39 ヒーロー

それから少しして、二年生三年生は体育館に移動した。音楽のスパルタ教師に校歌斉唱の練習をさせられ、入学式が始まった。

 一年前、ガッチガチに緊張して、できることなら一子の後ろに隠れていたかった入学式。でも一子とはクラスが違うから、ただ緊張しているしかできなかった入学式。


 この一年で、純恋は別の人間になったみたいに強くなった。そして優しくなった。


 でもそれも、あの寒い五月の朝がなければありえなかったことだ。花を美しいと思わなかったらありえないことだ。自然の力が、純恋を強く、優しくしたのだ。


 コロナ禍のころは考えられなかった新入生の家族もたくさん来ている。平和な時代でよかった、と純恋は思った。


 一年生が入場してきた。拍手が沸き起こる。やっぱりめでたいことはうれしい。この中から園芸部に入る生徒も出るのかな。純恋は嬉しい気持ちで、入場してくる一年生を眺める。


 入学式はつつがなく終わった。四人で、園芸部に割り当てられた部室に向かう。園芸部に部室が割り当てられるのは二年ぶりだそうだ。


 ドアを開けると、園芸部の部室はいささか埃っぽくてクモの巣だらけの部屋で、ちょっとこれはポスターを作るより先に掃除では、ということになった。四人でクモの巣をはらい、埃を外に掃き出す。ぞうきんもかける。


「こんなもんかー」

 手毬がそう言うが、部屋の角が丸く掃かれていた。一子が小姑みたいな顔をして、

「もっと丁寧にやらなきゃだめだよ」と、手毬にやり直しを命じる。


「うぐー……一子のいじわる」手毬が雑なだけだ。


 とにかく部室を掃除した。きれいになった部室の、がらがらの本棚を見上げる。

本棚は無駄にでっかい。園芸部がなんの本を収納するというのか。将棋部が棋書や詰将棋の本を並べるとか、演劇部が台本を並べるとかならまだ分かるのだが。


「これ部費で園芸書買ったりできるのかな」と手毬。


「定期購読で園芸雑誌買ってもらうのがいいと思うでござるよ」

「園芸雑誌……?」一子がよく分からない顔をしている。露草がリュックサックから、日曜の園芸番組のテキストになっている雑誌を取り出す。


「うわあ、きれい。こんなお花あるんだ」

 一子はその雑誌を見て、うっとりとした顔で息をついた。確かにきれいな花の写真がこれでもかこれでもかと載っている。これは眺めるだけでも楽しそうだ。


「一子インスタやってないの?」純恋がそう訊ねると、一子は、

「どうもあの手のSNSって好きになれなくて。写真見て楽しいの?」と首をかしげた。


「楽しいでござるよ。花の名前入れて検索すればぶわわわわーって花の画像出てくるでござる。それにドラマのスタッフが俳優さんのオフショットUPしてたりもするでござるよ」


 露草がスマホを開いた。もっぱらSNSで園芸がらみのアカウントばかりフォローしているようである。


「そうなの? ドラマのオフショットっていうのはちょっと魅力的かも」


「ええ?! 一子ってドラマ観たりするの? イメージとちがう!」


 手毬が仰天する。純恋はくくくと笑って、

「一子、実は超少女趣味だよ。少女漫画とドラマが大好き。毎朝朝ドラ録画して観てるしね」


 と、一子の正体をばらした。手毬と露草は顔を見合わせて、

「知らなかった……」

「知らなかったでござる……」

 と、目を点にしている。


「中学のころなんか髪すごく長くてきれいだったんだよ。校則で後ろでくくる以外の髪型できなかったけど」


「野々原氏と岩見氏の中学、校則厳しすぎではござらぬか」


「逆に露草と手毬の中学はどうだったの?」


「んー、すっごい荒れてた! 金髪をハリネズミみたいに逆立ててるやつもいたし、進学しないというかできない生徒もいっぱいいた!」

 それってどれだけ荒れてたの。純恋は言葉を発さず飲み込んだ。


「花が好きとかいうとなめられるから拙者も菊水氏も黙ってたでござるよ。たまたま花屋さんで菊水氏と出くわして、それで友達になったでござる」


 そうなのか。この二人は花がなかったら友達にすらなれなかったんだ。

 純恋は花というものの引き寄せる縁に、しみじみと感動していた。


「去年の連休が寒くてよかった」

 純恋はそう独りごとを言った。純恋にしか、この独り言は理解できないし、気持ちも分からないだろう。


でもそれでよかった。いま自分のいる場所の幸せを思った。


「純恋、どうしたの?」


「ううん、独り言。さて、と……掃除も終わったし、生徒会にポスター用紙もらいにいこっか」


「そうだった。生徒会かあ……」


「緊張するでござるな」生徒会室に全員で向かう。生徒会室に着くと、図書館で活動していた郷土史研究会の生徒が、部活勧誘ポスター用紙をもらっていた。


「あ、郷土史研究会さんだ」と、純恋が思わずそう言うと、郷土史研究会の眼鏡の男子は、

「あ、どうも。園芸部さん」と、笑顔で返してきた。


「郷土史研究会も、活動再開するんですか?」

 純恋が質問すると、郷土史研究会の男子はへへへと柔らかな表情になった。


 夏に図書館で出くわしたときの、おっかない顔が噓みたいだ。

「いや、まだ同好会だけど、今年部員が増えたら正式に部費が出るから、頑張ろうと思って」


「そうなんですか。お互い頑張りましょう」


 去っていく郷土史研究会の後ろ姿を眺めて、生徒会室に入る。相変わらず喫茶店みたいなコーヒーの匂いがする。奥で三浦生徒会長が顔をしかめていた。


「これまた金魚のフンみたいにぞろぞろと……相変わらずだな園芸部」


「もう三密回避の時代じゃないんで。ポスター用紙ください」


 三浦生徒会長は呆れ顔でポスター用紙を純恋に渡した。四枚ある。


「去年より三枚増やした。ちゃんと部員集めろよ」


「ありがとうございます!」純恋は頭を下げた。

 生徒会が園芸部の存続を明らかに認めて、純恋はうれしくなった。


 羊歯高校の部活勧誘ポスターは、生徒会が印を押した正式な用紙以外使えないことになっている。昔は生徒会による出来上がったポスターの検閲もあったらしい。


「失礼しました」と生徒会室を出て、園芸部の部室に戻る。


「じかに描くまえにノートとかに案を出したほうがいいよね」そう提案すると、露草が、

「野々原氏、すっかり部長でござるな」と言い出した。


「うん。純恋が部長っていうのがいいよ。一子はどう思う?」


「純恋が部長じゃない? 校舎前の花畑だって純恋がやろうって言ってやったわけでしょ? 純恋はヒーローだよ。スーパーヒーローだよ。園芸戦隊ウエルンジャーのレッドだよ」


「園芸戦隊ウエルンジャーて……」

 純恋は困った顔でみんなを見回した。自分なんてリーダーの器じゃないと思ったのだ。


「だって野々原氏、雨のクッソ寒いなか自転車かっ飛ばしてしおれたマーガレット復活できないか相談にきたじゃろ? 花に興味がないんじゃったらそんなことしないし、花をそこまで愛するのはなかなか難しいことでござるよ? ふつう枯れたら諦めるでござる」


「……わかった。部長、引き受けるか少し考えてみる」


「ヨッシャー! 部長の責任を野々原氏に押し付けることにほぼ成功したでござる!」


「やったー! 純恋がたぶん部長だー! 無責任に部員ができる!」


「……純恋、このひとたち令和無責任女子高生なんだね……」

 一子の言い放った「令和無責任女子高生」というよくわからないフレーズが、純恋の笑いのツボを狙い撃ちしてしまった。純恋はしばらく、笑いをこらえるのに必死だった。


 部室に戻ると、五木先生が反射式ストーブでお湯を沸かして待っていた。プラスチックの取っ手に紙コップをスタックして使うカップに、ココアを淹れている。


「お疲れさん。生徒会どうだった? ポスター用紙もらえたか?」


「もらってきました! 去年から三枚増です!」


 自分の手柄みたいなドヤ顔を決めている手毬はともかく、一同ココアをすすりながら、たまたま露草が持っていた無地のルーズリーフに素案を描くことにした。

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