32 宣戦布告

「そりゃあ認めざるを得ないが、教頭先生は園芸部を潰してしまっていいと仰せだ。なんの実績もなんの結果もなく、花なんて無用の長物を眺めてキャッキャしている部活に価値などない。教頭先生もそう思われているに違いない」


「――分かりました。わたしは、教頭先生に直談判してみようと思います」


「まあせいぜい頑張ってくれ。来年廃部になったら次に入る部活を考えておいたほうがいいぞ」

 岩見宏輝はそう言って笑うと、手づかみでチーズケーキをむしゃりと食べた。


 純恋は生徒会室を出た。向こうから一子が、フジノヤのスイーツコーナーでよく見る、ケーキ二個入り三百円のやつをいくつか抱えて歩いてきた。


「……野々原さん? どうしたの?」


「大丈夫だよ、一子」

 一言そう言って、生徒会室の前から職員室のほうに歩き出した。


 職員室からも、コーヒーを沸かす匂いがした。生徒会室のようなサイフォン式の立派なものでなく、ふつうの、家電量販店で一万円しないで買えそうなコーヒーメーカーが湯気を立てていた。五木先生が言ったとおり、ネオンテトラの泳ぐ水槽が置かれている。


「失礼します」と、純恋は職員室に踏み込んだ。

 心臓が高鳴っていた。これは賭けみたいなものだ。緊張と恐怖と、それから自分を鼓舞しようとする気持ちが、純恋の心の奥でドクンドクンと脈打っていた。


「教頭先生はいらっしゃいますか?」


「おや、野々原さん。どうしたんだい?」

 担任のげんじいがそう声をかけてきた。教頭先生はちょっとお手洗いに行って席を外しているという。しばらく待たせてもらうことにした。


「教頭先生になにか用があるのかい?」


「はい。教頭先生は生徒会を指導していらっしゃるので、それでちょっと直談判しに」


「そうかあ……生徒会相手にここまで頑張ったのは、野々原さんが初めてじゃないかな」

 げんじいはコーヒーをすすって、そう答えた。

「去年は郷土史研究会が潰されてしまってね。研究発表会でいい成績をおさめられなくて、それで……いまでも図書館で活動しているそうなんだが、正式な部活でないから、郷土史研究会の生徒は部活に入っていないことになっているんだよ」


「……そうなんですか。でも、わたしたちはただ潰されるだけなんて嫌なんですよ」


「そうかい。難敵かもしれないが、頑張りなさい。ランニングで旧校舎の花壇の横を通るたびに、きれいだと思っていたよ」


「――野々原さん。どうしましたか」

 教頭先生が現れた。相変わらず仕立てのよさそうなスーツをぱりっと着ていて、先生というよりエリートサラリーマンっぽい。


「あの。園芸部が、もし――卒業式を美しく彩って、卒業生の思い出に残るようなことをしたら、園芸部の存続を認めてはもらえませんか」


「どこかに花でも植える気ですか?」


「はい。まだ確約されたわけでないので、予定でしかありませんが」


「……確約、とは?」


「ええと、要するに……それが成功したら、園芸部の存続を認めてもらえる、ということです」


 教頭先生は、少女漫画の「おもしれー女」と考えるイケメンみたいな顔で純恋を眺めて、

「それが必ず成功する自信があるんですか?」と訊ねてきた。


「はい。今年は暖冬で雪があまり降らないそうなので、今からでもじゅうぶんに間に合うはずです」ハッキリとそう答える。


 教頭先生はしばらく考えてから、

「生徒会が独断で花壇をダメにしたと聞きました。それに旧校舎の花壇は、新校舎からは見えません。それでもなにかできると?」


「はい。恐らくは」

 教頭先生はしばらく黙った。純恋はたたみかけた。


「教頭先生は熱帯魚がお好きですよね。きれいなものがお好きなんじゃないですか。確かに花は懐いたりしないし、ただきれいなだけですけど、価値を認めてもらうことはできませんか」


「――いいでしょう。卒業生を送るのに相応しい花を、自分たちの力だけで用意できたら、生徒会に園芸部の存続を認めさせましょう」


「ありがとうございます!」

 純恋は頭を下げた。純恋の考えた作戦は上手くいくか分からないが、とりあえず賭けに参加することはできた。純恋はそのまま、もう一つ訊ねた。


「あの、校舎前の松の木の庭って、用務員さんが手入れしているんでしたっけ?」と訊いた。


「そうですよ。それがどうかしたのですか?」


「ありがとうございます。失礼しました!」

 純恋は職員室を飛び出した。廊下を走らないギリギリの速度で移動して、用務員室に向かう。


 用務員室では若い用務員さんと歳のいった用務員さんが、二人で将棋を指していた。


「あちゃー、こりゃー負けましただなあ」と、歳のいったほうが言って、それから顔を上げて純恋を見た。


「どうしたんだい、園芸部の子だろ?」


「校舎前に松の木の庭、あるじゃないですか」


「おー。それがなんかしたか?」


「あそこの草むしりと土いじりの権利を、今年度の間だけでも、園芸部に貸してほしいんです」


「おーおーナンボでもやっていいぞ。じゃあもう一番指すか」

 ずいぶんアッサリとOKが出た。

 でもこれで作戦に必要なピースはすべてそろった。純恋は露草と手毬に、それを連絡した。


 もう一度生徒会室に向かった。生徒会室で、岩見宏輝は相変わらずソファにかけてケーキを食べながらコーヒーを飲んでいる。一子が電卓をたたいておやつ代を計算しているようだ。一子の立場の低さが分かる。


「おや? まだ何か言うことがあるのか? やっぱり諦めます、ってか?」と、岩見宏輝。


「いいえ。宣戦布告をしに来ました」


「宣戦布告ねえ」岩見宏輝はそう言ってチーズケーキをむしゃっと食べた。


「教頭先生に、卒業生を送り出すのにふさわしいことができたら、園芸部の存続を認めるよう生徒会に言う、という約束をいただきました」


「……なんだと?」

 岩見宏輝はチーズケーキを皿において体を起こした。大柄で筋肉質でハンサムで、こういう性格でなかったらアメコミのヒーローみたいな見た目なのにな、と純恋は思う。


「岩見先輩、岩見先輩のもくろみは徹底的に潰させていただきます。我々園芸部は、それこそペパーミントみたいに、ずっとへばりついてどんな攻撃にも屈しません」


「まあ、できることなんてさしてないのが本当のところだろう。我々は園芸部がなにか大きなことを成す力がないのを知っている。ただ好きなものを愛でるだけの部活に価値などない」


「おっしゃいますね。園芸部は愛でるだけでなく、苦労して育てる部活ですよ」


「どう思う? 一子。思うことを言ってみろ」

 岩見宏輝は卑怯なことに一子に話を振った。一子は入学当初のような無表情で、

「園芸部にはなにもできないと思います」と答えた。


 本心じゃないのが、よく分かった。純恋は自信いっぱいで、

「一子、園芸部は負けないよ」と答えて、生徒会室を出た。

 緊張していた。失敗できない。失敗できないことをするのは難しい。しかし社会に出れば、失敗することなんて基本的に許されることじゃないんだろう。


 自信いっぱいで言ったけれど、失敗するんじゃないか、という不安が、心の底に張り付いていた。ぎゅっと拳に力をいれて、自分を一発殴って不安を追い払った。


 もうやるべきことは明確に見えている。それならそれを遂行するだけだ。だけれど不安がまとわりついてくる。できることをやるしかないのに。


 こういうとき、なにをやっても出来のいい一子だったらなんて表現するんだろう。失敗しない自信なんてないし、必ず成功させなければいけない。一子はそういうとき、必ず成功する人だった。


 ――一子を味方にしたい。一子がいれば、成功できる気がする。

 そう無根拠に思った。一子と一緒に、岩見宏輝をやっつけたかった。

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