#3・命の契約

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 俺は病室に入り、静かにドアを閉めた。


「来てくれたんですね」


 ガキがゆっくりと口を開き、おもむろに話し出す。


「お前……肺がんとかいう病気なんだってな」

「聞いたんですね……」

「俺を呼んだらしいな。何の用だ」

「……」


 質問を返す事なく、黙り始めた。

 窓の外で、鳥のさえずりが聞こえる中、夕日はゆっくりと沈んでいく。

 その間、ただ沈黙が続く──。


「なんだ」

「私と……」


 もごもごと、詰まった言葉を喋ろうとする。

 それは何処かもどかしく、まるで人見知りの子供のようだ。


「私と、もう一度契約してほしい!」


 やっぱりそれか。

 このままダメだと言ってもそれだけでは聞かないだろうから全て話す。


「ダメだ」

「え……どうして!!」

「よく聞け、闇の取引なんてモノは無いんだ。今までの内容も全部、ただの契約ごっこだ」

「え……」


 ガキは、言葉を詰まらせ戸惑う様子を見せる。


「約束を破っても死にはしないし、お前が魔法や悪魔が架空の存在だと言ったから、お前を利用しようとしていただけだ。だが、病人を利用する気は無い。ただそれだけだ」

「なに……それ」

「これで話はすんだろ。じゃーな」


 俺はガキを背にして、病室を去ろうとする。


「まってよ!」


 すると、ガキがよたよたと、ベットから降りてきて俺の服を掴んだ。

 その突然の行動に、俺はガキの顔を振り返ってしまった。


 泣いていた──。


「もう……。もう、一人はやだよ……」


 ガキの涙が止まらない。


「おい!?やめろ?」


 グスッ グスッ。


「ちょ、泣くな。コラっ」


 次から次へと、溢れ出る涙が止まらない。

 頬を伝う雫が、床にポタポタと虚しく落ちる。

 ガラッ。


「夕食お持ちしましたよ!」


 突然、病室のドアは開き、業務員が部屋に入ってきた。

 病室で男女2人きり。

 涙をぼたぼたと頬から垂らす、人間の子供と、あまり病院では見かけない、見知らぬ男。


 その光景は、やはり異質だっただろうか。

 

「え!?ど、どうかしたんですか!?」


 案の定、驚いた声を出される。

 そして業務員が俺を怪しんだ目で見てくるこの始末。


「グスッ グスッ」

「いや、えっと……これは……」


 袖で涙を拭うガキを横目に、わたわたと身振り手振りで平然を装うとするが、逆に怪しみの眼差しを向けられる。


「分かった!泣くなって!考えるから!!もうちょっと考えるから!!」

「グスッ。ほっ、ほんとぉ……?グスッ」


 ガキが顔を上げて言う。


「あの……何かしたんですか!?」


 ついに業務員が聞いてきた。


「いや、してない!してない!何もしてないないよなー!?」


「グスッ、グスッ」


 コク。

 ガキが首を縦に振った。


「なっ!!ほら!?なっ!」


 説得するも、業務員にはかなり警戒の目つきで見られている……。

 その後、どうにかガキは泣き止み、夕食を食べていた。夕食の間は業務員がガキの隣に座り、様子を伺っていた。


 俺は少し離れたとこで座り、俯いている。


 なんなんだコレは?

 意味が分からん。何で泣き出した……。

 しかもこれ以上にないタイミングの悪さだ。


 ガキが夕食を食べ終わると業務員は食器を持って部屋を出て行った。

 俺は終始怪しまれていたが、なんとか撒いたようだ。


 そして、またも無言が続く。

 このまま出ていこうとすれば、また泣かれるだろう。

 それだけは勘弁だ。


「あの……ごめんなさい」


 しばらく沈黙が続いていたがガキの方から切り出した。


「やめろ。別に謝ることはしてねーだろ……」


 目の前で、申し訳なさそうな顔をするガキ。

 その表情を少し見た後、俺は丸椅子に座ったまま、壁に寄りかかり、天井を見上げた。


「お前は……俺にどうしてもらいたいんだよ」


 俺は疲れ切った声で問いかける。


「私は……」


 ガキは顔を真っ赤にしていた。

 そして、もごもごと歪んだ口を動かす。


「お友達になりたい……」


 ガキはモジモジと膝に置いた手を動かしているしている。


「……そんだけか?」


 ガキは、コクリと頷いた。


「分かったよ!お前のお望み通り『お友達』になってやる。これでいいか?あぁ!!?」


「ほ……ホント!?」


 ガキの顔が少し晴れた。

 なんなんだよ一体。


「それじゃ……また会える!?」


 なに!?

 そうかそうだった。


『お友達』というのだから定期的にこのガキに会わなければいけない……。

 このガキの望んでいることはそういうことだろう。

 思わず言ってしまったが、よくよく考えると面倒くさい。


 だが……。

 はぁ…………。


「わかったよ……。ここに会いにくればいいんだろ?もうそれで勘弁してくれ」

「い 、いいの!?」

「じゃなきゃ、お前また泣き叫ぶんだろ?」

「も、もう泣かないもん……」


 やれやれ面倒な事に巻き込まれた……。


「それじぁ、もう一度私たちの契約をしよう!」


 なんだと!?


「いや……。だから契約なんてものは最初からないんだって」

「ううん。違うって!私たちだけの秘密の約束を作りたいの!!ふふーんこういうの一回やってみたかったんだよね」


 何言ってんだ?


「私は、あなたがお友達になってくれた代わりにこの世界のことをいっぱい教えまーす!」


 ……。


「どうかな!!」


 …………。


「もう、それでいい……」

「やったぁ!」


 まぁ、もともとそのつもりだったしな。

 ここに定期的に来る見返りってことでいいだろう。


「それじゃ……契約の儀式をしようよ!」

「儀式?」

「はい!」


 ガキは腕を伸ばし小指をさしだす。


「何だこれは」

「指切り!私たちの世界では、約束する時にやるんだよ。ほらこうやって小指と小指を合わせて!」

「指きった!」


 ガキが俺の手を振り下ろす。


「契約成立だね!!」


 少女がにっこりと笑う。


 波乱の展開に、身体の神経が休息を求めていたからだろうか。

 何故だか……この時俺は、ガラにもなく少し微笑んでしまっていた。



 ✳︎



「どうしたの?グーちゃん?」


 俺がボーッとしていたから、モモカさんが心配そうに聞いてきた。

 俺はあの時のことを思い返していた。


 モモカさんに初めて会った、あの日のことを。


「いやぁ、なんかモモカさんとは色々あったなぁなんて……。少し思い出してまして」

「えぇ」


 彼女は、顔を少し赤くして照れている。


「あっ、ねぇグーちゃん!サクラの花言葉!!知ってる!!?」


 モモカさんが、話を逸らすように問いかける。

 多分照れくさかったから話題を変えたんだろう。


「え……えっと、サクラの花言葉?『かわいい?』とかそういう感じですかね」

「あぁ、いい線いってる!」


 モモカさんは花の図鑑を見ながら楽しそうにクイズをだす。


「ねぇねぇ、正解言ってもいい?」

「いいですよ」

「正解はね!!えっと、いくつかあるんだけど『精神美』『優美な女性』『純潔』でしたぁ!」


 彼女は、無邪気に図鑑の文を読み上げた。

 そんな彼女を見ていると、こちらも楽しくなる。


「あぁ、ちょっと難しかったですね。でもサクラの花言葉は、なんだかモモカさんにお似合いですね」

「いや……そんなことないよ。サクラは好きだけど!」

「あっ!もしかしてモモカさんの名前の『桃』にも花言葉ありますよね!?きっと、モモカさんにぴったりの花言葉だったりして!」


 パタン。

 彼女は本を閉じた。


「あっグーちゃん……ごめん。4時から診察なの忘れてた!」


 少し慌てながら、ベッドから立ち上がり、病室の入り口に向かう。


「あっ!そうだったんですね」

「ゴメン、ちょっと行ってくるね!」

「あれ……でもちょっと早くないですか?」

「5分前行動!5分前行動!」


 するとモモカさんは本を持って部屋を出て行ってしまった。

 あれ、まだ3時半だよな……。

 結構早いような……。


 そんな事を思いながら、椅子に座り病室を見渡す。

 変わらないな……。あの日から。



 ✳︎



「契約成立だね!!」


 気がつけば、夜7時をまわっていた。


「ねぇねぇ!まずはお互いに自己紹介しようよ!」

「自己紹介?」

「だって契約者のことは、よーく知っておかないといけないでしょ?」


 自己紹介をする程、何かを持っている訳ではない。


「別に言うことねーし……」

「はい!はーい!じゃぁ、私からいきまーす!


 なんなんだ、コイツのテンションは……。


「私は『ナツメモモカ』って言いまーす!漢字で書くとこうでーす!」


 ガキは自分の名前をメモ帳に書いて俺に見せてきた。だが案の定俺は読めない。


「えっと!好きな食べ物はサンドイッチで……

最近ハマってる芸人は小峠でーす!!」


 しらねぇよ……。


「なんて日だっ!!」


 ……。

 なにが……?


「好きな色は……うーんピンクかな……。でも白もすき!好きな漫画は……少女漫画も好きだけど少年漫画も好き!」


 何言ってっか全然わかんねー……。


「さっ 、次はあなたの番!!」

「いやぁ……だから言うことなんてねーよ」


 俺はジト目で、少し困った顔を向けた。


「名前は!?」

「それは言えない。悪魔にとって名前は命と同等だ。知れ渡れば危険な呪術に悪用される恐れがある。」

「えー!!」


 至極残念そうなその言い方は、正に子供そのもの。


「えーって言われてもな……」


 完全に向こうのペースに乗っ取られている。

 あの広場に居た時からそうだったが、なぜかさっきから主導権を握られてるような感覚。


 そして、この病室に来てからは、その感覚がより一層強まっている気がする。

 ここがコイツの居場所だからだろうか。

 まるで部屋に友人を連れ込んで、気分が良くなってる子供を見ているようだ。

 

「じゃ、私がニックネームを考えてあげる!」

「ニックネーム!?」

「だってこのままだと、私があなたを呼ぶ時

に困るもん」


 ガキは、少し眉間にシワを寄せて、不満そうな表情を見せる。


「ちっ、めんどくせーヤツだな……。じゃぁ、さっさと決めろ」

「わーい、やったー!!」

「なんでお前が喜んでんだよ!!」

「だって、なんか考えるの楽しいじゃん!!」


 “なんか”ってなんだ!!“なんか”って。


「あのなぁ!!先に言っておくぞ!?変な名前は拒否するからな!」

「私こういう時マジメだよ!!!」


 そう言ってガキは考え始める。

 ずっと『うーん……』と言いながら両手で頬杖をつき。悩んでいる。

 

 俺は座ったまま病室を見渡す。

 なんもねー部屋だな。


「おい、机もう一個ねーの?うつ伏せになって寝たいんだけど」


 周りを見渡して、それらしいモノを探すが、無いようだ。


「ないよ?」

「じゃこの机で寝るから、腕どかせ」


 小さな机に乗っかるガキの腕を見て言う。


「えぇ、やだよぉ!この体勢がいいの!なんか思いつきそう!」

「俺は、お前の言う『契約者様』だ。少しは気づかえよ!!」

「えぇ……別にここで寝ればいいじゃん。それかベッドくる?ふかふかだよ?」


 おちょくってんじゃねーぞ……。


 俺は右手で頬杖をついて寝ようとした。

 いや、やっぱり距離がちょっと近い。


 目の前のガキは目を瞑って考えている。


 いや、 気にすることはない。

 俺も今日一日疲れてんだ。

 少しくらい休ませろ。


 俺はお構いなく、目を瞑る。


 ……。


 だめだ……。

 やっぱり目の前が気になって寝れねー。


 片目を開ける。

 すると、目の前でガキが考えている。

 だがこの姿嫌いではない。

 寧ろ少し癒されるような……。

 いや、そんな事ないか。


 俺はまじまじと見てしまっていた。

 よく見ると少しだけ、可愛い顔をしているように見える……。


 パッ。


 そのときガキが目を開けた……。

 目が合う。

 まずい見てたのがバレた……。


「え……なんかここついてる!?」

「いや、なんもついてないけど……。」


 とっさに俺はそう言った。


「あっ! ねぇねぇ 『グーちゃん』はどうかな!」

「グー……ちゃん?」


 それが俺の名前?


「だって だって!!さっきお昼のとき

お腹が鳴った音がすごく可愛かったから!」


 なんだその恥ずかしい由来は……。


「グーちゃん!いい!すっごく可愛い!」


 可愛いさで付けるなよ……。

 でも何故か俺は嫌じゃなかった。

  目の前で一生懸命考えていたのを見ていたから。

 たかが呼び名かもしれないが思えば自分のために誰かが真剣に物事を考えてくれたのは初めてだったのかもしれない。


「嫌……だった?かな……」


 まずい、このまま何も言わなかったらまたガキが落ち込む。きっと結構悩んだのだろう……。

 もうそれでいい……。


「好きにしろ。お前が呼びやすいならそれでいい……」

「ホント!?嫌じゃない!?」

「別に……」

「うれしい!!自分の考えた名前気に入ってもらえるってすっごく嬉しいよ!!」

「はぁ……そりゃよかったな……」


 喜んでるガキの姿を見つめる。

 俺は、心のどこかでほっとしていたのだろうか。

 明日から俺たちの契約による日々が始まるのか……。


「グーちゃん!うーんかわいいっ」

「おまえ……そんなに気に入ってんのか?」

「うん!とっておきの名前だね!ねぇねぇグーちゃんも私のこと名前で呼んで!!」


 突然の言葉に少し動揺した。

 

「え?」

「お友達なんだから名前で呼び合いたい!」


 なんかいきなり名前で呼ぶのは抵抗があるというか、すこし恥ずかしいんだが……。


「あ……やっぱり嫌なら別にいいんだ」


 ガキがモジモジしてる。なんだ? 

 こいつも本当は少し恥ずかしいのか?


「モモカ。これでいいか?」


 すると、モモカが少し恥ずかしそうにこちらを見る。

 なんなんだよ……。

 言えっていたのはそっちだろ。


「う、うん 。悪くない。それで行こう」


 なんだその反応は。


「もしかして、名前で呼ばれるの恥ずかしいのか?」

「いや!そんなことない!全然!?」


 じゃーなんでモジモジしてんだよ……。


「なぁ 純粋に1つお前に聞きたいことがあるんだけど……」

「なーに?」


 目を点にして、我に帰ったように、俺の方を向く。


「お前は、なんで俺とのあの契約をそんなにしたかったんだ?しかも命を賭けろと言ったことに躊躇しなかった……」

「今も賭けてるよ?」


 俺は目を少し大きく開いた。

 その言葉に、動揺せずにはいられなかった。

 

「いや、だからあれは嘘だって言ったろ……」

「私、1番最初に話した契約のつもりでいたけど……」


 モモカの少し重くなった声は、まるで訴えかけてくるかのようだ。


「なっ、なに怒ってんだよ……」

「ねぇ……それで合ってるよね?」


 身を乗り出すかのように、少し前屈みになったその姿は、かなり真剣な様子に見えた。

 一体何が彼女をそこまで執着させるのか。


「ご……ごめん別に私怒ってないし 、ちょっと言いすぎた」

「いや……別にいい。少し聞きたかっただけなんだ。お前が命を張ってでもオレと友達になりたいと言った理由が」

「私……生まれてからほとんど外に出たことがないの」


 その言葉を聞いた時、俺の身体の全てが反応した気がした。

 そして、自然と目の前の瞳を見つめていた。


「ずっと体が弱くて病院で暮らしてきた。だから、お友達なんていない」


 悲しさや寂しさとは、また少し異なる色のない声。

 その複雑な感情を何て言い表せばいいだろう。

 自分自身の現実を、しかりと受け止めての言葉。

 それは「虚無」だろうか。

 

「私はずっと憧れてた……。お友達と遊んだり出かけたり勉強したりすることを。そしてたまにはケンカもしたりして。みんながやってるようなことを私はやったことがなかった……」


 ……。


「だからどうしても欲しかった。どうせこの残り少ない命だもの。それを賭けて私の夢が叶うなら叶えたかった」


 俺は気がつくとモモカの話を真剣に聞いていた。

 俺はこの質問をしてよかったのだろうか。


 そう考えるほど彼女の思いは深かった。


「その……悪かった。お前はあの時本気で命を賭けていたのに、それを踏みにじるようなことを言って」

「ううん。大丈夫。それにさっき強く言っちゃったのは別の理由かな。グーちゃんも命がけで私に自分のことを話してくれたでしょ?私が契約を破ればグーちゃんの命が危険かもしれないのに。そんななかで私を頼ってくれた。だから……」



         

         ◇◆ 深い夜が始まる──。


             【命の契約 終】


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