25 ビオラの押し花

 純恋は例によって、たたみに大の字になって寝転がった。

 生徒会への怒りが、腹のあたりでぐるぐるしている。憎んでもどうにもならないのはよく分かっている。生徒会に対抗しうる力は、園芸部にはないのだから。


 なんで一子は止めてくれなかったんだろう。それとも一子も、イモ泥棒をして寄付するのが正しいことだと思っているのだろうか。

 いや、一子がそんな考え方をするなんて思えない。


 そこまで考えて、一子について考えるのはとても不毛な作業だと思った。一子の気持ちは完全に生徒会に向かい、純恋なんて眼中にないのだから。


 でも自分が眼中になかったら、一子はわたしをナンパから助けてくれるんだろうか、と純恋は考えた。その、すごくすごく小さい可能性を信じたいと思った。


 宿題を片付けて布団に潜り込む。うすら寒くなってきた。

 夜中に、何回か変な夢を見て目が覚めた。純恋は夢の内容は覚えていないけれど、不愉快な夢だということは覚えていた。それでも睡眠不足は高校生の敵だ。布団をひっかぶって無理やり寝た。


 次の日も、泥沼に停滞したように一日を過ごした。


 園芸部の活動場所に向かうと、いつも通り草むしりをして、ペパーミントと戦い、さあ解散、というところで五木先生に電話がかかってきた。


「はいもしもし。はい。はい。……は?」

 五木先生の表情が失われていく。一同、不安な顔で五木先生を見る。


「分かりました、すぐ行きます」

 五木先生はそう言って電話を切った。五木先生は苦しげにうめいてから、

「――ショッピングセンターの花壇に、ペパーミントをばらまかれたらしい」

 と、悔しそうにそう言った。――ペパーミント……。


 みんなで五木先生の車に乗り込み、フジノヤショッピングセンターに向かう。

 花壇には拾うだけでも大変そうな、大量のペパーミントがばらまかれていた。中島さんが落ち着かない様子で、一同を待っていた。


「あの。なにか、トラブルでもあったんですか?」

 中島さんはそう訊ねてきた。五木先生がしばらく考えて、

「いやいや。くだらない学校内のゴタゴタに巻き込まれただけです。お気になさらず」と答えた。全員で、ペパーミントを拾う作業を開始した。


「ずいぶん匂いの薄いペパーミントですね」純恋は拾ったペパーミントの匂いをかいで、他の面々の反応を待つ。露草が、

「確かに匂い薄めでござるな。なんじゃろか、この匂いの薄まった感じは……あんまりよくない条件で育てられたのではないじゃろうか」と、怒りながら答えた。


「よくない条件」純恋がオウム返しすると、露草は激怒しながら、

「土の硬いところに植えられたら、いかに生命力の強いペパーミントだって弱るでござるよ。いったいどんなところでどんなふうに世話されたのか、想像すると怒りしかないでござる」

 そんなふうに、悲しげに怒っている。


「だめだねえ……ここまでたくさんばらまかれると、取り除いたつもりでもどこかしら残って、きっとここもペパーミントだらけになっちゃう。土がふっかふかだし」

 手毬が残念な顔をしている。


 夏まではあんなにみんな笑顔だったのに、なんでこんなに悲しい顔をしなきゃいけないんだろう。純恋も苦しく思っていた。そして、こんなことをする生徒会に絶望していた。


「やっぱりこれも生徒会の仕業なんでしょうか」

 純恋が呟く。露草が、

「生徒会の仕業だったとしても、花壇のもともと植えてある花に手出しするとかでないから、罪には問えないでござるよ……」と、ペパーミントを拾いながら小声の早口で言う。


「まあ……できることをやるほかあるまい。園芸部にできるのは、ペパーミントをなるべく丁寧に拾うことだけだ」


 そんなふうに、一日ペパーミントを拾って、園芸部はヘロヘロに疲れて帰ってきた。純恋はアパートで、なんでこんなにうまくいかないことばかりなんだろう、と天井を見上げた。


 人の顔みたいな、不気味な天井の染みを見つけてしまった。だいぶ伸びてきたボブカットの髪をわしゃわしゃして、でっかい声で「あーもう!」と一言叫んだ。


 そのまま床を踏みつけ、腹が立って仕方がなかったのでボウルに玉子を割りまくった。正気に戻って、こんなにたくさん玉子ばっかりどうすんだ、と冷静になる。冷蔵庫からカニカマを取り出して、天津飯を作ることにした。かけるあんをどうしようか考えて、麻婆豆腐も作る。

 怒りに任せて作った麻婆豆腐天津飯は、ちょっとしょっぱかった。

 純恋は悲しい顔で麻婆豆腐天津飯をぱくついた。


 明日も悲しいことが起こるんだろうか。麻婆豆腐天津飯を食べ終えて、ばたりとたたみに転がった。


 なんとかして、生徒会がペパーミントをばらまいた証拠を掴みたい。しかし、いち高校生が、ショッピングセンターの防犯カメラの映像を見ることができるとは考えにくい。


 生徒会のことだ、顔が映らないように工夫するとか、なにか卑怯な手を使ったに違いない。

 そこまで憎たらしく思っていても、一子はそんなことはしない、と心のどこかで一子をかばう自分がいて、純恋は自分の執着心を憎たらしく思った。


 もう一子は自分の知っている一子ではないのだ。

 あの、純恋を親しくため口で呼んでくれる一子ではないのだ。一子は純恋を、「野々原さん」と呼んだ。もう友達でもなんでもないのだ。


 ――それでも明日はくるし、授業はあるし、部活はあるし、食事もしなくてはならない。

 園芸部に入らなかったら、こんなつらい思いをすることはなかったかもしれない。


 でも、園芸部に入って、楽しいことのほうが多かったじゃないか。花壇の世話をしたり、花を買ってきたり、ホームセンターに行ったり、……なんだか、死んだ子の歳を数えるって、こんなことなんだろうか、と純恋は思った。


 バカなことを考えるのはやめよう。宿題してお風呂入って、さっさと寝よう。

 ――お風呂を沸かすあいだ、純恋はSNSを眺めていた。最近、忙しくてなかなか見られなかったのだ。きれいな花や多肉植物、美しい庭園、それから猫が流れてくる。


 やっぱりお花っていいな。

 そんなふうに思える自分にすこし驚きつつも、純恋は風呂が沸いたので寝間着をかかえて風呂場に向かった。鏡を見て、そろそろ美容院で髪を切ってもらわなきゃな、と考える。


 一子は高校生になって、長くしていた髪をばっさりとベリーショートにした。襟足なんか刈り上げている。ああいう潔いところが、一子らしいなと思うけれど、昔の長い髪の、優しそうな一子も好きだったな、と、ぼんやり考えていた。


 なんでこんなに一子のことばかり考えているのだろう。

 解決策があるとすれば、一子から攻めるしかないのかもしれないと思っていた。

 風呂から上がって、はたと思い出す。ビオラの押し花、そろそろ頃合いじゃないかな。英和辞典を開いてみると、ビオラがきれいに押し花になっていた。


 ラミネートしてしおりをつくろう。


 純恋は次の日、学校の帰りに近くの文房具屋に寄って、ラミネートキットを買ってきた。熱で接着するやつでなく、シートに紙なんかを挟んでそのままラミネートできる簡易なやつだ。


 純恋は出来上がったしおりを見て、小さく笑った。

 なにに挟もう。本はしばらく買っていない。中学生のころはわりと漫画を集めたりしていたけれど、しかし漫画なんてしおりを挟むまでもなくすぐ読み終わるものだ。

 図書室とか図書館で、なにか本でも借りてこようかな。


 純恋はビオラのしおりを見てしばらくニコニコして、自分の名前と同じ名前の花であることに気づいた。そうだ、ビオラは「ヴァイオレット」、つまりスミレだ。

 自分自身をラミネートしたような気がして、純恋はしおりを眺めるのをやめた。


 きょうはなにも悪いことは起こらなかった。


 きっとあしたもそうだ。悪いことなんてそうそう起こることじゃない。

 そうやって逃げだして、純恋は布団をひいて横になった。


 風で窓が揺れた。外はもう秋だ。

 秋の花、なにか欲しいな。コスモスは鉢植えにできるものじゃないし。


 純恋はそんなことを考えながら、目を閉じた。明日が楽しいものであると信じて。

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