9 部費
「……花ですか。うーん……」
五木先生が明らかに話題をそらしたことを面白く思いつつ、純恋はなにか欲しい花はないか考えてみた。マーガレットを買って、普段からグミ程度で満足できる自分が、物欲の点でずいぶんと満たされているのは当然か、と考える。
「とりあえずマーガレット買ったら満足しちゃったんです」
「そうか。じゃあまだ沼ってないわけだな」
「ぬま?」
沼。最初はよく分からなかったが、なにか趣味にドはまりしてしまうことだと気付く。
「植物は沼だよ、基本的に。あたし小三のころから多肉とサボテンの沼にドボンしてる」
手毬がサンドウィッチをもぐもぐしつつ、沼っていることを白状した。
「わたしもそう……だよ。小さいころからお花が好きで、祖母がもらった母の日のカーネーションだとか、学校に飾ってあるビオラだとか、そういうのせっせと世話してた」
露草がおだやかに笑う。
「植物沼って、たとえばどんな感じなんですか」
言った自分で思ったがずいぶんざっくりしている。
「まあ代表格は蘭とバラだな」
五木先生がよどみなく答えた。蘭とバラ。確かに世話も大変そうだし、そもそも植物自体も値段が高そうだ。
「蘭とバラはガチの沼だ。先生の大学時代の先輩でバラ沼にドボンした人がいて、せっまいアパートのベランダに一鉢四千円の二年ものの苗を衝動買いしたやつをいっぱい並べててな。最初は悪趣味だと思ったんだがまあ今なら気持ちはわからんでもないな」
ひ、一鉢四千円。純恋はおもわず「ぴぎい」みたいな奇声を発しそうになってこらえた。
確かにそれは沼だ……と、バラの沼っぷりを認めざるを得なかった。
「まあ、山野草なんかに比べればバラも蘭も品種改良が進んでるから世話はしやすいらしい。山野草は自生地の環境に近づけてやらないとうまく育たない。原種シクラメンとか、カタクリとか、クマガイソウとかそういうやつだ」
クマガイソウ。聞いたことがなかったので、スマホを取り出してぽちぽち検索してみる。なにやらすっごいグロテスクな花の画像が出てきて、純恋は「ひい」と悲鳴を上げた。
「クマガイソウ、ぱっと見が気持ち悪いからな……山野草もなかなかの沼なんだよ。先生のばあちゃんが山から引っこ抜いてきて庭に植えて、庭がこういうのだらけになった」
「こんな怖い花世話するひといるんですか?!」
「クマガイソウは山野草でも有名で人気だぞ」
そうなのか。言われてみれば気味の悪い見た目ではあるが花自体はいい色をしている気がしないでもない。純恋はスマホをしまって、提案してみる。
「あの、これは提案なんですけど。野菜植えてみませんか。サツマイモとか、そういうの植えたら楽しいと思うんです。焼き芋もできるし、たくさん収穫できたらたのしいだろうし……まあ自分のアイディアというわけじゃないんですけど」
サツマイモ、という言葉を発した瞬間、手毬がごくりと息をのんだ。
「おー、いいじゃないかサツマイモ! ちょうど空いてる、新校舎からじゃ見えない花壇があって、なんか野菜でも植えてみるかぁって思ってたんだ。トウモロコシを植えるつもりなんだが、それだけじゃスペース埋まらないからな。サツマイモなら少々瘦せた土でも育つし」
五木先生が妙案とばかりに手を打つ。手毬がものすごい笑顔で、
「サツマイモ。それは正義だよ! 甘くてホクホクのおイモ!」
と、ヨダレをたらさんばかりの食いつき方をしている。よほどの好物らしい。
そういう話をして、昼休みはのんびりと過ぎていった。教室に戻る時間ギリギリまで、サツマイモの話をした。先生が部費で苗を買っておいてくれるらしい。植え付けは五月末くらい。テスト期間が終わればちょうどいい時期だ。
そういうわけで、純恋はテスト期間をとてもワクワクして過ごした。テストが終わった日、ジャージに着替えて部活に直行すると、旧校舎のさらに裏手の花壇を、五木先生が耕していた。
「こんにちは、五木先生」
「おう野々原。サツマイモの苗とトウモロコシの種仕入れてきたぞ。マルチを張って植えよう」
「ま、まるち?」
五木先生は近くに置いてある黒いビニールシートを指さして、
「それがマルチだ。害虫や寒さから野菜の苗や新芽を守るのに使う。トウモロコシは種から育てる。まあこんなもんか」
五木先生は耕す手を止め、どうやら肥料なんかを混ぜたらしい畑をしみじみと見渡した。いや見渡すほど広い畑じゃないのだが。
マルチを張るために、五木先生は耕して作ったうねの周りに器用に溝を掘ると、マルチを広げて金具のようなものをマルチに刺した。それを覆うようにまた土をかけ、マルチに丸い穴を開ける器具で穴をあけていく。とても慣れていて手際がいい。
「先生、すごいですね」
「すごくない。先生の実家は農家だった。離農したけどな……でも自家製野菜はロマンだからな。そのロマンを思えばたいした労力じゃない」
と、いうわけで、マルチの準備ができたところで、手毬と露草もやってきて、サツマイモの苗を植えることになった。
苗というには少々貧相な、茎を途中で切ったようなものが苗だ。
それを斜めに、マルチにあけた穴に差し込んでいく。トウモロコシの種もまいて、マルチの上からたっぷり水をやった。
なんだか成し遂げた感がすごかった。
「ふう、これでOKかあ。秋にはおイモたくさん……!」
手毬がご機嫌でそんなことを言う。
「先生、学校からの部費って確か六月にならないと出ない、って生徒手帳に書いてあったんですけど」露草がそう言う。入学して生徒手帳が配られた日に全部読んだらしい。
「まあ部員揃ってるから部費は出るだろうよ。それを見越して先生が立て替えておいた」
「おお~」手毬の謎の感動。
そんな話をしながら農作業のあとの休憩、と称して焚き火の準備をしていると、向こうから誰かが歩いてきた。誰だろう。純恋はそのシルエットを見て、
「……一子?」
と、その人物の名前を口に出した。
「一子……って、岩見一子氏でござるか?」と、緊張した口調の露草。
その人物は、いっそ男性的とも言える歩幅で近づいてくる。一子は背が高い。背が高いのがコンプレックスの女の子だったな、と純恋は思い出す。
「園芸部」
一子は、しっかり視認できる距離にはいると、ハッキリと声を発した。
「園芸部に、部費を払わない旨を連絡しに来ました」
一子の口調は、まるで政治家、いや軍人のような、断定口調だった。
「え? 六月前に三人そろったぞ? どういうことだ岩見」
五木先生が反撃に出る。しかし一子の表情は硬く、冷たい口調で続ける。
「園芸部に割く部費はないと、生徒会長の岩見宏輝が決定しました。この決定は覆りません」
「ちょ、い、一子、なんでそんな冷たいこというの?」
「……私は花が嫌いです。かわいい、きれい、としか評価されないものを、せっせと育てる意味が分からない。野々原さん、そんな部活はやめて生徒会に入るべきです」
純恋は、一子が「純恋」でなく「野々原さん」と呼んだことに、ショックをうけていた。
「い、一子、なんで『野々原さん』なんて他人行儀な呼び方するの?」
純恋の口から思わずそんな声が出た。
「私と野々原さんは、他人では?」
一子は、その整った顔に「無感情」を浮かべて、純恋を一瞥した。
「兄に言われました。友達は選べと」
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