#9・あの日々は戻らない ③

 朝日に照らされた病室。

 私たちは互いの瞳を見つめ、ただ向かい合う。


「大切なお話?」

「三週間後に、足の手術が決まったんだ」

「そっそうなんだ」


 知っていた……。

 だから、少しわざとらしくなってしまった。


「手術がもし成功すれば新しい学校にすぐ行くことになるの。だから、モモカちゃんと一緒に居られるのは、あと三週間……。それでも仲良くしてくれる?」


 ユミちゃんは少し不安そうに私の顔色を伺う。

 でも私は決心していた。

 最初から── 。


「当たり前じゃない!もしユミちゃんが新しい学校にいっても、ずっと友達!」

「モモカちゃん……」


 ようやく言うことが出来た……。


 私はずっとユミちゃんにこの言葉を言いたかったのだ。

 きっと神様が私にこの場を設けてくれたのかな。


 朝日が上り、空も庭もこの部屋も明るく照らされていた。時間は流れ新しい1日が始まろうとしている。それでも私とユミちゃんはもう少しの間、この温かい空間に浸っていた。そのあとベッドで、ゆっくりと眠りについた。


 それから私たちは殆ど毎日、会って遊んだりお話をした。

 たくさん本の話をしたり、ユミちゃんのスマートフォンで音楽を聞かせてもらったり、面白い動画も見させてもらった。

 そして時にはユミちゃんから学校の話を聞いたりもした。

 ユミちゃんのお友達のことや、美味しい給食のこと、面白い先生のことや、好きな男の子のこと。

 たくさんの話をした。

 けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。


 そして三週間が経つ。

 ユミちゃんの手術の日はやってきた。


[10月26日]


 病院の玄関にユミちゃんとユミちゃんのお父さんとお母さんが待っていてくれた。


「ユミちゃん!」


 私は少し駆け足になり、近寄る。


「モモカちゃん、来てくれたんだ!」

「私、頑張るよ」

「大丈夫。きっと上手くいく」


 私とユミちゃんは最後にハグをした。

 そしてユミちゃんは、家族と病院の玄関を出た。

 私は、その姿を最後まで見送った。


 その日の午後も、いつも通り図書コーナーで本を読んでいた。

 しかし、ユミちゃんがいた生活が普通だったからか、どうも落ち着かない……。


 その日の夜も、どうしてもユミちゃんのことを忘れられないでいた。


「ユミちゃんも、こんな気持ちだったのかなぁ。離れるって寂しいな」


『私、頑張るよ!』


 私はユミちゃんの言葉を思い出す。


 ユミちゃん、手術がおわったら、ここの病院を卒業するんだよね。やっぱり寂しいな……。

 でもユミちゃんは新しい学校で新しい人生が始まるんだから応援しなきゃ!!


 そう自分自身に言い聞かせる。

 ユミちゃんを応援すれば、私は何も寂しいなんてことは無いのだから。


 ………。


 けど、もし手術が上手くいかなかったら……。

 そしたら、もう少しこの病院にいてくれるのかな。


 って何考えてるの私、そんな事考えちゃダメ。

 今のは最低だよ……。忘れなきゃ……。


 今はただユミちゃんの手術が成功することを願うだけ──。

 それだけなんだから。


[10月27日]


 いつも通り午前中は健診を済ませて学校の課題をやり、午後は図書コーナーで本を読み、そのあとに部屋でお絵描きをする。

 いつも通りのルーティーン。

 けれど、私の心はどこか満たされない。

 ユミちゃんのことを思い出してしまい、一緒に楽しく過ごした時間が恋しくなってしまう。


「……」


 気がつくとまた筆は止まっていて、私は机に顔を寝かせていた。

 ただぼーっと病室の白い壁をみつめながら、カチカチと鳴り続ける時計の秒針の音を聞く。


「ユミちゃん……」


 私、なんでこんなに寂しいの?


「ごほっ、ごほっ」


 急に息苦しくなり、咳をする。

 喘息が始まってしまった。


 私は、急いでナースコールを鳴らす。


 急いで看護師のお姉さんが私の部屋に駆けつけてくれて点滴と呼吸器をつけられる。


 ……。

  

 だめだ、また意識が遠くなる。



 ✳︎



 目の前には、見慣れた白い天井がある。

 私の病室だ。 


 私はまた、気絶してしまったらしい。

 首を傾け、壁の時計を見る。


 深夜1時だ──。


 こんな時間に目を覚ますのは変な気分だ。


 トントン。

 すると外でドアのノックがなり、誰かが部屋に入ってくる。


「モモカちゃん。目が覚めたんだね」


 東山先生だった。


「東山……先生」


 私は身体を起こそうとする。


「大丈夫だよ、寝たままで。今は安静にしたほうがいい」


 東山先生は、身体を起こそうとした私の肩に優しく手を乗せて言う。


「……」


 私はもう一度布団に身を沈める。


「よくナースコール押してくれたね。すぐに駆けつけられてよかった」

「東山せんせい?」

「なんだい?モモカちゃん」


 東山先生は、私のすぐ近くに来てしゃがむ。

 そして私は、東山先生の服の袖を掴んだ。


「東山せんせいは、私とずっとこの病院にいてくれる?」


 私は、心の中にしまってあったモヤモヤを取り出してしまった。

 なぜ、こんなことを聞いているんだろう。


 ほんとは分かっているくせに、私はそのモヤモヤの正体を見ないようにしていた。


「僕はここの院長だからね。ここから居なくなる事はないさ」

「ほんと?」


 私の目から自然と涙が流れてきた。

 すると東山先生はハンカチで涙をぬぐってくれる。


「あぁ、ほんとだよ」

「東山せんせい、私ユミちゃんが居なくなって少し寂しくて。それで気づいたら発作が起きて……」


 私は東山先生に聞いて欲しくて、心の中を全てさらけ出した。


「そうだったんだね」

「私、ユミちゃんの手術成功してほしい。けど……それと同時に最低な事を考えちゃって」

「最低なこと?」


 東山先生はキョトンとした顔で私を伺う。


「ユミちゃんが、もし手術失敗したらもっと一緒にいれるって……」

「そうか」


 すると何故か東山先生は穏やかな顔になり、私を見つめた。


「私、最低な人間だよね」

「ん?全然?」

「えっ……」


 返ってきた言葉は私の予想と違った。

 もっと、引かれるかと思ったからだ。

 それでも聞いてもらいたくて、覚悟し言ったから。


「だって、モモカちゃんは最終的にはユミちゃんの手術の成功を願ってるじゃないか。だから全然、最低なんかじゃないさ。それにね、人間だから、たまにはそういう思考になってしまうこともあるもんさ。けど、その過程を乗り越えてさ、モモカちゃんはユミちゃんの幸せを願えた。それでいいじゃないか……」

「うっ、うぅグスっ」


 私の目からまた涙があふれてくる。

 東山先生はまたハンカチで涙をふいてくれる。


「大丈夫だよ。モモカちゃん。今日はゆっくりお休み」


 東山先生は私の頭をフワッと優しく撫でてくれた。


 そして私は、どうしても抑えられない気持ちをもう一つ曝け出した。


「東山せんせい?」

「ん?」


 ずっと聞きたかった。


「東山せんせいって、私のパパ?」

「……」

「ずっと、そんな気がしてたの」


 鎮まりかえる病室。

 私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。

 なんとなく、そう察していたから聞けなかった。

 

 でも、もし何かあるのであればこの場で言って欲しい。

 ただ私は、信じている。

 この人が私の父親であってほしいと。

 

 私は東山先生が大好きだから── 。


 こんなにも私を愛してくれて、包み込んでくれる人は他には居ない。

 すると、この沈黙を東山先生は切り出してくれた。


「僕はみんなのパパ。モモカちゃんも、他の患者さんも、みんな僕の家族さ!」

「……」


 分かってた……。

 でもそれは、私が聞きたい答えじゃないよ先生。


 でもそうだよね、東山先生ならそう答えるよね。

 この人の寛大さがこの言葉に詰まっている。


 でもそれと同時に、今の答えはNOと言っているようなもの。

 私はただただ、真実に打ち砕かれる。


 どうして違うのと。

 こんなにも東山先生を父親であってほしいと思っているのに。


 悔しい……。


「けど……モモカちゃんは生まれた時から知ってるから本当に娘のように思ってる」


 私は目を大きく開く。


「ほんと?」

「ホントさ!さっもう遅いから寝よう」


 東山先生は立ち上がり部屋の入口まで行く。


「お休み、モモカちゃん」

「おやすみなさい、東山せんせい」


 部屋の電気は消えた。

 生まれたときから知ってるなら、それはもうパパってことでいいよね。


 私は、勝手な意見を自分に言い聞かせて、心を落ち着かせた。


 すごく自己中心的。ふふっ。

 私は静かに眠りについた。



[11月1日]


 ユミちゃんが手術で病院を出てから1週間が経った。


 私はいつも通り健診を済ませて部屋で学校の課題をやっていた。

 するとトントンどドアをノックする音が鳴った。


「モモカちゃん、入っていいかい?」


 東山先生の声だ。


「東山せんせい?どうぞ」


 ガラッ

 ドアが開かれ東山先生は私の部屋に入る。


「さっき、ユミちゃんのいる大きい病院から連絡が入ったんだ。手術が上手くいったって」

「ほ、ホントですか!」

「うん。きっとキミの願いが届いたんだよ。神様にも、ユミちゃんにも。」

「ほんとに……ほんとに良かった」


 私は嬉し涙を手で拭う。


「実はね3日前に手術は終わってたみたいで、向こうの病院で様子を見てたらしいんだ。リハビリも兼ねてね。それで向こうの先生が退院して問題ないと判断してね、今日うちの病院に色々手続きしに寄ることになったんだ」


「ユミちゃん、来るの!?」


 私は、少しはしゃいだ声になってしまった。


「うん、お昼の3時ごろには到着するって。だからモモカちゃん、ユミちゃんに会いたいかなと思って報告しに来たんだ」

「わぁ〜。先生ありがとうございます」


 私は心を躍らせながら、宿題を終わらせる為に必死で手を動かす。

 しかし、この胸の騒めきはどうにも収まらない。

 嬉しさと緊張で、もうどうかしてしまいそうだ。


 そして、待つ事数時間。

 時刻は午後3時半を迎えた──。


 トントン。

 私の部屋のドアがノックされた。


 ついにこの時が来た。

 私は病室の入り口に駆け寄り、急いでドアを開ける。


「ユミちゃん!」


 そこに立っていたのはユミちゃんだった。


「モモカちゃん、久しぶり!」


 ユミは松葉杖を使っているが、ほぼバランスよく直立している。


「ユミちゃん、手術上手くいって良かったね!」

「うん、ありがとう!まだ、ぎこちない感じだけど、しっかり歩けるよ!」

「そっかぁ、良かったぁ」


 その言葉をして安心した。

 ユミちゃんの苦労をや頑張りを、きっと神様が見てくれていたのかも知れない……。


「私、モモカちゃんにたくさんお世話になったから、最後挨拶しに来れてよかった」

「ううん、お世話になったのはモモカの方だよ」

「モモカちゃんに元気もらったの。新しいとこで上手くやってくのは大変かもしれないけど

自分を信じてみようと思う!」

「うん、ユミちゃんなら、絶対大丈夫だよ!」


 私の言葉を聞いて、ユミちゃんは微笑む。


「モモカちゃん、ホントはさずっとモモカちゃんと居たかった」

「少し寂しくなるけど、私はユミちゃんの新しい生活を応援したいんだ。だからお互い前向きでいよ!」

「うん」


 私も笑ってみせた。


「新しいおうち結構近くだから、必ずまた会いに来る」

「ホント!?」

「うん、だって私たち友達でしょ?」

「ユミちゃん……」


 私たちは抱き合った。

 まるで何時いつかみたいだ。


「私、少し強がってた……。ホントはユミちゃんが居なくなるの、すごく寂しい」

「モモカちゃん……」


 ユミちゃんは少し申し訳なさそうな表情をする。


「けど……ユミちゃんがたまに会いに来てくれるって言ってくれてホッとしたの。すごく嬉しかった。心のどこかで怖がってたモノが、なんだか晴れてなくなった気がする」

「ごめんね、そうだよね。モモカちゃんに絶対寂しい思いさせないから」


 ユミちゃんは私の手を握ってくれた。


「ううん、こっちこそ気を使わせちゃってごめんね。でもユミちゃんが来てくれるの楽しみに待ってるね」

「うん。あっ、モモカちゃんそろそろ行かなきゃ……」


「あっそうだね。このあと予定あるもんね」


 時計を見る。

 もう午後4時を回っていた──。


「うん。会えてよかった」

「下までお見送りに行くよ」

「大丈夫だよ、ここで。モモカちゃんにあんまり身体うごかせちゃ悪いし……」


 私は今までの経験を思い出し、出しゃばらなかった。

 寂しいけどここで挨拶をしよう。


「そうだね、分かった。ユミちゃん、元気でね」

「うん、モモカちゃんもね。また遊びに来るから!」

「うん、ありがとうユミちゃん!またね!」


 ドアが閉まる。


「いっちゃったな、ユミちゃん」


 しばらくドアの前で立ち尽くしていた……。


「勉強の続きやろう」


 机に向かい課題に取り組む。


「ふんふふーん♪」


 鼻歌でユミちゃんに教えてもらったヒカッキンズの歌を口ずさむ。


「ユミちゃん、学校でたくさんお友達できるんだろうなー。あれだけお歌に詳しいんだもん」



[11月8日]


 1週間が経った──。


 今日は昼下がりにお絵描きをしていた。


「ユミちゃん、学校でうまくやってるかなぁ」


  窓の外の青空を見ながら一人呟いた。


「今日はなにしようかなぁ」


 私はテレビをつける。

 すると音楽番組に、なにやら聞き覚えのある音楽が流れ始めた。

 画面をよく見るとヒカッキンズがテレビの番組に出演していた。


「あっこれって、ヒカッキンズだよね!わぁ〜テレビに出てる!!ユミちゃん録画してるかなー」


 そして次に、私がよく鼻歌を歌っているあの歌が流れる。

 それは私の心を震えさせる特別なスイッチだった。


 気づけば夢中になって聞いていた。


「やっぱりヒカッキンズは最高だなぁー。今度ユミちゃんが来た時にこの話したいなー」


 そのあと私は何度もその歌を口ずさんだ。



[12月5日]


「ふんふんふーん♪」


 鼻歌を歌いながら私は踊るように筆を走らせる。


「できたっ!!」


 机の上に置かれたユミちゃんと私の似顔絵が描かれた用紙を見ながら私は歓声を上げる。


「ユミちゃんいつ来るかなっ!これ、渡したら喜んでくれるかな!!」


 私はイラストの最後の仕上げをまた鼻歌を歌いながら取り組んだ。



[2月10日]


 今日はベッドで図書コーナーから借りてきた本を読んでいた。

 一度本を読むのを辞め、本から顔を覗かせ窓の外を見つめる。


「ユミちゃん、やっぱり忙しいのかな……」


 今日であの日から3ヶ月が経つ──。



[6月27日]


 私は今日もベッドに腰掛けたまま、ただ壁を見つめる。


「ユミちゃん、いつ来てくれるんだろう……」


 あの日から半年以上が過ぎた──。



[9月15日]

 

 何も起きない午後。

 私は机に頬杖をついて、窓を無言で見つめていた。


 今日もユミちゃんが訪れるのをただ待ち続ける。


 あの日からどれくらい経ったかな──。



[11月1日]


 私はベッドで体育座りをしたまま俯いている。


 トントン。

 ドアのノックが鳴る。


 はっとした様に私はドアの方を期待してみる。


「お食事お持ちしましたよ」


 しかし入ってきたのは看護師のお姉さんだった。


 私は少しがっかりしてまた俯く。


「ユミちゃん私のこと、わすれちゃったのかな……」


 今日であの日から一年が経つ──。



[中学1年生 10月8日]


 私は中学生になった。


 もちろん、それは額面上の話で、学校には一度も行ったことがない。


 制服も着たことがない。

 私の普段着はパジャマのまま。


 そして気がつけば、あの日から3年の月日が流れていた。


 私は最近外出許可をもらうようになった。

 時刻は3時半。

 病院の近所を歩く。


 すると向こうから学生服を来た同い年くらいの男女が歩いてくる。


 すれ違い側でよく顔を見た。

 ユミちゃんだ。


 女の子の方は間違いなくユミちゃんだった。

 しかしユミちゃんは気づかず、歩いていってしまう。


 私は振り向いて、勇気を振り絞って声をかけた。


「ユミちゃん!?」


 するとユミちゃんと男の子は立ち止まった。

 そしてゆっくりと振り向く。


 ユミちゃんは無言のまま私の顔を見る。

 どこからどう見ても、ユミちゃんだ。


 髪の毛は以前より少し長くなっていて、年頃の女の子感が増している。


「ユミちゃん……やっぱりユミちゃんだ!」


 私は嬉しくて少し駆け足になり、ユミちゃんに近寄った。


「私だよ、モモカ!ほら病院で一緒だった!」

「ユミ知り合い?」


 するとユミちゃんと一緒にいた男の子が隣で尋ねる。


「いや、知らない」

「え……」

「いこ!」


 ユミちゃんは私を遇らうかのように、男の子の袖を掴み、後ろを向うとした。


 なんで!?

 どうして知らん顔をするの!?


「まっ、待って、ユミちゃん!!私のこと覚えてないの!?モモカだよ!?ほらヒカッキンズ教えてくれたじゃない。そうだユミちゃんに渡したいものがあってね……病院にあるんだけど」

「わりーけど、あんた誰……ユミ知らないって言ってるし」


 すると、男の子が私の前に立ち塞がった。

 まるでユミちゃんを不審者から守るように……。


「なんか怖いから行こっ……」

「そんなっ、待って、私ずっと待ってた」

「お前、しつこいからっ!」


 その瞬間、私の時間は止まった。

 何故か、一瞬宙に浮いた。


 ドサッ。

 痛い。

 尻餅をつき、ただ唖然と上を見上げる。


 私は、男の子に押し倒されたのだ──。


「あのさぁ、あんまりしつこいと警察呼ぶけど」

「あっ……」


 声は出なかった。

 私は放心状態だった。


「もういいよ。いこっ」


 ユミちゃんは男の子を少し強引に引っ張り、私を退いて反対を向く。

 私の目に映るのは、とても冷たい2人の背中。


「ま、待って、まってユミちゃん!私ずっとまってたの!ユミちゃんのこと!ユミちゃんにまた会える日を!ねぇ待ってユミちゃん!」


 なんで──。


「うっ……うっグズっ、なんで、なんでユミちゃん」


 涙が出てきた。

 それは、よくわからない涙だった。


 私の感情は、また何時いつかのようにグチャグチャになった。


「うっ……ゴホっゴホッ」


 発作が起きて、私はまた倒れ込む。

 身体に触れる地面は、残酷な程に冷たい。

 暫くして、近くを通った警察の人が病院まで一緒に着いていってくれた。


 その後は呼吸器をしばらくつけていたが、発作が戻ったので自室に戻ることになった。


 涙が溢れてくる。

 これでもかという程に歯を食いしばった。

 握りしめた拳は開かれることはない。


 私は病室の棚にしまってあった封筒を取り出す。

 中を開けると3年前に描いたユミちゃんと自分の似顔絵が描かれたルーズリーフが出てきた。

 私は少しの間、それを見つめていた。

 そしてその後、優しくその絵を破いた。


 破いた似顔絵を封筒にしまいゴミ箱にすてる。


 私はみんなから忘れられていく。

 どうして……。

 私はただ一緒に居たかっただけなのに。

 みんな忘れてしまうなら。


 こんな命……。



 ✳︎



 はっ。

 息を吹き返したかのように目が覚める。


 よく見渡すと腕にはまた点滴の針がさされていた。


「はぁ……はぁ……」

「モモカさんっ」


 横を見るとグーちゃんがいた。

 状況を理解しようとしても、パニック状態で何がなんだか分からない。


 でも、これはいつものことに違いない。

 どうやら発作が起きて奇絶していたらしい。

 その間に、悪い夢を見ていた……。


「グーちゃん……」

「よかった、意識が戻ったみたいですね。

具合どうですか?頭痛くないですか?」


 それは温かな声色だった。

 私の目から自然と涙が出てくる。

 グーちゃんの前で涙を流すのは一体何回目だろうか……。


 私は起き上がる。


「モモカさん、大丈夫ですか!?寝てていいんですよ」

「グーちゃん?」

「どうしました?モモカさん」

「ぎゅっとしてほしい……」


 するとグーちゃんは一瞬硬直したように見えたけれど、私を抱きしめてくれた。


「グーちゃん……やっぱり来てくれた」


 私は、涙を流しながら囁く。


「どうしたんですか、モモカさん」


─────────────────────

https://kakuyomu.jp/users/oosakiamu/news/16818023213807033687 【挿絵】

─────────────────────


 グーちゃんは優しい声で尋ねながら、ハンカチで頬を伝う、その雫を拭ってくれた。


「だって、今日来るって言いましたし、モモカさんに会いたくて来たんですよ?」


 グーちゃんが私の背中をなでる


「グーちゃん……」

「どうしました?」

「私、ずっとグーちゃんと一緒に居たい」


 私はグーちゃんを少しだけ強く抱きしめた。


「それじゃ、ずっとこの先もモモカさんに会いに来ますね」

「うん!」 


 夢の跡の世界は、薄ら眩い光に照らされた。

 私には今、大切なお友達がいる。

 名前はグーちゃん。


 私が名付けた何よりも大切で、とっておきの名前──。

 

 その名前を、グーちゃんは大事にしてくれている。

 グーちゃんは人間じゃなくて悪魔さんだけど、誰よりも私の気持ちを理解してくれる。


 だから私もグーちゃんのことを大切に思っている。


 この関係は誰にも崩すことはできない。

 今の私はグーちゃんが大切。

 他にはもう、誰もいらない。


 もう私は寂しくない──。


 グーちゃんが居てくれるから。


「グーちゃん、だーいすき!」


              



     ◇◆ それは、残酷な程の“愛”──。



  【SATAN #9・あの日々は戻らない 終】


─────────────────────


     次回『#10・契約ノート』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る