SATAN・#11

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「お母さんっ!!お母さんっ!!」


 目の前に写るのは、赤く燃え盛る家々と、酷く粉々に荒らされた村の光景。

 空は煙で灰色に染まり、絶対的な絶望しか感じない。

 そして私と母は引き剥がされた。


「いや!!離して!!お母さんっ!!」


 オークに捕まり、身体をバタバタと動かすが、何も抵抗出来ない無力な腕。


「辞めて……。辞めて、やめて、ヤメテェ!」


 何百体ものオークと、それを率いる悪魔たちが、故郷を破壊しつづける様子を、ただ涙を流しながら見つめた。



 ✳︎



「ハッっ!!」


 息を吹き返すように、私は目を覚ました。

 全身は汗でびしょ濡れ。

 着ていたパジャマも湿ってしまっている。


 また、嫌な夢を見てしまった。

 これで何度目だろうか……。

 いつからか、定期的に私はこの悪夢にうなされている。

 思い出したくもない記憶。


 布団から身体を起こし、枕元のデジタル時計を確認する。


 朝の5時30分──。

 

 窓際を見るとカーテンの外はまだ薄暗いが、おぼろげな青白い光を感じる。


 六畳一間のアパートの一室。

 その部屋の隅に布団を敷いて、私はとこに就いていた。


 生活感はあるが、物数の少ない部屋。

 ただ、たなには歪に詰め込まれた沢山の漫画や本がその存在感をあらわにしている。


 中央にあるローテーブルと、壁際にある液晶モニターが部屋らしさを感じさせるシンボルになるほど、いたって平凡な室内。

 そしてローテーブルを挟んで向こう側に、もう一つ布団が敷かれており、寝息も聞こえてくる。


 そう、小さな間取りだが、この部屋には2人で暮らしているのだ。

 私はこの部屋の“居候”であり、その“もう一方の住人”に寝泊まりさせてもらっている身分である。

 その“住人”こそ、今隣で寝ている布団の主だ。


 布団から立ち上がり、風呂場に足を運ぶために部屋のドアノブに手をかける。


「シラス、シャワー借りるわね……」


 寝息の聞こえる布団の方にそっと言う。


「んぅ……むにゃむにゃ」


 返って来た返事は、まだ夢の中にいる、少年の寝言だった。

 

 この家で何かをする時は、部屋主である彼に一声をかける事が多い。

 それが私の習慣であり、居候させてくれている彼への、せめてもの敬意だと思っている。


 風呂場の入り口のドアには“札”が掛け下がっており、それをひっくり返すと、文字が浮かび上がる。

 

『お風呂使用中』


 そう手書きで書かれた文字を確認した後、私は風呂場に入り込む。

 

 脱いだ服と下着を、自分用の脱衣籠かごに放り込んでこんで、浴室で温かいシャワーを浴びる。

 精神的な疲労を、温かいお湯が流してくれる。そんな気分だった。


 私がここに来て、もうだいぶ経つ──。


 飲食店のアルバイトも、ここでのアシスタントも、だいぶ慣れて来た。

 生活は安定してきたけれど、私にはやらなければいけない事がもう一つある。


 魔界へ戻る事。

 それが、私の本来の目的──。


 そう、私の故郷は“魔界”であり、この世界で生まれ育った訳ではない……。

 とある理由で、魔界からこの世界に来てしまい、そして──。


 帰れなくなった……。


 しかし、ここでの暮らしに満足してはいけない。

 一刻も早く魔界へ戻るための“回廊”を見つけ出し、『魔王』と呼ばれる、魔界の独裁者を制裁し、囚われた人々を解放しなければならない。それが私の使命だ。


 私は、浴室の鏡に写ったその顔を睨みつける。


『お前は、ここに居てはいけない。一刻も早く悪魔たちを八つ裂きにしろ』


 そう自分自身に言い聞かせるのは、日課になっていた。弱い自分でいてはいけない。幼い頃から常に守られてきた。そういう生い立ちだった。そんな弱い自分は要らない。もう必要ない。


 そうでなければ、また失ってしまう──。


 思念を込めたまま、私は蛇口を止めた。

 

 シャワーを浴び終わると、部屋着に着替え、ドライヤーで髪を乾かす。

 そのあと部屋に戻ると、寝ている部屋主を起こさないように、小さな間接照明で灯りを作る。

 

 部屋の真ん中に置かれたローテーブルに、私はB5サイズの紙をバラバラと置き始める。

 

 原稿用紙だ──。


 この原稿用紙には既に、所々に絵が刻まれている。

 私は、鉛筆でそれに加筆する。


 筆を走らせ、描くのは“賑やかな街の景色”。

 そう、私が行なっている“アシスタント”というのは、漫画制作の手伝いの事だ。


 漫画といっても、出版社と契約している、所謂いわゆる“プロ”のものではなく、個人で製作している創作物である。

 それらを、この世界ではこう呼ぶのだ。


『同人誌』と──。


 私は、副業のような形で、この同人誌の背景の委託業務を手伝っている。

 “手伝っている”という言い方には理由があり、元々この委託業務は、私ではなく、この部屋主が受け持っている仕事だからだ。

 

 この『同人誌』なるものは、魔界には存在しない、この世界特有の娯楽文化と言えるだろう。

 私の故郷でいうところの、『絵本』や『絵画』といったものに近いジャンルだろうか……。


 しかし、この世界では、そのような“絵物語“が、国民的な娯楽として確立されているため、描き手の数が多いのだ。

 その為、様々な読み手のニーズに合わせた“絵物語”が刊行されている。

 簡単に言い表すのであれば、子供向けのモノもあれば、大人向けのモノもあるということ。


『同人誌』といっても、一口で言い表すことは難しく、私もそれについて自分なりに勉強はしたが、まだ分かっていない事が多い。


 ただ、出版社と契約しないというのが、1番の特徴であることから、世間的なイメージでは、絵の『修行の場』であったり、メジャーデビューする前の『インディ作品』を公開するための媒体という認識が強いみたいだ。


 しかし、そういった認識を真っ向からくつがえす猛者達もいる。

 というのも“修行”という考えではなく、あえて“同人誌という舞台”で戦う描き手の層が、一定数、存在するからだ。

 

 彼らは、あえてアングラな世界で頂点に立とうする……。その1番の所以こそ『表現の自由』らしい。


 出版社を通して、刊行しづらい内容のモノの溜まり場であるという事実。

 その大半を占めるのが、官能的な作品であるということ──。


 この現代社会における、“麻薬取引”のような状況といっても過言ではない。


 ……。

 えっと、それは言い過ぎかな……。


 とにかく、一口で言い表すには難しい“同人誌”。

 その制作の手伝いに、私は携わる。


 とても人には言いづらい話だけど、私が手伝っている作品も、大半が官能的な作品である。


 最初は、抵抗があったけれど、絵を描くこと自体は大好きな事だから、今では真剣に手伝いをする姿勢になった。


 “慣れ”っていうヤツかも知れないけど……。


「むにゃむにゃ、もぉ、お腹いっぱいだよぉ」


 そして、今目の前で寝ている、この部屋主も“同人誌の頂点”を目指している。

 その理由をこの前聞いたけれど、ろくでもないという言葉では収まりきらない程、ろくでもなかった……。


『俺は世界を平和にしたい!エロでなっ!!』


 私は、その言葉を聞いた時、聞き間違えたかと思った。でも聞き間違えではなかった。

 彼は、本気でそう言ったのだ。


 吹寄ふきよせシラス、17歳。高校2年生。


 “帰宅部”所属エース。

 将来の夢は、『自宅警備員じたくけいびいん』と語る。


 “自宅警備員”ってなに?って聞いたら、『自宅を警備するんだよっ!!』と、この前言っていた……。


 恐らくだが、社会に適任でない職業であるという事は確かだろう……。


『むにゃむにゃ、だからぁ、もぉ食べられないよぉ』


 それがこの男、吹寄ふきよせシラスである──。

 

 しかし、何にせよ、稼ぐ為に一生懸命になる、その姿勢は応援してあげたいと思っている。

 だから私はこうして、時間の許す限り、筆を走らせるのだ。


 嫌ではない。

 寧ろ、楽しい仕事である。


 けれど……少し体力が。

 体力が……。


 あれっ……。


 バタリと音を経て、自分の身体が倒れた。


 ぼやけた天井が、薄れかかっていく中、私の意識は、真っ白になった。



 ※



 …………。


 温く柔らか──。とても心地よい感覚。


 素肌に吸い付く“ふかふか”な触感……。

 羽毛布団が、しっかりと私の身を包んでいるようだ。

 

 耳元に入る『ちゅん、ちゅん』という優しい小鳥のさえずりは、安らかな“時”を感じさせる。


 私は眠ってしまっていたようだ──。


 まぶたをゆっくりと持ち上げ、薄らと瞳を開くと、カーテンから差しかかる“朝の光”を感じた。


 目覚めは良く、身体が大分楽に感じる。


 原稿を描いてる途中、身体にガタがきて倒れたのだろうか……。

 少し無茶しすぎたかな……。


 すると、『ガチャ』と部屋のドアが開き、足音が聞こえてくる。

 それと同時に、香ばしい“小麦の香り”がふわりと私の鼻をでた。

 

『トースト』の匂い。


 この美味しそうな匂いは、昨晩“夕食”を食べていなかった私の食欲を刺激する……。

 こんなにも、理想的な目覚めがあるだろうかという程、私の心は安らいでいた。


「ぅん……」


 吐息を漏らしながら、横に寝返りを打つ。そして、部屋を見上げるように見渡した。


 真っ白な天井、いつもと変わらない平凡な部屋の景色。ローテーブルには、白い皿が数枚置かれているのが見える。


 そして、“足下”が見えたと同時に、両手に皿を抱えた少年が、私の視界に入り込む。

 その皿からも、少し脂の乗った、またも美味しそうな香りが宙を舞い、ただよっている……。


「よっ、ルミル。おはようさん」


 少年は、私が目を覚ました事に気づき、声をかけてくれた。

 その姿を見て、私はしみじみ“平和な朝”を感じてしまう。


 ルミル──。

 それが私の名前だ。


 普段は本名を隠しているが、彼だけは、知っている。

 知る必要があったのだ……。


「んぅ……おはよう、シラス」


 私は布団に横たわったまま、寝起きの声で挨拶した。

 普通であれば、こんな“だらしない格好”を見せるのは恥ずかしいが、彼の場合は、もう慣れっ子になってしまっている……。


「体調、大丈夫かよ?」

「えっ……」


 彼は、皿を『カチャ』と音を立てて、テーブルに置きながら、私に問いかける。


「さっき倒れただろ……。ビックリしたわ。隣で『ガタン』って音なったからよ」


 彼が、部屋主の『吹寄ふきよせシラス』だ。


「えっと……ごめん」


 私は、布団の端をキュッっと握り、少し顔を埋めて答えた。


「どっか打ってねーか?」


 シラスは、腰を下ろし、テーブルの前の座布団に座り出す。


「うん。大丈夫……かな」

「テーブルの上に原稿あるし、鉛筆握り締めたまま倒れてっからさぁ……」


 シラスはテーブルの隅に置かれている、整理された“原稿”に目線を向ける。

 そして、それを手に取り、パラパラとめくり、眺め始めた。


「ちょっと、ヘマしちゃったかな……」

「昨日、遅かったんだろ?あんま無茶すんじゃねーよ……」

「ごめん……」


 私は、また顔を半分布団に埋める。


 ……そういえばこの布団、彼が掛けてくれたのだろうか。

 そのお陰で、ぐっすりと眠る事が出来た。


 ふと枕元のデジタル時計を見上げる。


 8時30分──。

 あれから2時間くらい寝たみたいだ。


 そして、丁度お腹が空く時間。

 私はペコペコのお腹を布団の中でさする。


「ほらよ、朝メシ作ったから食べようぜ」


 シラスは一度、横になっている私に目を向けて問いかける。


「ありがとう、シラス……」


 私はぬくぬくと布団からい出て、洗面所で手を洗ってからローテーブルの前に着いた。


 目の前に並べられているのは、焼き立ての“トースト”と少し厚切りのベーコンが添えられた“目玉焼き”。


 目玉焼きには軽く胡椒が降りかかっており、ほのかにスパイシーな香りを感じる。

 その隣に添えられた“ベーコン”は、香ばしい脂の匂いが、目玉焼きの胡椒と合わさり、食欲をより誘う。


 おっ……美味しいそう。


 瞬時にそう思うほど、目の前の朝食の光景は、輝きを放っていた。


 朝食がこんなにも贅沢であっていいのだろうか……。

 以前の私なら、きっとそうは思わなかったかもしれないけど───。


「「いただきます!」」


 手を合わせて、彼と同時にそう唱える。

 これは、この世界における“お祈り”のような作法である。


 命に感謝する。

 平手を指先までピンと伸ばし、手を合わせる。それがこの国での“感謝の表明”である。


 そういった生活の至る部分に、この世界の特有の文化を感じるのだ。


 この国の文化を尊重すること。それが、一緒に住まわしてもらっている彼に対する、最大の敬意になるだろう……。


 だからこうして、私は彼の真似をする。

 まだ、分からない事は沢山あるけれど、日々覚えていこうと前向きな気持ちでいる。


 シラスは、目玉焼きとベーコンの乗った皿を傾け、器用にトーストの上に滑らせる。

 そして、目玉焼きをサンドするようにトーストを折り曲げ、口の中に頬張る。


「うぅん、美味い。デパ地下の高級ハンバーガーよかうめぇ……」


 サクサクと音を立てながら、トーストを食すシラス。目を閉ざして味わうように、モグモグと噛みしめている。

 

 私は、ぼんやりと彼の食べる姿を眺めていた。


 シラスとは偶然にも同い年であり、“学校の友人”のような間柄だ──。

 

 私が居候でも余分に気を使わないで居られるのは、同世代である事と、彼の“自由人”でありつつも“温和”な人柄のお陰だと言えるだろう。


 だから私は、彼のお陰でこの世界で生活出来ている。

 身元不明の私を受け入れてくれている事には、感謝しても仕切れない程だ。


 その気持ちは、いつか形にして返したいと思っている。


 シラスはゴクリと飲み込んだあと、もう一口頬張る。

 そして、またモグモグと頬を膨らませ噛み締めている。


 なんか、ハムスターみたい……。

 そんな事を思いながら、幸せそうなシラスの顔を眺める。


 美味しそうに食べるから、見ていて悪くない──。


「あぁ目玉焼き、塩効いてるからそのままイケるっ。あむっ……」


 口を動かしながら、もう片方の手で原稿用紙を手に取り、それを眺め始めるシラス。


 私も、シラスと同じように目玉焼きをトーストの上に乗っける。


 まだ出来立ての湯気が立っている目玉焼きと、焼きたてのトーストを一緒に、一口……。


 はむっ。


 玉子の黄身が口の中に広がり、マイルドな食感を生み出す。そして熱々のトーストと合わさり、優しさ満点の“まろやかさ”に変わる。


 あとからついて来る“塩加減”が玉子とトーストと混ざり合い、絶妙に双方の味を引き立てる。

 そして玉子に添えられたベーコンの脂の匂いは、胡椒の香りと相性良く混ざり合い、噛みしめると脂の乗ったジューシーな味わいが口の中全体を満たす。


 一言で言い表すのであれば、“幸せ”だろうか。


 私は、口の中に広がる『幸福感』で心が満たされていた。

 

 美味しい──。

 作ってくれたシラスにも、感謝である。


 そして気がつけば、私も瞳を閉ざして噛みしめるように味わっていた……。


「うまい?」


 すると、正面からシラスの問いかける声が聞こえた。

 飲み込んだ後に瞳を見開いて反応する。

 

「美味しい……」


 この味に夢中になってしまい、真剣な表情になっていたかもしれない。

 険しい顔になっていなかっただろうか……。


「よかった、よかった……」


 シラスはそう言うと、手元の原稿用紙にもう一度目を向ける。


 私は、もう一口この味を噛みしめる。


 また瞳を閉ざして、この『目玉焼きトースト』の“まろやかさ”を堪能する。


 美味……。

 実に美味である……。


 つい夢中になって、私もモグモグと口を動かし続けていた──。


「なんか、ハムスターみたいだなっ!!」


 突然、目の前からデリカシーのない言葉が飛んでくる。


「殺されたい?」


 私は笑顔で威嚇する。


 まれにこういう事を言うから、“しつけ”のために教育しなければならない。


「“小動物”って言ったんじゃんかよー?」

「ダメよ?そんな『悪意の塊』みたいな例え。レディにはもっと気を使いなさい?」


 私は、スーパーでもらえる“おしぼり”で口元をふきながら答える。


「ばぁか。遠回しに“可愛い”って言ってやったんだろーがよ」


 シラスは、食器を片付けながら小馬鹿にするように言う。

 そのまま食器を持って、キッチンのシンクまで運んで行った。


 私も最後の一口を頬張り、食べ終わった食器をキッチンまで運ぶ。


「私だったら『ハムスター』は人に対して言わないわ。例え、思ってもね?」


 シンクの蛇口を捻り、水を出す。

 運んだ食器を洗いながら、横で皿を拭いているシラスに話しかける。


「じゃぁ、なんて例えりゃ良いんだよ」

「それを考えるのが男の仕事でしょ。だから彼女できないのよ?」

「うるっせーわ!!ていうかライン越えだろ、それ!!」


 シラスは顔を赤くし、少し声を荒げる。

 これはきっと、恥ずかしがっている事の裏返しなのだろう。

 同居しているためか、彼も思春期の男の子であるという事をつい忘れていた……。


「えっ……あぁ、ごめん?」


 しつけの為とはいえ、つい言い過ぎてしまった。    

 悪気はないから、気を悪くしなければいいけど。


 シラスはジト目になりつつ、食器棚に拭いた皿を戻す。

 

 私も、シラスから布巾ふきんを受け取り洗い終わった皿を拭く。


「なぁ、この後『画材屋』とか行くけど、なんか欲しい物あるか?」


 シラスはキッチンの棚を開き、中のストックを確認しながら私に問いかける。

 どうやらこの後、買い物に行くみたいだ。


 そういえば、今日は日曜日。

 私もシラスも、唯一お互いがフリーな曜日だ。


「私は、特に大丈夫かな……。あっ、2Bの鉛筆切らしてるから私も行く!」

「あ?いいって、鉛筆くらい買ってきてやるよ……。お前、疲れてんだから寝てろって」


 彼はこういう時によく気を利かせてくれるが、それに甘んじてばかりではダメだ。


「いい……一緒に行く」


 できる限り、自分のことは自分で……。


「んだそれ……。あっ、まさか、俺とデートしたいんだろ!!」

「キモっ……」

「うるせーわ!!」


 彼のノリを制御する為に、つい罵倒してしまった……。

 けれど、彼も自分で言っておいて、その返しはどうなんだろうか。


「冗談よ。でもアナタ、その気になると勘違いしそうだから……」

「ははっ……傷つく」


 シラスは、苦笑いしながら棚の中を整理していた。

 ……。

 いや、勘違いしているのは私の方だろうか。

 

 もしかすると、今ので嫌な女って思われたかもしれない。

 それに、彼を少し傷つけてしまった。

 全くそんなつもりではなかったのに。


 最近は、何をやっても上手く行かない──。


「ん、どうした?」


 私は、皿を持ったまま虚空を見つめていた。


「ルミルっ?」


 その声を聞いて、ハッと我に返る。

 そして、慌てて皿を棚に戻した。


「どうかしたのか?」

「やっぱり、一緒に行く。あまり迷惑掛けたくないからっ」

「別に迷惑じゃねーけど。どうした急に……」


 頭の中が整理できず、何を話して、何を優先するべきか、分からなかった。

 理性が働かず、ただ身体だけが本能で動く。


「バスルーム借りるから……」


 着替えを持ち込み、風呂場のドアを閉める。


 そしてドアに寄りかかり、持ち込んだ着替えを、ただ抱きしめた。


 シラス……私は──。


「ルミル、迷惑に感じた事なんて、一度も無いからなっ?けどまぁ、お前が付いて来たいなら、そうしろ。先に外で待ってるからなぁ」


 ドアの向こう側で、シラスの声が響いた。


 私は、ドアに寄りかかり、その声をしっかりと聞いていた。

 その言葉を聞いた瞬間、私の中に閉まってあるモノが、少し救われた気がした。


「ありがとう……シラス」


 ドアの向こう側で『ガチャン』と玄関のドアが閉まる音がした。



 ※



 お気に入りのリボンを後髪うしろがみに留める。

 鏡に写る、その身を見つめ、気合を入れる。

 そして、もう一度軽く全身を見渡した。

 

 その身にまとうのは、水色のワンピースに白のカーディガン。

 私の最強のラッキーカラー。


 最後に、強くなれる魔法を、首裏と手首に少し掛け、風呂場を後にする。


 準備の最終確認をして、もう一度部屋を見渡した後、玄関に向かった。

 少し待たせてしまったので、駆け足だ。


 ドアを開けると、瞳に陽光が射し込む。

 見上げると、快晴の青空が広大に広がってい

た。

 正に『秋晴れ』。


 空気は清く澄んでいて、新鮮さを身を通して感じる。

 外に一歩踏み出すと、ドア横の壁際かべぎわにシラスがもたれ掛かっていた。


「ごめん、お待たせ……」


 私は彼と目を合わせる。

 するとシラスは、私の姿を見た後、“ぽかーん”と口を開けたまま数秒間、立ち尽くす。


 服装は、彼の好みに合わせたつもりだけど……。


 すると、シラスは少し照れ臭そうな顔をした後、それを隠すように先を歩き始める。


「いっ、行くぞ?じゃぁ」


 何か一言くらい期待していたけど、まぁ仕方ないとは思う。きっと、照れて何も話せないんだろうから……。


 私は『はぁ』とため息をついて、シラスの後ろについていく。

 そして、ぎこちなく歩く、彼の手を握った。


「い゛っ!?」


 シラスは、慌てて私の顔を振り返る。


「ななななっ、なんですかっ!?ルミル氏!」


 驚いているからだろうか、喋り方がおかしくなっている。


 普段、あれだけ私と話す癖に、なぜ手を握っただけで、そんなに挙動不審になるのか。まるで、別人になったみたい……。


 彼が女性に対してウブである事は、実は以前から知ってはいたが……。


 それなのに、いつも丸裸の装備で私を揶揄からかってくる。

 水鉄砲で撃たれたくらいでも即死するような、貧弱すぎるその格好で。


 だから、少し分からせてやりたくなるの。

 女を揶揄ったら、色々な意味で後悔することを──。


「デートしたいんじゃなかったの?」


 私はえてイジワルな問いかけをする。

 

「いや、冗談に決まってんだろが!!かっ、勘違いしてんじゃねーよ。だからお前“地雷”みたいって言われんだよっ!!ばぁか!!」

「は?」


 またもデリカシーの無い言葉が飛んで来たので、私は握った手を離し、冷たい視線をシラスに向けた。


「あっ、嘘……全然地雷じゃない!!なんていうかこう、サバサバ系?」


 私は呆れた眼付きで、シラスにもう一度問いかける。


「どうするの……手繋ぐの?繋がないの?」


 そう問いかけると、もう一度この手を戸惑う彼に差し出した。


「お前の将来のために取っとけよ……」


 しかし、シラスは両手を上着のポケットに突っ込み、くるりと反対側を向いた。


「そう……」


 私はゆっくりと腕を下ろした。


「行くぞ……」

「うん……」


 返したその声は、何処か掠れかかっていた──。


 シラスの後ろを着いて行き、アパートの階段を下る。

 階段を降りると、閑静な“住宅街の景色”が広がる。

 遠景に見える山々、木々に囲まれる街並み、そして、広々とした歩道。


 その雰囲気は、とても落ち着いてる。


 住宅街を抜けると、繁華街へと続く『学生通り』に出る。

 景色は一変し『喫茶店』や『雑貨屋』といった小粋な店が景色を彩る。


 この通りの先に行き付けの『画材屋』があり、道行く学生達を通りすがりながら、その場所を目指す……。


「なぁ、寝てないでよかったのかよ……?」


 シラスは正面を向いたまま、隣を歩く私に問いかけてきた。

 しかし、しばらく話をする気分ではない……。


「なぁって……」

「はぁ……朝のお散歩くらい、いいでしょ」


 しつこく聞いてくるから、少し棘のある言い方になってしまった……。


「なに、不機嫌そうな顔してんだよ……?」

「別に……」


 学生通りを歩いていると、やはり同じ年代の人達が多く通り過ぎていく。


 そして、見たことのある、制服を着た学生も見受けられる。

 おそらくだがシラスと同じ学校の生徒だろう。

 すると、人が横を通り過ぎる度にシラスは少し俯く。


「ねぇ照れてるの?もしかして、私居ない方がよかった?」


 つい、また皮肉になってしまった……。


「そ、そんなわけねぇだろ……。お前こそ、俺とカップルに見られてるかもしんねーぞ?」

「私、そういうの気にしないから……」

「あぁ、そう……」


 しかし、同世代の人が通る度に少し俯くシラスの態度は、どこか後めたさがあると言える。


「アナタ、学校ではちゃんとやってるの?」

「余計なお世話だっ」


 シラスには、またイジワルな質問に聞こえたかもしれないけど、私は単純に気になったから聞いただけだった。


 しかし、それなりの返答を期待したが、案の定、あまり人間関係が得意でないみたいだ。

 そんな彼が少し心配になる。


「シラス、友達は無理に作る必要はないと思うけど、思い出ってとても大事だから、色々な人と交流してみるのも悪くないと思うわ」

「交流ねぇ……。でも俺、大事な友人がちゃんと居るからさ。そいつとの思い出が、俺にとって1番大切なんだ」


 よかった、それならいい……。

 そう言ってくれて、安心した。


 困った時に助け合える仲間は、誰しも1人は居た方がいいのだから。

 そういった友人こそ、大事にするべきだ。

 

「そうなんだ。よかった、アナタにも大切な親友がいるの聞いて、なんだか安心した……」


 私は気がつくと、さっきまでのモヤモヤは消えていて、素直に喋ることができていた。


「数を増やすのも悪くないけどさ、俺にとってはそいつとの時間が大事だからよ」

「ふふっ、良いお友達ね」

「あぁ、よく気が合うんだ」


 大事な親友を、自慢げに語るシラスを見て、私の心は、安堵していた。

 すると、彼ともっと話してみたくなる。

 せっかくの休暇なのだから、お互いのことをもっと知るのも悪くない。


「ねぇ、シラスの学校ってどんな感じなの!?」


 つい、子供のような質問をしてしまう。


「どんな感じって……普通だろうよ」


 小学生男子かっ!!


「普通って……。学校で好きな子とか居ないの?」

「居ねーよ」

「そっか……。でもいつか出来るといいわね」


 いつかは、きっと……。


「さぁどうかな。お前はどーなんだよ?そういう話好きなんだろ。女子トークみたいなの」

「私は……」


 歩む足は、自然と止まった。


「あっ?」


 急に止まり出した私を見て、シラスも止まって振り返る。

 そして、心配そうな顔をして覗き込んだ。


「あぁ、わりぃ。お前の想う“男”ってのは魔界に居るんだもんなぁ……。それに、ここで恋愛してる時間もねーし?野暮な事聞いちまった。忘れてくれよ」

「別に、そう訳ではない……」

「えっ……」

「好きな人……居るの」


 少し冷たい風が、吹き抜けた。

 シラスは、明後日の方向を向き、沈黙する。


「……へぇ」


 彼は、次の私の言葉をうかがっているように見えたが、私も言葉が見当たらなくなり沈黙してしまう。

 しかし、彼の時間を奪ってはいけないと思い、また重くなった足を動かし始めた。


「まぁ、お前が好きになるくらいなんだから、よっぽどの奴なんだろうな」

「えぇ、とても素敵な人よ」

「……へぇ」


 私もシラスも、顔を合わせることなく、ただひたすらに、歩き続ける。


「けどね、想いを伝えられないでいるの……」

「そ、そっか……」


 ……。


「想い伝えれば、その人を不幸にしてしまう」

「いや、そんな事ねーだろよ……」

「そんな事あるっ!!」


 私は、胸の中にしまっていたものを、叫んでしまっていた──。

 気がつけば、動かす足もまた止まっていた。


「どっ、どうしたんだよ、急に……」

「ごめん。私、“恋愛”向いてないの。頭冷やさなきゃ」


 私は、彼から目線を逸らし俯く。


 すると、この肩がポンと叩かれた。

 正面を向き直すと、シラスが腕で私の肩を押さえていた。


「なぁルミル、きっとそいつもよぉ、お前に告白されたら嬉しいと思うぜ?お前、美人だし、飯も美味いし、だからいつかは、思いを伝えてみてもいいんじゃねーかな」 

「シラス……」

「もしそいつがよぉ、不幸になっても、お前に思いを伝えてもらっただけで、釣りが来るくらい幸せなんじゃねーかな」


 ……。

 やっぱり、彼は優しいな。


「だから元気出せって」


 俯いた顔を、少し上げてみせる。


「その、ありがとう、シラス……」


 私は、少しだけ彼の瞳を見ると、恥ずかしくなって直ぐに逸らした。


「それからさぁ、さっき俺が言ってた“大事な親友”って実は、お前のことなんだ……」

「えっ……?」


 シラスは、私の肩から手を放すと、もう一度上着のポケットに突っ込む。


「学校には、友達なんて全然居ねーけどよ、お前と居る時間が、すんげー楽しいんだ。だからさ、もし、そいつとお前が付き合っても、その……友達でいてくれるか?」

「当たり前でしょ」


 自然と、目の前の肩を掴み、その思いを伝えいた。

 目元に溜まり出した滴が、頬を伝う前に、手の甲で拭う。

 感情的になると、いつもこうなる。


「ルミル!?」

「ずっと……友達でいるに決まってる」


 私は肩に置いた手を、そっと下ろす。


「そっ、そっか……ありがとな」

「シラスも……シラスも、私とその、ずっと友達でいてくれる?」


 腕を後ろに回し、モジモジとそっぽを向いて問う。

 なんだか、らしくない……。


「何言ってんだよ。当たり前だろ、俺の1番の親友でアシスタントなんだからよ」


 その言葉を聞いた時、ほっとした。

 ただ、嬉しかった。


「ありがとう、シラス……」


 私は、彼の袖を掴み、また歩み始める。


「行こ」



 ※


 

 学生通りを歩き続けると、少し広い敷地の中に子綺麗な建物が見えてくる。

 建物はビルになっており、各階層に色々な店が入っている。


 その一階にある、ステンドグラスで装飾された大きな窓ガラスが特徴の店。

 ガラスがキラキラと陽光に反射しており、特異な存在感を放つ。

 そう、ここが目的地である画材屋だ──。


 窓ガラスの外からは、店内のあちこちでぶら下がるレトロな電球が目に入る。外からも暖色の照明を感じることができ、瀟洒しょうしゃな雰囲気を感じる。


 画材屋に足を踏み入れると、フレグランスの心地よい香りが身を包む。


 天井には大きな“シーリングファン”が吊らされており、のんびりと回ってる。

 まるで、カフェに来たような気分だ──。

 

 店内は日曜日だからだろうか、昼前でも既に来店客で賑わっていた。

 同年代が多く、中には制服を着ている子もいる。


 私とシラスは、店内をゆったりと観て回る。


 商品棚に並ぶのは、一般の文房具屋ではあまり並ばない、商業用に使用される画材が多い。


 “同人誌”や“漫画”を描く為に使用する、『つけペン』や『インク』はもちろん、『絵の具』や『コピック』など、様々な画材が揃っている。


 つけペンに関しては、魔界では文化的なモノであり、日常的にに使用されている。

 だが、この世界では漫画を描く事に使用される場面が多く、それに特化した商品が多いようだ。


 強弱がつき、入り抜きのしやすい『Gペン』に、均一な線を引きやすい『丸ペン』。


 私は、背景を担当することが圧倒的に多いから『丸ペン』を使う事が多いのだ。

 対して『Gペン』は高いポテンシャルを秘めてるものの、扱いが少し難しい。けれど、うちのシラス先生はこの『Gペン』を愛用している。普段はおちゃらけているシラス先生だけど、そういった一面は素直にカッコいいかな。


 そんなことを思いながら、私は『ペン先』の商品を見つめる。


「なんだ、ルミル。お前も“Gペン使い”になんのか?」


 すると後ろから、シラスの快然たる声がする。


「シラス先生が教えてくれるならねっ」


 私も、つい楽しくなってしまい、ご機嫌な声で返す。


「おっ、おお。じゃ一緒に『Gペンの覇者』になろうぜっ!」

「ふっ、なにそれ」


 少し調子に乗るシラスを見て、吹き出してしまう。

 

 楽しい………。

 とても楽しい………。

 やはり、今日は彼と一緒に来れて良かった。


「Gペンのぉ……おっ?」


 すると彼は立ち止まり、隣の柱に貼られてあるポスターを見つめる。


「どうしたの!?シラス」

「コンクールか……」

 

 気が抜けたようにポツリと呟くシラス。

 私は、シラスが目を向けるポスターをよく見える。


『クリエーション・ワールド』


 そう大きく書かれたポスター。

 どうやら、創作物のコンクールらしい。


 シラスが真剣にポスターを見つめているので、私も一緒に眺めていた。


「ありゃ?吹寄くんじゃねーの……」


 すると突然、真後ろから、無骨な声が聞こえた。

 後ろを振り向くと見知らぬ顔ぶれが、私とシラスを取りまく様にたたずんでいた。


 4、5人程の同年代の男達。

 それは、見るからに野卑やひな風貌の連中だった。


 先頭に立つ少し大柄な男は、いかにも連中のリーダーとでもいう様な横柄おうへいな態度をかもし出している。

 どうやら、この男が話しかけて来たようだ。

 

「こんな所で何してんの!?」

「なっ、なんでもないよ……」


 男が話しかけると、シラスは少しおどおどした様子で、背筋を丸めながら答えた。


「画材屋なんて、お前が来る所か?お前、そんなに絵上手くないじゃんか。お前には勿体無いだろ」


 私は目が点になった。

 それは一瞬、聞き間違いかと思う程の衝撃的な言葉だった。


深谷ふかやくん、言い過ぎだって」


 連中の一人が、大柄の男に便乗するように会話に割り込んでくる。

 深谷。そう呼ばれた男は、次に私に目を向けた。

 

「ん?もしかして彼女!?吹寄ふきよせ、お前なに一丁前に彼女連れてんだよ」


 男は、シラスに近寄り話しかけ続ける。

 しかし、シラスは視線を落としたままだ。


「“女友達”居たんだ、吹寄くん!!」


 また男の言葉に便乗するように、側近達が口々にはやし立てる。


「辞めとけ、こんな奴。キミ、うちのサークルに来なよ。コスプレとか絶対似合うって!!ねぇ深谷くん、どお!?」

「へぇ、確かに可愛いな。ねぇ、なんでこんな奴と一緒に居るの?」


 どうやら、悪魔はこの世界にも居るらしい。

 この“悪魔ども”には、殺意が込み上げてくる。

 もう、感情が抑えきれない。

 私は、男を睨みつけた。


「えっ、恐いんですけど!!怒んなって、ねぇどこの学校?何年生!?」


 すると、シラスが私の腕を引き、この場を後にしようとする。


「吹寄……?もしかして、この前の校内コンクールで“銀賞”取った奴じゃねーの!?」


 側近の1人が、突然思い出したかのように騒ぎ立てる。


 銀賞……?

 一体どういうこと。


「えっマジで!?こいつ!?」


 シラスの足は止まった。

 

 もしかして、シラスは以前、コンクールで受賞したことがあるのだろうか……。

 でも、なんでそんな喜ばしい事を、私に話してくれなかったのだろう。

 祝われたくなかったのだろうか……。


「はっ、どうせあれだろ?AIの上からなぞっただけだよ。素の画力じゃ、俺のが上だっての」

「だよなー。小細工無しだったら、深谷くんが銀賞取ってたよ」


 私はシラスの手を振り解いた。

 後ろを振り向いた途端、もう理性には縛られなかった。


「彼に謝れっ!!」


 私は、男の胸ぐらを掴みかかっていた。


「なっ、なにすんだよっ!けっ、警察呼ぶぞ!?」

「止めろ、ルミルっ……」


 私はシラスに肩を引っ張られ、男と引き裂かれた。

 その後、彼は私の手を引いて、店の出口へ向かった。


「ふざけんじゃねー!!この金目当てのビッチがよぉ!!お前、どうせヤリマンなんだろっ!!」


 後ろから、何か声が聞こえたが、無視して店を後にした。


 走る。

 無性にただ走り続ける。

 彼に手を引かれながら──。


 通り過ぎる街の景色。


 店からどれくらい離れただろか……。

 気がつけば、学生通りを抜けて、繁華街の近くまで来ていた。


 彼に声をかけていいのか迷った。

 でも、彼の気が動転してないか心配になり、私は決心を決める。


「シラスっ!?」


 すると彼は、何も言わずに速度を落とし、立ち止まった。

 この手を強く握りしめたままだ。


「もう、大丈夫だから……」


 私は、彼と繋がれた手を見て、半分呟くように声を掛けた。


「あっ、わりぃ……」


 シラスは我に返ったのか、握り締めた私の手を離す。

 そして振り返り、素顔を見せてくれる。


 良かった。

 私は、爆発しそうだった、この心臓の音が落ち着いていくのを感じる。


「その、ごめんな。嫌な思いさせちまって」

「シラスは全然悪くないっ。アイツらが、最低な事言うから……」


 繁華街を目前にした路地裏で私とシラスは、しんみりと会話をする。

 こんな時、なんて声を掛ければいいだろうか……。

 それとも、彼を抱擁してあげればいいだろうか。

 そうしいてあげたい気持ちはあるけれど、ソレをしていいのだろうか。


 腕に刻まれた紋章を見つめる。

 今の彼と、私の気持ちが同であることは分かっている。

 私たちには、特別な繋がりがあるから。

 

 いや、そんな繋がりさえなくとも、彼の気持ちは理解できる。

 同じ『人』だから。


 私は彼を抱擁しようと、ゆっくりと手を伸ばした。

 けれど、それは出来なかった。


 気がつくと抱擁するのではなく、彼の袖を掴んでいた。

 私はいつもそうだ……。

 けど今は、彼の袖を掴むことで精一杯だった。


「ねぇ、シラス……。聞く必要も無いと思うのだけれど、聞いてもいいかな……」


 画材屋での出来事を探ろうとした。

 慎重になりながら、彼の心を傷つけないように。


「あぁ、さっきのことか?」


 すると、彼は私の問いに反応してくれた。


「うん……。あの人たちは同級生?」

「まぁそうだな。でも俺が知ってるのは、真ん中にいた深谷って奴だけだ。俺と同じ漫画研究部だった……」


 漫画研究部?

 シラスは最初は帰宅部ではなかったということなのだろうか。


「うん、それで……?」

「100人を超える大人数の部活だった。そんな大規模な漫研にはコンクールがあった。8ページが規定で、合同の場合、4人まで。それぞれグループを結成し、人数合わせの募集をかけていた。俺は売れ残っていたが、顧問の先生が、まだ募集を掛けてるグループに俺を連れて行ってくれた。だが、行ってみると、既に枠は埋まっていたんだ。それが深谷だった」

「えっと、それはそのグループの子達が、深谷に個人的に声を掛けていて、シラスのタイミングが遅かったってことだよね?」

「そうだ。諦めた俺は、帰ろうとしたが、そのグループのリーダーに絵を見せて欲しいって言われたんだ。俺は言われた通り絵を見せた。するとリーダーは、深谷よりも俺の方を気に入ってくれたんだ。そして俺は、そのグループに所属することになった」


 なるほど。どうやら、2人の因縁はその時からのようだ。


「作品が出来た俺は、グループのリーダーに納品し、あとはコンクールの結果発表を待つだけになった。だが、後日リーダーから合同紙をエントリー出来なかったという連絡が来た。理由を聞けば、俺の絵がトレースなんじゃないかと疑われていたかららしい。その疑惑を集計員の先輩に突きつけたのが、深谷だった」

「なにそれ……そんなのただの嘘じゃない」

「まぁな。絵柄のせいもかもしれないが。結局、俺はグループのメンバーからも蔑まされ、漫研を辞めることになった。でも悔しかったから、沢山練習した。アルバイト代わりに同人誌の下請けの仕事を始めたのも、それがきっかけだった。二年生になり、もう一度コンクールに応募しようと思った。俺は8ページを全部自分で描くことにした。結果は銀賞だった」


 知らなかった。

 シラスの部屋には、トロフィーも盾も、それらしき物が置いてなかった。


 無論、私はその8ページの作品も見せてもらった事はない。


 分かっている……。

 シラスがそんなことを私に自慢するような人ではない事くらい。

 だって彼の目標は、もう漫研のコンクールなんかじゃない。

 同人誌の頂点に立つことなんだから──。


 前に言っていた。

 好きなキャラを好きな風に描けて楽しいって。

 シラス、私はだからキミについて行きたいんだ。


「結局その後も、なぜか逆恨みされてるって感じさ。まぁ、でも俺の絵が微妙なのは本当のことさ。勘違いされないくらいの画力は無い……」

「そんなことないよ!!私は、シラスの描くキャラクターが好き!!シラスの絵が好きだから、アシスタントをしてるっ!!」

「ありがとう、ルミル」


 シラスは静かに、人なつこく笑ってくれた。


「なぁルミル、次の仕事、一緒にやらないか?」


 それは突然だった……。

 けれど、どういう意味か、もう少し掘り下げなければ分からない。


「えっ……いつも一緒じゃない?」

「まぁそうなんだけど……2人で一本作らないか?俺とルミルでシナリオを考えるんだ。デザインも、作画も、全部2人だ」


 そういう意味だったのね。

 でも、私には難しいのではないか。

 どう考えても、力量不足だ。


「でも私、シラスの足で纏いになる。やるならアシスタントの方が……」

「そんなことない!俺とルミルの絵柄は似てるし、2人でやる事に意味がある」

「2人でやることに?」


 するとシラスは、一枚のチラシを手提げから取り出す。


「これって……」

「さっき、俺たちが見てたポスターのチラシ。『クリエーション・ワールド』。創作の全国大会だ」

「まさか、仕事って……」

「やってやろうぜ、ルミル。ここで“金賞”取って、俺たちの名を轟かせるんだ!それに、アイツらも見返したいしな……」


 それは、何かにときめくようだった。

 自分を誘ってくれたことが、嬉しかった。

『青春』ってこんなにも、熱いモノだったんだ。


 学生達は皆、きっとこれを知っているのだろう。

 私は、知らなかった。

 今まで、どれだけ小さな場所に閉じこもっていたかが分かる。


 初めての感覚に痺れ、私は、シラスの手を握る。

 衝動的とは、この事を言うのだろう。

 握りしめた手は熱く、『情熱』が煌めいていた。


「おっ、おい!!将来の為にとっとけって言ったろ!?」

「私の将来は、ここにある」


 彼の瞳が大きく開くのを見た。

 とても綺麗な瞳をしていた。

 私もきっと、輝いていたのかな。


「それに、さっきも握ったでしょ?」

「あぁ、そうだっけか?」

「無自覚で触ったの!?最低!!破廉恥!!」

「いや、そんなボロカスに言わなくてもいいだろ!!」


 私は、元気そうになったシラスを見て、笑みが溢れてきた。


「ふっ、笑わせないでよ……」

「そりゃお前だろ……」


 彼も、少しニヤけた笑顔がこぼれ落ちた。

 そして私は、追い風に誘われるように、そっと腕を伸ばした。

 彼もまた、それを見て腕を伸ばす。


「「よろしく、相棒!!」」


 今度こそ、何にも縛られることなく、彼の手を掴んだ。

 今思えば、全てこの時の為だったのだろう……。

 そしてまた、握り返す彼の手は、少し握力が高く、少年の情熱を感じさせる。


「そんじゃ早速、“資料探し”に行こうぜっ」


 そうだ。やると決まったからには、しっかりとした下準備が必要だ。

 思い立ったら直ぐ行動。とても大事な事だ。


「うっ、うん。どこのお店?」

「まぁ、行ってみれば分かるよ」


 シラスは得意げな表情をしてみせた。

 こういう時、とても頼りになる。


 私は、そっと彼の袖を掴み、付いていった。



 ※



 路地を抜けた先にあるのは、賑やかな繁華街だ。

 先程までの、程良い“田舎”の景色からまた一変し、色取り取りの建物に包まれる。


 この繁華街は所謂いわゆる、『下町』と呼ばれる区域であり、飲食店からファッションブランドまで様々な店が並ぶ。

 その中でも、若者向けの店や施設が多く、『カラオケ』や『ボーリング場』などのアミューズメント施設や、『アニメグッズ』を豊富にそろえた専門店まである。


 野外に並ぶカフェテリアを見れば、若者の“愉楽ゆらく”が詰まる街であることを、より実感できる。


 美味しそうなクレープにアイスクリームを味わいながら、のんびりとお茶をする人達の景色。

 通りすがると、つい羨ましくなって見惚れてしまう。


「帰り、寄ってくか?クレープ」

「えっ!?」


 突然、聞いてきたシラスに驚いて、少し身体が跳ね上がった。


 恥ずかしい……。

 悟られてしまった。


「なっ、私、そんなに食べたそうにしてた!?」


 自分で聞いていても、おかしな返答である。


「してたろ」


 シラスは少し吹き出しながら、ニヤける。


「いい、また今度。今は、それ所じゃないんだからっ!!」

「そうか。じゃ、今度行こうな」


 冷静な返しをされると、何故か顔の体温が上がる……。

 今きっと、顔赤くなってる。

 私は平然を装うためか、シラスの袖を強く握りしめた。


 少し歩くと、賑やかなポスターや広告が沢山貼られている建物の前で、シラスは立ち止まった。

 もしかして、目的地って此処ここ


「行こうぜっ」

「うんっ……」


 そう言って、私はシラスについていく。

 入り口の自動ドアをくぐれば、すぐに商品棚が見えてくる。


 そこに飾られているのは、『ゲームのパッケージ』

 どうやら、目的地は「ゲーム屋」だったみたいだ。


「ねぇ……ここっって、“ゲーム”っていうのが売ってるお店でしょ?」

「中古だけどな。見ろよルミル、『ファイナルモンスター5』のパッケージ付き美品!!ネットじゃプレミアム付いてる代物だ。それに、『秋葉図ストリップ』の美品も!俺が中坊の頃に買えなかったやつ!!」


 店内の商品棚を見て、楽しげな素振りを見せるシラス。


「へっ、へぇ……。でもどうして、ゲームのお店なの!?」


 とりあえず、気になって仕方がない事を先に聞く。


「安いから」


 また、理解し辛い返答が返ってきた。

 一体どういうことなのか……。


「えっと……え?」

「同人誌を描くにあたって、シナリオやデザインの参考資料が必須だろ?中古ゲームには、それら全てが詰まってんのさ。このワンコインに」


 なっ、なるほど。

 とても、ぶっ飛んだ理屈だが、彼なりの理由があり、この場所を選んだようだ。


「でもそれだったら、ゲームじゃなくて、同人誌や漫画を資料にした方がいいんじゃない?」

「作画のノウハウはなっ。だが、他のアイディアは、漫画のような“出来上がってる絵”を見るよりも、ゲームのような“テキスト”から読み取ったほうが、自分で想像する練習ができる」

「はっ、はぁ……」


 無茶苦茶に聞こえるが、これもまた真剣に言われると、そうなのかと納得してしまう。


「それに、ゲームのテキストは“小説”とも違って基本的に“セリフ”で構成されている。セリフだけで回す“漫画や同人誌”に演出の感覚が近いんだよ」


「なんか……こじ付け感がすごいけど」

「まぁ、いいからいいから」


 シラスは笑顔で中古ゲームのパッケージを抱きしめる。


「結局、シラスがゲームをしたいだけに見えるなぁ……」


 私は、ゲーム屋の風景を見渡しながら言う。


「ルミルぅ……ゲームってのはな“体験”なんだよ。実際に自分の手で動かし、世界観を開拓する。この体験こそがクリエイターの美学なんだよ」

「ふーん……」


 私はジト目になり、シラスの熱弁を聞いていた。


「ふーんってなんだ!ふーんて!」


 そう言ってシラスは「ファイナルモンスター5」を愉快な顔つきでレジに持って行き、会計を済ませる。


 私はその間、店内のショーケースを見て周る。

 この“ゲーム”とやらは魔界には存在しない、この世界の文明の娯楽。

 

 パッケージや、その中身の機器には色とりどりのイラストが飾られている。

 シラスたちはこれで遊んで育ったのだろうか。

 すると会計を終わらせたシラスが、ご満悦な様子で帰ってくる。


「お待たせっ、さっ行こうぜルミル。帰りにスーパーでも寄ってくか」


 自動ドアを潜り、店を出る。

 そういえば、冷蔵庫にはもう殆ど何も入っていなかった。

 夕食の為に、何か買って帰らなければ……。


「シラス、夕食は何食べたい?」

「ハンバーグ!!」


 きっと、そう言うと思った。


「あなた、好きよね……」

「あっ?あぁ、美味いからさ。ルミルが作ってくれるの」


 そう言ってくれると、素直に嬉しいし、作りがいもある。


「褒めても、いつもと変わらないわよ」

「その“いつもの”が良いんだろ」


 私は、少し嬉しくなって口元が緩みそうになる。

 手料理を褒めてくれる人は、もう彼しかいないのだから……。


 その彼を私は大切にしたい。

 もう二度と、失ってはいけない。


「ねぇシラス?参考資料がゲームの理由……私、分かったの」

「ん?」


 シラスは、隣を歩く私に振り向く。


「2人で観れるからでしょ?シラスがさっき言ってた事を、私に共有しやすくする為なんじゃないかなって……」

「まぁーな」


 シラスは道筋の遠く先を見つめながら、気の抜けた声色で返事する。

 

「でも、1番の理由は別かな……」


 1番の理由?

 これ以上に、一体どんな理由があるのだろうか。


「その、お前とゲームしたかったから……かな」


 少し、恥ずかしそうに答えるシラス。


 私は、その横顔をそっと見つめた。

 少し照れくさそうに瞳を細める彼の横顔は、どこか、もどかしさを感じる表情をしている……。


 彼も私と同じで孤独を知る者。


 きっと、誰かに愛されたくて、誰かに認めて貰いたくて、誰かと一緒に居たくて仕方がない。   

 そうヒシヒシとその横顔から伝わってくる。


 けど、一緒に遊んで欲しいなら、最初から素直にそう言えばいいのに、男の子って、とても不器用。

 でも、その不器用な仕草も、彼なら手を差し伸べてあげたくなる。

 それは、私を救ってくれた彼自身の人柄からそう思ってしまうのだ。


 今の私は彼に恩返しがしたい。

 心にあるのは、ただその思いだけ──。


「じゃぁ、付き合ってあげる」


 私はシラスの横顔を覗きこむ。 


「えっ……」


 すると、シラスは驚いたように、私の方を向いた。


 何かに恋をしている。

 彼の表情は、そんな風に見えた。


 彼が私に恋をしていること。

 そんなことは、もう知っている。

 それでも私は、彼の思いに応えることはないだろう。




 

 私が一番大切な彼を、不幸にしてはいけないから──。






「ゲーム、私におしえてよ?」


 彼の緊張を解くために、ほんの少しの笑顔を作ってみせた。


 彼も笑い返してくれた。

 少し苦笑いにも見えた気がしたが。


「そっ、そう来なくっちゃなぁ。よしルミル、今夜はパーっとやろうぜ!お菓子とジュースも追加だ!!」


 すると突然、元気な声で言い放った後に、駆け出した。


「えっ?ええ……」


 前に駆け出す彼は、振り向いて無邪気な笑顔を私に向けた。

 それは、“青春”真っ最中の1人の少年と言える、そんな笑顔だった。


 夢を追い求め、どこまでも走り続けようとする希望の背中。


 その背中に私も夢を魅せるのだろう。


 走り出したあの日から、止まる事なくずっと私を追い求めてきた彼の背中に。


 私も、夢で応えたいのかもしれない。


 今日もまた、彼との時間を過ごす。

 それは、何時いつしか出会ったその日から、共に歩み、共に生きて行くことを決めた特別な存在かれとの時間。


 今ではもう、大切な親友となった彼との出会いも、始まりはぎこちなかった。

 しかし、あの悪夢から手を差し伸べてくれたのは彼だけだった。

 それは、今から半年前までさかのぼる。

 

 あの日、私達は運命をかけた契約を交わした──。



    

    ◇◆ さぁ、新たな幕開けを

              見届けろ──。


https://kakuyomu.jp/users/oosakiamu/news/16818023213740413835      [挿絵]



  【SATAN #11・新たなるプロローグ 終】


─────────────────────


           第一章  「花」 終




 


 

  ────◇◆ピックアップ◇◆────


『SATAN』の制作秘話を、こちらのページに載せてます!!

 今回はグーちゃんとモモカの誕生に付いてです!!

 是非、覗きに来てくださいっ✨


https://kakuyomu.jp/works/16818093075006112070/episodes/16818093075244629603


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