37 生徒会長の謝罪

「イモ泥棒とか、ペパーミント爆撃とか、花のご近所さんへの譲渡とか、本当にすんませんでした!」

 岩見宏輝はすべての罪を認めて、そう謝罪した。


「なんでそんなことを? 廃部にするなら次の生徒会長に頼んでおくとか、もっと穏便なやりかたもあったろうに」


 五木先生が問いただすと、岩見宏輝は、

「一子に、園芸部にいかないで欲しかったんです。ずっと生徒会にいて、俺の思う『最強の羊歯高校』を作ってほしかったんです」

 と、うるうると泣き顔で言葉を繋げる。


「一子、園芸部に行くつもりだったの?」


「うん。純恋が連休明けに園芸部に入った、って噂を聞いて、生徒会やめて園芸部に入ろうと思ってた。でも兄がこの調子で、生徒会活動をやめないでくれ、って言われちゃったら」

 一子はくしゃっと笑顔を作った。中学のころから変わらない笑顔だ。


「妹を、よろしくお願いします!」


「兄さん、そんな娘を嫁に出す父親ムーブ、はずかしいからやめて」

 一子は眉を上げる。つられて純恋も、露草も、手毬も、五木先生も、元気よく笑った。


 ――学校でやることが終わったあと、露草と手毬と一子が、純恋のアパートに集合した。一子はフジノヤのスイーツコーナーからロールケーキを買ってきて、純恋は久方ぶりに手でコーヒーを淹れた。インスタントコーヒーよりおいしいコーヒーが飲みたかったからだ。


「廃部回避、おめでとー!」

 手毬が元気よく言う。一子はロールケーキを食べながら、おめでとう、と大人しく言った。


「おめでたいでござるよ、新学期からも園芸部できるでござるよ」

 露草、嬉しくてもセリフがいにしえのオタクになるのか……。


「一子のお兄さん、もう東京行ったの? 住むところは?」


「まだ。明日の新幹線で行くんだって。暮らすのも県人寮だから下調べすらしてないよ」

 県人寮。なるほどそういう手があるのか。


 純恋はロールケーキに手を伸ばした。スーパーで売っているふつうのロールケーキの味がする。まあそれでもおいしく、フォークを伸ばしてぱくぱく食べて、気がついたら全員ロールケーキを一切れずつ食べたのに一切れだけ残っていた。五切れ入っていたのだ。


「うわぁお遠慮のかたまり」と、手毬が面白がる。どうしようか、ということになって、しばらく悩んでいると、玄関チャイムが鳴った。


 純恋が出ていくと、太喜雄さんがなにやら紙袋を持って立っていた。こんにちは、と挨拶する。

「おー、友達が来てるのか?」


「はい。なにかあったんですか?」


「うちのハウスでイチゴが採れたから、食べるかなと思って持ってきた」

 太喜雄さんはあまりきれいでない紙袋を純恋に手渡した。そしてすぐ帰ってしまった。


「イチゴだって」純恋が紙袋から、タッパーウェアに入れられたイチゴを取り出す。


「おおー。おいしそー」


「いま洗っちゃうね。食べよう」

 純恋はちゃかちゃかとイチゴを洗い、皿に盛りつけてテーブルにどんと置いた。


「……イチゴって、野菜なんだっけか」

 と、一子が呟く。


「そうでござるよ。草から生えてくる実は野菜でござる。メロンもスイカも野菜でござるよ」


「まあ食べようよ。おいしそうだよ」と、手毬が手を伸ばす。一つ口に入れて、

「す、すっぺえ……」と口をとがらせた。


「まあ太喜雄さんたぶん本業はイチゴじゃないから。ナスとかピーマンが本業だから」


「じゃあロールケーキのクリームつけてケーキのスポンジと一緒に食べるっていうのは?」


 一子の理知的な提案。ロールケーキを横倒しにして、みんなでイチゴでそれをつつく。ちょっと貧相なショートケーキみたいな味になった。


 イチゴをやっつけて、手毬の自宅にあるサボテンコレクションの話をしているとき、一子のスマホが鳴った。なにかメッセージがきたようだ。


「……ふふ」

 一子は小さく笑って、全員に画面を見せた。


「花壇が満開になったら写真撮って送ってくれ」というメッセージと、変なスタンプが送られていた。岩見宏輝もこういう変なスタンプを使うのか。一同、大爆笑した。


「一子、なんだかんだ岩見先輩ほだされてるじゃん」

 純恋は一子を肘で小突いた。


「うん、私が植えるの手伝ったって言ったら見事にほだされた。シスコンなので」

 また一同大爆笑した。箸が転がってもおかしい年ごろ、というやつだった。


 その日は暗くなる前に一同解散と相成った。純恋はほんの少し、唇に歯を立てた。


 それから二日くらいして、離任式が行われた。五木先生は特に転勤にはならなかったが、げんじいがよその学校の教頭先生になるらしい。純恋は少し寂しく思うとともに、げんじいがまだ学校勤めを何年もできる歳であることに驚いていた。てっきり退職すると思っていたのだ。


 離任式のあと、純恋は花壇に向かった。写真を撮る。

 その花壇は、まさにこの世の春だった。植えた花はみな完璧に咲いており、ピンクから赤のグラデーションも美しい。これを、生で岩見宏輝に見せたかった、と純恋は思った。いまごろ岩見宏輝は県人寮での新生活にあわただしくしているころだろう。


「――野々原さん」

 後ろから、教頭先生が声をかけてきた。


「あ、教頭先生。この度は園芸部の存続を認めてくださりありがとうございます」


「それはね、これだけの花を見せられたら。君たちの努力は素晴らしい。応援するに足りる価値がある」


 教頭先生は花壇を見回して、穏やかにそう言う。

「ありがとうございます。でも、これはわたしたちの努力だけで咲いたのではありません」


「……?」


「空が雨を降らせたり、太陽で照らしたり、地面が球根を守ったりしたから、こうやって咲いたんです。わたしたちにできたのは、土を改良して球根を植えて水をやること。自然が、人間には計り知れない自然が、こうしてここに花を咲かせたんです」

 純恋は淡々とそう言った。教頭先生はその言葉をしみじみと聞いて、

「悟りの境地、って感じですね」

 と、そう言ってしゃがみ、ヒヤシンスの香りをすんすんと嗅いだ。


「甘い香りだ。そうやって自然が育てたにせよ、園芸部の努力は素晴らしいと思いますよ」


「ありがとうございます」


「――先生は、もともときれいなものが好きなのです。家に帰ればこだわりの水槽が並んでいて、まあ……妻や子供には白い目で見られているわけですが。しかし、熱帯魚にせよ、花にせよ、なにかを美しい、と尊ぶ気持ちは、よいものだと思いますよ」

 教頭先生は、いままでの怖い顔ではなく、吹っ切れたような穏やかな顔をしていた。


「園芸部、来年度はちゃんと部費が出ます。だから新入部員の確保につとめなさい」


「わかりました。がんばります」

 教頭先生は去っていった。純恋はヒヤシンスの匂いを嗅いでみる。いい匂い、というにはいささか強烈な、でも柔軟剤なんかに比べればずいぶん優しい香りがした。


 純恋は撮った写真を、母親と父親に送った。両方から、「すごいね」という返信が来た。


「園芸部、存続できるって」と母親にメールすると、

「それはすごい。頑張ったね」という返事もきた。


 一子が校舎から出てきた。一子は花壇をカシャカシャと撮影し、メッセージアプリをぽちぽちいじっている。

「誰に送るの? お兄さん?」


「うん。なんだかんだここの花が満開になったら見たいって何度もしつこくメッセージ送ってきてたから」


 一子は送信ボタンをタップした。

 岩見宏輝が花を見てニコニコしているのを想像して、純恋は笑みを手で覆って隠した。

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