イチゴ
36 卒業式
卒業式の前の日、園芸部の面々は花壇に水をたっぷりとやった。それくらいしかできることはなかった。花芽はだいぶ育ったが、これで咲くのかどうかは分からない。
「まあ、お取り潰しになったら新しく作ればいいんだヨ。羊歯高校園芸部は、永遠に不滅です」
手毬がおどけた調子で言う。純恋は花壇を見て、涙をこらえていた。
「純恋、どうしたの?」
「悔しい」純恋はそう答えた。
「岩見先輩をギャフンと言わせたかった。教頭先生をギャフンと言わせたかった。一面の花畑にして、生徒会を黙らせたかった」
「まだ分からないよ」と、露草が純恋をそうフォローしようとした。
「――もう間に合わないって、みんな分かってるんでしょ?」
純恋が思ったことを口に出すと、一同黙ってしまった。
露草も手毬も、もう間に合わないことを理解しているのだ。
「一子、ごめん。一子を助けたくて始めたはずなのに」
「気にしなくて大丈夫。来年度は生徒会から抜けるから。そしたら、一緒に――」
「園芸部がやりたい。一子と一緒に、園芸部で活動したい。一子と一緒に、花の世話とか、野菜の世話とか、草むしりとか、そういうことがしたい」
純恋はそう言葉を絞り出した。一子は口を一文字に閉じていた。
純恋は、ずっと友達が欲しかった。小さいころからあちらこちらを転勤して回る生活で、長く一緒にいられる友達がいなかった。その純恋が、中学一年生で出会って、中学校の三年間を一緒に仲良く過ごした唯一の友達が、一子だった。
「……純恋ちゃん、あたしたちのことも忘れないで。あたしたちは、純恋ちゃんの味方だよ」
手毬がそう言って、純恋の肩を軽く叩いた。
「あ、ご、ごめん……」
「純恋ちゃんの計画なら上手くいくと思ったよ、わたしも」
露草がそう言って、笑顔を純恋のほうに向けた。
「園芸部が頑張ってるって、教頭先生は分かってると思う。岩見先輩だって、園芸部がちゃんと活動してるって思ってるだろうし、なにより岩見先輩、明日この学校出てくんだし」
露草が静かにそう言う。
いま純恋をなんとか励まそうとしたら、そうとしか言いようがなかった。
明日はおそらく咲かない花壇を前に、四人はただ、心のなかに冷たい風が吹き込むのを感じていた。もう解散しよう。純恋がそう提案して、一同ばらばらと帰路についた。
明日は卒業式。花壇は間に合わなかった。
そもそも関東の気候をベースにスケジュールされた、テレビで観たまんまのミックス球根花壇を、この寒い東北の田舎町でやろうとしたのが失敗だったんだ。
純恋は重たい体を引きずって、アパートに帰ってきた。
陽が暮れるのが、随分遅くなった。もう冬は終わりだ。テレビをつけると東京ではもう桜が咲いているのだという。もうちょっと早く春がきてくれたら、花壇も間に合ったのに。
たとえば神様が純恋のアパートに現れて、純恋の願いを聞いてくれるというのなら、おそらく純恋は「花壇を満開にしてほしいです」と言うだろう。園芸部を存続させてほしい、でなく。
純恋は、一人で夕飯を支度して、一人で寂しく食べた。
園芸部は自然相手の部活だ。花が咲くのも、野菜が実るのも、自然の力である。
それを読み切るのは、おそらく人間には不可能なことなんだろう、と純恋は思った。自然の力には逆らえない。だから去年の春、マーガレットはしおしおになってしまった。
マーガレットを見る。春に向けて順調に育っている。
本物の「グリーンサム」とか「緑の指」とか言われるようなひとたちは、自然に逆らわないで、自然とうまく付き合って狙った時期に花を咲かせたりするんだろう。
夕飯を食べ終えて、純恋は風呂場で、どこで覚えたのか分からない英語の讃美歌を歌った。たぶん両親と一緒に海外にいたとき、そこの小学校に相当する学校で習ったのだろうけれど、どこで覚えたかは定かでなかった。
少し気持ちが楽になった。「神のみぞ知る」の境地に達したからだと純恋は思った。
さっさと寝てしまおう。ただ、純恋は、明日の卒業式に自分たちの力不足で、花壇が間に合わなかったことを、とてもとても、悔しく、悲しく、心の内で震わせていた。自分がぜんぜん「神のみぞ知る」でないことに気付いて、純恋は表情筋をゆるめた。
――寝れば朝がくる。寝なくても夜が明ければ朝になる。
純恋はぐずぐずと体を布団から引きずり出して、制服に着替えた。卒業式なので大した荷物はない。スマホとハンカチとティッシュを制服のポケットに押し込み、純恋は部屋を出た。
コートやジャンパーなしでも平気なくらい暖かい。というか、完全なるポカポカ陽気だった。
もうちょっと早く春になってほしかった。純恋はそう思いつつ、学校に向かった。
――なんだか、校舎の真正面が騒がしい。
校門には「羊歯高校 卒業式」の立て看板があり、先輩たちはカシャカシャと記念写真を撮っている。その向こうを見て、純恋ははっと息を飲んだ。
花壇、満開ではないけど――咲いてる!
純恋は先輩たちをかき分け花壇に向かった。アネモネとヒヤシンスとクロッカスが開き始めている。チューリップはまだつぼみだが、ひょっとしたらきょう咲くかもしれない。
間に合わなかった。でも、花は咲いた。
一子と岩見宏輝が現れた。親も一緒だ。車で来たらしい。
「満開ではないようだな」と、岩見宏輝は自信満々の口調で言った。
「でも咲いたのは間違いないでしょ、兄さん」
「……まあ、その通りだ。これ、満開になったらすごかろうな」
「兄さん、花なんて無用なんじゃなかった?」
一子と岩見宏輝は、そんな話をしていた。
岩見宏輝の心を、園芸部はほんのちょっと動かせたのだ。
「おはようございます」と、岩見宏輝に声をかける。
「おう、おはようさん」意外とフランクな返事だった。純恋は続けた。
「――なんで、そんなに園芸部がお嫌いなんですか?」
「そりゃあ、去年からずっと、部費の予算削減をしなきゃいけなかったからだ。園芸部はなんの実績もなかったし、ただきれいなものを作ってるだけだし」
「きれいなものだってお認めになるんですね」
「……おう」岩見宏輝は照れた顔でそっぽを向いた。一子がくっくっとかみ殺したように笑う。岩見宏輝は、この花がきれいだと、心を動かすに足りるものだと、認めたのだ。
校舎前にたまっていた生徒たちは、みな校舎に入った。体育館で卒業式が始まった。紅白幕の飾られた、いかにもめでたい体育館で、卒業式は粛々と執り行われた。
卒業式のあと、純恋は旧校舎に向かった。五木先生が、おいしくない顔をして、試食会のあと誰も食べなかったリコリスを噛んでいる。
「こんにちは」
「おう、お疲れさん。花壇、ギリギリ間に合ったか合わないかの瀬戸際って感じだな」
「そうですね――暖冬だから間に合うと思ってたんですけど、ちょっと微妙でした」
五木先生はおいしくない顔でリコリスを飲み込むと、
「でも、教頭先生は生徒会に、園芸部に手出しするな、と伝えたそうだ。で、先生も、来年度は遠くに出張しなくていい、ということになった」と、にかっと笑った。
「え、教頭先生のせいだったんですか、忙しいの」
純恋は目を見開いた。
「どうもそうらしい。顧問不在にして活動実績を減らして、それで園芸部を潰して、予算を削減したかったみたいだ。でも、これからまだまだあの花が咲くなら、入学式には完全に満開だろう、と思ったらしい。なんだかんだきれいなものが好きなんだな、教頭先生は」
「そうなんだ……」
そんな話をしているところに、一子と岩見宏輝、それから手毬と露草がやってきた。
「おや、生徒会長」と、五木先生が立ち上がる。
「兄は謝罪したいそうです」と、一子が言う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます