#6・友達

─────────────────────


「俺の話……」

「うん……」


 俺の何を……。


 モモカは、ただじっと俺の瞳を見つめている。


 ……。


「だめ……だよね」


 瞳は逸れる。

 

 視線を落としたモモカは、もう一度海の方を見つめた。


 心なしか、彼女が申し訳無さそうな顔をしているように見える……。

 それは、話に詰まった俺を気遣い、この会話を辞めたということ。

 まるで聞いてはいけない禁忌に触れたかのように、話を無かった事にしようとしている。


 不意に俺は、彼女の視線を追ってしまった。


 “私はまだ信用されていないのかもしれない……“

 

 あたり一面に広がる藍色をじっと見つめる彼女の瞳からは、そう聞こえるーー。

 そうだ、伝わってしまうのだ。今は。

 彼女はきっと虚空を見つめている……。

 違うんだ……。

 本当に申し訳ないのは、俺の方なんだ。

 

 ずっと正体を隠してきたーー。

 俺はモモカたち“人間”からすれば残逆な存在。

 きっと俺の本当の正体を言えば彼女を傷つけることになる。


 俺と彼女は上手く言えないが、ただの、その、普通の関係じゃない。

 だから他の人間と違って、彼女だけは傷つけたくない。

 

 ……。


 いや、違うだろ……。

 傷つきたくないのは俺の方だ。

 彼女に本当のことを言って、恐れられるのが怖い。嫌われてしまうのが怖い……。

 きっと、俺の本心はこっちだ。


 なら、ずっと彼女に正体を偽ってこの先の時間を過ごすのか?

 偽善者じゃないか……。それって。


 いや、もし正体を明かしたとしても、偽善者に変わりはないか……。

 こうやって、彼女といること自体が偽善なのだから。

 どうせ同じ偽善なら──。


「お前が聞きたいなら」

「えっ」


 モモカが少し掠れた声色で静かにそう言った。

 こちらを振り向く彼女は、まだ幼い。

 

 とても純粋に見える。


「き……聞きたい!」


 それでも彼女は真剣に向かい合おうとしてくれている。


 この俺とーー。


「でも、聞いてきっと後悔する」

「え……」


 モモカがなんとも言えない、苦い表情をする。


「中身をよく知るって、きっと怖いことだ」 


 立ち尽くしたまま、彼女は少し戸惑っている。


「それでも……聞きたい。グーちゃんと、ちゃんとしたお友達になりたいから!」

「そうか……俺を。どのくらい知りたい?」


 それでも俺は……。

 俺は、彼女に全てを知ってもらいたい。


「言えるとこ全部!」


 そうか。

 俺は手から魔導をだす。


「えっ!?」


 モモカは驚いて一歩引いた。

 俺はすかさず魔導を大きく広げ、渦のようにモモカを包む。


「なにっ!?これ!!」

「魔導の力。悪魔のエネルギーだ」


 まるでこの世のものではないモノを見たかのように彼女はただ唖然としている。

 

 シュイッ!!


 俺は渦のように放出された魔導を圧縮し、モモカの身体を締め付けた。


「きゃっ!!」

「悪魔はこの力を使って、人間を手にかける。」


 モモカの顔色が段々と青ざめていく……。


「俺は、人間を奴隷にするためにこの世界に来た。お前たち人間を屈服させ、従わせ、魔王国家の配下とさせるためにな。」


 さっきまでの彼女の和やかな笑顔は、もう無くなっていた。

 全身から噴き出る汗が止まらず、ハァハァと呼吸が荒くなっている。


 シュパッ。


 俺は魔導の力を解き、締め付けたモモカを解放した。


 漆黒の魔導の分子がモモカの周りをキラキラと光りながら空気中に溶けていく……。


「それが俺の正体だ。」


 冷たい風が俺とモモカの間を風が吹き抜ける。

 するとモモカはひざまずき、ハァハァと息を漏らしながら、呼吸を整えようとしている。

 ……が上手く息継ぎが出来ていない。


 しまった……。

 必要以上にやりすぎた。

 これで彼女の体調が悪くなったら完全に俺のせいだ。


「すっ、すまなかったモモカ。」

 

 俺は謝罪しながら地面に座ったままの彼女に手を差し伸べる。


「はっ……」


 しかし彼女は吐息を漏らし、後ずさった。

 ガタガタと膝を震わせながら、モモカは無言でただ目の前の俺を見ている。

 

 彼女の目に写っているのは、きっと先程までの「グーちゃん」ではないのだろう。

 その目にはもう目の前の怪物しか見えていない──。

 差し伸べた手は握り返されず、虚しく風だけが吹き付ける。


 彼女は今、俺に恐怖している。

 出会ってから今まで見たことがない凍りついた眼差しで俺のことを警戒している。


 どうやら俺は、嫌われてしまったみたいだ。

 とても胸が締め付けられる気持ちだ。

 傷つくというのはこういう事なのだろうか……。


 勝手に怖がらせて、勝手に傷ついている俺は一体何なのだろうか。

 でも自分の意は果たせた。

 これでよかった。

 

 さよならだモモカ。


 お前ならきっと、いい友達ができるさ。

 ……。

 俺じゃなくても──。


 差し伸べた手をゆっくりと下ろす。

 俺は深呼吸とともに瞼を下ろした。

 彼女のことはもう忘れよう。

 そのまま後ろを振向こうとした。


「グー……ちゃん……?」


 彼女の声がした。

 俺はゆっくりと瞼を上げる。


「ごめん……。な、なんか……腰が……抜けちゃってさ、立てなく……なっちゃって」

 

 そこには、俺の方に手を差し伸べる彼女が居た。

 彼女の声は今にも途切れそうなくらい震えていた。


 俺は動揺を隠せないでいる。

 もう一度、彼女の方から声をかけてくれると思わなかったからだ。

 よく見ると彼女の足はまだガタガタと震えている。


 いいのか……。

 俺は彼女の手を触って。

 彼女は一度、俺の手を拒んだはずだ……。

 なのに、いいのか?


 俺は彼女の手を見つめたまま、ためらう。

 彼女には酷いことをしてしまった。

 怖い思いをさせて傷つけてしまったのに、彼女の手を握る資格があるのか。


 俺はそのまま視線を上げて彼女の顔をみる。

 すると彼女は、俺を見て黙って頷いた。

 まるで、俺の気持ちを全て分かっているかのように。


「モモカ、すまなかった……」


 モモカは俺の方をじっと見ていた。


「ううん、大丈夫……」


 彼女は一度、腕を下ろす。


「私の方こそ……グスッ、ごめんなさい」


 彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちてきた……。

 俺がモモカを泣かせてしまった──。


「グーちゃんの話、聞きたいって言ったの私なのに、グスッ……勝手に聞いて……勝手に……怖がって……」


 彼女は目を瞑って一生懸命、震えた口で俺に話す。

 大粒の涙が頬を伝い、膝に置かれた彼女の手に落ちる。


「怖い思いをさせて、すまなかった……」


 俺はただ今の気持ちを正直に伝えた。


「怖かった……」


 ……。


「すごく……怖かった」


 ……。


「グーちゃんが、手を差し伸べてくれた時、私怖くて握れなかった……」


 彼女は顔を赤くしながら俺に言う。


「でもその時、”なんで私が怖がってるの?“ってね一緒に思って……だってグーちゃんのこと、聞きたいって言い出したのは私の方なのに……おかしいよね」


 彼女は瞼を上げ俺の顔を見る。


「そしたらグーちゃんが目を閉じたから……

私、いまグーちゃんを傷つけたって思って」

「いや、そんなことない」


 俺はモモカに傷つけられてはいない。

 それは本当の事なんだーー。


「本当にごめんなさい……」


 ……。


「でも……グーちゃんが目をそっと閉じた時に私、感じたの。やっぱりグーちゃんはグーちゃんだって。優しい悪魔さんだって」


 ……。


「きっと、グーちゃんも私と一緒なの。」


 !?


「私と、ちゃんとしたお友達になるために、どんな事でも、全部知って欲しかったんだよね?自分自身のこと。包み隠さず。」


 彼女は手の甲で涙を拭き取り、笑顔を一生懸命作ろうとしてみせた……。

 それはさっきまでの固くなった表情とあいまじり少し歪んだ表情の笑顔だった。


 見透かされていた。

 一度は恐怖したものの、その後に俺の気持ちを見抜いた。

 全て分かった上で、彼女はもう一度俺に声をかけていた。

 

 敵わないな、彼女には──。

 俺は膝をついてモモカに目線を合わせた。


「すまなかった、モモカ。立てるか?」

「あっ……よいしょっ」


 彼女は、立ちあがろうとしたが、足がガタガタと震えて力が入らないようだ。


「ごめんね……立てないや。」


 彼女は完全に腰が抜けていた。

 本当に申し訳ない事をした……。

 俺は車椅子をモモカの隣まで持っくる。

 そして彼女を抱きかかえた。


 力が抜けた彼女は俺に寄りかかる。


 ゼェ、ハァとまだ少し荒い彼女の呼吸が俺の俺の耳元を通りすぎる。

 ドクン、ドクンと今にも破裂しそうな心臓の鼓動が、こんなにも小さな身体の中で響き渡っている。

 俺がこの小さな命を殺しかけたのだ……。


「グーちゃん……。私のこと嫌いになっちゃった?」


 彼女は俺の耳元で囁いてきた。


「そんなわけねーだろ……」

「それなら、もう一度私とお友達になってくれる?」


 俺は、抱き抱えたモモカを車椅子に座らせる。


「とっくになってんだろ?」


 俺は少し屈み、モモカの目を見ながら言う。


 すると、彼女はくしゃくしゃな笑顔で頷いてくれた。

 今までの彼女の笑顔のなかでもとびきりの、1番の笑顔だった。


 俺はもう、彼女を泣かせてはいけない。

 彼女は俺を認めてくれたのたった1人の友達。

 だから、どんなことがあっても、彼女の事は俺が守る。


 俺はモモカの頭を優しく撫でる。

 彼女は目を閉じて俺に微笑んでくれた。


「アレッ!?お前昨日のコスプレ君じゃん!」

「あっ、ほんとだわ」


 その時だった──。

 突然、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

 振り返ると、昨日俺を殴り倒した男二人が立っている。


「ヨオ、元気してた?あら?かわい子ちゃんも一緒に居るじゃん!」


 男二人がこっちに近づいてくる。


「グ、グーちゃん……あの人たち。逃げようよ」


 モモカが小声で言う。


「あぁ」


 俺はすぐにモモカを乗せた車椅子を押して帰り道の方向へ歩き出した。


「あららっ!?無視!?無視しちゃってんの!?」


 そう言って男の1人が車椅子の前に立ち塞がった……。


「昨日のこと、覚えてないワケ!?慰謝料だよ!慰謝料!このお嬢ちゃんがぶつかってきたの!」


 男は荒くれながら理不尽なことを喋り続ける。


「邪魔だ。どけ……」

「ハイィィィィ!??」


 するともう1人の男も、近くまで寄ってきた。


「払えねーなら、身体で払ってもらおうって言ったよね!ねっお嬢ちゃん」


 男の1人が、モモカのスカートに触り始めた。


「ひっ……」


 モモカから細い声がでる……。


「ねぇ、わかたったらさっ、ぐふぁぁ!?」


 俺は車椅子の前に回り込み、男に飛び蹴りした。

 男は仰向けで倒れ込んだ。


 先程までの騒ついた雰囲気は消え去り、静寂だけがこの場を包んだ。


「俺の友人に……何きたねー手で触ってん

だ」

「グーちゃん」


 後ろでモモカの呟きが聞こえた。

 その声は温かく、俺を信用してくれているようだった。


「何が、慰謝料だ。お前ら、何かしら理由をつけて金をぶん取りたいだけだろ。居るんだな、ここにも……自分を強い立場だと勘違いして物事を考る、悪魔みてーなヤツが」

「殺すぞ!!!テメェー!!!」


 男の1人が絶叫しながら俺に殴りかかってくる。


 パシッ!


 俺は、飛んで来た拳を右手で受け止める。


「なに!!?」


 ボコォ。


「らハァ!?」


 俺は左手で男の顔を殴り吹っ飛ばす。

 そして、男は地面を転がった。


「す、すごい……」


 後ろからモモカの声が小さく聞こえた。


「な、なにやってんだよ!?」


 向こうで、もう1人の男が心配し吹っ飛んだ方に駆けつける。


 全てじゃないが俺の魔力が復活しているのが実感できる。魔道が身体を駆け巡り、身体が活性され、身体能力が向上している。

 それは、以前の比ではないくらいにだ。

 これなら勝てる。

 コイツらは二度とモモカに触れさせないよう……。


 ドクっ──。


「うっ……」


 この感覚、まただーー。

 心臓が揺れ始める。

 俺はしゃがみこんだ。


「グーちゃんっ!?」


 後ろで、少し甲高いモモカの心配する声が聞こえる。

 なんだこれは……。

 身体が麻痺して動かない。


「あーイッテー、前よかやるようになったじゃん……。ってあれ?倒れてるじゃん。お腹でもこわした?」


 そう言いながら、もう一度男がしゃがみ込んだ俺に近づいてくる。


「グーちゃん!?どうしたの……」


 モモカが車椅子にのったまま心配しながら、俺の顔を覗き込もうとする。

 ダメだ。喋れない。それどころじゃない。

 心臓が爆発しそうだ。


「グーちゃん!?」

「おっらぁ!」


 ドスっ!!


「がはっ」


 俺は男の一人に蹴り飛ばされて倒れる。


「グーちゃんっ!!!」

「調子のった罰だコラ!死ね、コラ!!」


 倒れた俺に蹴りが降りかかろうとする。


 その時だった。


「痛っ……」


 俺の上でモモカの声がした。

 モモカが俺に抱き被さっていた。


「あぁ?」


 俺の背中の上でモモカが蹴られたのだ。


「ちょっとお嬢ちゃんどいてくんない」

「いやだっ!!グーちゃんを蹴らないで!!」

「うるせーな」


 ドシっ


「あぅっ……!!」


 俺の上でまたモモカが蹴られる。


 ドシっ


「うっ」


 ドシっ


「んんっ……」


 何度も蹴られ続ける。


「ねぇ早くどいてよ。痛いでしょ」


「……。」


 モモカは無言で俺に抱き被さったままだ。


「グーちゃん、ごめんね。私が……私が外に出たいなんて言わなければ」


 俺の耳元でモモカが囁く。

 謝りたいのは俺のほうだが、声が出ない。


「あーウゼーわ。もうコイツ連れてこうぜ!」


 モモカが俺から引き剥がされる。


「やっ!はなして!!」


 男二人に捕まっている。


「あー、お嬢ちゃん結構いい身体してんじゃん」


「じゃ俺たちとちょっと遊んでこうぜ。こんな奴ほっといて……」

「やだ、やめて!!」

「おい……そろそろ大人しくしろよ?じゃねーとテメーも痛い目みるぞ 、オラ」

「お嬢ちゃん静かにした方がいいよ。怖いことされたくなかったら」


 俺の横でモモカが脅されている。


「怖くなんか……ない」

「あぁ?あれ?おまえ泣いてんじゃん」

「怖くないんだろ!?じゃあっち行こうぜ!」

「全然……グスッ怖くない」

「ごちゃごちゃウッセーんだよ!」


 バシッ。


「うっ……」


 殴ったのか!?

 殺す……絶対にコイツらは。


「おらこっち来い!」


 嫌がるモモカを押さえつけて何処かへ連れて行こうとしていた。


『怖い……助けて……グーちゃん』


 なんだ、今のは!?

 今、頭の中でモモカの声が聞こえた。

 確かに聞こえた……。

 

 助けを呼んでる。


 俺が行かなくちゃ。

 俺が……。

 俺が助ける!


 頼む、身体動いてくれ。


「まてよ……」


 俺は、地面に膝を突き、力を振り絞って立ち上がる。


「あぁ?」


 ボコォ!!


「グハッ!?」


 俺は男の一人を殴り吹っ飛ばす。

 男は奇声を発しながら少し遠くまで転がった。


 身体が重いが、動くぞ。

 でも……これは一体何だ。

 俺の身体に一体何が起こってる……。

 ものすごい量の魔導エネルギーが体に湧いて乱れている。うまく力を制御できない。

 立つのもやっとだ。


「何すんだコラ!!」


 もう一人が殴りかかってくる。


 ボコォ。


「うがぁあ」


 俺は拳が飛んでくる前に懐に入りこみ、みぞおちを殴った。


「うぁぁぁあっぁ!!」


 男が倒れる。


「こっ、コイツいつのまに!?」


 とどめだ。


 俺は魔導を手にまとい転んでいる男の目の前に立つ。


「わっ悪かった!!今回の件は許してやるから!!なっ」


 魔導が暴発している。


 加減ができないがまぁいい。

 このまま殺す。


「ひっ、ひぃいいいい!!」


 ドタドタと音を立てて男の一人が逃げ出した。

 だが、この目の前にいるやつは殺す。

 俺とモモカに手を出した罰だ。


「やっやめろ!!助けてぇ!」


 俺は拳を振り上げる。

 さぁ、天罰を喰らえ。

 加減なく拳を振り下ろした。


「だめっ!!!」

「!?」


 俺は拳を振り下ろす寸前で手を止めた。

 モモカが俺の後ろからしがみついている。


「それ以上は……だめだよグーちゃん」

「……」


 俺はモモカの方を見る。

 必死で止めている。

 何でだ。

 コイツはお前と俺を傷つけた。


 とはいえ今の俺には、モモカが何を言いたいか想像がつく。


 気がつくと拳を下ろしていた。

 ちっ。なんか冷めちまった……。

 

 魔導の暴走も収まっている。

 胸の痛みも消えている。


 モモカはきっと、争いを好まない。

 これ以上悲しい顔をさせるのは、やめだ。


「失せろ。二度と近づくな……」

「ひっひぃいいいいい!!」


 男は慌てて立ち上がりすぐさま逃げていった。

 何だったんだよ。ホントに。


 ガシッ。

 モモカが抱きついてきた。


「グーちゃん……」

「怪我、してないか?」


 俺は彼女の頭に手を乗せて安心させようとする。


「うん、大丈夫……」

「そうか……」


 そしてその手を肩まで回し彼女を慰める。


「怖かった……」


 モモカが俺の胸に向かって囁く。


「その……ごめんな」

「ううん、グーちゃんのせいじゃないよ。それと私、さっきグーちゃんの声が聞こえた気がするの」


 なんだと……!?


「私ね、怖くないって言ってたけど、本当はすごく怖くて……心の中でグーちゃん助けてって言っちゃって……。そしたらね、俺が助けるってグーちゃんの声が聞こえてね」


 モモカにも聞こえていたのか?

 俺と同じ現象がおきたのか!?


「私、その時すごく心の中があったかくて。

嬉しかった」

「なんだそれ」

「ホント!ホントなんだってば!」


 この現象のことはよくわからないが、今は少し時間がほしい。

 彼女にいづれ自分も同じ現象が起きた事を伝えようと思う。

 だが、今は。混乱しているんだ……。

 打ち明けるのは、もう少しだけ待ってくれ。


「さっ、帰ろう」

「え!?うん!」


 俺はモモカをもう一度、車椅子に乗せた。


「グーちゃん、今日は本当にありがとう。凄く楽しかった!この場所また来たいね!」

「あぁ、また来よう」


 俺は車椅子を押して進み出した。


「ねぇグーちゃん、帰ったらこの前録画してた面白いバラエティ番組あるからさ、一緒にみよ!!あとねぇ!えっと、面白い小説もいーっぱいあるからそれも教えてあげる!それから……」


 彼女は俺に楽しそうに話をしてくれる。

 その姿は、無邪気という言葉そのものだった。


「へぇ、なんか面白そうだな」


 俺は彼女のたくさんの話を真剣に聞きながら歩く。


『でもね、気を許してる人の前では明るくなるんだ。君はきっとそうだ……』


 東山、今は俺自身が彼女に認めてもらいたいんだ。

 彼女の思う価値観に少しでも近づきたい。

 モモカにとっての“友達”。

 それが一体どんなものなのか、彼女と共に追ってみたくなったんだ。


 彼女が俺を求めてるからじゃない。

 俺に今、彼女が必要なんだ。


 だから、見守っていてほしい。

 俺と彼女のここから始まる生活を。


「お空、きれいだね……」


 彼女は、どこまでも広がり続ける青天井を見上げたあと、俺の方を向き直してそう囁いた。

 その瞳はどこか、ときめくようにキラキラと輝いていた。


「あぁ……」


 少しずつ、夕焼けに近づくこの空の景色は、美しいのにどこか切ない。

 それは今日という日の終わりを感じるからだろうか……。

 それでも、また来ればいい。

 またこの美しい景色を見に来ればいい。

 そう思えば、寂しくない。


 俺たちは、たくさんの思い出を抱えて、歩いて来た道を辿り病院へと戻った。



 ✳︎


 

 ……。


「うぅん…?」


 俺は目を覚ました。


 どうやらモモカさんが検診に行ったあと寝てしまったらしい……。

 俺は小さな机の上でうつ伏せていた。

 目覚めがとても気持ちが良く、身体がすごくリラックスしている。


 結構寝てしまったみたいだな……。


「ふあぁ……」


 俺はあくびをしながら起き上がる。


「えっ……」


 だが、思わず驚きを声に出し、イスに座りながら一歩引いてしまった。


「すぅぅ……すぅぅ」


 小さな寝息を立てながらモモカさんが寝ていた。

 目の前で……。

 同じ机でうつ伏せになって……。


「モモカさんも、寝ちゃってたのか……」


 それにしても、近すぎだろ。


「すぅぅ……すぅぅ……」


 って、なに照れてんだよ……。

 そういえば、初めてモモカさんに出会った時もこんなことあったような。

 

 ん?


「これ、モモカさんがかけてくれたのか?」


 俺は自分の肩にブランケットがかかっていることに気付く。

 通りで寝ごこちも寝起きも良かったわけだっ。

 それにしてもモモカさん、自分はなにもかけないで寝ている……。


 俺はブランケットを、今度はモモカさんにかけてあげた。


「ありがとうモモカさん」


 ゆっくりおやすみなさい……。


「すぅぅ……すぅぅ」


 寝ているモモカさん、まるで小動物みたいにとても愛くるしい……。


 これはその……ずっと眺めていられる。

 ……。

 それにしても、なんでこんないい子があと数ヶ月しか生きることが出来ないなんて……。


 心が苦しい。


 悪魔に「心」なんて物があるんだかないんだか知らないが、きっと俺はモモカさんに出会って色々変わってしまったんだ……。


 今の俺は、たぶん昔とだいぶ違う。

 そんな気がする……。


 他の人間に対する気持ちは、昔とあまり変わっていないかもしれないが、モモカさんは違う。モモカさんだけはなぜか恋しい……。

 彼女が死んでしまったら、きっと俺は悲しむだろう……。


 悲しい……。そうだ…。


 こんな感情なんてほしくなかっただろうか……。

 それならモモカさんに出会わなければ良かっただろうか。

 

 でも彼女と出会ってからの日々はすごく、輝いていた気がする。

 毎日が楽しかった。

 俺はいつもモモカさんの笑顔に救われていた。


 出会わなければ良かったなんて、やっぱり思いたくはない。

 彼女は今……俺にとって、とても大事なヒトだから。


「んっ……おかあ……さん」


 すごく小さな寝言だった。


 モモカさん……。

 少し悲しそうだったな、今。


 やっぱり母親が居なくなってしまってから、相当つらかったのだろう。

 無理もない。彼女はまだ14歳だ。

 辛くないわけがない。

 だから俺は彼女に寄り添ってあげたい……。

 俺なんかじゃ、心の穴埋めに遠く及ばないかもしれないが……。

 

 彼女の気が少しでも楽になるなら。

 彼女の笑顔を少しでも取り戻せるのなら。

 俺はここに来たいんだ……。


「うぅん……あれ……グーちゃん?おはよう……」


 モモカさんが目を覚ました。


「あっ、すみません起こしちゃいましたね」

「ううん、大丈夫……。グーちゃん起きてたんだね。あれ、涙が……。私泣いてたのかな……。やっぱり私泣き虫だね。」


 モモカさんの頬に涙のあとが残ってる。


「なにか悪い夢でも見ました?」


 俺はそう言いながらハンカチでモモカさんの涙を拭いてあげる。


「ありがとうグーちゃん。やっぱり優しいね。」


 俺は彼女に微笑んだ。


「悪い夢というか……。大事な人が遠ざかって行くの、夢の中で。ちょっと、悪い夢だったかな。えへへ」

「そうだったんですね……」


 俺はモモカさんの寝言を思い出だす。

 やっぱり母親の夢だったのだろうか……。


「それでね……このままグーちゃんまでいなくなっちゃったら、私どうしようって……」


 ……。


「そんな風に夢の中で思ってたような気がするの……」


 彼女は少し俯いてそう言った。

 俺はモモカさんと初めて会った日のことを思い出す。


『もう……ひとりはやだよぉ』


 あの日、この病室で彼女は俺にしがみつきながら涙を流してそう言った。

 今にも崩れ落ちそうだった。


 彼女はずっとひとりで寂しい思いをしてきた……。

 俺はもう二度とモモカさんの崩れる姿なんて見たくない。

 俺は俯いているモモカさんの手を両手で握った。

 すると、モモカさんと目が合う。


 いきなり手を握ったから彼女は少し驚いている……。


「ぐ、グーちゃん?」

「俺は……居なくなんてならない」


 彼女の瞳は大きく開いた。


「だって……モモカさんは俺の大切な、お友達ですから」


 俺と彼女は互いを見つめ合っていた。

 何秒間もずっと……。

 

 モモカさんが泣き出すまでは。


「ぐずっ……ううぅ。ぐずっ……」


 そしてモモカさんが俺にしがみ付いてきた……。

 閉じた瞳から涙が止まらない。


「わ……わたしも、グーちゃんの前から……

いなくなったり……しないよ」


 俺は彼女に頷いたあと、頭を優しく撫でた。

 誰かが居なくなってしまうって寂しいよな。

 彼女はずっとこの涙を堪えていたのだろうか……。


「ぐすっ……グーちゃん、ありがとう」


 モモカさんが少し落ち着いてきた。


「ごめんね……こんな泣くつもりじゃなかったんだけど、ぐすっ」


 彼女は一生懸命、俺に話す。

 

「グーちゃんにそういうふうに言ってもらえたのが嬉しくて……涙が止まらなくて」

「俺も、モモカさんの言葉嬉しかったですよ!」

「うぅ……なんか恥ずかしい」


 モモカさんが顔を少し赤くしながら言った。


「あっグーちゃんの寝顔、可愛いかったよ!なんかこうワンちゃんみたいで、わんわん!」


 彼女は照れ隠しなのか、俺のことをいじってくる。


「えぇ……」

「えへへ。グーちゃん寝てるとこ初めてみ

た!!またみたいな!」

「モモカさんも寝顔かわいかったですよ」

「へっ?」


 モモカさんがぽかーんと止まった。


「……みてたの?ずっと?」

「えっ、いや……少しだけ?」


 モモカさんがジト目になって、俺をじーっと見ている……。


「もっ、もぉ勝手に寝顔見るの禁止!!恥ずかしいからダメ!!契約事項に追加しなくちゃ。」

「でも、モモカさんも俺の寝顔……」

「私はグーちゃんの寝顔みてもいいの!私はグーちゃんの飼い主だもん!」


 とても理不尽な理論である。


「飼い……主?」

「わしゃわしゃわしゃ!!わぁ、いいこいいこ!!ワンは!?」

「……え」


 言うなりモモカさんは俺の身体を撫でてくる。そして俺は目が点のまま困惑する。


「ワンは!?」

「わっ……ワン……」

「わはっ!いいこ、いいこ!!」


 そう言いながらモモカさんが俺の頭をくしゃくしゃ撫でてくる。なんだこれ……。


「あっそうだ!グーちゃん!このあと夜にね木曜日のダルンダルンやるからさ一緒によ!……っておもったけど、グーちゃん明日お仕事だよね」


 時計を見るともう夜の8時を回っていた。

 もうこんな時間だったのかーー。


「あっあぁ……。まぁでも大丈夫ですよ?」

「ううん。大丈夫!グーちゃんお疲れみたいだから、今日はしっかり寝て、身体を休めないとね!録画しておくからさ、また今度一緒に見よ!」

「そうですね!」


 俺は帰る支度をする。


「それじゃ、モモカさん。また明日!」

「うん!また明日!!」


 俺は病室のドアを開けた……。


「グーちゃんっ!!」

「ん?」


 そっと振り返る。


「今日……すごく楽しかった!!!」


 モモカさんが笑顔でそう言った。


「俺もです、モモカさん」

「おやすみグーちゃん!」

「おやすみなさいモモカさん。」


 ガチャ。

 俺は部屋のドアをそっと閉め病室を後にする。


 こうして俺の1日は終わった。

 とても充実した……。

 

 彼女と過ごす時間は楽しくて仕方がない。

 楽しい時間はどうしてこうも早く過ぎてしまうのだろう。


 俺は明日のアルバイトに備えてにアパートに帰って早く寝ることにした。



 ✳︎



 ……。


 遠ざかってしまう……。

 誰もが、みんな……。

 みんな、私から遠ざかって行ってしまう。


『行かないで!!』


 どうして私を1人にするの?

 悲しい……。寂しい……。

 私はただ誰かと一緒に居たいだけなのに……。


『わ……私だよ!モモカ!!モモカだよ!?』


『誰コイツ……』


『わかんない。知らない子』



 ✳︎



「はっ……」


 突然、目が覚めた。


「はぁ……はぁ……」


 心拍数が上がり、息切れもちゃってる。

 落ち着かなきゃ。


 私は、起き上がって目の前にある布団を、ただじっと見つめている。

 

 また、この夢。

 もう、思い出したくないのに。

 早く忘れてしまいたい。

 もう夢にも出てこないように……。


 汗でパジャマがびしょびしょだ。


「着替えよ……」


 このパジャマは今日洗濯しないと。

 私はお気に入りのパジャマを脱いで、貸し出し用の病院服に着替える。


 昨日、グーちゃんが帰ってからすぐ寝ちゃったんだっけ……。

 ホントは一緒に木曜日のダルンダルン見たかったけど……仕方ないよね。


 そうだった……。

 グーちゃんが帰ったあと、ちょっと寂しくなって、すぐに寝ちゃったんだっけ。

 グーちゃん……今日も来てくれるかな。


 でも昨日「また明日」って言ってたから来てくれるよね。


 ……。

 あぁ、でも今日グーちゃんお仕事だから、来れたとしても夜だよね。

 朝は学校のプリントをやるにしても午後は暇だな……。

 撮り溜めたバラエティ番組は、グーちゃんと一緒に見たいから、先に観たくないし……。


 うっ……。


「ゴホッ……ごほっ……」


 発作だ……。


「ゴホッゴホッ……ゴホッごほっ……」


 めまいが……。


「はぁはぁ……」


 苦しい……。


『誰こいつ……』

『知らない子』


 思い出したくないことが頭の中をよぎる。


「やめて……」


 もう思いだしたくない……。


「ゴホッゴホッ……」


 意識が、薄れていく。

 私はベットに倒れていた。

 息が、上手く出来ない……。


「はぁはぁ……。」


 私は、ただ一緒に居たかっただけなのに。なんで。

 私はみんなから忘れられて行く……。


 あの頃は、ただただ楽しかったのに……。

 意識が遠くなっていく……。




       ◇◆ 置いて来た筈の記憶──。



                【友達 終】


─────────────────────

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