ビオラ
31 作戦開始
純恋はショックを受けたまま、うどんを食べて、ふらふらと学食を後にした。教室に戻ってきて、昼休みが終わって呆然と五時間目六時間目の授業を受けて、掃除をして、上の空のままホームルームを聞いて、旧校舎の花壇に向かった。
あれは一子の本心じゃない。一子は泣いていた、震えていた。本当は言いたくなかったのだ。純恋の気持ちを知ろうとしてペパーミントを買ってきた一子がそんなことを思うわけがない。
旧校舎のひさしの下でおやつ代わりに菓子パンをぱくつく。味がよく分からない。入っているのがカスタードクリームなのかホイップクリームなのかわからなくて、袋を見たらキャラメルクリームと書いてあった。喉が苦しい、と純恋は感じた。
いつまで待っても露草と手毬がこないので、純恋はスマホを取り出してなぜか一子にメッセージを送ってみた。待っても返信はこなかった。もう返信なんてこないのかもしれない。
どん底と言えた。
これならまだ、一子と疎遠になったころのほうがマシだったかもしれない。一子だって、言わされたとはいえ、あんなことを言った相手と友達関係を続けられるとは思わないだろう。
でも、純恋は一子がいまも友達だと信じていた。一子は、言わされただけだったのだ。本心ではないのだ。だから、またきっと友達になれる。純恋はそれを確信していた。
でも現状では、園芸部は潰されてしまうだろう。ただでさえ部費が出なかったうえに、サツマイモを盗まれ、花壇をペパーミントで荒らされて、私物を持ち込んでいた露草と手毬の花や多肉植物が処分されてしまった。この状況では、来年の新入部員など望むべくもない。
なんとかしなくてはならない。園芸部も、一子も。
しかしその「なんとかする」方法が、純恋には分からなかった。露草と手毬がこないので一人で草むしりをして、それから制服に着替えて、学校を出る。
なんで露草と手毬が来なかったのか、アパートに帰ってきてからメッセージを送ってみる。
「きょうは活動お休みって部活掲示板に出てたよ」と、手毬からメッセージがきた。部活掲示板というのは職員室の脇にある掲示板で、その日の活動の予定を書いてある掲示板だ。
部活の名前の上にマグネットで「休み」「活動あり」の予定を貼り付けるシステムなのだが、どうやらそれが休みになっていたらしい。
「草むしりやっといたよ」と返信すると、
「わーごめん! だよね、園芸部が休みなんておかしいよね」
と、露草からメッセージがきた。
これもおそらく生徒会が仕組んだのだろう。
アパートの部屋で、呆然とスマホを見つめていた。
――岩見宏輝だってそう遠くないうちに進学していなくなるのに、なんで一子にここまで執着するのだろう。自分がいなくなったあとで、一子が生徒会を続けてくれると思っているのだろうか。分からないが納得いかない。岩見宏輝だってバカじゃあるまいに。
純恋は夕飯を手早く作り、パクパクモグモグとそれを食べた。一人の夕飯は静かだ。凝った料理を作ろうという気がないので、自画自賛するほどおいしいものを食べていない。
純恋が園芸部に入ったから、岩見宏輝は本気で園芸部を潰そうとしてきた。
やっぱり自分は疫病神なんだろうか。そう思いながらテレビをつけると天気予報をやっていた。明日はけっこう冷えるらしい。純恋はベランダに飾っていたフリンジ咲きのビオラやら復活してきたマーガレットやらを部屋に入れた。
本当ならいまの季節、花壇計画や菜園計画を立てていたのだろう。しかし相変わらず五木先生は出張が続いているし、露草と手毬はともかく花の知識のない純恋では花壇計画なんて立てられない。
花壇計画かあ……。旧校舎の花壇を見るひとなんて陸上部の長距離組くらいだろうし、走っていたらちゃんと眺めることもあるまい。そして旧校舎の花壇はペパーミントに乗っ取られてしまった。
ふと思い出して、純恋は録画機を起動した。やっぱり、記憶どおりの番組が過去の録画に残っていた。これだ。これなら知識のない純恋たちでもできるかもしれない。
それから次の日曜の朝、純恋は新聞を開いた。高校生なら当然、と先生方が言うので、ちょっとやってみっか、と開いた感じである。相変わらず地方紙は読みにくいレイアウトに、近所のお医者様の自慢みたいな旅行記、面白くない四コマ漫画、という感じである。
それを眺めていると商店街の園芸店の広告が目に入った。渡りに船だと思ったので、それを切り抜いておく。手帳に挟んで、次にやることを考えた。
純恋はスマホから、母親にビデオチャットをしたいと連絡した。いまやっている仕事が片付けばいつでも、と言われて、夕方にビデオチャットの約束をした。
よし。ここまではOK。
純恋は制服に着替えて、学校に向かった。いつも通りの草むしりである。今年は暖冬で、普段ならそろそろ雪のちらつきだす季節なのにまだ草むしりをしなくてはならない。
純恋が学校について、はっと目に入ったのは、校舎前に植えられた松の木だった。足元はコケに覆われているとかでなく、土が広がっている。ここはだれの管轄だろう。
純恋は、園芸部の活動場所である旧校舎に向かった。初めて純恋が来たときみたいに、五木先生のキャンプ用バーナーがメラメラと炎を上げている。みんなでココアを飲みながら、純恋はここまで考えた計画を説明した。
「……でも、そもそも生徒会は花なんて無用って言ってるんだから、その計画が成功しても、園芸部の存続を認めてはくれないんじゃない?」と、露草が心配そうな顔をする。
「それは確かにそうなんですけど、先に約束を取り付けてしまえばいいと思うんです。生徒会だけじゃなくて、教頭先生にも。教頭先生は熱帯魚がお好きなんですよね」
純恋の言葉に、五木先生が頷く。
「教頭先生、家に置ききれないっつって学校に水槽持ち込んでネオンテトラ飼ってるからな。きれいなものを愛でる気持ちっつうのはあるんじゃないか」
五木先生はそう言って時計を見た。
「……そろそろ行かにゃならん。しばらく留守にするが、よろしく頼んだぞ」
五木先生は、きょうから十一月の半ばまで、海外に出張に行くことになっていた。キャンプ道具は好きに使え、と言い、みんなに手を振って、活動場所を後にした。
「わたしらだけで完遂しなきゃいけない」
純恋はそう呟いて、力強くひとり頷いた。生徒会と教頭先生を相手取って、勝負に出る。そして一子を助け出し、園芸部も存続させる。それが純恋の考えた計画だった。
純恋は部活のあと、制服にちゃんと着替えて、生徒会室に向かった。
三浦生徒会室がコーヒーを沸かしていた。インスタントコーヒーでなく、立派なサイフォンだ。よく見ればコーヒーミルやら焙煎用のコンロなんかもある。ここは喫茶店か。
「お、園芸部の校内暴力」三浦生徒会が純恋をそう呼んだ。純恋は、
「わたしの名前は野々原純恋です」と、毅然と返事をした。
「なんの用だ。生徒会はお前のような下々のものに構っている余裕はない」
そう言ったのは堅肥りだ。堅肥りは板チョコを三枚重ねてかじっている。このままではただの肥満体になるだろう。だが問題はそこではない。
「園芸部が、卒業式を美しく彩って、卒業生の思い出に残るようなことをしたら、部活としての存続を認めてもらえますか?」
「……どう思われます、会長」
三浦生徒会長は沸かしたコーヒーをカップに注ぎながら、ソファにでんと座っている岩見宏輝にそう訊ねた。岩見宏輝はハハハと真っ白い歯を見せて笑うと、
「俺はもう会長じゃないよ。花かなんかを植えたいって話なんだろう? 花なんて思い出には残らない」
「では岩見先輩。先輩は、花束を渡されると、どう思われますか?」
「手がふさがって邪魔だなあって思うね」
……本当に、この岩見宏輝という男は、花の価値を知らないのだ。
「桜が咲いて、花見に行くときは?」
「花見弁当の中身が楽しみだなあって思うね」
これではらちがあかない。純恋は苛立ちながら、もう一つ質問した。
「では、教頭先生が園芸部の存続を認めたら、生徒会はどうするんですか?」
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