動いた足を追う様に、敵を見上げようとする。


〈── 彗星眼すいせいがん!!──〉


 瞳力どうりょくを発動させるために、身体からだ中の神経を集中させる。

 振向き際には攻撃が発動する。


 瞳力は一瞬の隙もを逃さない。

 断然、甘かったな……。


〈──星影ほしかげ!!──〉


 ドッ!!!

 私の身体は勢いよく突き出された……。

 

 訳も分からず、身体が宙に浮く感覚。

 それは、まるで時間が止まったようだった。


 これは一体なんだ──。

 

 ひとみには空が映った。

 暗黒に染まりきった、決して朝の訪れる事が無いむなしい空だ。


 そうだ。

 私はこの空をも変えるために、今日まで頑張ってきた……。

 

 それは、長い長い“旅路”だった──。


 ……。


 瞳力どうりょくが発動しなかった……。

 理解が追いつくまでに、どうしてか時間がかかった。


 それは、きっと理解したくなかったからだ──。

 

 終わった……。

 私の計画は全て無になった。

 そんな想いが頭の中を駆け巡る。


 不発の代わりに聴こえるのは、目の前の下級悪魔ザコの耳障りな何雄叫おたけび。

 命懸けであろう血走ったまなこが、私を目がけて襲いかかってくる。

 

 地面に尻餅をつく感覚がない。

 私の身体は、宙に浮いたままだ。

 それどころか、この身体が頭から真っ逆さまに落ちる様にった。


 紫色の空間が広がり、何故なぜかさっきまでいた場所の景色が、財布の口が閉まるように閉じて見えなくなっていく。


 私はようやく事を理解する。

 突き落とされたのだ。

 あの亜空間の入り口に。


 一体何故この様な状況になったのだろうか……。

 計画が台無しになる所か、私……。



 死ぬのじゃないか──。



 ダメだ、そんな事考えてる場合じゃない。

 そんな事を考える暇があるのなら、この状況を打開する為に必要な事を考え無ければ。


 ググググと歪な音を立てながら、次元の裂け目は閉じていく。

 そして上から、悪魔が降ってくる。


 私は必死で銃を構えようとした。

 しかしバランスを崩して身動きがうまく取れない。


 すると突然、私の腕が後ろから締め付けられる。

 悪魔が後ろに回り込んだのだ。


「何をするっ!!」


 抵抗しようと、必死にもがく。

 が、ぐに異次元空間の強風によって悪魔の手が離れた。

 よし、反撃だ……。


「何してくれるんだ、この悪魔め!!」


 私は銃を構え、照準を定めようとする。


「らぁぁ!!」


 ドンッ!!!!!!

 放たれた魔弾は、悪魔の耳横をカスッた。

 ちっ、強風に煽られて、うまく狙いを定められない。


「次は外さないっ!!」


 ビキビキ……。

 しかし突然、魔弾を放った先から亀裂きれつの入る音が聞こえる。

 その時だった。

 

 バリイイイイン!!!


 ガラスが割れるような音と共に、追い風の突風が、吸い込まれるように吹き始める。

 巨大な穴に、台風の様な風がものすごい勢いで吸い込まれている。


 どうやら、異次元空間に穴が開いてしまったらしい。

 原因はもちろん、先程の銃撃でしかないだろう。


 そして私は穴に吸いよせられた。

 穴の縁に掴まり、吸い込まれて落ちるのを必死で耐える。

 悪魔も縁に掴まりながら、吸い込まれるのを防ぐ様子だ。


「何してくれてんだよ!!?」

「しっ、知らないわよ!!」


 私が悪いのだろうか……。

 こんな事になると思っていなかった。

 次から次へと、どうしてこんな災難が続くのか。

 完全に自業自得と言われてもおかしくないこの状況。

 私は、私自身のせいで命を落とす事になる。


 耐える。

 この剛風にあらがいながら必死に耐え抜く。


 しかし、その時だった。

 目の前で同じように風に揺らぐ身体が落下した。

 悪魔が手をはなしたのだ。


 一瞬だったが、悪魔の虚しい表情が私の瞳に写った気がした。


 その時に見えた表情……。

 それは、生きること諦めた瞬間の表情だった。

 絶望や憎しみとはまた違う感情。

 えてアレを言葉にするのなら『虚無』だろうか……。

 

『ようやく楽になれる』


 まるで、そう言いたげな顔つきをしていた。

 それを見逃さなかった。

 見たくなかったのに、見てしまった。


 悪魔の癖に、まるで人のような表情をした。

 私が殺したみたいだ……。

 それじゃ私が悪人みたいじゃないか……。


 私が悪魔かれらにとっての悪魔だったのかもしれないが、私は悪人じゃない。

 私はただ……。


 私はただ…………。


 平和な世界に行きたかっただけなのに──。


 頭の中がめちゃくちゃになる。

 私は、私の正義を執行した。

 だが、何をやっても上手くいかない。


 それどころか、私の行っていた正義の為の殺戮は、ただ残酷なモノだと罵られるような冷たい視線を浴びせられた。


 もう、楽になりたい。

 

 死にたい訳ではないけれど、私が生きていても、こんなくだらない出来事の繰り返しばかり。

 そして、何故か生き残った私だけが、やりたくもない“人類の代表”のような役割を神様に任されてきた。


 今思えば私の人生は最初からそうだった。

 私も普通に生きたかった。

 もっと無責任で、世界の行く末を左右なんてしない、普通の人生を。


 好きな場所に住んで、好きな場所に遊びに行き、好きな学校に入学する。

 

 好きな部活に入って、そこで友達と和気藹々わきあいあいと楽しい日々を送る。


 そうだな……。

 私はやっぱり芸術部がいいな。

 自分の心を唯一許せる時間。

 私にとってそれは、筆を握ることだから。


 絵の世界に行けば、何でも忘れられた。

 家系のことも、許嫁いいなずけのことも、嫌なこと全部。

 でも今は皮肉にも、そんな嫌なモノが全て無くなった。


 あぁ、もし生まれ変わったなら。

 出来る事なら一般市民ふつうになりたいな。


 そこで、自分のなりたい方面に努力して、趣味も仕事も両立しながら充実した日々を送るの。

 そして、いつかは大切な人が出来て、お付き合いもして……。


 落下していく──。

 私は知らず内に、つかんだ手を離していた。


 一体、何処どこに沈んでいくのだろうか。

 遠い遠い宇宙空間に放り出されて、誰にも気づかれないまま死んでいくのか。

 それとも、その前に身体が引き裂かれるのか。


 どちらでもいい……。

 もうどうだっていい……。


 けれど、一つだけ分かった事がある。

 きっと、あの悪魔が手を離した理由は、私が手を離した理由と然程さほど変わらなかったという事を。


 あの時の表情。

 きっと、お互い苦労していたのかもしれない。

 まぁ、そんな事も、どうでもいいか。


 瞳を閉じると何も怖くなかった。

 これから安らかな永遠の眠りに着くのだから……。


 次第に私の意識は少しずつ薄れていった──。



 ✳︎



「ルミルさまっ!!」


 それは、どこか見たことのある光景だった。

 豪奢ごうしゃな造りの屋敷やしきの一室。


 見渡せば、背の高い頑丈そうな箪笥たんすや本棚が部屋全体を覆っている。


 まるで書庫のようなその部屋は、よく記憶に焼き付いている。

 何故なら、この部屋は私の勉強部屋だったからだ。


「聞いているんですか、ルミルさま!!」

「分かってるよぉ……」


 一体これはどういう状況だろうか……。

 見覚えのある大人の女性に、幼い少女が立ち尽くしたまま怒られている。


 女性の方は、50代半ばくらいだろうか……。

 余りお洒落とは言えない、ドレスの従者服を着ている。


 引きった表情のまま、怒鳴る光景はよく覚えている。

 昔、私の付人つきびとの1人だった女性、アメリーさんだ。


 アメリーさんは、とても厳格な人だった。

 何かとあれば、すぐ飛んできて私の犯したミスや勉強不足を指摘してきた。

 正直、“苦い思い出”の中に潜む、苦手だった人間の一人だ。


 そして、そのアメリーさんに真っ向から怒号を浴びせられる幼い少女。

 その身長は120cm程で、どこからどう見てもただの子供だ。


 それなのに、服装だけは一丁前にこれまた豪勢な青いドレスをこしらえており、お世辞にも態度と格好が見合ってるとは言えない……。


 少女の、鎖骨さこつ下まで伸ばしたミディアムロングの髪は、その年頃の割にはませて見える。 

 生まれ持ったであろう白銀の髪は、部屋の照明に照らされ、無駄に艶やかに見えた。


「ルミルさま、もう2年生なのですから、言われない内にお勉強をしてください!!最近ずっと帰宅したらお絵描きばかりです」

「でも、明日は土曜日じゃん。宿題なら明日気が向いた時にやるよ……」

 

 少し生意気そうで、聞き分けが悪いこの少女。

 そして、彼女も私がよく知っている人物である。


 名前はルミル・アラティウス──。

 

 “私”自身だ。

 しかも、小学2年生の頃だ。


 しかし、一体どういうことだろうか。

 なぜ、小学2年生の私とアメリーさんが目の前にいるのか……。


 これは、夢なのだろうか。

 私は過去の記憶を見させられているのだろうか……。

 

「明日は、家庭教師が来ます!!今日の内に学校の宿題を終わらせないとスケジュールが間に合いません!!明後日はテーブルマナーとお茶のお稽古がございますし……」

「……はいはい」


 小さな私は、諦めが付いた様で、面倒臭そうに机に向かった。

 

「なんですか、その返事は?」

「……」


 小さな私はアメリーさんの問いに答える事なく椅子に座り、かばんから学校の宿題を取り出した。


「はぁ……貴女あなたがこの国の皇女だと思うと、心底“虫唾むしず”が走ります。勉強はしない。好き嫌いは多い。おまけに世間知らずの田舎者。ここまで恵まれた環境を用意しているにも関わらず、一向に自分を変えようとしない。一体どうして、こんな子がドミニク様から産まれたのでしょうか……」

「…………」


 アメリーさんは、小さな私を容赦なく罵倒する。

 小さな私も、少し反抗する態度で、言葉の嵐が降り掛かる方面からそっぽを向く。


「いいですか?貴女あなたは恵まれている事にもっと感謝をしなければなりません。もし私が貴女と同じ立場だったら、帝国の為に必死で努力することでしょう。移管線いかんせん、産まれ持った地位はくつがえる事はございません。私をこの家系に産み落とさなかった神様は、唯一そこだけが残酷なのです」

「よく言うよ……」


 筆箱から鉛筆を取り出しながら、薄ら小さい声で反応する。


「何か言いました?」

「………」


 当時の私は大分“反抗的”というか、勝ち気な性格だったようだ……。

 しかし子供と言えど、当然ながら常に喧嘩腰な態度な訳ではない。

 この光景を見て分かる通り、あきれていたのだ。


 何もかも、堅苦しい現実に……。

 そこにストレスが集約されていた。


「大体、貴女がこんなにもワガママに育ったのは、前の執事も、貴女の母親も教育がなっていないからです。前の執事は確か……あの“クラウス”とかいう男でしたっけ?」

「はぁ……勉強するから出て行って」

「はい、では今日中に宿題を終わらせて、その後、家庭教師の予習と日曜日の予習もしておきますように。それでは」

 

 バタン。

 アメリーさんはドアを強く閉めて、部屋を出て行った。


「……」


 小さな私は、鉛筆を握り締めたまま、机のノートをただ見つめていた。

 しかし、やがてノートの上にポタポタとしずくが落ち始める。

 次第に大粒になっていく滴と、少女の悔しそうな横顔を、私は唯見つめることしか出来なかった。


 この家に引越してから、こんな事は日常茶飯時だった。

 私、ルミル・アラティウスは、この『ロマンス帝国』の第16代皇帝の孫。


 すなわち皇女である──。




 ◇◆ 笑顔の裏に潜む、悲惨な生い立ち──。



    【SATAN #12・もう一つの戦禍 終】

─────────────────────





  ────◇◆ピックアップ◇◆────


『SATAN』の制作秘話を、こちらのページに載せてます!!

 今回はグーちゃんとモモカの誕生に付いてです!!

 是非、覗きに来てくださいっ✨


https://kakuyomu.jp/works/16818093075006112070/episodes/16818093075244629603


https://kakuyomu.jp/users/oosakiamu/news/16818093074895059710   [挿絵・別ver]


─────────────────────

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る