12 草バナと夏休み

「あ、熱帯魚のコーナー覗いてきていいか?」


「五木先生、まさかの心変わりですか?!?!」手毬が言う。声が大きい。


「ちがわい。教頭の趣味が熱帯魚なんだ。どんなのがいるのかなあと思ってな」


 というわけで一同、熱帯魚やハムスターなどの小動物が生体販売されているコーナーに向かう。ハムスターはみんな寝ていた。小鳥はちゅんかちゅんかとさえずっている。熱帯魚も、わりときれいな水槽の中をゆうゆうと泳いでいる。


「エンドリケリー・ポリプテルス……よくまあこんなややこしい名前のもんを飼うもんだ」

 茶色っぽいでっかい魚を見て五木先生がぼやく。哲学者のような顔をした魚が売られていた。


「教頭先生って熱帯魚好きだったんですね」露草は五木先生にそう声を掛けた。


「噂だけどな……休日はバスローブ着てブランデーグラス片手にご自慢の水槽を眺めているそうだ。どこまで本当かわからんが」


 教頭先生の顔は、全校集会とかで何度か見たことがある。あの気持ち悪いくらいに几帳面そうな教頭先生が、バスローブ姿でブランデーを飲みながら熱帯魚の水槽を眺めているのを想像して、純恋は思わず吹き出してしまった。


「……まあいい。レジ通してこよう。先生が払ってやる」


「ヤッター! アリャリャトリャシタァ五木先生!」

 もはや露草が何をしゃべっているのかさっぱり分からない。とにかく、クレマチスをレジに通して、一行はまたしても五木先生の軽自動車に乗り込んだ。


「……お前さんら、恋バナとかはせんのか? 高校生らしいこと楽しんでるか?」

 五木先生はわりと荒っぽく運転してホームセンターの駐車場を出た。確かに、手毬と露草はずっと花の話ばかりしているので、そういう高校生らしいことをしているのか気になる。


「うーん。草バナはするんですけどねえ」と、手毬が首をかしげる。


「大草原不可避……しかも花まで咲いてる」

 露草のトドメのギャグで、純恋は必死に笑いをこらえた。いやしかし手毬よ、草バナて。


「いやーしかしあっちいなあ……そろそろシクラメンとかアネモネとか、休眠に入ってもおかしくないな」


「休眠?」純恋はよく分からなかったので素直にそう訊ねた。五木先生が、

「ふつうの木って、秋になると葉っぱが落ちて、冬のあいだは芽が出ないだろ? あれが休眠だ。シクラメンは冬の前後に生育するから、夏のあいだは枯れたみたいになるんだよ。アネモネも早春の花だから同じように夏に休眠するんだ」と説明してくれた。


 なるほど。一つ覚えたぞ。純恋はそう思った。

「じゃあ、いっかい枯れたみたいになるんですか? アネモネって」


「そういうことになるな。アネモネは球根植物だから、夏のあいだに土から掘り出して干しておくか、あるいは植えっぱなしで水を切って来年生えてきたらラッキーのていで世話をするか、って感じだな。ラナンキュラスもほぼ同じだ」


「あ、それで安売りになってたんですね。花が終わっちゃう寸前だったから」


 純恋はアネモネとラナンキュラスを、安売りになっていたので思い切って買ってきたのであった。もうどちらも花は終わって葉っぱばっかりになっている。


「まあ水やりとか日当たり次第では五月までシクラメンが咲いてることもある。これは前に実体験としてやったことがあるんだが、そのあとは枯れた。休眠でなく、日光不足で球根が死んだんだ。いまも花が咲いてるならちょん切って涼しいところに移動、だな」


「いやさすがにもう花は咲いていないです。休眠……ですか」


「野々原んとこはビオラもあるんだよな。ビオラは平たいから押し花にしておくとずっと取っておけていいぞ。先生は毎年年賀状を押し花を使って作ってる」


「年賀状にじかに貼るんですか?」

 純恋がそう尋ねると五木先生は笑って、

「いやいや。花を西暦の数字に並べてスキャナで読み込んで、それをはがきサイズに印刷するんだ。先生は機械音痴だがこれだけは毎年やってるから慣れた」

 そうか、ビオラはそろそろ終了なんだ。夏越しってできるのかな。調べてみよう。


 押し花で誰かにプレゼントするものでも作ろうかな。


 旧校舎の壁づたいにクレマチスのために柵を設置して、クレマチスの鉢を置いて、その日の園芸部はお開きになった。純恋は家に帰ってきて、葉っぱだけになったアネモネとラナンキュラスを眺めた。これ、もうすぐ葉っぱもぜんぶなくなっちゃうのか。なにか夏の花が欲しい。ビオラの花をハサミで摘み取り、中学のころ使っていた古い英和辞典に、紙にはさんだビオラを挟む。年賀状なんて書く相手はいないけれど、このかわいい花を取っておけるのはうれしい、と、純恋は思った。


 ――さて。

 園芸部の活動はコツコツと続いた。そして期末テストも乗り越えて、夏休みがやってきた。


 ついでに言うと、期末テストの少し前に手毬のペンタカンサが咲いた。ペンタカンサはトゲの少ない、丸くてフクフクしたサボテンなのだが、花は切り花で売られてもおかしくないような、見事な薄桃色の大きな花だった。手毬は、

「これでサボテンなんか育たないって笑った生徒会をギャフンと言わせられる!」と、そう言ってペンタカンサの写真を何枚もカシャカシャ撮っていた。


 話は戻って夏休みだ。旧校舎の壁に建てられた柵に、クレマチスがたくさん咲いている。とてもきれいだ。夏休み、半袖の体操服に長いトレパンの出で立ちで草むしりと水やりをして、みんなで五木先生が持ってきたクーラーボックスのなかのスポーツ飲料をぐびぐびやる。


「あの、露草さん……夏にオススメの、ベランダで世話のできる花ってなにかありますか?」


 純恋は露草にそう訊ねた。露草はんーと考えて、

「それこそクレマチスとか、アサガオとか、そのあたりじゃないかなあと思うけど」

 と、きちんとした返事をしてきた。


「アサガオかあ……」純恋はそのまま言葉を咀嚼した。


「アサガオ、小学校の教材になるくらい簡単な花だから、初心者にはオススメだけど」


「分かりました。考えてみます」

 露草と純恋がそんなことを話していると、手毬が嬉しそうに声を上げた。


「見てみて! 銀手毬から新しい子株が出てる!」


「銀手毬?」純恋はよく分からないと思ったけれど、とりあえず手毬が見ているサボテンを見た。小さい鉢に植えられた、ぽこぽことした形のサボテンである。かわいい。


 トゲはびっしりだが柔らかそうだ。ぱっと見ではどこから子株が出たのかは分からないが、手毬が見せてきた写真と比較すれば確かに大きくなっている。


「生徒会の連中、サボテンは育たないっていうから、いずれこの比較画像でギャフンと言わせるぞ」そう言いながら手毬は銀手毬の写真をカシャカシャと撮り、写真をUPするSNSに投稿した。すぐ露草がいいねをつけたようだ。


「サボテンだって生きてるから育つに決まってるのに。あいつら本当に嫌なやつらだよね」


「……でも、一子は本当は優しいんだよ」

 純恋は聞こえないようにそう呟いた。二人とも聞いていなかったので、純恋は安堵した。


「おーい。日光に当たってると日焼けすっぞ」

 五木先生がそう呼んだので、一同日陰に逃げ込む。腕や顔には日焼け止めを塗っているのだが、汗でだいぶ流れていた。日焼け止めを塗り直す。


 五木先生はなにやらレジ袋をぶら下げていた。レジ袋は有料だが、五木先生はわりとレジ袋をもらうほうだ。買い物袋が汚くなって洗濯する、というのが面倒なのだという。


 レジ袋から出てきたのは棒つきのアイスキャンディだった。一同歓声を上げる。


「いやー夏休みって感じの天気だな。花壇もすっかり夏になってきたな」

 春にネモフィラの咲いていた花壇は、いまインパチェンスとマリーゴールドが咲いていて、それはそれで賑やかできれいな感じだ。


「これって先輩たちが花壇計画していったんですかー?」


「そうだ。卒業してみんな東京なり京都なりに散り散りになっちまったが、OB会に画像つけてメッセージしたら喜んでたぞ」


「そうなんだあ。あたしたちも来年に続く花壇計画やらないとね」


「そうだね……来年この園芸部あるか怪しいけど」


「大丈夫ですよ。きっとあります」


「……純恋ちゃん、なんでいちいち敬語なの? 呼びタメぜんぜんオッケーだよ?」


「そうだよ、わたしたちなんて先輩でもなんでもない同学年だもの」


「……でも。もうしばらく、敬語で呼ばせてください」


「まあ野々原がそう言うんだから無理に呼びタメする必要はないだろ。個人差だ」

 アイスキャンディをかじり終えて、きょうの部活はお開きになった。純恋はアパートに帰り、ベランダを見た。

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