SATAN・#11
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「お母さんっ!!お母さんっ!!」
目の前に写るのは、赤く燃え盛る家々と、酷く粉々に荒らされた村の光景。
空は煙で灰色に染まり、絶対的な絶望しか感じない。
そして私と母は引き剥がされた。
「いや!!離して!!お母さんっ!!」
オークに捕まり、身体をバタバタと動かすが、何も抵抗出来ない無力な腕。
「辞めて……。辞めて、やめて、ヤメテェ!」
何百体ものオークと、それを率いる悪魔たちが、故郷を破壊しつづける様子を、ただ涙を流しながら見つめた。
✳︎
「ハッっ!!」
息を吹き返すように、私は目を覚ました。
全身は汗でびしょ濡れ。
着ていたパジャマも湿ってしまっている。
また、嫌な夢を見てしまった。
これで何度目だろうか……。
いつからか、定期的に私はこの悪夢にうなされている。
思い出したくもない記憶。
布団から身体を起こし、枕元のデジタル時計を確認する。
朝の5時30分──。
窓際を見るとカーテンの外はまだ薄暗いが、
六畳一間のアパートの一室。
その部屋の隅に布団を敷いて、私は
生活感はあるが、物数の少ない部屋。
ただ、
中央にあるローテーブルと、壁際にある液晶モニターが部屋らしさを感じさせるシンボルになるほど、いたって平凡な室内。
そしてローテーブルを挟んで向こう側に、もう一つ布団が敷かれており、寝息も聞こえてくる。
そう、小さな間取りだが、この部屋には2人で暮らしているのだ。
私はこの部屋の“居候”であり、その“もう一方の住人”に寝泊まりさせてもらっている身分である。
その“住人”こそ、今隣で寝ている布団の主だ。
布団から立ち上がり、風呂場に足を運ぶために部屋のドアノブに手をかける。
「シラス、シャワー借りるわね……」
寝息の聞こえる布団の方にそっと言う。
「んぅ……むにゃむにゃ」
返って来た返事は、まだ夢の中にいる、少年の寝言だった。
この家で何かをする時は、部屋主である彼に一声をかける事が多い。
それが私の習慣であり、居候させてくれている彼への、せめてもの敬意だと思っている。
風呂場の入り口のドアには“札”が掛け下がっており、それをひっくり返すと、文字が浮かび上がる。
『お風呂使用中』
そう手書きで書かれた文字を確認した後、私は風呂場に入り込む。
脱いだ服と下着を、自分用の
精神的な疲労を、温かいお湯が流してくれる。そんな気分だった。
私がここに来て、もうだいぶ経つ──。
飲食店のアルバイトも、ここでのアシスタントも、だいぶ慣れて来た。
生活は安定してきたけれど、私にはやらなければいけない事がもう一つある。
魔界へ戻る事。
それが、私の本来の目的──。
そう、私の故郷は“魔界”であり、この世界で生まれ育った訳ではない……。
とある理由で、魔界からこの世界に来てしまい、そして──。
帰れなくなった……。
しかし、ここでの暮らしに満足してはいけない。
一刻も早く魔界へ戻るための“回廊”を見つけ出し、『魔王』と呼ばれる、魔界の独裁者を制裁し、囚われた人々を解放しなければならない。それが私の使命だ。
私は、浴室の鏡に写ったその顔を睨みつける。
『お前は、ここに居てはいけない。一刻も早く悪魔たちを八つ裂きにしろ』
そう自分自身に言い聞かせるのは、日課になっていた。弱い自分でいてはいけない。幼い頃から常に守られてきた。そういう生い立ちだった。そんな弱い自分は要らない。もう必要ない。
そうでなければ、また失ってしまう──。
思念を込めたまま、私は蛇口を止めた。
シャワーを浴び終わると、部屋着に着替え、ドライヤーで髪を乾かす。
そのあと部屋に戻ると、寝ている部屋主を起こさないように、小さな間接照明で灯りを作る。
部屋の真ん中に置かれたローテーブルに、私はB5サイズの紙をバラバラと置き始める。
原稿用紙だ──。
この原稿用紙には既に、所々に絵が刻まれている。
私は、鉛筆でそれに加筆する。
筆を走らせ、描くのは“賑やかな街の景色”。
そう、私が行なっている“アシスタント”というのは、漫画制作の手伝いの事だ。
漫画といっても、出版社と契約している、
それらを、この世界ではこう呼ぶのだ。
『同人誌』と──。
私は、副業のような形で、この同人誌の背景の委託業務を手伝っている。
“手伝っている”という言い方には理由があり、元々この委託業務は、私ではなく、この部屋主が受け持っている仕事だからだ。
この『同人誌』なるものは、魔界には存在しない、この世界特有の娯楽文化と言えるだろう。
私の故郷でいうところの、『絵本』や『絵画』といったものに近いジャンルだろうか……。
しかし、この世界では、そのような“絵物語“が、国民的な娯楽として確立されているため、描き手の数が多いのだ。
その為、様々な読み手のニーズに合わせた“絵物語”が刊行されている。
簡単に言い表すのであれば、子供向けのモノもあれば、大人向けのモノもあるということ。
『同人誌』といっても、一口で言い表すことは難しく、私もそれについて自分なりに勉強はしたが、まだ分かっていない事が多い。
ただ、出版社と契約しないというのが、1番の特徴であることから、世間的なイメージでは、絵の『修行の場』であったり、メジャーデビューする前の『インディ作品』を公開するための媒体という認識が強いみたいだ。
しかし、そういった認識を真っ向から
というのも“修行”という考えではなく、あえて“同人誌という舞台”で戦う描き手の層が、一定数、存在するからだ。
彼らは、あえてアングラな世界で頂点に立とうする……。その1番の所以こそ『表現の自由』らしい。
出版社を通して、刊行しづらい内容のモノの溜まり場であるという事実。
その大半を占めるのが、官能的な作品であるということ──。
この現代社会における、“麻薬取引”のような状況といっても過言ではない。
……。
えっと、それは言い過ぎかな……。
とにかく、一口で言い表すには難しい“同人誌”。
その制作の手伝いに、私は携わる。
とても人には言いづらい話だけど、私が手伝っている作品も、大半が官能的な作品である。
最初は、抵抗があったけれど、絵を描くこと自体は大好きな事だから、今では真剣に手伝いをする姿勢になった。
“慣れ”っていうヤツかも知れないけど……。
「むにゃむにゃ、もぉ、お腹いっぱいだよぉ」
そして、今目の前で寝ている、この部屋主も“同人誌の頂点”を目指している。
その理由をこの前聞いたけれど、
『俺は世界を平和にしたい!エロでなっ!!』
私は、その言葉を聞いた時、聞き間違えたかと思った。でも聞き間違えではなかった。
彼は、本気でそう言ったのだ。
“帰宅部”所属エース。
将来の夢は、『
“自宅警備員”ってなに?って聞いたら、『自宅を警備するんだよっ!!』と、この前言っていた……。
恐らくだが、社会に適任でない職業であるという事は確かだろう……。
『むにゃむにゃ、だからぁ、もぉ食べられないよぉ』
それがこの男、
しかし、何にせよ、稼ぐ為に一生懸命になる、その姿勢は応援してあげたいと思っている。
だから私はこうして、時間の許す限り、筆を走らせるのだ。
嫌ではない。
寧ろ、楽しい仕事である。
けれど……少し体力が。
体力が……。
あれっ……。
バタリと音を経て、自分の身体が倒れた。
ぼやけた天井が、薄れかかっていく中、私の意識は、真っ白になった。
※
…………。
温く柔らか──。とても心地よい感覚。
素肌に吸い付く“ふかふか”な触感……。
羽毛布団が、しっかりと私の身を包んでいるようだ。
耳元に入る『ちゅん、ちゅん』という優しい小鳥のさえずりは、安らかな“時”を感じさせる。
私は眠ってしまっていたようだ──。
目覚めは良く、身体が大分楽に感じる。
原稿を描いてる途中、身体にガタがきて倒れたのだろうか……。
少し無茶しすぎたかな……。
すると、『ガチャ』と部屋のドアが開き、足音が聞こえてくる。
それと同時に、香ばしい“小麦の香り”がふわりと私の鼻を
『トースト』の匂い。
この美味しそうな匂いは、昨晩“夕食”を食べていなかった私の食欲を刺激する……。
こんなにも、理想的な目覚めがあるだろうかという程、私の心は安らいでいた。
「ぅん……」
吐息を漏らしながら、横に寝返りを打つ。そして、部屋を見上げるように見渡した。
真っ白な天井、いつもと変わらない平凡な部屋の景色。ローテーブルには、白い皿が数枚置かれているのが見える。
そして、“足下”が見えたと同時に、両手に皿を抱えた少年が、私の視界に入り込む。
その皿からも、少し脂の乗った、またも美味しそうな香りが宙を舞い、
「よっ、ルミル。おはようさん」
少年は、私が目を覚ました事に気づき、声をかけてくれた。
その姿を見て、私はしみじみ“平和な朝”を感じてしまう。
ルミル──。
それが私の名前だ。
普段は本名を隠しているが、彼だけは、知っている。
知る必要があったのだ……。
「んぅ……おはよう、シラス」
私は布団に横たわったまま、寝起きの声で挨拶した。
普通であれば、こんな“だらしない格好”を見せるのは恥ずかしいが、彼の場合は、もう慣れっ子になってしまっている……。
「体調、大丈夫かよ?」
「えっ……」
彼は、皿を『カチャ』と音を立てて、テーブルに置きながら、私に問いかける。
「さっき倒れただろ……。ビックリしたわ。隣で『ガタン』って音なったからよ」
彼が、部屋主の『
「えっと……ごめん」
私は、布団の端をキュッっと握り、少し顔を埋めて答えた。
「どっか打ってねーか?」
シラスは、腰を下ろし、テーブルの前の座布団に座り出す。
「うん。大丈夫……かな」
「テーブルの上に原稿あるし、鉛筆握り締めたまま倒れてっからさぁ……」
シラスはテーブルの隅に置かれている、整理された“原稿”に目線を向ける。
そして、それを手に取り、パラパラとめくり、眺め始めた。
「ちょっと、ヘマしちゃったかな……」
「昨日、遅かったんだろ?あんま無茶すんじゃねーよ……」
「ごめん……」
私は、また顔を半分布団に埋める。
……そういえばこの布団、彼が掛けてくれたのだろうか。
そのお陰で、ぐっすりと眠る事が出来た。
ふと枕元のデジタル時計を見上げる。
8時30分──。
あれから2時間くらい寝たみたいだ。
そして、丁度お腹が空く時間。
私はペコペコのお腹を布団の中で
「ほらよ、朝メシ作ったから食べようぜ」
シラスは一度、横になっている私に目を向けて問いかける。
「ありがとう、シラス……」
私はぬくぬくと布団から
目の前に並べられているのは、焼き立ての“トースト”と少し厚切りのベーコンが添えられた“目玉焼き”。
目玉焼きには軽く胡椒が降りかかっており、
その隣に添えられた“ベーコン”は、香ばしい脂の匂いが、目玉焼きの胡椒と合わさり、食欲をより誘う。
おっ……美味しいそう。
瞬時にそう思うほど、目の前の朝食の光景は、輝きを放っていた。
朝食がこんなにも贅沢であっていいのだろうか……。
以前の私なら、きっとそうは思わなかったかもしれないけど───。
「「いただきます!」」
手を合わせて、彼と同時にそう唱える。
これは、この世界における“お祈り”のような作法である。
命に感謝する。
平手を指先までピンと伸ばし、手を合わせる。それがこの国での“感謝の表明”である。
そういった生活の至る部分に、この世界の特有の文化を感じるのだ。
この国の文化を尊重すること。それが、一緒に住まわしてもらっている彼に対する、最大の敬意になるだろう……。
だからこうして、私は彼の真似をする。
まだ、分からない事は沢山あるけれど、日々覚えていこうと前向きな気持ちでいる。
シラスは、目玉焼きとベーコンの乗った皿を傾け、器用にトーストの上に滑らせる。
そして、目玉焼きをサンドするようにトーストを折り曲げ、口の中に頬張る。
「うぅん、美味い。デパ地下の高級ハンバーガーよかうめぇ……」
サクサクと音を立てながら、トーストを食すシラス。目を閉ざして味わうように、モグモグと噛みしめている。
私は、ぼんやりと彼の食べる姿を眺めていた。
シラスとは偶然にも同い年であり、“学校の友人”のような間柄だ──。
私が居候でも余分に気を使わないで居られるのは、同世代である事と、彼の“自由人”でありつつも“温和”な人柄のお陰だと言えるだろう。
だから私は、彼のお陰でこの世界で生活出来ている。
身元不明の私を受け入れてくれている事には、感謝しても仕切れない程だ。
その気持ちは、いつか形にして返したいと思っている。
シラスはゴクリと飲み込んだあと、もう一口頬張る。
そして、またモグモグと頬を膨らませ噛み締めている。
なんか、ハムスターみたい……。
そんな事を思いながら、幸せそうなシラスの顔を眺める。
美味しそうに食べるから、見ていて悪くない──。
「あぁ目玉焼き、塩効いてるからそのままイケるっ。あむっ……」
口を動かしながら、もう片方の手で原稿用紙を手に取り、それを眺め始めるシラス。
私も、シラスと同じように目玉焼きをトーストの上に乗っける。
まだ出来立ての湯気が立っている目玉焼きと、焼きたてのトーストを一緒に、一口……。
はむっ。
玉子の黄身が口の中に広がり、マイルドな食感を生み出す。そして熱々のトーストと合わさり、優しさ満点の“まろやかさ”に変わる。
あとからついて来る“塩加減”が玉子とトーストと混ざり合い、絶妙に双方の味を引き立てる。
そして玉子に添えられたベーコンの脂の匂いは、胡椒の香りと相性良く混ざり合い、噛みしめると脂の乗ったジューシーな味わいが口の中全体を満たす。
一言で言い表すのであれば、“幸せ”だろうか。
私は、口の中に広がる『幸福感』で心が満たされていた。
美味しい──。
作ってくれたシラスにも、感謝である。
そして気がつけば、私も瞳を閉ざして噛みしめるように味わっていた……。
「うまい?」
すると、正面からシラスの問いかける声が聞こえた。
飲み込んだ後に瞳を見開いて反応する。
「美味しい……」
この味に夢中になってしまい、真剣な表情になっていたかもしれない。
険しい顔になっていなかっただろうか……。
「よかった、よかった……」
シラスはそう言うと、手元の原稿用紙にもう一度目を向ける。
私は、もう一口この味を噛みしめる。
また瞳を閉ざして、この『目玉焼きトースト』の“まろやかさ”を堪能する。
美味……。
実に美味である……。
つい夢中になって、私もモグモグと口を動かし続けていた──。
「なんか、ハムスターみたいだなっ!!」
突然、目の前からデリカシーのない言葉が飛んでくる。
「殺されたい?」
私は笑顔で威嚇する。
「“小動物”って言ったんじゃんかよー?」
「ダメよ?そんな『悪意の塊』みたいな例え。レディにはもっと気を使いなさい?」
私は、スーパーでもらえる“おしぼり”で口元をふきながら答える。
「ばぁか。遠回しに“可愛い”って言ってやったんだろーがよ」
シラスは、食器を片付けながら小馬鹿にするように言う。
そのまま食器を持って、キッチンのシンクまで運んで行った。
私も最後の一口を頬張り、食べ終わった食器をキッチンまで運ぶ。
「私だったら『ハムスター』は人に対して言わないわ。例え、思ってもね?」
シンクの蛇口を捻り、水を出す。
運んだ食器を洗いながら、横で皿を拭いているシラスに話しかける。
「じゃぁ、なんて例えりゃ良いんだよ」
「それを考えるのが男の仕事でしょ。だから彼女できないのよ?」
「うるっせーわ!!ていうかライン越えだろ、それ!!」
シラスは顔を赤くし、少し声を荒げる。
これはきっと、恥ずかしがっている事の裏返しなのだろう。
同居しているためか、彼も思春期の男の子であるという事をつい忘れていた……。
「えっ……あぁ、ごめん?」
悪気はないから、気を悪くしなければいいけど。
シラスはジト目になりつつ、食器棚に拭いた皿を戻す。
私も、シラスから
「なぁ、この後『画材屋』とか行くけど、なんか欲しい物あるか?」
シラスはキッチンの棚を開き、中のストックを確認しながら私に問いかける。
どうやらこの後、買い物に行くみたいだ。
そういえば、今日は日曜日。
私もシラスも、唯一お互いがフリーな曜日だ。
「私は、特に大丈夫かな……。あっ、2Bの鉛筆切らしてるから私も行く!」
「あ?いいって、鉛筆くらい買ってきてやるよ……。お前、疲れてんだから寝てろって」
彼はこういう時によく気を利かせてくれるが、それに甘んじてばかりではダメだ。
「いい……一緒に行く」
できる限り、自分のことは自分で……。
「んだそれ……。あっ、まさか、俺とデートしたいんだろ!!」
「キモっ……」
「うるせーわ!!」
彼のノリを制御する為に、つい罵倒してしまった……。
けれど、彼も自分で言っておいて、その返しはどうなんだろうか。
「冗談よ。でもアナタ、その気になると勘違いしそうだから……」
「ははっ……傷つく」
シラスは、苦笑いしながら棚の中を整理していた。
……。
いや、勘違いしているのは私の方だろうか。
もしかすると、今ので嫌な女って思われたかもしれない。
それに、彼を少し傷つけてしまった。
全くそんなつもりではなかったのに。
最近は、何をやっても上手く行かない──。
「ん、どうした?」
私は、皿を持ったまま虚空を見つめていた。
「ルミルっ?」
その声を聞いて、ハッと我に返る。
そして、慌てて皿を棚に戻した。
「どうかしたのか?」
「やっぱり、一緒に行く。あまり迷惑掛けたくないからっ」
「別に迷惑じゃねーけど。どうした急に……」
頭の中が整理できず、何を話して、何を優先するべきか、分からなかった。
理性が働かず、ただ身体だけが本能で動く。
「バスルーム借りるから……」
着替えを持ち込み、風呂場のドアを閉める。
そしてドアに寄りかかり、持ち込んだ着替えを、ただ抱きしめた。
シラス……私は──。
「ルミル、迷惑に感じた事なんて、一度も無いからなっ?けどまぁ、お前が付いて来たいなら、そうしろ。先に外で待ってるからなぁ」
ドアの向こう側で、シラスの声が響いた。
私は、ドアに寄りかかり、その声をしっかりと聞いていた。
その言葉を聞いた瞬間、私の中に閉まってあるモノが、少し救われた気がした。
「ありがとう……シラス」
ドアの向こう側で『ガチャン』と玄関のドアが閉まる音がした。
※
お気に入りのリボンを
鏡に写る、その身を見つめ、気合を入れる。
そして、もう一度軽く全身を見渡した。
その身に
私の最強のラッキーカラー。
最後に、強くなれる魔法を、首裏と手首に少し掛け、風呂場を後にする。
準備の最終確認をして、もう一度部屋を見渡した後、玄関に向かった。
少し待たせてしまったので、駆け足だ。
ドアを開けると、瞳に陽光が射し込む。
見上げると、快晴の青空が広大に広がってい
た。
正に『秋晴れ』。
空気は清く澄んでいて、新鮮さを身を通して感じる。
外に一歩踏み出すと、ドア横の
「ごめん、お待たせ……」
私は彼と目を合わせる。
するとシラスは、私の姿を見た後、“ぽかーん”と口を開けたまま数秒間、立ち尽くす。
服装は、彼の好みに合わせたつもりだけど……。
すると、シラスは少し照れ臭そうな顔をした後、それを隠すように先を歩き始める。
「いっ、行くぞ?じゃぁ」
何か一言くらい期待していたけど、まぁ仕方ないとは思う。きっと、照れて何も話せないんだろうから……。
私は『はぁ』とため息をついて、シラスの後ろについていく。
そして、ぎこちなく歩く、彼の手を握った。
「い゛っ!?」
シラスは、慌てて私の顔を振り返る。
「ななななっ、なんですかっ!?ルミル氏!」
驚いているからだろうか、喋り方がおかしくなっている。
普段、あれだけ私と話す癖に、なぜ手を握っただけで、そんなに挙動不審になるのか。まるで、別人になったみたい……。
彼が女性に対してウブである事は、実は以前から知ってはいたが……。
それなのに、いつも丸裸の装備で私を
水鉄砲で撃たれたくらいでも即死するような、貧弱すぎるその格好で。
だから、少し分からせてやりたくなるの。
女を揶揄ったら、色々な意味で後悔することを──。
「デートしたいんじゃなかったの?」
私は
「いや、冗談に決まってんだろが!!かっ、勘違いしてんじゃねーよ。だからお前“地雷”みたいって言われんだよっ!!ばぁか!!」
「は?」
またもデリカシーの無い言葉が飛んで来たので、私は握った手を離し、冷たい視線をシラスに向けた。
「あっ、嘘……全然地雷じゃない!!なんていうかこう、サバサバ系?」
私は呆れた眼付きで、シラスにもう一度問いかける。
「どうするの……手繋ぐの?繋がないの?」
そう問いかけると、もう一度この手を戸惑う彼に差し出した。
「お前の将来のために取っとけよ……」
しかし、シラスは両手を上着のポケットに突っ込み、くるりと反対側を向いた。
「そう……」
私はゆっくりと腕を下ろした。
「行くぞ……」
「うん……」
返したその声は、何処か掠れかかっていた──。
シラスの後ろを着いて行き、アパートの階段を下る。
階段を降りると、閑静な“住宅街の景色”が広がる。
遠景に見える山々、木々に囲まれる街並み、そして、広々とした歩道。
その雰囲気は、とても落ち着いてる。
住宅街を抜けると、繁華街へと続く『学生通り』に出る。
景色は一変し『喫茶店』や『雑貨屋』といった小粋な店が景色を彩る。
この通りの先に行き付けの『画材屋』があり、道行く学生達を通りすがりながら、その場所を目指す……。
「なぁ、寝てないでよかったのかよ……?」
シラスは正面を向いたまま、隣を歩く私に問いかけてきた。
しかし、
「なぁって……」
「はぁ……朝のお散歩くらい、いいでしょ」
しつこく聞いてくるから、少し棘のある言い方になってしまった……。
「なに、不機嫌そうな顔してんだよ……?」
「別に……」
学生通りを歩いていると、やはり同じ年代の人達が多く通り過ぎていく。
そして、見たことのある、制服を着た学生も見受けられる。
すると、人が横を通り過ぎる度にシラスは少し俯く。
「ねぇ照れてるの?もしかして、私居ない方がよかった?」
つい、また皮肉になってしまった……。
「そ、そんなわけねぇだろ……。お前こそ、俺とカップルに見られてるかもしんねーぞ?」
「私、そういうの気にしないから……」
「あぁ、そう……」
しかし、同世代の人が通る度に少し俯くシラスの態度は、どこか後めたさがあると言える。
「アナタ、学校ではちゃんとやってるの?」
「余計なお世話だっ」
シラスには、またイジワルな質問に聞こえたかもしれないけど、私は単純に気になったから聞いただけだった。
しかし、それなりの返答を期待したが、案の定、あまり人間関係が得意でないみたいだ。
そんな彼が少し心配になる。
「シラス、友達は無理に作る必要はないと思うけど、思い出ってとても大事だから、色々な人と交流してみるのも悪くないと思うわ」
「交流ねぇ……。でも俺、大事な友人がちゃんと居るからさ。そいつとの思い出が、俺にとって1番大切なんだ」
よかった、それならいい……。
そう言ってくれて、安心した。
困った時に助け合える仲間は、誰しも1人は居た方がいいのだから。
そういった友人こそ、大事にするべきだ。
「そうなんだ。よかった、アナタにも大切な親友がいるの聞いて、なんだか安心した……」
私は気がつくと、さっきまでのモヤモヤは消えていて、素直に喋ることができていた。
「数を増やすのも悪くないけどさ、俺にとってはそいつとの時間が大事だからよ」
「ふふっ、良いお友達ね」
「あぁ、よく気が合うんだ」
大事な親友を、自慢げに語るシラスを見て、私の心は、安堵していた。
すると、彼ともっと話してみたくなる。
せっかくの休暇なのだから、お互いのことをもっと知るのも悪くない。
「ねぇ、シラスの学校ってどんな感じなの!?」
つい、子供のような質問をしてしまう。
「どんな感じって……普通だろうよ」
小学生男子かっ!!
「普通って……。学校で好きな子とか居ないの?」
「居ねーよ」
「そっか……。でもいつか出来るといいわね」
いつかは、きっと……。
「さぁどうかな。お前はどーなんだよ?そういう話好きなんだろ。女子トークみたいなの」
「私は……」
歩む足は、自然と止まった。
「あっ?」
急に止まり出した私を見て、シラスも止まって振り返る。
そして、心配そうな顔をして覗き込んだ。
「あぁ、わりぃ。お前の想う“男”ってのは魔界に居るんだもんなぁ……。それに、ここで恋愛してる時間もねーし?野暮な事聞いちまった。忘れてくれよ」
「別に、そう訳ではない……」
「えっ……」
「好きな人……居るの」
少し冷たい風が、吹き抜けた。
シラスは、明後日の方向を向き、沈黙する。
「……へぇ」
彼は、次の私の言葉を
しかし、彼の時間を奪ってはいけないと思い、また重くなった足を動かし始めた。
「まぁ、お前が好きになるくらいなんだから、よっぽどの奴なんだろうな」
「えぇ、とても素敵な人よ」
「……へぇ」
私もシラスも、顔を合わせることなく、ただひたすらに、歩き続ける。
「けどね、想いを伝えられないでいるの……」
「そ、そっか……」
……。
「想い伝えれば、その人を不幸にしてしまう」
「いや、そんな事ねーだろよ……」
「そんな事あるっ!!」
私は、胸の中にしまっていたものを、叫んでしまっていた──。
気がつけば、動かす足もまた止まっていた。
「どっ、どうしたんだよ、急に……」
「ごめん。私、“恋愛”向いてないの。頭冷やさなきゃ」
私は、彼から目線を逸らし俯く。
すると、この肩がポンと叩かれた。
正面を向き直すと、シラスが腕で私の肩を押さえていた。
「なぁルミル、きっとそいつもよぉ、お前に告白されたら嬉しいと思うぜ?お前、美人だし、飯も美味いし、だからいつかは、思いを伝えてみてもいいんじゃねーかな」
「シラス……」
「もしそいつがよぉ、不幸になっても、お前に思いを伝えてもらっただけで、釣りが来るくらい幸せなんじゃねーかな」
……。
やっぱり、彼は優しいな。
「だから元気出せって」
俯いた顔を、少し上げてみせる。
「その、ありがとう、シラス……」
私は、少しだけ彼の瞳を見ると、恥ずかしくなって直ぐに逸らした。
「それからさぁ、さっき俺が言ってた“大事な親友”って実は、お前のことなんだ……」
「えっ……?」
シラスは、私の肩から手を放すと、もう一度上着のポケットに突っ込む。
「学校には、友達なんて全然居ねーけどよ、お前と居る時間が、すんげー楽しいんだ。だからさ、もし、そいつとお前が付き合っても、その……友達でいてくれるか?」
「当たり前でしょ」
自然と、目の前の肩を掴み、その思いを伝えいた。
目元に溜まり出した滴が、頬を伝う前に、手の甲で拭う。
感情的になると、いつもこうなる。
「ルミル!?」
「ずっと……友達でいるに決まってる」
私は肩に置いた手を、そっと下ろす。
「そっ、そっか……ありがとな」
「シラスも……シラスも、私とその、ずっと友達でいてくれる?」
腕を後ろに回し、モジモジとそっぽを向いて問う。
なんだか、らしくない……。
「何言ってんだよ。当たり前だろ、俺の1番の親友でアシスタントなんだからよ」
その言葉を聞いた時、ほっとした。
ただ、嬉しかった。
「ありがとう、シラス……」
私は、彼の袖を掴み、また歩み始める。
「行こ」
※
学生通りを歩き続けると、少し広い敷地の中に子綺麗な建物が見えてくる。
建物はビルになっており、各階層に色々な店が入っている。
その一階にある、ステンドグラスで装飾された大きな窓ガラスが特徴の店。
ガラスがキラキラと陽光に反射しており、特異な存在感を放つ。
そう、ここが目的地である画材屋だ──。
窓ガラスの外からは、店内のあちこちでぶら下がるレトロな電球が目に入る。外からも暖色の照明を感じることができ、
画材屋に足を踏み入れると、フレグランスの心地よい香りが身を包む。
天井には大きな“シーリングファン”が吊らされており、のんびりと回ってる。
まるで、カフェに来たような気分だ──。
店内は日曜日だからだろうか、昼前でも既に来店客で賑わっていた。
同年代が多く、中には制服を着ている子もいる。
私とシラスは、店内をゆったりと観て回る。
商品棚に並ぶのは、一般の文房具屋ではあまり並ばない、商業用に使用される画材が多い。
“同人誌”や“漫画”を描く為に使用する、『つけペン』や『インク』はもちろん、『絵の具』や『コピック』など、様々な画材が揃っている。
つけペンに関しては、魔界では文化的なモノであり、日常的にに使用されている。
だが、この世界では漫画を描く事に使用される場面が多く、それに特化した商品が多いようだ。
強弱がつき、入り抜きのしやすい『Gペン』に、均一な線を引きやすい『丸ペン』。
私は、背景を担当することが圧倒的に多いから『丸ペン』を使う事が多いのだ。
対して『Gペン』は高いポテンシャルを秘めてるものの、扱いが少し難しい。けれど、うちのシラス先生はこの『Gペン』を愛用している。普段はおちゃらけているシラス先生だけど、そういった一面は素直にカッコいいかな。
そんなことを思いながら、私は『ペン先』の商品を見つめる。
「なんだ、ルミル。お前も“Gペン使い”になんのか?」
すると後ろから、シラスの快然たる声がする。
「シラス先生が教えてくれるならねっ」
私も、つい楽しくなってしまい、ご機嫌な声で返す。
「おっ、おお。じゃ一緒に『Gペンの覇者』になろうぜっ!」
「ふっ、なにそれ」
少し調子に乗るシラスを見て、吹き出してしまう。
楽しい………。
とても楽しい………。
やはり、今日は彼と一緒に来れて良かった。
「Gペンのぉ……おっ?」
すると彼は立ち止まり、隣の柱に貼られてあるポスターを見つめる。
「どうしたの!?シラス」
「コンクールか……」
気が抜けたようにポツリと呟くシラス。
私は、シラスが目を向けるポスターをよく見える。
『クリエーション・ワールド』
そう大きく書かれたポスター。
どうやら、創作物のコンクールらしい。
シラスが真剣にポスターを見つめているので、私も一緒に眺めていた。
「ありゃ?吹寄くんじゃねーの……」
すると突然、真後ろから、無骨な声が聞こえた。
後ろを振り向くと見知らぬ顔ぶれが、私とシラスを取りまく様に
4、5人程の同年代の男達。
それは、見るからに
先頭に立つ少し大柄な男は、いかにも連中のリーダーとでもいう様な
どうやら、この男が話しかけて来たようだ。
「こんな所で何してんの!?」
「なっ、なんでもないよ……」
男が話しかけると、シラスは少しおどおどした様子で、背筋を丸めながら答えた。
「画材屋なんて、お前が来る所か?お前、そんなに絵上手くないじゃんか。お前には勿体無いだろ」
私は目が点になった。
それは一瞬、聞き間違いかと思う程の衝撃的な言葉だった。
「
連中の一人が、大柄の男に便乗するように会話に割り込んでくる。
深谷。そう呼ばれた男は、次に私に目を向けた。
「ん?もしかして彼女!?
男は、シラスに近寄り話しかけ続ける。
しかし、シラスは視線を落としたままだ。
「“女友達”居たんだ、吹寄くん!!」
また男の言葉に便乗するように、側近達が口々に
「辞めとけ、こんな奴。キミ、うちのサークルに来なよ。コスプレとか絶対似合うって!!ねぇ深谷くん、どお!?」
「へぇ、確かに可愛いな。ねぇ、なんでこんな奴と一緒に居るの?」
どうやら、悪魔はこの世界にも居るらしい。
この“悪魔ども”には、殺意が込み上げてくる。
もう、感情が抑えきれない。
私は、男を睨みつけた。
「えっ、恐いんですけど!!怒んなって、ねぇどこの学校?何年生!?」
すると、シラスが私の腕を引き、この場を後にしようとする。
「吹寄……?もしかして、この前の校内コンクールで“銀賞”取った奴じゃねーの!?」
側近の1人が、突然思い出したかのように騒ぎ立てる。
銀賞……?
一体どういうこと。
「えっマジで!?こいつ!?」
シラスの足は止まった。
もしかして、シラスは以前、コンクールで受賞したことがあるのだろうか……。
でも、なんでそんな喜ばしい事を、私に話してくれなかったのだろう。
祝われたくなかったのだろうか……。
「はっ、どうせあれだろ?AIの上からなぞっただけだよ。素の画力じゃ、俺のが上だっての」
「だよなー。小細工無しだったら、深谷くんが銀賞取ってたよ」
私はシラスの手を振り解いた。
後ろを振り向いた途端、もう理性には縛られなかった。
「彼に謝れっ!!」
私は、男の胸ぐらを掴みかかっていた。
「なっ、なにすんだよっ!けっ、警察呼ぶぞ!?」
「止めろ、ルミルっ……」
私はシラスに肩を引っ張られ、男と引き裂かれた。
その後、彼は私の手を引いて、店の出口へ向かった。
「ふざけんじゃねー!!この金目当てのビッチがよぉ!!お前、どうせヤリマンなんだろっ!!」
後ろから、何か声が聞こえたが、無視して店を後にした。
走る。
無性にただ走り続ける。
彼に手を引かれながら──。
通り過ぎる街の景色。
店からどれくらい離れただろか……。
気がつけば、学生通りを抜けて、繁華街の近くまで来ていた。
彼に声をかけていいのか迷った。
でも、彼の気が動転してないか心配になり、私は決心を決める。
「シラスっ!?」
すると彼は、何も言わずに速度を落とし、立ち止まった。
この手を強く握りしめたままだ。
「もう、大丈夫だから……」
私は、彼と繋がれた手を見て、半分呟くように声を掛けた。
「あっ、わりぃ……」
シラスは我に返ったのか、握り締めた私の手を離す。
そして振り返り、素顔を見せてくれる。
良かった。
私は、爆発しそうだった、この心臓の音が落ち着いていくのを感じる。
「その、ごめんな。嫌な思いさせちまって」
「シラスは全然悪くないっ。アイツらが、最低な事言うから……」
繁華街を目前にした路地裏で私とシラスは、しんみりと会話をする。
こんな時、なんて声を掛ければいいだろうか……。
それとも、彼を抱擁してあげればいいだろうか。
そうしいてあげたい気持ちはあるけれど、ソレをしていいのだろうか。
腕に刻まれた紋章を見つめる。
今の彼と、私の気持ちが同であることは分かっている。
私たちには、特別な繋がりがあるから。
いや、そんな繋がりさえなくとも、彼の気持ちは理解できる。
同じ『人』だから。
私は彼を抱擁しようと、ゆっくりと手を伸ばした。
けれど、それは出来なかった。
気がつくと抱擁するのではなく、彼の袖を掴んでいた。
私はいつもそうだ……。
けど今は、彼の袖を掴むことで精一杯だった。
「ねぇ、シラス……。聞く必要も無いと思うのだけれど、聞いてもいいかな……」
画材屋での出来事を探ろうとした。
慎重になりながら、彼の心を傷つけないように。
「あぁ、さっきのことか?」
すると、彼は私の問いに反応してくれた。
「うん……。あの人たちは同級生?」
「まぁそうだな。でも俺が知ってるのは、真ん中にいた深谷って奴だけだ。俺と同じ漫画研究部だった……」
漫画研究部?
シラスは最初は帰宅部ではなかったということなのだろうか。
「うん、それで……?」
「100人を超える大人数の部活だった。そんな大規模な漫研にはコンクールがあった。8ページが規定で、合同の場合、4人まで。それぞれグループを結成し、人数合わせの募集をかけていた。俺は売れ残っていたが、顧問の先生が、まだ募集を掛けてるグループに俺を連れて行ってくれた。だが、行ってみると、既に枠は埋まっていたんだ。それが深谷だった」
「えっと、それはそのグループの子達が、深谷に個人的に声を掛けていて、シラスのタイミングが遅かったってことだよね?」
「そうだ。諦めた俺は、帰ろうとしたが、そのグループのリーダーに絵を見せて欲しいって言われたんだ。俺は言われた通り絵を見せた。するとリーダーは、深谷よりも俺の方を気に入ってくれたんだ。そして俺は、そのグループに所属することになった」
なるほど。どうやら、2人の因縁はその時からのようだ。
「作品が出来た俺は、グループのリーダーに納品し、あとはコンクールの結果発表を待つだけになった。だが、後日リーダーから合同紙をエントリー出来なかったという連絡が来た。理由を聞けば、俺の絵がトレースなんじゃないかと疑われていたかららしい。その疑惑を集計員の先輩に突きつけたのが、深谷だった」
「なにそれ……そんなのただの嘘じゃない」
「まぁな。絵柄のせいもかもしれないが。結局、俺はグループのメンバーからも蔑まされ、漫研を辞めることになった。でも悔しかったから、沢山練習した。アルバイト代わりに同人誌の下請けの仕事を始めたのも、それがきっかけだった。二年生になり、もう一度コンクールに応募しようと思った。俺は8ページを全部自分で描くことにした。結果は銀賞だった」
知らなかった。
シラスの部屋には、トロフィーも盾も、それらしき物が置いてなかった。
無論、私はその8ページの作品も見せてもらった事はない。
分かっている……。
シラスがそんなことを私に自慢するような人ではない事くらい。
だって彼の目標は、もう漫研のコンクールなんかじゃない。
同人誌の頂点に立つことなんだから──。
前に言っていた。
好きなキャラを好きな風に描けて楽しいって。
シラス、私はだからキミについて行きたいんだ。
「結局その後も、なぜか逆恨みされてるって感じさ。まぁ、でも俺の絵が微妙なのは本当のことさ。勘違いされないくらいの画力は無い……」
「そんなことないよ!!私は、シラスの描くキャラクターが好き!!シラスの絵が好きだから、アシスタントをしてるっ!!」
「ありがとう、ルミル」
シラスは静かに、人なつこく笑ってくれた。
「なぁルミル、次の仕事、一緒にやらないか?」
それは突然だった……。
けれど、どういう意味か、もう少し掘り下げなければ分からない。
「えっ……いつも一緒じゃない?」
「まぁそうなんだけど……2人で一本作らないか?俺とルミルでシナリオを考えるんだ。デザインも、作画も、全部2人だ」
そういう意味だったのね。
でも、私には難しいのではないか。
どう考えても、力量不足だ。
「でも私、シラスの足で纏いになる。やるならアシスタントの方が……」
「そんなことない!俺とルミルの絵柄は似てるし、2人でやる事に意味がある」
「2人でやることに?」
するとシラスは、一枚のチラシを手提げから取り出す。
「これって……」
「さっき、俺たちが見てたポスターのチラシ。『クリエーション・ワールド』。創作の全国大会だ」
「まさか、仕事って……」
「やってやろうぜ、ルミル。ここで“金賞”取って、俺たちの名を轟かせるんだ!それに、アイツらも見返したいしな……」
それは、何かにときめくようだった。
自分を誘ってくれたことが、嬉しかった。
『青春』ってこんなにも、熱いモノだったんだ。
学生達は皆、きっとこれを知っているのだろう。
私は、知らなかった。
今まで、どれだけ小さな場所に閉じこもっていたかが分かる。
初めての感覚に痺れ、私は、シラスの手を握る。
衝動的とは、この事を言うのだろう。
握りしめた手は熱く、『情熱』が煌めいていた。
「おっ、おい!!将来の為にとっとけって言ったろ!?」
「私の将来は、ここにある」
彼の瞳が大きく開くのを見た。
とても綺麗な瞳をしていた。
私もきっと、輝いていたのかな。
「それに、さっきも握ったでしょ?」
「あぁ、そうだっけか?」
「無自覚で触ったの!?最低!!破廉恥!!」
「いや、そんなボロカスに言わなくてもいいだろ!!」
私は、元気そうになったシラスを見て、笑みが溢れてきた。
「ふっ、笑わせないでよ……」
「そりゃお前だろ……」
彼も、少しニヤけた笑顔が
そして私は、追い風に誘われるように、そっと腕を伸ばした。
彼もまた、それを見て腕を伸ばす。
「「よろしく、相棒!!」」
今度こそ、何にも縛られることなく、彼の手を掴んだ。
今思えば、全てこの時の為だったのだろう……。
そしてまた、握り返す彼の手は、少し握力が高く、少年の情熱を感じさせる。
「そんじゃ早速、“資料探し”に行こうぜっ」
そうだ。やると決まったからには、しっかりとした下準備が必要だ。
思い立ったら直ぐ行動。とても大事な事だ。
「うっ、うん。どこのお店?」
「まぁ、行ってみれば分かるよ」
シラスは得意げな表情をしてみせた。
こういう時、とても頼りになる。
私は、そっと彼の袖を掴み、付いていった。
※
路地を抜けた先にあるのは、賑やかな繁華街だ。
先程までの、程良い“田舎”の景色からまた一変し、色取り取りの建物に包まれる。
この繁華街は
その中でも、若者向けの店や施設が多く、『カラオケ』や『ボーリング場』などのアミューズメント施設や、『アニメグッズ』を豊富に
野外に並ぶカフェテリアを見れば、若者の“
美味しそうなクレープにアイスクリームを味わいながら、のんびりとお茶をする人達の景色。
通りすがると、つい羨ましくなって見惚れてしまう。
「帰り、寄ってくか?クレープ」
「えっ!?」
突然、聞いてきたシラスに驚いて、少し身体が跳ね上がった。
恥ずかしい……。
悟られてしまった。
「なっ、私、そんなに食べたそうにしてた!?」
自分で聞いていても、おかしな返答である。
「してたろ」
シラスは少し吹き出しながら、ニヤける。
「いい、また今度。今は、それ所じゃないんだからっ!!」
「そうか。じゃ、今度行こうな」
冷静な返しをされると、何故か顔の体温が上がる……。
今きっと、顔赤くなってる。
私は平然を装う
少し歩くと、賑やかなポスターや広告が沢山貼られている建物の前で、シラスは立ち止まった。
もしかして、目的地って
「行こうぜっ」
「うんっ……」
そう言って、私はシラスについていく。
入り口の自動ドアを
そこに飾られているのは、『ゲームのパッケージ』
どうやら、目的地は「ゲーム屋」だったみたいだ。
「ねぇ……ここっって、“ゲーム”っていうのが売ってるお店でしょ?」
「中古だけどな。見ろよルミル、『ファイナルモンスター5』のパッケージ付き美品!!ネットじゃプレミアム付いてる代物だ。それに、『秋葉図ストリップ』の美品も!俺が中坊の頃に買えなかったやつ!!」
店内の商品棚を見て、楽しげな素振りを見せるシラス。
「へっ、へぇ……。でもどうして、ゲームのお店なの!?」
とりあえず、気になって仕方がない事を先に聞く。
「安いから」
また、理解し辛い返答が返ってきた。
一体どういうことなのか……。
「えっと……え?」
「同人誌を描くにあたって、シナリオやデザインの参考資料が必須だろ?中古ゲームには、それら全てが詰まってんのさ。このワンコインに」
なっ、なるほど。
とても、ぶっ飛んだ理屈だが、彼なりの理由があり、この場所を選んだようだ。
「でもそれだったら、ゲームじゃなくて、同人誌や漫画を資料にした方がいいんじゃない?」
「作画のノウハウはなっ。だが、他のアイディアは、漫画のような“出来上がってる絵”を見るよりも、ゲームのような“テキスト”から読み取ったほうが、自分で想像する練習ができる」
「はっ、はぁ……」
無茶苦茶に聞こえるが、これもまた真剣に言われると、そうなのかと納得してしまう。
「それに、ゲームのテキストは“小説”とも違って基本的に“セリフ”で構成されている。セリフだけで回す“漫画や同人誌”に演出の感覚が近いんだよ」
「なんか……こじ付け感がすごいけど」
「まぁ、いいからいいから」
シラスは笑顔で中古ゲームのパッケージを抱きしめる。
「結局、シラスがゲームをしたいだけに見えるなぁ……」
私は、ゲーム屋の風景を見渡しながら言う。
「ルミルぅ……ゲームってのはな“体験”なんだよ。実際に自分の手で動かし、世界観を開拓する。この体験こそがクリエイターの美学なんだよ」
「ふーん……」
私はジト目になり、シラスの熱弁を聞いていた。
「ふーんってなんだ!ふーんて!」
そう言ってシラスは「ファイナルモンスター5」を愉快な顔つきでレジに持って行き、会計を済ませる。
私はその間、店内のショーケースを見て周る。
この“ゲーム”とやらは魔界には存在しない、この世界の文明の娯楽。
パッケージや、その中身の機器には色とりどりのイラストが飾られている。
シラスたちはこれで遊んで育ったのだろうか。
すると会計を終わらせたシラスが、ご満悦な様子で帰ってくる。
「お待たせっ、さっ行こうぜルミル。帰りにスーパーでも寄ってくか」
自動ドアを潜り、店を出る。
そういえば、冷蔵庫にはもう殆ど何も入っていなかった。
夕食の為に、何か買って帰らなければ……。
「シラス、夕食は何食べたい?」
「ハンバーグ!!」
きっと、そう言うと思った。
「あなた、好きよね……」
「あっ?あぁ、美味いからさ。ルミルが作ってくれるの」
そう言ってくれると、素直に嬉しいし、作りがいもある。
「褒めても、いつもと変わらないわよ」
「その“いつもの”が良いんだろ」
私は、少し嬉しくなって口元が緩みそうになる。
手料理を褒めてくれる人は、もう彼しかいないのだから……。
その彼を私は大切にしたい。
もう二度と、失ってはいけない。
「ねぇシラス?参考資料がゲームの理由……私、分かったの」
「ん?」
シラスは、隣を歩く私に振り向く。
「2人で観れるからでしょ?シラスがさっき言ってた事を、私に共有しやすくする為なんじゃないかなって……」
「まぁーな」
シラスは道筋の遠く先を見つめながら、気の抜けた声色で返事する。
「でも、1番の理由は別かな……」
1番の理由?
これ以上に、一体どんな理由があるのだろうか。
「その、お前とゲームしたかったから……かな」
少し、恥ずかしそうに答えるシラス。
私は、その横顔をそっと見つめた。
少し照れくさそうに瞳を細める彼の横顔は、どこか、もどかしさを感じる表情をしている……。
彼も私と同じで孤独を知る者。
きっと、誰かに愛されたくて、誰かに認めて貰いたくて、誰かと一緒に居たくて仕方がない。
そうヒシヒシとその横顔から伝わってくる。
けど、一緒に遊んで欲しいなら、最初から素直にそう言えばいいのに、男の子って、とても不器用。
でも、その不器用な仕草も、彼なら手を差し伸べてあげたくなる。
それは、私を救ってくれた彼自身の人柄からそう思ってしまうのだ。
今の私は彼に恩返しがしたい。
心にあるのは、ただその思いだけ──。
「じゃぁ、付き合ってあげる」
私はシラスの横顔を覗きこむ。
「えっ……」
すると、シラスは驚いたように、私の方を向いた。
何かに恋をしている。
彼の表情は、そんな風に見えた。
彼が私に恋をしていること。
そんなことは、もう知っている。
それでも私は、彼の思いに応えることはないだろう。
私が一番大切な彼を、不幸にしてはいけないから──。
「ゲーム、私におしえてよ?」
彼の緊張を解くために、ほんの少しの笑顔を作ってみせた。
彼も笑い返してくれた。
少し苦笑いにも見えた気がしたが。
「そっ、そう来なくっちゃなぁ。よしルミル、今夜はパーっとやろうぜ!お菓子とジュースも追加だ!!」
すると突然、元気な声で言い放った後に、駆け出した。
「えっ?ええ……」
前に駆け出す彼は、振り向いて無邪気な笑顔を私に向けた。
それは、“青春”真っ最中の1人の少年と言える、そんな笑顔だった。
夢を追い求め、どこまでも走り続けようとする希望の背中。
その背中に私も夢を魅せるのだろう。
走り出したあの日から、止まる事なくずっと私を追い求めてきた彼の背中に。
私も、夢で応えたいのかもしれない。
今日もまた、彼との時間を過ごす。
それは、
今ではもう、大切な親友となった彼との出会いも、始まりはぎこちなかった。
しかし、あの悪夢から手を差し伸べてくれたのは彼だけだった。
それは、今から半年前まで
あの日、私達は運命をかけた契約を交わした──。
◇◆ さぁ、新たな幕開けを
見届けろ──。
https://kakuyomu.jp/users/oosakiamu/news/16818023213740413835 [挿絵]
【SATAN #11・新たなるプロローグ 終】
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第一章 「花」 終
────◇◆ピックアップ◇◆────
『SATAN』の制作秘話を、こちらのページに載せてます!!
今回はグーちゃんとモモカの誕生に付いてです!!
是非、覗きに来てくださいっ✨
https://kakuyomu.jp/works/16818093075006112070/episodes/16818093075244629603
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