13 沼にドボン

 アネモネとラナンキュラスは完全になんの動きもない。ビオラはもう花が終わるところ。マーガレットは復活してきたのか、少しずつ成長し始めていた。


 やっぱりホームセンターで夏の花を買ってこよう。殺風景すぎる。純恋はシャワーで汗をながして、それから自転車を漕いでホームセンターに向かった。大規模にチェーンでやっているところだ。


 外売り場にはにぎやかにニチニチソウやマツバギクが売られている。うーん、と露草は悩んだ。ニチニチソウもマツバギクも可愛いのだが、なにか違う気がする。これはどちらかというと、庭に地植えにするものではないだろうか。


 クレマチスが売られているところにくると、もう真っ盛りも真っ盛りだからか、すこし安くなっていた。あ、ベル咲きのクレマチスだ。ちょっと終わりかけてる花もあるけど、まだつぼみがついている。これにしよう。


 純恋はベル咲きのクレマチスと、ちょうどいい植木鉢を手に入れて、自転車のかごに入れてキコキコ漕いでホームセンターを出た。しばらくグミは我慢することになりそうだが、そんなことよりクレマチスが手に入ったのが嬉しかった。


 クレマチスを飾るなら、つるをかけるネットがいるんじゃないかな。


 しまった、それならホームセンターで買えばよかったと思ったが、純恋はとりあえず百均を目指してみることにした。ホームセンターでは大規模なキュウリ用のネットが中心だと思われたからだ。一人暮らしの狭い部屋で、あまり大規模なネットは必要ない。


 とりあえず百均で、小さめのネットをひとつ買い、アパートに戻った。それをベランダに設営して、設営という言葉を思い出して一人小さい声で「コミケかよ」と笑う。

 コミケのたぐいのイベントは行ったことがないのだが、昔テレビでコミケの様子を流していたのを見たことがある。コスプレをしたり自分で作った本を売ったり、楽しそうだなあと思って見ていたのを思い出す。


 スマホがキャリアメールの着信を告げた。純恋がワクワクして開くと、母親から、

「今年も夏休みないみたい」と一言送られてきただけだった。


 毎年恒例、今年もいつも通りだ。「わかった」とだけ返事をして、たたみに大の字になった。しばらくぼーっと天井を見て、もぞりと起き上がり、クレマチスを写真に撮った。クレマチスは思った以上に可愛くて、またカメラロールがにぎやかになった。


 その画像を、恐る恐る、手毬と露草のグループチャットに流してみる。もう三ヶ月近く一緒にいるのに、純恋はこの二人にメッセージを送ったことがなかった。

 わりと秒で露草から返事がきた。


「沼にドボンした?!」

 ドボンて。確かに咲いている花がなくて寂しいから買ってきたわけだが。

 返事を考えていると、手毬からもメッセージがきた。

「沼にドボンした?!」

 こいつら、本気の沼の民だ。そして純恋自身、ドボンしつつあるのは感じていた。

「たぶんドボンしたんだと思う」

 そう送ると、なにやら賑やかな絵文字が大量に送られてきた。泣き笑いの顔だったりクラッカーだったりパーティハットだったり。


 人が沼落ちしたのをそんなに喜ぶか? とよく分からない気分になり、純恋はそこでメッセージをやめた。それよりクレマチスを眺めたかった。


「クレマチスちゃんの画像送ってクレメンス……カメラロールを花畑にしたいンゴ」

 露草からそう送られてきて、純恋はひとつため息をついてから、クレマチスをいろいろなアングルから撮り、露草に送っておいた。


「ありがたやありがたや……」と、露草から送られてきた。

 そんな昔話みたいな語彙の使いどころがここだとは。やっぱり園芸部の人たちってちょっと変わっていて面白い。


 そこで連絡はこなくなったので、純恋はスマホをポケットにしまおうとして、ふと一子との、止まりっぱなしになっているチャットを見た。三月からあと、なんのやり取りもしていない。

 一子は、やっぱりわたしが嫌いなんだろうか。


あれだけべったり依存されたら、嫌いにもなるかもしれない。純恋は自分の行動を悔いた。なんで一子にあんなに依存したんだろう。

 そう思うと悔しくて恥ずかしくて、純恋は壁に頭を思い切り打ち付けた。何度も何度も、頭を壁に打ち付けて、自分は悪い子だと、自分は罰されるべき子だと、そう思った。


 しばらく暴れて放心して、夕飯のことを思い出す。

 忙しい現実があれば、とりあえず忘れていることはできる。純恋は冷蔵庫を開けた。キュウリとちくわがある。サラダにしよう。朝作ったみそ汁も冷やしてあるから、ご飯にかけて食べよう。


 夕飯を支度し、ローテーブルの上に並べて、テレビをつけた。


 どうせたいして面白い番組なんてやっていないのだが、純恋は小さいころから夕飯時にテレビを視聴する習慣があった。父親が野球やらバラエティ番組やらをよく視聴していて、それが純恋自身の習慣にもなった感じである。


 スマホが鳴った。ロンドンの父親から、「ごめん。今年のお盆は帰れない。太喜雄さんによろしく」とキャリアメールが来ていた。純恋はそれをスクショして添付し、太喜雄さんにメッセージを送った。「父がこう申しております」と。


 もちろんしばらく返事はなかった。

 シャワーを浴びて、寝る支度をしていると、スマホに電話がかかってきた。出ると太喜雄さんだった。

「父さん、お盆休みに帰ってこれないのか」と、太喜雄さんのイケボ。


「あ、はい。母も夏休みはないそうです。わたしが住んでいるところからだと祖父母のお墓は遠いので、お参りお願いしていいですか」


「おう、まかしとけ。……純恋ちゃん、園芸部どうだ?」


「楽しいです。年中無休ですけど」


「そうか。俺の畑仲間が図書館で移動図書館車の運転手のアルバイトしてるんだけどよ、図書館でシダコーの郷土史研究会が頑張ってるって聞いたぞ」


「え? 郷土史研究会って、去年生徒会にお取り潰しにされたって聞いたんですけど」


「そうなのか? シダコーは昔から生徒会が強いもんなあ。おっちゃんの行った農業高校は生徒会より畑仕事と家畜の世話だったからよ、生徒会が強いってよく分からねーが」

 心の中で(いやわたしも強い生徒会ってなんなのか分からないですけど)と呟いた。


 しばらく世間話をしたあと、「そいじゃあおっちゃんは明日も早起きして畑の草むしりだ。純恋ちゃんも早く寝な」と電話が切れた。相変わらず耳に麗しいイケボだった。


 純恋は早めに寝た。明日も草むしりだ。天気予報は、ギラギラの太陽のマークだった。

 翌朝、純恋は早起きしてクレマチスに水をやり、制服に着替えた。リュックサックにジャージを詰めて、簡単にトーストをぱくついたあと、アパートを出た。


 学校に向かう途中で、既に暑い。

 冬は寒く夏は暑いなんて人間の住むところではないのではなかろうか、と、純恋は自分の暮らす街にちょっと文句を言いたい気分だった。旧校舎にたどり着くと、なにやら生徒会の腕章をつけた生徒と、五木先生がにらみ合いをしていた。


 怖くなって純恋は物陰に隠れた。生徒会執行部員は、

「不当に占領している花壇を返してもらう」

 と、冷たい口調で言う。堅肥りという印象の男子生徒だ。ああ、同じクラスの相撲部屋に勧誘された男子だ、と純恋は気付いた。


「不当もなにも、花壇の仕事は園芸部の仕事だ。それとも生徒会が、毎年、毎期、花壇計画をして花の世話や草むしりをするとでも?」と、五木先生が返す。


「花壇はすべて整地して野球部の冬季屋内練習場にする」と、堅肥り。


「……はあ?!」

 五木先生がキレた。

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