35 無為に過ぎていく

 ――これで、人間にできることはだいたいやった。

 十一月の後半、五木先生が海外出張から戻ってきた。教頭先生に取り付けた約束と、ミックス球根花壇の話をすると、

「……野々原、おまえすごい度胸してるな」と、五木先生はしみじみと言った。


「だって、やらなきゃ園芸部がなくなっちゃうんですから。ここはわたしの居場所です。だから、守りたかった。生徒会で不本意なことをしている一子――岩見さんも、助けたかった」


「すげえ鋼鉄メンタルだな……まあ、海外出張のお土産もあるから、みんなで食べよう」


 というわけで、その日園芸部ではリコリス試食会が開かれた。純恋が以前言ったことを思い出して、手毬と露草は露骨に嫌そうな顔をしている。


「まあ、漢方のど飴だと思えば大丈夫だよ。あ、でも食感はグミか」

 純恋はリコリスに手を伸ばした。幸いサルミアッキみたいな強烈なやつではなく、漢方薬の味のするグミ、といった感じだった。それでもおいしくないらしく、手毬と露草は眉間に深い深いしわを刻みながら食べている。


「遅れました」一子がやってきた。五木先生が驚く。


「だ、大丈夫なのか? 生徒会行かなくていいのか?」


「集会だけ顔出してきました。でもまあ、大したこと言わないんですけど。五木先生、出張お疲れ様でした」


「お、おう……まあ、ヨーロッパ土産の菓子がある。食べてみろ」


「わあやったあ。コーラ味のグミかなにかかな?」一子はなにも疑わずにリコリスに手を伸ばして思い切り頬張った。次の瞬間、「うえ」とえづいた。


 それを見ていた露草が、盛大にむせた。しばらくゲホゲホしてから、

「疑いがなさすぎるよ一子ちゃん」と言って、でもまだ笑いのツボにはまっているらしく、しばらくへひへひと笑い続けた。


「なんでこんなの買ってきたんですかぁ!」一子が抗議すると、五木先生は、

「いや、名前がリコリスっつうから、植物由来なんだろうなあと思って」

 と、よく分からない購入の理由を説明した。


「カンゾウの根から作ってるぽいですね」と、露草がスマホをいじってそう言う。


「カンゾウかあ。ハリー・ポッターにもカンゾウで作った魔法世界のお菓子があったっけ」


「一子、なんでそんなこまかいこと覚えてるの」純恋は呆れた顔で一子を見た。


 そのあとみんなで草むしりをした。さすがに冬だ、ペパーミントもそんなに増えない。

「もうすぐ期末テストだから、あとは先生に任せろ。お前さんらは勉強して、赤点ナシで今年を終われよ」と、五木先生は自分のやたら薄い胸をごんと拳で叩いてみせた。


 そのあと、十二月の頭に期末テストがあり、純恋はそれなりにいい点数をとれた。手毬や露草も同じだったようだ。一子はほとんどの科目が九十点以上の、素晴らしい成績をとった。


 冬休みのあいだ、園芸部は旧校舎の一部屋を借りる許可を得た。


 旧校舎なのでさすがに古い。だが特にぼろっちくはなっておらず、どっちかというと建造物としての美しさが目を引く。きれいに掃除して、古い石油ストーブに火をつける。


「じゃあ、菜園計画するか。幸いサツマイモを植えた花壇はペパーミントをばらまかれなかったからな」


 五木先生は古い黒板――純恋たちはそもそも黒板というものを使うのがほとんど初めてで、いままで授業はホワイトボードで受けてきた――に、でっかく「菜園計画」と書き込んだ。


「来年なんの野菜を作ろうか、って話なんだが。なにかあるか?」


「サツマイモリベンジしましょうよー。それで生徒会より先に寄付しちゃうんです。どうせこのメンバーじゃ食べきれないですし」手毬がそう提案する。五木先生が黒板に「サツマイモ」と書き込む。


「サツマイモは連作障害が二~三年程度ならほぼないからな。難しく考えなくてもいいし、イモはうまい。それにたくさん穫れるから寄付もできる」


「そういう功績の作り方、生徒会に教わったフシがありますよね、われわれ」

 露草が外国人肩すくめポーズをとる。ハハハ、と五木先生が笑う。


「ほかにないか? いまならなんの野菜でも作れるぞ」

「オクラはどうですか? 花がきれいだし」と純恋が提案する。一子がそれを聞いて、


「え、オクラの花ってきれいなの?」と聞いてきた。スマホで検索してみせると、

「確かにきれいだ……」と、一子は納得したようだった。


 廃部になるかもしれないのに、園芸部はとても楽しく活動していた。それは、ある種、燃え尽きるろうそくの炎が大きくなるのに似ている、と、ひやりと嫌な予感を覚えた。


 来年の菜園計画を立てて、まあそれが実行できるかは分からないが、園芸部は土壇場で居直ったような状態になっていた。それでも、楽しいと、園芸部の面々と一子は思っていた。


 そして、新学期がやってきた。新学期初日の一月の初め、空はどんよりと曇り、雪がちらついていた。純恋ももう中学一年生のころからここにいるので、雪の降り方を見て、積もらない雪だ、と判断したけれど、それでも不安だった。


 純恋は毎日、暇があればスマホの天気予報を見ていた。

 積雪はない、というのを確認するのが、純恋の朝のルーティーンになった。


 それは園芸部の他の面々も同じだったようで、顔を合わせれば天気の話をした。いっぽうで生徒会も、「雪積もれ雪積もれ」と呪いのように言っている、と一子はやれやれの顔をした。


「ぜったい上手くいくよ。純恋が考えてやったんだもん。純恋はスーパーヒーローだよ」

 一子は、純恋の背中を軽く叩いた。純恋は「おうふ」とびっくり声が出た。


 卒業式が、じわりじわりと近寄ってきていた。花壇は、ぽつりぽつり芽が出てきた……といったあんばいで、果たして間に合うのか分からない。


 純恋はただ、自分の浅はかさが悲しかった。

 そうしているうちに二月になった。普段の年なら豪雪の季節。今年は暖冬で雪はない。


 咲くのか。咲かないのか。分からないがとにかくこれから天気がいいのを期待するしかない。そう思ってつけたテレビで流していた天気予報は、明日は今シーズンでいちばんの冷え込み、と報じていた。卒業式までもう時間がないというのに。


 卒業式に満開にならなかったら、園芸部の存続が危ういのに。

 それとも、一年楽しかったから、それで満足したほうがよかったのだろうか。


 いちばんの冷え込みの日、純恋は家でしくしく泣いた。間に合わなかったらどうしよう。そればっかり考えて、三月になった。


 しょんぼりしながら学校に向かった、三月のある日。花壇を見ると、ぼつぼつつぼみが付き始めていた。それを見て、純恋はもう勝てない、と踏んだ。


 園芸部に一年いたから、花というものがどれくらいでつぼみがついて、どれくらいで咲くのか、それくらいのことはだいたい覚えられたつもりだ。これでは勝てない。純恋はぐっと悲しみをこらえた。


 純恋が花壇を見ていると、かっかっと誰かが歩いて近づいてきた。

「これじゃ、卒業式には間に合いそうにないな」


 ――岩見宏輝だ。純恋は震える声で、

「まだ分かりません。まだ一週間あります。それまでに春らしい陽気になれば」


「まあ、頑張ってくれ」

 岩見宏輝は軽く馬鹿にする口調でそう言うと、昇降口に吸い込まれていった。純恋は、ただ花壇の前で固まっているしかできなかった。


「……純恋?」


「一子。ごめん、花……間に合わなかった」


「まだ分からないよ。明日からいい天気が続いてくれれば」


「……でも」


「純恋はネガティブに考えすぎだよ。もっと明るく考えないと」


 一子がいつものように純恋の背中をぽんと叩く。やっぱり「おうふ」と声が出る。

「純恋、きっと大丈夫。入学式には間に合うよ。教頭先生だって分かってくださる」


「そう、そうだね――」純恋は言葉を咀嚼して飲み込んだ。約束は卒業式だ。卒業式に、花が間に合わなかったら、園芸部は生徒会に潰されてしまうだろう。


 花壇を睨んでいても花は咲かないことを思い出して、昇降口に向かった。

 ただ、時間だけが、無為に過ぎていく。

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