28 友達がほしい

 だれかがペパーミントを取り除かないと、二週間もしたら花壇はいちめんペパーミントに覆われてしまうのではなかろうか。


 それはとりあえず置いておこう。勉強しなきゃ。

 化学の教科書を眺めて、純恋はこのさきどういうものになろうか、ということを考えた。ふつうに進学して問題ない経済状況なのは知っているが、なにを勉強すればいいのか、そしてなにになればいいのか、さっぱり分からないのだった。


 そういうことを相談できる友達もいない。手毬と露草はただの部活の仲間である。

 一子といまも友達だったらよかったのになあ。


 純恋はそんな、意味のない、波が浜に寄せては返しするような、繰り返しの思考にハマっている自分に気づいて、違う違う、と首を振った。


 一子だって友達だと思われたら迷惑だ。

 でも、生徒会の包囲網を振り切る方法があるとしたら、それは一子にしかない気がする。


「はあ~あ……」

 ほぼほぼ声のバカでっかいため息が出た。


 生徒会のやり方は卑劣で姑息だが、それを堂々とやってのけるという面に関しては、好きにはなれないがちょっと尊敬できる。しかしそこまでして園芸部を潰したい理由が分からない。


 実績がないから、だろうか。例えばイモを先回りして寄付していたら、それは実績になったのだろうか。もっと公共の花壇を作っていれば、それも実績になったのだろうか。


 でも、それを生徒会は実績だと認識してくれるのだろうか。そしてその「園芸部の実績」は、もう取り返しがつかない過去のことなのだ。


 悩んだって仕方ない。勉強しよう。ちょうど、自習教室からもらってきていたプリントがあった。それをコツコツ解いて自習のノートに貼る。

 もし園芸部がなくなったら、部活はないから……勉強ができるな。


 そんなふうに考えて、でも唯一の居場所が園芸部なんだ、と純恋は思い直す。

 あの採れたてのトウモロコシのおいしさを思うと、他のところに行く気は起きなかった。


 夜までひたすら勉強をして、それからベランダに飾っているブルーバードは中に入れたほうがいいのかと考える。もうちょっとずつ寒くなってきている。


 そんなふうに一日過ごして、純恋は体を動かしたい、と思った。草むしりって運動だったんだな。なんだか体が重たい。


 夕飯を作り、面白いんだか面白くないんだかよく分からないバラエティ番組を眺めて――純恋の部屋にあるテレビは古いので、サブスクのドラマとか映画は見られないし、そもそもサブスクには加入していない――、純恋はさっさと寝てしまうことにした。


 それでもなんだか眠れなくて、スマホでSNSを見る。退屈を潰すには最適のオモチャだった。花や多肉植物にひたすらいいねを押していく。


 そんなふうに純恋の謹慎生活は続いた。謹慎明けの金曜日、学校に向かうとクラスメイトたちから冷たい視線を浴びせられた。暴力で謹慎を食らったという噂が広まっているのだ。


 かばってくれる友達が欲しかった。

 でもクラスには友達なんていなかった。孤独を噛みしめた。せめて手毬か露草が同じクラスだったら、と思った。でもきっと、手毬も露草も、同じクラスだったら空気を読んで純恋を視界にいれすらしないのだろう。


 淡々と授業を受けて、どうにか昼休みにたどり着いた。いつもの旧校舎の前に向かう。手毬と露草が弁当を食べていた。

「元気だった?」と純恋が言うと、二人はそこそこの笑顔で、

「まあまあ元気だったよ~。二人で草むしりするの大変だったんだからぁ」

「わたしも同じ。来週からテスト期間だね」と、当たり障りのないことを言った。


「――あのあと、花ってぜんぶ持っていかれちゃったの?」


「んー、砂利にしか見えないリトープスの実生苗は無事だった!」


「葉っぱしか残ってないシクラメンも無事だよ」

 と、二人は笑う。逆に言えばそれしか無事に残らなかったのだ。


「ごめん、なさい」


「なんで純恋ちゃんが謝るの? 純恋ちゃん悪くないじゃん。純恋ちゃんがいなかったらそもそもこの部活存在しないんだもん」


「そうだよ。もし純恋ちゃんがいなかったら、部活はなくなって、シクラメンはうちの日当たりのよくないとこに置いておくしかなかったから、葉っぱすら残らないで枯れてたよ」


「なにか。なにか策を考えて、園芸部を生徒会から、守りたい」


「生徒会だってもうできることは大してないんじゃないの?」手毬が明るい顔をしている。


「生徒会は、いや岩見宏輝は、本気です。なにか園芸部に恨みがあるのかもしれない」


「バック・トゥ・ザ・フューチャーのビフみたいに、完熟牛糞堆肥を浴びたことがあるとか?」

 手毬が面白いことを言ってきた。でも純恋は笑えなかった。


「……五木先生は?」


「きょうの午前中は他校の研修に行ってるらしいよ」

 またか。なんで五木先生がこんなに急に忙しくなったのだろうか。


 弁当を食べ終えて教室に戻った。刺さるような視線が痛い。

 純恋はそれでも、学校にちゃんと通いたかった。不登校にはなりたくなかった。

 純恋は小学六年生の最後のひと月を、学校に行かないで過ごしたからだ。


 あのころは幼かったしいまよりもっと癇癪もひどかった。それに義務教育という名目のおかげで、多少通わなくても卒業はできたし、中学の勉強にもちゃんとついていけた。


 しかし小学校の先生が、中学に提出する書類に、不登校のことを大げさに書いたのだ。

 そのせいで中学一年生のころは腫れ物のように扱われた。もちろん時間が経つにつれて、正当な評価をされるようになったけれど、あのころのようになるのは嫌だった。


 それに高校は義務教育ではない。ちょっと不登校になればついていけなくなり、留年、退学、となるのである。それは嫌だった。せっかく進学校と言える羊歯高校の生徒になれたのだから。


 金曜日の授業が終わって、園芸部で草むしりをした。ペパーミントは相変わらずはびこっていて、抜けども抜けども生えてくる。もう除草剤を使うかペパーミント畑にするしかない。


 ――来週からはテスト期間だ。


 ボロボロになってきた園芸用手袋を見つめる。ここまでの積み上げが、生徒会の悪意であるペパーミントに壊されてしまった。

 五木先生が、

「テスト期間、本当なら先生が草むしりすればいいんだが……研修やら出張やらがギッシリでな。誰かにお願いしようにも草むしりなんていう単純労働お願いできないし」

 と、悲しい顔をした。


「しょうがないですヨ五木先生。いい条件でペパーミント育ててお茶にしちゃいましょう」

 手毬がおどけてそう言うが、しかしその顔は悲しげだった。


「ペパーミントはそもそも地植えにするもんじゃないんだよなあ……あっという間に花壇からあふれ出てあたり一面のペパーミント畑になっちまうぞ」

 五木先生は空を見上げた。その日も、純恋の気持ちとは裏腹に気持ちのいい秋晴れだった。園芸部一同、ていねいに草むしりをして、その日は解散になった。


「五木先生、なんで突然そんなに忙しくなったんですか?」と、純恋が訊ねると、

「さっぱりわからんのだ」と、五木先生は答えた。どうやら五木先生の忙しさに明確な理由はないらしい。五木先生はしばらく年齢のわからない顔をムムムにして考えて、

「まあ、冬の前には忙しいのも収まるだろ。そしたら来春の花壇計画や菜園計画に間に合うと思う。どっか別の花壇で活動するかしようや」と、外国人みたいに肩をすくめてみせた。


 ――二週間のテスト期間は無事に終わった。純恋はうんといい、というわけではないが、それなりにいい成績をとれた。露草や手毬もそんな感じらしい。


 一同、二週間ほったらかしだった花壇に向かう。


 花壇は、ペパーミントがだいぶ茂ってしまっていた。これではどうほじくり返しても、確実に根や茎の一部なんかが残って、そこからまた生えてくるだろうと思われた。


 もうインパチェンスとマリーゴールドは終わりかけていて、全員で悲しい顔になった。


 生徒会の陰謀が大成功した感じである。みんなでインパチェンスとマリーゴールドの花がらを片付けて、しょうがないのでペパーミントの葉を摘んでフレッシュハーブティーにして飲んでみることにした。


「うん、味は悪くないが、悔しいな」と、五木先生はぼやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る