タチアオイ
16 路上園芸学会
夏休みも後半に入ったある日、いつも通り園芸部がせっせと草むしりの活動をしていると、五木先生のスマホが鳴った。五木先生は草むしり用の手袋を外して電話に出た。なにやらペコペコしながら電話している。なにごとだろう。
「はい、喜んで。分かりました、きょうの午後伺います」そう言ったところで電話が切れた。
「どうしたんですかあ?」と、手毬がのどかに尋ねる。
「喜べ。ショッピングセンター前の花壇、我々にやらせてもらえるらしいぞ」
「まじです?!?! なに植えようかなあ……夏から秋にかけての花か」露草が単純に喜ぶ。
「というわけでだ、昼飯は先生がおごるから、午後から一緒にショッピングセンターにいかないか。シダコー園芸部復活の狼煙だぞ。そのマチェットを強く握れ! だぞ」
なんだ、「そのマチェットを強く握れ!」って。そこはよく分からないが、園芸部にものすごくありがたい話が来たことはわかった。
活動のあと、園芸部の面々は学校近くのぼろっちい中華料理屋に入った。のれんには「芙蓉軒」と書かれており、きれいな花の絵も描かれている。
「ニラレバ炒め定食がうまいんだよここ。どうする?」
「じゃああたしもニラレバ炒め定食で!」
「わたしも同じのにします。純恋ちゃんは?」
「じゃあわたしもそれで」
というわけでニラレバ炒め定食が四つ出てきた。ニラレバ炒めとチャーハンとギョーザと玉子スープという贅沢なメニューだ。しかもそれで千円ポッキリ(税込み)である。
これはもしや、純恋が小さいころ父親がよく観ていた「オモ●マい店」に出てくるタイプの食堂ではあるまいか。純恋はそんなことを考えつつ、いただきますと手を合わせて、それからニラレバ炒めに箸を伸ばした。うまい。
「先生、ショーウィンドウに飾ってあるシャコバサボテンが気になります!」
手毬がギョーザをもぐもぐしつつそんなことを言う。確かに店の前には、シャコバサボテンの鉢や、金のなる木のオーソドックスなやつの鉢なんかが飾られており、店主の植物好きをうかがわせる。
「大将が世話してるんです?」
五木先生は老店主にそう尋ねた。老店主はほかに客がいないので退屈しているらしく、
「ワイフが好きだったんだよ、ああいうの。枯らしちまったらあの世で説教されそうでな」
と、五木先生のおしゃべりに参加してきた。
しかしワイフて、すごい表現だ。
ニラレバ炒めはこってりした味わいで、チャーハンはぱらっぱらに炒めてある。ギョーザはほどよくこんがり焼けていて皮はモチモチ羽根はパリパリだ。玉子スープは鶏ガラの、いい中華スープをつかっている。
こんなおいしい中華料理が、こんなぼろっちい町中華から出てくるとは思わなかったので、純恋はなかなかびっくりしていた。おいしく食べ終えて、すっかり満腹になったところで、五木先生が代金を支払い、店を出た。しかし四千円って結構な額ではないだろうか。
「代金なら心配すんな。これでも教師は公務員だからな。お前さんらを腹いっぱいにしても大したダメージはない」
「おいしかったです。ありがとうございます、五木先生」
純恋はそう言って小さく頭を下げた。
「まあ、こっからショッピングセンターまではそんなに遠くないし、腹ごなしに路上園芸学会しながら散歩すっか。ほら、あっちにもシャコバサボテン」
「おおーほんとだー!」手毬の分かりやすく明るい声。
一同の目指している「ショッピングセンター」というのは、街の中心部にある「フジノヤショッピングセンター」のことである。芙蓉軒から行くとなると路地が続く。この街は基本的に古い街なので、整備計画というものなく作られた、碁盤の目になっていない街なのだ。
民家を見ていると、狭いながらいろいろな花が植えられている。
木にノウゼンカズラが絡みついて花を咲かせていたり、ひょうたんを干している家があったり、金属のフェンスによく分からない紫の花をつけたマメ科植物が絡みついていたり。
アスファルトをぶち破って生えているタンポポなど、とにかく道端を見ても、夏というのは花に溢れた季節だということがわかる。
ひときわ目を惹くのは、真っ赤な、ハイビスカスに似た花を元気よくつけた背の高い植物だ。なんだっけこれ、と考えていると、何故か多肉マニアのはずの手毬が、
「わーお。コケコッコの花だ」と、その花を見ている。
「タチアオイだ。きれいだねえ」と、露草。
「その花、タチアオイっていうんですか」
「そう。この花の花びらを抜いて、花びらの付け根をひろげるとあら不思議、鼻の頭にくっつけて遊べるんだよ。粘りけがあるの。昔よくやったっけ」手毬がしみじみとタチアオイを見る。
「そういうのは学校に生えてるのでやろうな。よそ様の花でやっちゃいかんぞ」
「はーい」
五木先生の言葉に機嫌よく返事する手毬をちらりと見て、純恋は道の向こうの民家に植えてある、タチアオイに少し似た花に気付いた。
「あれはなんですか? タチアオイに似てますね」
その花はブルーグレーといった色合いをしていて、中心がぽっと赤い。
「あれはムクゲだ。韓国の人が好きなやつだな。お察しの通りタチアオイの親戚」
へえー。ムクゲっていうのか。いままでなんかきれいな花としか思ってなかった、と、純恋は頭の中の植物図鑑にムクゲを記載した。
少し進むと、今度はタチアオイの背を低くして花を大きくしたようなのが生えていた。
「こっちはフヨウだ。きれいだなあ。やっぱりタチアオイの親戚だよ。あの中華料理屋の名前の由来だな。きれいだなあ……」
「じゃああれもですかー?」手毬が指さしたのは、花を植える場所というより「畑」といった印象の一角だった。黄色い花がたくさん咲いている。これもタチアオイの仲間のようだ。
「じゃあここで問題。あの黄色い花は野菜の花だ。さてなんの野菜でしょう。ヒントは……タチアオイの花は皮をめくると粘りけがある、って菊水が言った通りだ」
粘りけ。よく分からないので考えていると、手毬がぱっと手をあげて、
「とろろこんぶ!」と、それは畑でなくて海で穫れるんだよ、と教えてやりたいセリフを発した。
「自然薯ですかね。違うと思いますけど。葉っぱがまずは全然違う」と露草。
「菊水は普通にハズレだし凛堂はハズレって分かってるな。野々原は分かるか?」
「粘りけ……粘りけ……」純恋はすごく真面目に考えていた。今朝、納豆にオクラを刻んで入れて食べたな、と思い出して、野菜で粘りけといえばオクラでは? というところに至る。
「オクラですか」
「はい正解。よく分かったな」五木先生は嬉しそうな顔をした。
「今朝、オクラ納豆食べてきたので」純恋は照れた。ありがとう太喜雄さん、と純恋は心の中で小さく感謝したが、たまたまクイズに正解したのを感謝されても迷惑か、と考え直す。
「へえー! オクラってタチアオイの仲間なんですかー!」
手毬が楽しそうにそう言う。ずいぶん機嫌がよさそうだ。
「あー……なるほど。言われてみればフヨウの実はオクラに似てますね。見たことあります」
露草が真面目な口調でそう言い、そこにすかさず手毬がセリフを発する。
「せんせー、そういうふうにやれば授業もちゃんと指導できるんじゃないですかー?」
「いや菊水、体育教師が花の知識蓄えてもなあ……」五木先生はため息をついた。
という具合に、路上園芸学会をしながらショッピングセンターにたどり着いた。ショッピングセンターと言うだけあって、ここは書店や手芸店、大規模な百円ショップ、広い食品売り場にケーキ屋にベーカリー、子供服から紳士服までの洋服、着物なんかもあって充実している。
店の前の広い花壇は、春は花が咲いていたのだろうが、夏になって枯れてしまっていた。どうやらここで花を育てる手伝いをするらしい。
「ショッピングセンターの花壇はシダコー園芸部の伝統だからな」と、五木先生。しかし羊歯高校を「シダコー」と略す人を、純恋は五木先生と太喜雄さんしか知らない。
園芸部御一行様は、ショッピングセンターのサービスカウンターに向かい、そこで化粧のやたら濃いおばちゃん店員さんにお願いして、ショッピングセンターの責任者を呼んでもらった。出てきたのは若干ハゲ気味のおじさんだった。
「これはどうも、わたくしこういうものです」
ハゲ気味のおじさんは名刺を五木先生に渡した。「フジノヤショッピングセンター 店長 中島裕二」の文字と、携帯電話の番号、フジノヤのマークの入ったシンプルな名刺だ。
「店長さん変わってらしたんですか」と、五木先生。
「ええ。私はつい最近店長になりまして……先々代の店長が、羊歯高校さんの園芸部に花壇を任せていたと店員から聞きまして、それであればと学校にお電話したのですが、教頭先生にぶっつり切られまして、それで店員から五木先生のお電話番号をじかに聞き出した次第です」
「教頭……」五木先生は難しい顔をした。
いや、人間の常識として、お願いの電話がかかってきてぶっつり切るものだろうか。ふつうちゃんと話を聞いたうえで、それはできませんとかできますとかいうものではないだろうか。
「申し訳ないです。教師という人種は学校の外の常識をまるで知らないので、そのような無礼なことをしたのだと思います」
五木先生が頭を下げた。それは確かにその通りだ。
「いえいえ頭をあげてください。とりあえず、店舗前の花壇をお願いしたいのです。春に、近くの町内会の子供さんにお願いして花を植えたのですが、すぐダメになってしまって」
「なにを植えたのですか?」
「それが……わたくし花にはとんと疎いもので、なんだかきれいな花だなあ、と思っているうちに枯れてしまって」
とりあえずこの中島裕二という店長さんが花壇においてはなんの役にも立たないのがわかった。一同、花壇に移動する。
とりあえず枯れた花と雑草も取り除いた。花壇計画についてはいったん持ち帰って、部活の中で検討しよう、ということにした。
「すごいですね、ショッピングセンター前の花壇を任せてもらえるなんて」
純恋がしみじみと言うと、五木先生はハハハーと笑って、
「先おととしまでは毎年毎シーズンやらせてもらってたんだ。ぜんぜんすごくない」
と苦笑いしている。
「でも園芸部ってそうやって地域と連携する部活なんですね。てっきり学校の中でしかなにもできないとばかり思っていました」
「そうだ。本当なら街のあちこちの花壇を世話してるはずなんだ。だが生徒会の陰謀で、そういうのは徹底的にコネクションを潰されてる」
五木先生は、はあ、と疲れた顔をした。
「花壇計画楽しみですね!」と、露草。
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