23 イモ泥棒
花壇を見ながらぽつぽつ涙をこぼしていると、他校の男子生徒――髪を染めてカラコンを入れ、制服をこれでもかと着崩したやつが、二人ほど純恋に近寄ってきた。
「なんで泣いてるの?」
心配されているのだろうか。純恋はぐいっと涙を拭いて、
「すみません」と答えた。他校の男子生徒は、にたあと笑って、
「一緒にカラオケいかない? 面子が足りなくて」と、明らかなナンパをちらつかせた。
「……結構です」
「結構ですってことは、OKってコト?」
「ち、違います」こんなことは初めてで、なんと答えていいか分からなかった。少し噛みながら、純恋はなんとか断ろうとした。でも、他校の男子生徒は、純恋の言ったことを逆手にとって、どんどん自分たちに都合よく解釈してくる。
危うく近くのカラオケボックスに引きずり込まれそうになったところで、
「何やってるッ!」と、凛々しい声が聞こえた。純恋はそちらを振り返る。そこにいたのは一子だった。
「うおやっべえ羊歯高校の生徒会だ」と、そう言って他校の男子生徒は逃げていった。
「あ、ありがとう、一子」
「野々原さん、なんでこんなところにいるんですか? 帰宅するときは寄り道禁止って、校則に明記されています」
「そういう一子こそ、なんでここに」
「生徒会の業務で、みんなで食べるドーナツを買いに来ただけです」
そう言って一子はショッピングセンターの前に建っているドーナツのチェーン店を指さした。そして、それから純恋を無視して、赤いスニーカーのかかとを鳴らし、ドーナツ屋に消えていった。
しかし生徒会、ドーナツ食べながら活動してるのか。まるっきしアメリカの警察じゃん。
本当なら一子は、純恋にとってそれくらいの軽口の叩ける相手のはずだった。
しょんぼりしながら、アパートに帰った。ドアノブになにかぶら下がっているので見てみると、やっぱり汚い字で「うちのばあさんが漬けたやつです 食べてください 太喜雄」と書かれたメモが入っており、中身はキュウリのからし漬けとナスの漬物だった。
よし、ご飯のおかずはこれにしよう。ちょっと気分が明るくなる。
その日、純恋はネットを見て作った鶏ハムと、キュウリのからし漬けをおかずにご飯を食べた。デザートに、収穫したてのサツマイモを電子レンジで蒸して食べてみた。ねっとりとした、なめらかな食感のイモだった。緑茶とベストマッチである。
食べ物や花で旬を感じる生活、楽しいな。
純恋はそう思って、きょう一子とほんのちょっとおしゃべりしたことを思い出す。
一子と友達に戻るには、どうすればいいんだろう。
たわむれに、スマホで「疎遠になった友達 また仲良くなるには」などと検索するけれど、なにも有力そうな情報は出てこなかった。
一子の赤いスニーカーのことを思い出す。ほとんどの生徒がローファーで通学して、外の体育の時間は専用の運動靴を履くのが羊歯高校のルールだ。そんななか、一子は真っ赤なスニーカーで通学している。まあ、特に校則に引っかかるものではないのだが。
なんでだっけ。
純恋は宿題を終わらせてさっさと寝てしまうことにした。布団をかぶって目を閉じる。頭のなかを、一子の真面目な顔がかすめていく。
一子が変わってしまったのか、それとも自分が一子の知っている「野々原純恋」でなくなってしまったのか。どちらなのかは分からないが、また仲良くなりたい、と思いながら、純恋は夢のなかに引き込まれていった。
翌朝目覚まし時計を叩いて止める。学校にいかねばならない。
しかしきのう洗濯したジャージはまだなんとなく湿っている。着干しするしかないだろうか。そういえば布団乾燥機に洗濯ものを干す機能があったはずだ。
純恋はあわてて布団乾燥機を出してきて、洗濯ものを乾かすモードを起動した。温風が部屋の中で干している洗濯ものを揺らすのを見つつ、味噌汁を作り、弁当箱に冷凍食品を詰める。
まだしばらく外干しでいいのかな。でも部活から帰ってくればもうほとんど夕方なんだよな。純恋はそう考えて、味噌汁と納豆とご飯と、それからナスの漬物をかっこんだ。うまい。
おいしいと思えるなら、まだ大丈夫。
純恋はなんとか乾いたジャージをリュックサックに詰め込んで学校に向かった。いつも通りの一日が、いつも通りに始まった。
また校門のところで一子を見かけた。やっぱり赤いスニーカーを履いている。
なんでだっけ。一子が赤いスニーカーを履いている理由。なにかあったような気がする。
一子の後ろを、大柄でハンサムな、柔道経験者らしく耳が潰れた三年生の男子が歩いている。あれが岩見宏輝だ。一子にそっくりの、きれいに整った顔をしている。
まさに宿敵、と純恋は思った。
でもまだ園芸部の花壇にペパーミントをばらまいたのが生徒会かは分からない。
しかし露草が、ペパーミントの苗を買う一子を見たと言っていた。
だけれど純恋は、一子がそんなことをするとは思えないのだった。
教室に入る。羊歯高校はさすがに進学校なので、生徒も頭の悪いいじめをして未来を潰し合うなんていう愚かなことはしない。だから純恋は静かに無視されているだけだ。
無視もいじめだが、純恋の場合であればいじめという感じではない。誰もかかわってこないのは逆に静かでいい、と純恋は一瞬思う。あれだけ友達が欲しいと思っていたのに、である。
友達がいないことに慣れつつある。それに純恋は戦慄した。
手毬と露草は、友達というより「同じ部活の仲間」である。植物園に行ったりホームセンターに行ったりする関係ではあるのだが、友達、という感じはあんまりしない。
純恋は、「仲間」というのと「友達」というのは違うのではないか、と考えた。仲間、というのは、なにかを一緒にする関係のことだ。仲良くなくても仲間になることはできる。
しかし友達、というのは、仲良くなくてはなることができない。
純恋は、仲良くしてくれる「友達」が欲しいのだ。手毬と露草は、純恋にとって「花の先輩」であり、「良好な関係の部活の仲間」である。だからずっと敬語で話しかけている。
現代国語の時間、そういうことを考えていると、唐突にげんじいに指された。あわてて立ち上がり、指定された箇所を読む。きょうは噛まなかった。
さて、授業が終わって部活に向かう。きょうもペパーミントの根っこを掘り返す仕事だろうか。ペパーミントは根っこが数ミリ残っただけで生えてくる、ぜったい地植えにしてはいけない植物だという。園芸部の活動場所である旧校舎の前にくると、五木先生が落ち込んでいた。
「どうしたんですか」
「イモがごっそり盗まれた」
「盗、まれた……? だれにです?」
「分からん。あれだけの量のイモ、盗むのは簡単じゃないと思うんだが。ちくしょう」
「せんせー、なにしょんぼりしてるんですー?」
「先生、なにかあったんですかー?」
「おお菊水。凛堂。お疲れさん……イモ泥棒が出た。収穫したイモ、ぜんぶ盗まれた」
「ぜったい生徒会ですよ!」手毬が断定口調で言う。
「いや、いくらなんでも窃盗はせんだろうよ、そんなことしたら退学だろ……それに生徒会があんなにたくさんイモなんか盗んでどうすんだ」
「フリマアプリに放流したとかじゃないですか?!」
「それは考えた。だがあんな重たくてかさばるもの、送料と代金が釣り合わんだろう」
「何者がやったにせよ鬼畜の所業ですぞ。これは許されざる悪徳ですぞ! 悪徳の栄えですぞ! マルキ・ド・サドですぞ!!!!」
「落ち着け凛堂。みんな、警察に通報するべきだと思うか?」
「とりあえずもう少し様子を見たらどうですか? 仮に生徒会がやったとしたら、大した罪には問えないんじゃないですか?」
「うむ、野々原の言う通りだ。ちょっとみんなで教頭先生に話を聞きに行こう」
園芸部はジャージから制服に着替えて、ぞろぞろと職員室に向かった。
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