#10・ 契約ノート

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 モモカさんに会いに行ったあの日から、1週間が経った。

 

 最近は生活のために、アルバイトを掛け持ちしているため、中々モモカさんに会いに行けていなかった……。


 だから最近、彼女には寂しい想いをさせてしまっているかもしれない。

 けれど、今日はようやくの休暇で、久しぶりに会えるから、2人でゆっくり過ごす事ができる。


 俺は、数ヶ月前に仕事のために契約した“スマートフォン”をカバンから取り出す。


 指で画面に触れると、暗かった画面がぱっと明るくなり、待ち受け画面が表示される。


 待ち受けには、先日モモカさんの病室で撮った、彼女と俺のツーショットの写真。

 2人でベットに座り、彼女も俺もピースサインを決めている。


 ”自撮り”と呼ばれる方法で撮ったモノだ。


 俺は事あるたびに、このスマートフォンの待ち受け画面を開いてしまう癖が付いていた。


 彼女の笑顔を見ると、辛い事や、悩ましい事も、全て吹き飛ぶからだろうか。


 いや、『だろうか』ってなんだ。

 本当はもっと違う理由があるとでもいうのか?

 

 そうこう考えてるうちに、時刻は午後2時半。


 また、いつかのように俺は病院の玄関に立ち尽くしていたのだ。

 そして、待ち受け画面を眺めていた……。


 さて、約束の時間だ。

 俺は病院の玄関を潜り、ロビーを抜ける。

 そして奥にある階段を登り、2階へと進む。


 少し薄暗い廊下を奥まで突き進み、他の病室とは少し違うオーラを放つ、孤立する病室。


 モモカさんの専用の部屋だ。


 彼女は長年、この病院で暮らしているため、相部屋ではなく、個室をもらっている。

 

 そして、この病院の院長『東山』とは家族のような間柄で、シャワールームや洗濯機など病院の、ありとあらゆる機能を自由に使う許可を得ている。


 まさに、彼女にとってこの病院は、家そのもの。

 そして、彼女の病室は、他の病室とは少し間隔があり、多少大きな声で話しても、あまり迷惑にならないくらいプライベートが守られている。


 俺は、モモカさんの病室の前に着くと立ち止まった。


 なんと、ドアにメモ用紙がセロハンテープでくっついている。


 そのメモ用紙には、俺とモモカさんが考えた、“秘密の暗号文字”こと『グーモ字』で文が綴られていた……。


「えっと、ぐー……ちゃんへ?」


 俺はメモ用紙に顔を近づけ、グーモ字を読み上げる。


『グーちゃんへ、健診に行ってるので、もし来たら入っていいよ』

 

と書かれていた。


「フフッ」


 モモカさんらしいな。


 俺は少し微笑みながら、メモ用紙をドアから丁寧に外す。


 ドアを開けて病室に入る。


 目の前に広がるのは真っ白な壁に、真っ白なベット。

 窓から見える青空は、この病室の白たちを優しく包み込むほど、至極、広大である。

 ベッドの横には、正方形の形をした茶色の机。


 いつも、彼女はベットに座り、俺は向かいから丸イスに座り、この机を挟んで会話をすることが多い。


 その机の上に、一冊のノートが置いてある。

 どこにでも売っている普通の学習用ノートだが、表紙には“契約ノート”と大きな字で書かれている。


 俺は、机のノートを手に持ち、ぱらぱらとページめくる。

 そして、文字が書き込まれている最後のページを見た。


『10月××日、今日はとってもいいお天気!!

こんな日はお洗濯日和だからお布団とパジャマを洗ったよ。ふかふかで寝るのが楽しみ!!午後はグーちゃんが来てくれるみたい!また寝顔みせてくれないかな。あっ、私のは見ちゃだめだからねっ!!』


 そう、モモカさんの日記である。


 この“契約ノート”、俺とモモカさんの交わした契約の証明書でもあり、お互いのプロフィール帳や交換日記でもある。


 一冊で、色んな用途がある訳だ。

 完全に個人情報だから、基本的には俺とモモカさんしか触らない。


 こういうプロフィール帳とか一生懸命作るところが、モモカさんらしい。


 “女の子の塊”みたいな子だ、ホント。


 俺は彼女の日記を眺めると、ほかのページもぱらぱらと遡ってみる……。


 彼女との約半年の思い出がこのノートには綴られている。

 気がつくと、日記の1番最初のページを開いていた。


『5月××日、契約ノート作成。今日からいっぱい思い出つくるぞー!!』


 その文字を見て止まる。

 何故なぜか東山の言葉を思い出す。


『モモカちゃんは色々察する子なんだ……この先そう長くないって、きっと気づいているんだろう』


 ノートを握り締めて、立ち尽くす。


 窓の隙間から入ってくる風が、ただ俺の髪を揺らし、すり抜けた……。



 ✳︎



 目の前に広がる文字。


 見知らぬ文字。


 俺は、病室の丸イスに座り、壁を背もたれにして後ろに寄りかかり、だらし無い格好でとある本を眺めていた。


 “漢字ドリル”。


 俺は、この世界で暮らしていくために、この世界の言語を勉強していた。


 モモカと“下町の繁華街”に行った次の日から、俺はずっと文字を眺めている。

 ずっと、文字を追いかけていると、頭がどうかしそうだ。


 今日で3日目。


 初日は“ひらがな”。


 2日目は“カタカナ”と呼ばれる言語。


 コレが読み書きできないと、仕事をしようにも、できないからな……。


「グーちゃん、分かんない所ある?」


 俺が天井に“漢字ドリル”を突き出し、上を見上げながら、ダラダラ勉強していると、隣で少女の声がする。


 そう、今回に関しては隣に先生がいるのだ。

 紹介しよう。ナツメモモカ先生だ。


 彼女は、俺が文字を読み書きできるようになるために、病院の図書コーナーから、勉強用の教材を探して持ってきてくれた。

 

 そして、勉強する俺の隣に座り、面倒を見てくれている。

 そう、これ以上ないほど、頼もしい先生である。

 が……。


「あぁ……今んとこ大丈夫だ」

「わぁ、よしよし、グーちゃん、えらいねぇ!!」


 すると言うなり、彼女は俺の頭をワシャワシャとかき混ぜるように撫でて来る。


 俺は振動でゆらゆらと揺れながら、目の前の漢字ドリルに集中する。


 ……。


 さっきから、ずっとこうである。


 モモカ先生は優秀な先生ではあるが、俺を動物扱いしてくるのだ。

 致命的だろ?


「ワシャワシャ、ワシャワシャ、いい子、いい子!!フフッ」


 俺の頭を撫で続けるモモカ先生。

 普段であれば、『鬱陶しい』と一言いう俺だが、今回は別である。


 何故なら、モモカ先生の機嫌を損ねさせると、分からない所を教えてくれなくなる可能性があるからだ。


『フンっ!!グーちゃんなんて知ーらない』


 きっとこんな感じだろう。


 俺は一刻でも早く、この世界の文字を習得するために、我慢を重ねて、モモカ先生の指導を受けていた。


 つか、なんでこの世界の文字は3種類もあるんだよ。


 モモカ先生、1番分からない所はそこです。


 “ひらがな”と“カタカナ”はまぁまぁ覚えたが、この“漢字”とかいう文字、非常に厄介である。


 画数は多いし、一つの字だけでも読み方が複数ある。

 その上、組み合わせによっては、さらに別の読み方が生まれてしまう。


 宇宙だ──。


 なんで、ここの人類はこんな複雑なモノを自分たちをの言語にしてるんだよ。

 まるで暗号。混乱する。

 

「はぁ……」


 俺はため息を突きながら、仕方なく漢字ドリルを読み進める。


 モモカはというと、隣でノートに何かを書いている。

 俺は、彼女の書いてる姿を漢字ドリルの淵から、盗み見る。

 

 一生懸命書いている様子。

 そんなに、必死に何を書いているんだ……。


 すると、モモカが顔を上げた。


「グーちゃん、私達も文字を作らない!?」


 彼女と目が合う。


 …………。

 また、とんでもない事を言い出したぞ。

 

「あ?んだそれ……」

「なんかさ、かっこよくない!?オリジナルの文字!ファンタジーの世界に飛び込んだみたいで!」

「ふーん……」


 オレにとってはこの世界の方がよっぽどファンタジーなんだけどな。

 モモカの話を流しながら、漢字帳に書いてある字を眺める。


「ねぇねぇ!魔界にも文字ってあるの!?」

「あぁ……」


 俺は暗記に集中してるため、適当に返事する。


「グーちゃん、書いてみて!」


 俺は漢字帳から目を覗かせ、ウキウキなモモカをジト目でみる。


「お願いっ!ねっ?」


 ついに、両手を合わせて頼み込んでくる。

 そんなにキラキラとした瞳で見つめられると、困ってしまう。


 俺は仕方なく、漢字帳を一度机に置き、紙の上にペンを走らせる。

 少し筆圧の高いペン先がカリッ、カリッと心地よい音を奏でた。


「えっ?すご!!かっこいい!!これ、魔界の文字!?」


 俺が文を書いてみせるとモモカは嬉しそうに反応してきた。


 興味深々だから、段々悪い気がしなくなってくる。

 また俺、彼女に踊らされているような……。


「これは、悪魔文字だ」

「悪魔文字!?」

「魔界にも言語がいくつかあんだよ」

「へぇ〜!!」


 彼女はじっくりと俺の書いた文字を眺める。


「ってことはさ、天使文字とかもあるの!?」

「あるんじゃねーの?知らねーけどっ」


 本当に知らないので、俺は適当に返答する。


「えっ、知らないのっ?」


 すると、モモカが吹き出しながら、笑いだす。


 俺はまたジト目でモモカを見つめる。

 俺だって魔界のこと全部知ってるわけではないのだよ。


「グーちゃん、天使さんともお友達なの!?」

「んなわけねーだろ……」


 天使は悪魔の天敵なので、仲良く出来る訳がないのだ。


「えぇ、みんなで仲良くした方が絶対楽しいのに……」

「それが、そうもいかねーんだよ」


 モモカは、少し残念そうに『ふーん』と言いながら、次に俺の書いた文字に目を向ける。


「ねっ、この字なんて書いてあるの!?」


 悪魔文字を指差し聞いてくる。


 “お勉強させてください”だ。


「さぁーな」


 俺は再び漢字ドリルで顔を隠す。


「もぉ……いじわる。グーちゃんなんて、フンっだ」


 はいはい……。


「ねぇグーちゃん、そういえば魔界ってどんな所!?全然聞いたことなかった!」


 なんだ、今日は質問が多いぞ。


「っロクな所じゃねーよ」


 俺は壁にもたれかかり、背伸びをしながら、軽い口調で答える。


「えっ、そうなの?」

「まぁな。知らなくていいんだよ、お前は」


 俺は漢字ドリルを眺めながら、答える。


「えぇ、知りたいもん。写真とか見たい!」

「ねーよ、んなモン」

「そっかぁ……残念。グーちゃんの故郷みたかった」


 故郷ねぇ……。そんなもん、あるようで無いに等しいからな。


 物心ついた時には、既に魔王軍の傭兵として育てられてた訳だから。

 魔界の中でも俺が知ってる場所なんぞ、ほんの数カ所だけ。


 この世界とは違い、魔王国家は景色が暗黒に染まっているし、草木も枯れ果て、花も殆ど咲かない。 

 漆黒そのもの。


 俺も本当は魔界をモモカに紹介してやりたいが、まぁこんな現状なので彼女を喜ばせることは出来ないだろう。


「もう故郷なんて捨てちまったからさ、たぶん見せらんねーわ」

「えっ、あっ、ごめん……」

 

 すると、モモカが突然申し訳無さそうな顔をする。

 いや、そういう深刻な意味で言った訳では……。


「あっ、いや、全然謝ることねーって……」

「グーちゃん、もしかして、魔界にあんまり帰りたくないの?」


 鋭いんだよなぁ……。

 まぁ、俺が匂わせる事を言ったからではあるが……。


「帰りたくないっていうか……」


 モモカが少し心配そうに俺を見つめている。

 するとモモカがテーブル越しで、俺の方へ手を差し出す。


 テーブルに置かれた俺の手に、ふわりと柔らかいモノが上から被さる。

 そして俺は一瞬ビクッと身震いをしてしまった……。


 モモカが俺の手を包むように握っていた。

 温もりがあり、とても優しい肌触りだ。


「私でよかったら、話聞くよ。グーちゃんの事、昨日はあんまり聞けなかったから」


 俺は、彼女の薄緑色の瞳を瞬きせず、ただ見つめてしまっていた。

 よく見ると、とても綺麗な色をしている。


 しばらくの間、キョトンとしていたが、俺はハッと我に帰る。


 ダメだ……。

 彼女に俺、狂わされっぱなしだ。


 被さった彼女の手を見つめていたが、落ち着いて、もう一度目を合わせる。


 現を抜かすな……。

 真面目になれ。


 俺は頭の中を精一杯、回転させながら、今何を話すべきか考える……。


 そうだ……。

 確かにだ。そろそろ彼女に俺の本当の素性を明かすべきだ。


 仲間として、友人として知っておいてもらいたい。

 別に隠すほどの事ではないからな。

 意を決して、彼女に語りかける。


「俺、魔王軍クビになったんだよ」

「え!!なんで!?」


 モモカは目を少し大きく開いた。


「なんかな、後ろからさぁ、銃を持った敵に尾行されてさ。そんで本来なら、そいつと戦わなきゃいけない訳……」

「えっ、うん、うん!」


 語りかけると、モモカは俺の話を真剣に聞こうとしてくれる。


「でもな、そいつの持ってる銃がよ、強力なモノって分かったから、戦うよりも逃げる方を優先したんだ」

「そんなの、全然グーちゃん悪くないよ」


 彼女は眉間にシワを寄せて言う。

 

「まぁでも、そういう選択肢を取るのは魔王軍のご法度なんだ。今、俺が向こうに戻ったら確実に処罰されるって感じなのよ」

「そんなぁ……」


 モモカの手が、じわじわと熱くなっていく。

 俺に感情移入してるのか?


「まっ、どちらにせよ魔界に戻ることが出来ないから、考えるだけ時間の無駄なんだけどな。ははっ……」


 俺は笑ってみせた。

 モモカがあまり深刻になりすぎても嫌だからな。


「戻る方法は分からないの!?」

「あるにはあるって感じだ」

「それは、どんな方法!?」


 だが、彼女はこの話に食いついてきた。

 俺に被せた両手を熱くしながら。


「なぁ、体調大丈夫か、モモカ」


 心配になり、話を遮る。


「えっ、大丈夫だよ。なんで?」


 彼女は、キョトンとした顔つきで俺の目をみる。

 それは、なんで話を遮るの?とでも言いたげな表情だった。


「この話してても疲れないか?」

「全然疲れない。私グーちゃんのこと少しでも知りたいし、なにか力になれるなら、なりたいって思ってる」


 俺はこの先を彼女に話すか少し考える。

 本当は良くはないのだろうが、彼女が聞きたそうにしてるから話すべきだろうか。


 彼女に見限られたくないからだろうか……。

 俺の決断は曖昧だった。

 

「魔界へ戻る為には、“転移石”と呼ばれる石が必要なんだ」

「転移石……」


 彼女は囁くように復唱した。


「あぁ、それを今持っているのは、魔界で俺たちを襲撃した、例の銃を持つ女だ。しかもそいつは、恐らくこの世界に潜伏してるわけよ」

「どうして分かるの!?」


 モモカが何とも言えない表情で、問いかける。


「俺がその女を巻き添えにして、この世界に通じる穴に落としたからな」

「そっ、そうなんだ……」


 モモカが俺の手をやさしく撫でながら言う。

 やっぱり彼女は優しいな。


 とんでもない話を聞いてしまった。

 きっとモモカは、今そう思っているだろう。


 彼女の具合を悪くしたくないし、これ以上、緊張させるような話は辞めておくか。

 少なくとも、今日は。


「まっ、て感じだ。あぁ、心配とかするような話じゃねーからな」

「うん……その女の人が持ってるなら、その人を見つけて、説得しないとね」


 こういう話、意外とのめり込むんだよな、モモカ。

 コレ、話さないほうが良かったか……。


「まぁ、そういうこと。なぁ、さっきから気になってたんだけどよぉ、そのノート何書いてんだ?」


 俺は、この話を辞めるために別の話題へと舵を切る。


 さっきから彼女は、俺が勉強してる目の前で、何やらノートに書き込んでいる。


「あっ、コレっ!?ふふーん、気になる?」


 彼女は得意げに、上目遣いで俺の瞳を見る。


「なんか、すげぇ真剣に書いてるからさぁ」

「ジャジャーン!これは“契約ノート”です!」

「契約……ノート?」

「これはっ、グーちゃんと私の“取引の証明”なのですっ!!」


 なぜ敬語なの……。


「見てもいいか?」

「うん、いいよ!」


 モモカからノートを受け取ると、パラパラとページをめくる。


 所々、各ページに見出しのような文字が書かれているが、まだ殆ど最初のページしか作られていないようだ。


 表紙をめくった最初のページには、“契約事項”という見出しがあり、その下には文が書かれている。


『モモカはグーちゃんに、この世界のことをいっぱい教える!!』


『グーちゃんは帰れるまで、ここに遊びにくる』     

      

 という記述。

 これが俺たちの“契約の証明”。


 その下には、契約の細かいルールのようなものが記載してある。


 そして文字を彩るように、背景にはハートや花びらの模様。モモカと俺の小さくデフォルメされたイラストも描かれている。


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https://kakuyomu.jp/users/oosakiamu/news/16817330661656446147 【挿絵】

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 “契約”というワードの固いイメージから、かなりかけ離れた絵面になっている。

 だが、彼女なりの手描きで丁寧な造りには思わず感心してしまう。


「へぇ……」


 こういうの、好きなんだな。

 俺は、可愛らしくレイアウトされたそのページをじっくりと眺める。


 しかし、可愛くしすぎだろ……。

 これ、『契約書です!』って言われても一瞬なんだか分からんぞ。


 まぁ、そこも含めて彼女らしさがあり、愛嬌なのだが……。

 

 愛嬌……。

 なんだ愛嬌って。

 なぜ、愛嬌なんて言葉が出てくる。


 見惚れてるのか?このノートに。


 いや、彼女が俺たち2人の為に一生懸命描いたのだから、別に感心したっていいだろう。


 そうだ、別に普通である。

 ……。

 普通である。


「どっ、どうかな!」


 モモカの呼び掛けで、俺は我にかえる。


 どうって……どうなの……。

 なんて言えばいい……。


「あっ、いやよく出来てる」

「ホントっ!?」


 モモカは嬉しそうに瞳を輝かせる。


「それでさっ!このノートの1番最後のページに、オリジナルの文字を書こうって思ってるの!」


 そうか……。

 このノート、契約の記載だけじゃなくて、俺とモモカに関する情報を複数集約するモノになるという感じか。


 さっきページをめくっている時に、白紙の中に混ざって、“日記”や“プロフィール”といった項目を見た。


 このノートは俺とモモカが、お互いの事を把握し、理解する為のモノ。


 つまり個人情報そのもの。

 そして、その最後のページに綴られるのは……。


「でも、オリジナルの文字を覚えるのは、グーちゃんが大変だし、悪魔文字を私が覚えようかな」

「それはダメだっ!!」

「えっ!」


 俺が少し強い口調で言ったから、彼女を驚かせてしまった……。


「あっいや、すまん」

「ダメ……なの?」


 ダメだ。

 コレに関しては彼女にしっかりと説明しなければ……。


「あぁ。悪魔文字は、特定の配列や配置で危険な呪術を発動させる恐れがある。確率としては相当低いが、まぐれで呼び起こす可能性もある」

「そ、そうだったんだ……」

「それに、このノートがもし誰かに盗まれでもした時に、この情報をばら撒いてしまう可能性もある。だから、悪魔文字だけは辞めよう。なにが起きるか分からないからな」

「分かった!」


 素直でよかったよ、いい子だ……。

 だが常々つねづね気になっている彼女への疑問がある。

 それを聞いておきたい所だ。


「そもそも、なんでそんなに異文化の文字に拘るんだ?」

「それは……」

「ん?」


 一瞬、言葉を溜め込むように沈黙する彼女を、つい凝視してしまう。


「グーちゃんと秘密のお話がしたいから……かな」


 そして何故か、彼女は顔を赤くしながら答えた


 いや、なんでまた照れてんだよ!?

 ほんと、恥ずかしがりかよ!!

 一々すぎてこっちも、恥ずかしくなるわ!!


 つか、『かな……』って、なんで言った本人がよく分かってないんだよ。

 てか、秘密のお話ってなんだ!?


 ……。

 いや、とは言えだ……。

 今なら分かる。

 彼女の性格は、もうほぼ知っているからな。


 きっとモモカは、他者には干渉されないやりとりに、ロマンを抱いているのだろう。


 今までだって『契約』とか『まじない』とか、この世界では非現実的なもので、周囲からは理解されなさそうなモノに興味を示していたし……。


 そもそもこのノートの存在自体がそうだ。

 彼女の性格そのものといってもいい。


 まぁ、最初は乗り気ではなかったが、これも彼女との親睦と信頼を深める為だ。

 少し協力してやろう。


「分かったよ。一緒に考えてやるから、悪魔文字の習得だけは諦めてくれよな」

「一緒に考えてくれるの!?やったぁ!」


 こうして俺たちはオリジナルの文字を考えることになった──。


 50音をベースに、オリジナルの文字を当てはめて行くだけの簡単なモノだったが、モモカの拘りが強く、制作には2日かかった。


 オリジナルの文字をつくるのに、参考にしたのは、悪魔文字だった。


 モモカ曰く、この文字がカッコいいらしく、

似ている風に作りたいそうだ。


 そうして出来上がったオリジナルの文字。


 名前は……。


「グーモ字!!って名前はどうかな!!」


『グーモ字』に決まった。


 由来は『グーちゃん』と『モモカ』の頭文字からきている。


 最初は“グーモ文字”とか“モグー文字”とか、色々案があったが、語呂があまりよく無かったので“グーモ字”になったのだ。


「グーちゃん!一緒に考えてくれてありがとう!!」


 彼女はまた、とびきりの笑顔を見せてくれる。


 俺は、改めて2人で考えた文字を眺める。

 グーモ字。

 いいじゃないか、可愛くて──。


 


 ✳︎



 

 あの日のことを、思い出していた……。


 あの日モモカさんが作った、契約ノート。

 今ではこうして、たくさんの思い出が綴られている。


 …………。


 もっと。

 もっと、もっと思い出を残したい。

 このノートは、彼女が精一杯生きている証なのだから。


 時間が許す限り……。


 ノートは、ほぼ毎日交換日記をしていたため、最後のページへと近づいている。

 2冊目も準備しておかなければな。


 さて……モモカさんへの返信を書くか。


 俺は机にノートを置き、開いたページにゆっくりと文字を綴り出す。


『ふかふかで寝るの楽しみですね!今日、契約ノートをモモカさんが作ってくれた日のことを思い出していました。グーモ字、一緒に悩んで考えましたね。もっと、もっと、思い出を作りたいですね!!』

 

 ペンを置く。

 これでいいのだろうか……。

 彼女は俺の文を見る時、一体どんな感情なのだろうか。


 しかし、この文と思いは、決して嘘ではないのだ。

 気を使っている訳でもなく、彼女を子供扱いしているわけでもない。


 俺の本当の気持ちを綴ったのだ。


 俺は拳を握りしめる。


 なんで彼女と出会ってしまった。

 なんで彼女と仲を深めてしまった。

 なんで彼女だけが、こんな思いをしなければならない。


 彼女だって人間だ。


 普通に外に出て、遊んで、他の人間と仲良くして、色々な景色を見て、そして恋をして……。


 なんでそれが許されない……。

 考えれば、考えるほど、胸が痛くなる。

 その時だった──。


 ガラリと音を立て、部屋のドアが開く。


「グーちゃん!!」


 嬉しそうな明るい声。

 モモカさんだった。


「よかった!お部屋に入っててくれて!」


 彼女はドアを閉めて、目の前で立ち尽くす俺の所へ駆け寄る。


 言うなり俺に、軽く抱きつくようにスキンシップをとる。

 モモカさんの甘い香りが、ふわりと宙を舞う。


 モモカさん……。

 コレ、毎度、毎度、抱きつかれるの恥ずかしいのだが……。

 これ、色々勘違いされるぞ。


 そもそも、モモカさんだってもう年頃……。

 そんなに無闇に男にスキンシップを取るなんてことは、彼氏でも作ったあとにするべきじゃないのか?


 ……。


 いや、やっぱりモモカさんに彼氏なんて早い。

 人間の恋愛がどんなものか良くしらないが、

淫らな事しか考えてないような奴にモモカさんと関わって欲しくない。


 もし連れて来られたなら、俺が笑顔で追い返す。

 モモカさんの保護者としてだ。


「グーちゃん?どうしたの、さっきから固まって」

「あっ、いや……」


 彼女が不思議そうに俺の顔を見る。


「もしかして、イヤラシイことでも考えてた?」


 は?

 何言ってんの!?


「えっ、何が!?え、何が!?」


 俺は咄嗟に彼女から離れる。

 今、彼女の口からとんでもない言葉が出てきた……。


「まぁ、しょうがないよね……。グーちゃんも男の子だからね。可愛い子にスキンシップ取られたら困っちゃうよね」


 彼女は『やれやれ……』と言った具合に、離れた俺をジト目で見つめる。


 なぜか、体温が上昇する。

 たぶん今、顔赤くなってる。


 こんなこと言う性格だったか?モモカさん……。


 困惑。


「かかかかか、考えてねー、ませんよ!!」


 荒ぶりながら返答するが、口が回ってない。


「あれぇ、グーちゃん前の口調に戻ってるよ!?」


 なぜか、イタズラっぽく言うモモカさん。


「あっ……いや、ななな何を言ってるんですか?モモカさん」


 これ、また翻弄されてるぞ?


「無理しなくていいのに……」


 彼女は動揺している俺に、少し呆れながら言った。

 もういいだろ、十分辱められた。

 勘弁してくれよ、モモカさん……。


 俺は暫くジト目になりながら、モモカさんを見ていた。


 すると彼女は、『ハァ……』とため息をつき、この話を辞めてくれる。

 どうやら、俺への辱めを許してくれたみたいだ。


 そして、机の上の開かれたノートに反応するモモカさん。

 歩み寄り、嬉しそうにノートを掲げた。

 

「あっ、もしかしてノート見てくれたんだ!」

 

 モモカさんは、俺の書いた文を目で追う。


 まぁ色々あったが、さっきまでの暗い気分を彼女が晴らしてくれた訳だ。


 そうだ、どんな状況でも、元気でいなければ……。

 そうでなければ、彼女を逆に困らせてしまう。


 今日の俺は、自然と彼女に救われたということだ。


「ふふっ」


 すると、俺の文を読んだモモカさんが微笑んだ。

 そしてノートを机に置き、ノートに何かを書き出す。

 

 彼女の背中はとても小さいのに、何故だか大きな希望を感じる。


 嬉しそうで、楽しそうで……。

 もっともっと、生きていたい。

 そんな風に、彼女の背中から聞こえるようだった。


「出来たっ!」


 彼女はペンを置き、ノートを持ち上げて、くるりと回り、俺の方を向く。


「グーちゃん!!いつもありがとう!!」


 彼女はそう言いながら、俺にノートを差し出す。


 俺はノートを受け取り、交換日記の部分を見る。

 すると、さっき書いた俺の文の下に、“グーモ字”で綴られた文が書かれていた。


 俺はグーモ字で綴られた文を何度も、何度も読み返す。


「えへへ……」


 後ろに腕を組み、少し照れくさそうに俺を見つめるモモカさん。

 そんな彼女に俺も、とびきりの笑顔で返した。


 こんなにも、心の底から笑顔を作り出したことはあっただろうか。


 やっぱり彼女には、不思議な力がある。

 悪魔の俺さえも変えてしまう、不思議な力が。


 俺はもう一度、ノートのグーモ字を眺める。


『グーちゃん、大好き!』


 そう記述されたノートのページをただ、心踊らせながら見つめる。


「あっ、あっ、グーちゃん!昨日エンタ録画したからさ、一緒に見よ」


 彼女は恥ずかしそうに、俺の背中をポンポンと叩き、別の話題に切り替えようとする。


「えっ、あっ、いいですね!!観ます!?」


 俺はノートをそっと閉じ、机に置く。


 今日もまた、彼女と心躍る時間をすごすのだ。

 いつまでも、いつまでも、この優しい日常が続いてほしい。


 俺はただ、そう思っていたんだ……。




      ◇◆ 穏やかな二人の日常は──。



      【SATAN #10・契約ノート 終】


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