とあるクローンの話

雨白

とあるクローンの話

「ねえ、レイ。私紅茶が飲みたいわ」


「分かったよ、レイチェル。今準備する」




 いつものように僕は、彼女の紅茶を用意する。出会った日からずっと、僕たちの朝のルーティーンだ。




「……レイ、いつもありがとう」


「いいんだよ、これくらい」




 彼女は僕とよく似ている。金色の髪に、青い瞳。もう17歳にもなるからか、男女の骨格の違いは表れてきたけど、少し前までは顔の骨格も体型も僕と瓜二つだった。それもそのはず。目の前にいる彼女は僕のクローンである。


 そして僕は、今から24時間以内に、彼女を処分しなければならない。




◇◇◇




 遡ること一年前、僕の母親が事故で死んだ少し後のことだった。




 クローンがすっかり世に普及したころ、あるニュースが世間を騒がせた。


『クローン人形、暴走の可能性』『専門家によると最初の型である1型クローン人形は、体内にある人工血液と脳波の関係で生産されてから10年を過ぎると人間の言うことを聞かなくなる可能性があり――』


 そこからはあっという間だった。1型の大半は処分センターに送られ、関係ない他の型のクローンまで大量に廃棄される始末だ。クローンたちはすっかり、町から影を消してしまった。そして――。




「そろそろ処分センターに行った方がいいんじゃないかしら。ここからだと少し時間がかかるし」




 紅茶を飲みながら、そう話す彼女の首には1-000024と文字が刻まれている。1型のクローン。処分対象だ。




「行った方がいいんじゃないかしら……って、行ったら処分されちゃうんだよレイチェル。分かっているのかい?」


「分かっているわ。一年前から」




 レイチェルは感情が希薄だ。出会った時からずっと。どんなに笑わせようとしても、決して微笑んだりしない。母さんはそれでも満足そうだったけど。




「レイチェル!今日は好きなことをたくさんしよう!」


「誰の?」


「君のに決まってるだろ!」


「……そう言って、あなたさんざん一年前から私とたくさん遊んだじゃない。水族館に行ったり、遊園地に行ったり、映画だって見に行ったわ。借金を返したばっかりなのに、たくさんお金を使って……」


「うぅ、だって、君に楽しい思いをしてほしかったから……」


「もう十分楽しかったわ。早くセンターに行きましょう」


 そう言うが、彼女はどこに行っても表情を変えることはなかった。何かが間違っていたのだろうか。


「……うん。分かったよ」




 考えても仕方がない。後24時間しかないのだ。冬の寒さに備えた服を着て、僕らは家を出た。




(もうこの家にレイチェルが戻ることはないのか……)




 そんなことを考えながら。




◇◇◇




 レイチェルにはマフラーをつけさせた。首の型番号を隠すためだ。「違反になるから良くない」とレイチェルは言っていたが、周りに1型のクローンだということがばれては――




「あ!1型の処分明日中じゃーん!」「ほんとだ!」




 突然1型というワードを呼ばれビクッとする。




「いやー遅すぎるよね!正直!」「それなー?暴走されたらどうすんだよ!って一年間ひやひやしぱなっしだったよー」


(あ、まずい)




 今の会話をレイチェルが聞いたら傷つくんじゃないだろうか。普段無表情な彼女でもさすがに――




「?どうしたのレイ」




 俺がじっと見つめていることを不思議に思ったのか、彼女が問いかけてきた。




「いや、何でもないよ……」


「さっきの会話なら気にしていないわ。慣れたもの」




 相変わらず表情を変えずにレイチェルが答える。


 こういうところを見ると、僕らが初めて会った時のことを思い出す。あの時も確か今のように無表情で、何にも興味がないというような顔をしていた。




 僕らが出会ったのは今から10年前のこと、7歳の時だった。突如現れた自分そっくりな女の子に、幼いながらも胸を躍らせたものだ。




『ねぇお母さん!僕に妹がいたの!?』




 そういう僕を横目に、母さんはその女の子を抱きしめた。




『……?お母さん?』


『……あぁ、レイチェル……。ようやく私のもとへ来てくれたのね、やはりあの子は私の子供ではなかったのね』


『?おかあさ――』




 バチンと鈍い音が響き、僕はその場に倒れこんだ。普段から冷たい母だったけど、頬を叩かれたことは生まれて初めてだった。


 後から親戚の人たちの会話を盗み聞きして分かったことだけど――母さんは女の子が欲しかったらしい。お父さんのことが嫌いだったから。そしてその年に生まれたクローン技術を使って、僕のクローンを性別を変えて作った。


 父さんはクローン技術を作ることの反対運動をしていた。確か「人間の命令を必ず守るようなクローンを作ることは人道に反している」とか言って。父さんの言う通り、その女の子は確かに母さんの言うことはすべて聞いていた。ただ、母さんの命令からか僕の言うことはあまり聞いてくれなかったけど。




 それからは、その女の子――レイチェルの身の周りの世話をしたり、母さんがレイチェルを作るために作った借金を朝から晩まで働いて返済したり、色々大変だったけど、僕と二人だけの時より母さんが幸せそうだったからそれでよかった。でも――




「レイ?」


「……あ、ごめん、考え事をしてた。どうしたの?」


「処分センターに着いたわ」




 え!?と思い近くの建物を見ると、確かにクローン処分センターの文字があった。しまった。レイチェルになんとなく着いていったせいでこんなに早くついてしまった。本当ならもっと二人で街を巡ったり、おいしいものを食べて過ごすはずだったのに――




「処分か?」




 背後から声が聞こえた。振り返るとそこには職員と思わしき男が立っていた。




「そこの女の子――クローンだよな?ダメだろー首の番号を隠しちゃあ、まあ今のご時世しょうがないか」


「わ、分かるんですか?」


「そりゃあ、この道長いですから」




 いや、そんなことを聞いている場合じゃない。




「――服などは返還されるのでしょうか?」


「もちろんだ。いやー覚悟ができているようで助かるよ。泣くやつが多くてね」




 嫌だ。




「さて……じゃあ、行っていいか?」


「ダメです!」


「……は?」


「まだ!やり残したことがあるので!失礼します!」




 そう言って僕はレイチェルの手を引き、職員の人の前から走り去った。




◇◇◇




 しばらく走り、僕らは海が見える崖沿いへとたどり着いた。




「ほら!見てよレイチェル、海だよ。一回見てみたかったんだよねー冬の海!風が心地いいし、それに――」




 海を指さしていろいろと説明しようとする僕を遮って、レイチェルが話し始める。




「何をしているの、レイ。そろそろ本当に処分センターに行かないとあなたに刑罰が……」


「……レイチェルは怖くないの。僕は怖いよ、君と別れるのが」




 レイチェルは相変わらず無表情のままだ。




「怖いわ。私もあなたと別れるのが」


「じゃあ、なんでだよ!僕は君のことが――」




 崖沿いの柵に手をかけたその時だった。体がふわりと浮く感覚があって、それで――




「レイ!」




 最後にレイチェルの声が聞こえた。




◇◇◇


 


 ……ここは?僕は……崖から落ちて、そうだ




「レイチェル!」


「ここにいるわ」




 横を見ると、確かにレイチェルはそこにいた。ずぶぬれになって。周りを見ると、どうやらここは洞窟のようだ。




「一体……何が起きたの」


「こっちが聞きたいわ。あなたったら、ぼろぼろの柵に手をかけて海へ落ちていったの。だから、すぐさま私が飛び込んで助けてあげたのよ」


「そ、そうだったのか……。ありがとうレイチェル」




 レイチェルにそんな危ないことをさせてしまったなんて……。何をしているんだ僕は。




「……それと、最終処分時間が過ぎてしまったわ。おそらく保安局が来るわね」


「そっか……」




 しばらく気まずい沈黙が続いた後、先に口を開いたのはレイチェルの方だった。




「私が表情を変えない理由。知ったらあなたは傷つくわ」


「そんなことないよ!僕はずっと君に笑ってほしかったんだから」


「……あの人がそう命令したからよ」


「え?」




 あの人とは母さんのことだ。レイチェルはいつもそう呼んでいた。




「あの人が感情を表に出さないよう私に命令したの。おしとやかな女の子が好きだからって。その命令を聞いて以降、私は表情を変えることができなくなったわ。あの人は満足だったみたいだけど」




 あまりの衝撃に言葉が出ない。母さんがそんな命令を?そうだ。思い出した。母さんはよく『レイチェルはお人形さんみたいで本当にかわいいわね』そう言っていた。ようやく分かった。母は子供が欲しかったのではないのだろう。何も言わない、自分の人形が欲しかっただけ――




 再び気まずい沈黙が続く。知らなかった。分からなかった。10年間も一緒にいたのに。




「じゃ、じゃあ、僕と遊んだのは――」


「楽しかったわ。水族館も、遊園地も、映画も。女の子達が1型の話をしていたときは……怖かった。あなたと別れるのが寂しくないわけがない。ずっといっしょにできることならいたい。だって私は――」




 そういうとレイチェルは大粒の涙をこぼした。今まだ見たことがないくらい目を真っ赤にして。




「あら、どうしたのかしら。変ね、涙が……今まではこんなこと……」




 そう言って必死に涙をぬぐうレイチェルを見て、僕は思い出す。




『1型のクローンは人間の言うことを聞かなくなる可能性が――』


「それだよレイチェル!」




 急に大きな声で叫んだ僕を見て、レイチェルがビクッとする。僕はつづけた。




「期限を過ぎたから、レイチェルは人間の言うことを聞かなくなったんだ!だから母さんの命令も無効になった!」




 そう力説する僕に向かって、レイチェルが口を開く。




「じゃあ、私は今なら――」








「クローン1型000024番、発見しました」




 ふと背後を見ると、保安局の三文字が入った服を着た人たちが数名立っていた。こちらに銃を向けている。




「レイチェル!」


「レイ、こっち!」




 レイチェルに手を引かれ、僕らは洞窟の奥へ向かって走った。




「逃げたぞ、追え!」と後ろから声が聞こえる。


「レイチェル!そっち逃げても――」


「大丈夫!かすかに風が吹いているの。きっと出口につながっているわ!」




 走る。走る。走る。こんな所で終わってられない。終わりたくない。




「レイ見て!出口が――」




 出口。出口だ。これで僕たちは――






 洞窟の出口であるその場所には、男が一人立っていた。処分センターで僕たちに話しかけてきた、あの男が。




「な、なんでここに……」


「いたぞ、捕らえろ!」




 僕らがたじろいでいる隙に、保安局の人間に追いつかれてしまった。




「う……、レイチェル!」




 僕は床に取り押さえられ、レイチェルは腕をつかまれどこかへ連れていかれてゆく。




「いや!離して!」


「ま、待ってください!たった一人の……、家族なんです彼女は!」




 そう僕が叫ぶと、保安局の人間が一斉にこちらを見た。




「クローンが家族だと?脳に何か疾患があるのかもしれない」「拘置所に行く前に病院に行かせるべきか?」




 そんなことを大真面目で話す保安局の人間をにらみつけ、僕は処分センターの男に言った。




「あなたは!この仕事長いって言ってましたよね!死にたくないと言うクローンを見て、何も思わないんですか!」


「……。そいつら二人とも車に乗せてくれ」


「え……しかし、彼は人間で……」


「クローンに執着する人間には適切な処置が必要なんだよ。素人は黙ってな」




 そうして僕とレイチェルは彼の処分センターと書かれた車に乗せられた。




◇◇◇




「……なんでクローンが暴走するのか分かるか」




 車の中で男が急に問いかけてきた。




「知りませんよ……。少なくともレイチェルはそんなことしません」


「お前は自身が犯罪を犯さないと断言できるか」


「……できません」


「だろ?だがクローンは断言できる」


「どういうことなの?」




 レイチェルが聞く。




「人間の命令を、決して裏切らないようにできているからだ。本来なら人間が制御できないことまで、命令に従い制御することができる」




 今までのレイチェルを思い出す。どれだけ遊んで楽しい思いをしても、差別をされ怖かったとしても、決して表情を変えなかった彼女は確かに人間の域を超えていたのかもしれない。




「……が、お前のクローンはもうそうじゃなくなった。普通の人間と同じように、犯罪を犯すことができる」


「だから……処分するんですか。人間と同じになっただけじゃありませんか!」


「いや、逃がす」


「……え?」




 思いがけない返答に、僕とレイチェルは顔を見合わせた。逃がす……?僕らを?




「着いたぞ」




 男が着いたと言った場所は、紛れもない僕らの家だった。




「どうして……知っているの?いや、それよりも逃がすって――」




 車を降り、男に話しかけたその時だった。


 バチンッ。


 男がレイチェルの首に何かを当て、彼女は首を押さえその場にしゃがみこんだ。




「レイチェル!」


「ただ番号を消しただけだ。これでお前がクローンだとばれない」




 彼女の首を見ると――確かに番号が消えている。




「やっぱりあんたらみたいに、処分を嫌がる奴らは少なくないわけだ。それでまぁ、こっそりこうしてやってる」




 そう言うと男は足早に自身の車に帰っていった。




「じゃあなガキども!仲良くやれよ」




 こんな……都合のいいことがあるだろうか。だが、確かに僕は見たのだ。彼が深くかぶっている帽子の隙間から、僕らと同じ金色の髪と青い目が見えたのが。


 ふと横を見ると、レイチェルがくすくすと笑っている。




「ねぇ、見て。レイ私笑えているわ。そうよね。こんなに都合のいいことが起きたんだもの!きっとあの人はあなたの父親よ。この家の場所を知っていたし、私たちと同じ顔だったもの!」




 口を開けて笑うレイチェルを見て、思わず僕も笑ってしまった。24時間前のことが嘘のようだ。こんなにあっさりと解決してしまうなんて。




「はー……こんどお礼しに行かなくちゃね」


「えぇ、そうね。でもまずは家に帰りましょう」




 そうして僕たちは、家の扉へ向かって足を進める。あ、そうだ。




「レイチェル」




 どうしたのと振り返るレイチェルに僕は言った。




「僕はコーヒーが飲みたい」




 すると彼女は微笑んでこう言った。




「分かったわ、レイ。今準備する」

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とあるクローンの話 雨白 @amesira

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