30 生徒会の仕業

 そう思って、ちょっとおかしくなってふふっと笑った。笑っている場合ではない、と、のんきな自分に釘を刺す。一子はしばらく返信を迷ったようで、もう少ししてから、

「それはよかったです」と返ってきた。やっぱり英語表現の教科書の例文だ。


 純恋は「学校やショッピングセンターの花壇にミントを撒かれたり、サツマイモ泥棒に遭ったり、花を処分されたりしてるけど、それでも楽しいです」と返信した。

 また返信まで間が開いた。ようやく来た返信は、

「生徒会がぜんぶやりました。兄がやるように言いました。ごめんなさい」

 というものだった。予想通り、というか分かっていた。いまの生徒会長に、そういうことをするリーダーシップがあるとは考えにくいからだ。やっぱり夏に入試を終わらせて、岩見宏輝が権力を握ってのさばっているのだ。


「一子が悪くないのは知ってる。だから謝らなくていい。なんでお兄さんはそんなことをさせたの?」

 そう返信すると、一子はやっぱり少し悩んだようで、ちょっとしてから、

「兄はもともと実績のない園芸部を潰すつもりでいたけれど、園芸部に純恋が入って、私が生徒会から園芸部に行ってしまうのを恐れて、さらに圧をかけたみたい。シスコンなので」

 と返ってきた。その返信は、中学のころよくチャットした文面によく似ていた。

最後にくっついている「シスコンなので」にふふふと面白くなりつつ、返信を打つ。


「一子は生徒会にいるつもりなんだよね?」


「いまのところはそうするしかないと思う」


 その、「いまのところは」という文面を見て、もしかしてそのうち園芸部に入ってくれるのかな、と考えたが、それを素直に返信するのははばかられた。


 返信に悩んでいると、一子から連続でメッセージがきた。

「もう遅いから、明日学校で話そう」


「わかった。おやすみ」

 純恋がそうメッセージを送ると、一子は昔からお気に入りの可愛いスタンプをぽんと送ってきた。よく知らないが動物のキャラクターが「おやすみ」と言っているやつ。


 一子はこういう可愛いスタンプをよく送ってくるっけ。いまも変わらないんだ。

 純恋はそれをニコニコ眺め、スマホの時計を見てびっくりした。もう十一時だ。寝なくては。


 純恋は布団に潜り込んだ。心が温かくて、これでなんとかなる、そんな気持ちになった。


 翌朝純恋は目覚まし時計をぶったたいて起きた。睡眠不足だ。ふだんは十時くらいに寝てしまうのだが、深夜までメッセージのやり取りをして神経のスイッチがうまく切り替わらず、寝るのに手間取ったのだ。やっぱり夜にスマホをいじるもんじゃないな、と純恋は思った。


 頭をかしかし掻きながら、純恋は学校に行く支度をした。弁当代わりに菓子パンを詰める。白いご飯にふりかけをかけて急いでかっこみ、アパートを出た。漬物も持っていく。


 やっぱり寝不足でなんだか眠たいし、久しぶりに一子と話すのに緊張している。そういう状態なので、授業を上の空で過ごした。一子から具体的に「いつ、どこそこで話そう」という連絡はない。昼休み、カバンから菓子パンを取り出そうとしていると、教室のドアから、一子がひっそりと覗いていた。


「あの、野々原さんを呼んでもらえませんか?」と、一子はドアちかくで弁当を用意していたやつに声をかけた。呼んでもらうまでもなく出ていく。値引きシールのべたべた貼られた菓子パンがなんとなく恥ずかしいのだが、しかしそんなことを言っている場合ではない。


「一子。お弁当は?」純恋が訊ねたとおり、一子は弁当を持っていなかった。

「私はいつも学食で食べてるから……」一子は純恋の疑問にそう答えた。純恋はとりあえず値引きシールだらけの菓子パンをリュックサックにねじこみ、財布を取り出した。


「学食、行ったことない」そう言うと、一子は小さい子供みたいに唇を噛んで、

「学食、だいたい上級生ばっかりだからね。兄にいっつも連れていかれてる」

 と、あまり大きくない声で答えた。学食に着くと、二年生三年生で混雑していた。


「きょうは、お兄さんと一緒じゃなくていいの?」


「なんとか逃げてきた。いまごろ血眼で探してると思う」

 そう言うと一子は慣れた調子でうどんの食券を買う。純恋も、三百円はちょっと高いなあ、と思いながらうどんの食券を買う。おばちゃんに渡すとあっという間にかけうどんが出てきた。


学食のかけうどんは、いちおう揚げ玉やワカメやネギが乗っていて、栄養バランスは悪くないですよアピールをしている。あとけっこううどんの量がある。


 二人で適当なところに座り、それをすすりながら、

「よくまあいまのいままで話さなかったよね」と、一子は苦笑した。


「うん……わたし、一子はわたしにベタベタされるのが嫌なんだろうなって思ってた」


「それは私のセリフだよ。兄に、純恋が迷惑がってるんじゃないかって言われて」


「そんなことないよ、一子は友達だよ」


「ありがと。……あのペパーミント、実は……純恋たちみたいに、お花とか育てたら楽しいのかなって思って買ってきて、春にうちの庭に植えたら大増殖したやつなの」


「あー……なるほど。それで匂いが薄かったんだ。その大増殖したのを、一子のお兄さんが切って、花壇にばらまいたんだ」


「うん。兄自身はやってないけど、庭から引っこ抜いて生徒会が切って、フジノヤショッピングセンターの花壇とか、旧校舎の花壇とかにばらまいた。ごめんね、純恋たちが努力して作った花壇、だめになっちゃった……」


「一子は悪くないよ。悪いのは生徒会」


「うん……生徒会、なんていうか、花みたいな『きれいだけど実際に使い道がないもの』を、『使い道がないならいらないもの』って判断しがちなんだ」


 一子は嘆息した。使い道がないならいらない、というのは、ありとあらゆる幸せの放棄だ。その理屈で行ったら、人間はただ食べて排泄してシャワーを浴びて寝るだけの生き物になる。そんなのいやだ。


 おいしいものを食べたいし、衛生的なところで用を足したいし、お風呂にちゃぽんと浸かって温まりたいし、ふかふかの布団で寝たい。それはきっと有益なことだ。

 極論すればそういうことになるんじゃないのか。純恋がそう言うと、一子は深く頷いた。


「その通りだと思う。でも、私は生徒会の一人だから、生徒会の決めたことに従うしかない」


「どうして? 一子もおかしいって思ってるんだよね?」

 一子はしばらくうどんをすすり、ワカメを咀嚼し、しばらく考えて、

「でも、生徒会は……この羊歯高校から、無駄を省くことこそ正義って考える組織だから。無駄を省くこと自体は悪いことじゃないと思う。それに、園芸部については、兄が猛烈に潰したがってて、だれも逆らえない状態になってる」

 と、呟いた。


「なんで……なんで一子のお兄さんは、園芸部の廃部にそこまでこだわるの?」


「……うん、兄は純恋が園芸部に入ったって聞いて、私が園芸部に入って兄の思う通りにできなくなるのが嫌なんだと思う。シスコンだから」


「一子は、それでいいの? いつまでもお兄さんの言いなりでいいの?」


「よくない……けど、しょうがない……」

 一子の口調が、だんだん歯切れ悪くなってきた。一子はうどんの汁を少し飲んで、

「兄は、独裁者だから」と、そう答えた。


「――だれが、独裁者だって?」

 一子の声をさらに低くしたような、重厚な男子の声が響いた。振り返ると、前生徒会長、岩見宏輝が、大盛りラーメンを持ってどんと立っていた。


 さあーっと気持ちが恐れに傾くのを感じた。一子とまた親しくしゃべっていた、という、楽しい気持ちは、岩見宏輝が横に座ってラーメンをすすりだした瞬間、消滅した。


「一子、一子は生徒会が好きで、花なんて無用なものに興味はないよな?」

 一子は黙って、小さく頷いた。一子の目は、虚ろな死人の目のようになっていた。


「一子は、自分の兄を、尊敬しているんだよな?」

 一子はまた、小さく頷いた。純恋は青ざめながら、一子と岩見宏輝を見比べていた。


「じゃあ言えるよな、園芸部なんて廃部にしてしまっていいと。人を殴るようなおかしいやつとは、友達じゃないと。生徒会には逆らえないと。言えるよな、一子?」

 気がつけば、純恋と一子の周りを、生徒会に所属する生徒がぐるりと囲んでいた。一子は、涙をこぼしながら、

「園芸部なんて廃部にするべき。人を殴る人とは友達じゃない。生徒会には逆らえない」

 と、震える声でそう言った。純恋は、呆然とするしかできなかった。

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