ヒガンバナ

26 全力のグーパンチ

 すっかり秋が深まってきた。なにやら五木先生は出張だ研修だと忙しくしていて、なかなか部活にこられないでいる。


「すまんなあ、ぜんぶお前さんらに丸投げして」

 そう言って、出張に出かける前の日、五木先生は詫びた。


「しょうがないですよ。お仕事なんですから」純恋が笑うと、五木先生は、

「そうなんだが……なんか変な忙しさでなあ。だれかに仕組まれたとしか思えん」

 と苦笑した。しかしさすがに生徒会でも教師の仕事までは増やせない。たまたまだろう。


 とある休日、露草がなにやら鉢植えを持って現れた。植えてあるのは白い可憐な花だ。かわいい。露草はその花を簡易温室に置くと、

「いいよね、リコリス」と小声で言った。


「リコリスって、あのおいしくない黒くてグネグネ巻いてあるやつですか?」

 純恋がそう訊ねる。親が海外転勤の多い家なので、リコリスと言われてすぐ思い出すのは、海外のスーパーマーケットで売られている菓子のほうだった。


「ちがうよ。ヒガンバナのこと」


「え、これヒガンバナなんですか? ヒガンバナって真っ赤なやつだけだとばっかり」


「この辺じゃ野生のヒガンバナを見ることってそうないけど、野生でも白いヒガンバナはあるよ。園芸品種ならピンク色とかもあるし」花を見る露草は優しい顔をしている。


 そうなのか。純恋の頭のなかの植物図鑑に新しくヒガンバナが記載された。

「野生で見ないからって鉢植え買ってくるの、マジで露草らしいね」と手毬が軽く露草をドついた。露草は「おうふ」と唸って、簡易温室に向かって転びそうになったのを必死に方向転換した。なんとか簡易温室に倒れないで済んだが、尻をコンクリートにぶつけていた。


 休日の活動は草むしりと水やりだ。まだ花壇にはペパーミントが部分部分残っているようで、あちこちでペパーミントが芽を出している。これから冬だというのに。


 しかし長期の天気予報では、今シーズンの冬は比較的暖冬だということだった。雪が積もってしまったら園芸部の活動は屋内のハボタンの水やりくらいになってしまうが、雪が降らないならひたすら草むしりをすることになる。嬉しいのか嬉しくないのか分からない。


「いやあリトープスも今年は日当たりがよかったから咲いてくれるぞ~」

 手毬が嬉しそうにリトープスを見る。リトープスに花芽がついていた。本当に咲くんだ、と純恋はしみじみと感心した。


「そろそろ簡易温室から屋内に移動したほうがいいのかな。そりゃ東京なら外でもイケるんだろうけど。露草はどう思う?」


「まだ寒さに弱いものだけでいいんじゃないの? そりゃ零下まで気温が下がればまずいだろうけど、まだ秋だし」


 旧校舎の足元から見える近くの山は、だいぶ紅葉が進んでいた。


「純恋ちゃん、最近なにかいい花見つけた?」露草が純恋に話をふった。


「んー……ホームセンターで、フリンジ咲きのパンジーを見つけて買ってきたくらいですね」


「純恋ちゃん、わたしたちなんか敬語にしなくていいのに」


「でも。わたしから見たら先輩なので」


「……そっか。無理に変えろって言っても迷惑だよね」

 露草はそう言い、どこからか取り出した板チョコをかじり始めた。純恋と手毬のぶんもある。三人でチョコレートをかじりながら、グラウンドで練習に励む野球部を眺める。


「いいよねー分かりやすく成績の残る部活って」


「そうですね……園芸部は、見てきれい、食べておいしい、ってことしか残らないですもんね」


「それもペパーミントに妨害されてしもうた。ぜったいあの生徒会の女にござるよ」

 純恋は「一子はそんなことしない」と言いたいのをぐっとこらえた。露草の口調に怒りが含まれていたからだ。


 純恋はなるべくこの二人と友好的に過ごすべく、口調を注意して観察していた。

 露草がいにしえのオタクみたいなしゃべり方をするときは怒っているか緊張しているか怯えているかのどれかだ。手毬は基本的にあまり怒らないが、露草がバカにされている時は怒る。


 この二人は完璧なニコイチと言えた。純恋には割って入ることすらできない。

 それはかつての純恋と一子のようだった。そして、純恋は一子に依存しすぎたことを、ずっとずっと後悔していた。思い出して癇癪が弾けそうになるのをこらえる。


 そのあたりで、その日の園芸部は解散になった。純恋は家に帰って、シンプルなプラ鉢に植えたフリンジ咲きの青紫色のパンジーを眺めた。可愛い、と思った。

 花を可愛いと思えるきれいな心を持てたことが、すごくすごく嬉しかった。


 ここのところ生徒会もあまり悪さをしていない。やはりお取り潰しにするのを諦めたのだろうか。そうであってほしい。純恋はそんなことを考えて、窓を閉めた。


 一子も、園芸部に入ってくれたらいいのにな。小さく小さく、自分にもかろうじて聞こえるか聞こえないかくらいの声で言い、カーテンも閉めた。


 次の日は、きれいな秋晴れだった。なかなか爽快な天気だ。純恋は機嫌よく学校にやってきて、制服のポケットでスマホが鳴るのに気付いた。メッセージアプリの電話だ。


「はいもしもし」


「純恋ちゃん! 大至急で園芸部の活動場所にきて! できれば乱闘できる格好で!」


 手毬のアホみたいに大きな声でキーンとなりながら、急いで旧校舎前に向かう。

 ――なにやらご近所のお年寄りが集まって、園芸部の花を生徒会から受け取っていた。


「ちょ、こ、これ、どういうこと?!」

 思わず絶叫する。簡易温室から、次々と花が運び出されて、ご近所のお年寄りにタダで手渡されていくのだ。生徒会――堅肥りとか、三浦生徒会長とかが、嬉々として花を配っている。まるで慈善事業でもするような顔だ。


 手毬のペンタカンサが、花をつけたリトープスが、エケベリアが、ハオルチアが、銀手毬が。

 露草のヒガンバナが、クレマチスが。

 次々と知らないおじいちゃんおばあちゃんの手にわたっていく。


「ちょ、せ、生徒会長! どういうことですか?!」


「おや? 野々原さんは新聞を読んでいないのかい? 駄目だよ、高校生にもなってネットニュースなんか見てちゃ」


 三浦生徒会長はいやーな笑顔でそう言った。こいつ、生徒会長が板についてきたな。カマボコ野郎め。心の中で口汚く罵り、怒りを押し殺しつつ、

「なんの権利があってこんなことをするんですか。これは私物です」と、極力冷静に訊いた。


「私物。去年の部費で買った温室に入れてあるのに? 学校のものは生徒会のもの、生徒会のものは生徒会のものだよ」


 こいつじゃだめだ。もっと話の通じるやつじゃないと。そこまで思考して、そもそも生徒会に話の通る人間なんて一人もいないことを思い出す。

 ――一子以外に。


 いまでも純恋は一子なら話が通じる、そう思っていた。

 顔を上げると、手毬が拳を握りしめて震えていた。


「手毬さん」


「……純恋ちゃん。だめだ、もう止められないよ」


「露草さん。なにがあったんですか」


「これにござる」

 ツユクサは地方新聞を広げてみせた。隅っこに、羊歯高校のシダをモチーフにした校章が描かれている。その広告――お悔やみ欄より一回り小さい、本当に小さい広告――を見ると、


「羊歯高校園芸部廃部につき鉢花・サボテン類を無料でお譲りします 先着順です」

 と書かれていた。


 園芸部は、まだ廃部になっていないのに。

 それどころか、存続の危機をしのいだのに。


 こんな卑怯な手口で。純恋は、もうあらかた花やサボテンがはけてがらがらになった簡易温室を睨んで、それから生徒会長につかつか歩み寄ると、全力のグーパンチを繰り出してしまった。


 拳は見事に生徒会長の眼鏡のつるに激突した。眼鏡が吹っ飛び、生徒会長は慌てる。

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