マーガレット

6 大手術

「どこ……って、部屋のベランダです」


「じゃあたぶん寒さにやられたな。ここだとよくあるんだ、五月だからって安心して外に出しといて、突然寒さがぶり返して枯れちまうことが」


 五木先生はそう言うとココアを勧めてきた。純恋はカップをとり、ココアを一口飲んだ。寒さが体から出ていく感じがした。


「これ、もう助からないですか?」


「いや、辛うじて生きてる部分があるから、そこを残して切ってやれば復活するかもしれない。まあそれは上手くいくか分からんが、助かるとしたらそれしかない。どうする?」


「助けたいです」純恋は自分で驚くほどハッキリとそう言った。すると五木先生は園芸用のハサミを出してきて、

「じゃあ大手術だ。いいな?」と念を押してきた。純恋は頷いた。


 五木先生は手際よく、枯れてしまった部分を切っていく。生き残った部分はほんのわずかだが、それでも可能性はあるのだろうか。


「これしか残ってないのになんで復活するか分かんない、って顔してるな」

 ふだんの体育の授業とはぜんぜん違う、五木先生と思えないほどの知的なしゃべり方に、純恋は気圧されていた。それでも小さく頷くと、五木先生は笑顔で、

「植物はシンプルなぶん生命力が強いんだ。多肉植物は葉っぱをちぎって置いとくだけで芽が出てくる種類もあるし、根っこが生きてれば生えてくる植物もいろいろある。人間の基準じゃ木っ端みじんかもしれないが、植物からしたら充分復活できるんだよ。すごいだろ?」

 と、そう言ってマーガレットの鉢を純恋に返した。


「寒さに当てないように気を付けて、復活したあとは土が乾いたら底から出るくらいたっぷり水をやる。真夏は煮えちゃうから水をやるなら朝早くだな。ゆっくり世話するといいぞ」


「あり、がとう、ございます」

 純恋は、泣き出しそうなのをこらえた。


「純恋ちゃん、よかったね!」と、手毬が嬉しそうに言う。


「拙者も野々原氏のお花がとりあえず生きてて嬉しいですぞ!」と、露草のオタク口調。


「凛堂、お前まだ野々原を警戒してるのか」五木先生はそう言って露草の肘をつついた。


「警戒……?」よく分からなかったので、純恋は素直に首をひねった。


「凛堂は警戒してると口調が古のオタクになるんだ。きょうび『拙者』なんつうしゃべり方をする女子高生がいると思うか? そのキャラ作り無理があるぞ」


「だ、だって。生徒会の回し者の可能性を考慮するとですな」露草が慌てる。


「野々原が生徒会の回し者とは考えにくいと思うぞ。B組の先生から、野々原が突然変わった行動を始める癖がある、って話は聞いている。そういう、ちょっとでも変わったところのある人間を、生徒会は恐らく排除するだろう。ココアのおかわり飲むか、野々原」


「あ、ありがとうございます……」


「お前らもココア飲め。まだ五月だ、うすら寒いぞ。マシュマロをココアに投入するとうまいんだぞ~」


「……でも純恋ちゃん、なんでいきなりこの雨の中園芸部まで来たの? それもマーガレットの鉢までかかえて……ふつうに『マーガレット 枯れた』でググるとかじゃだめなの?」


「……あ」

 純恋はインターネットという文明の利器の存在を、完全に失念していた。悔しくて頭を机にぶつけたくなったけれど、園芸部のひとたちの前でそういうことはしたくないな、と一瞬思ってこらえた結果、自分の握りこぶしで頭をぽかっと一発殴るだけにとどめた。


「痛くないでござるか? 自分で自分を叩いたら自分が可哀想ですぞ」

 露草がそう言い、心配そうに純恋を見た。


「……凛堂、お前A組だよな。体育でB組と合同だから、野々原のこと知ってるんじゃないのか?」


「体育は自分が走るだけで精一杯でござる……」


 おどけて言う――きっと本性はもっとちゃんとしているのだろうけど、空気をよどませないために、露草がそうユーモラスに言ってくれるので、純恋はくすりと笑った。


「走るだけで精一杯かあ……本当のところは先生がちゃんと走るフォームとか指導できたらいいんだけどなあ。なんせ体育だけが取り柄できちんと指導する力もないのに上にへつらって先生になった人間だからなあ、先生は。気合いとか根性とかしか言えないんだよなあ」


 いや自覚してるんだ。純恋はそう思ってまたくすっと笑った。手毬も笑いをこらえている。


「園芸部、文化部なのに休日もやってるんですね」


「そりゃそうだ植物相手だと休みなんかない。園芸部は雪が降るまで無休だ。テスト期間は先生が草むしりと水やりくらいのことはするが、基本的に土日祝日も休みはないぞ」


 五木先生はそう言い、うっすい胸を張ってふんと鼻を鳴らした。


「そう! 晴れてたら草むしりして水やりするの! くったびれるよ!」

 手毬が明るい笑顔をつくる。平和、という感じ。


「でも楽しいですぞ、雑草を駆逐するのは」

 駆逐ってそんな日常的に使う語彙だったんだ……と、純恋は露草の眼鏡の向こうを見た。レンズが分厚すぎて顔がよくわからない。


「さて……雨も止んできたか。どうする、野々原」


「どうする……って?」


「純恋ちゃん、部活見学していきなよ。それとももう部活入ってる?」


「う、ううん……中学校のときの友達が、生徒会にいて……連休があけたら、生徒会に入れないか先生に相談してみるか考えてて……」


「生徒会はこの羊歯高校の諸悪の根源ですぞ。悪の枢軸ですぞ。あれらは花の価値を認めない極悪な連中ですぞ」

 花の価値を認めない。それだけで極悪扱いしていいんだろうか。純恋も、マーガレットを買ってくるまで、花の価値なんて分からなかった。


「中学校の友達……って、岩見一子か? 一年生の女子の生徒会執行部員というと」


「は、はい。岩見一子さんは中学校のときすごく仲良くしてて……でもここに進学してから、ぜんぜん話とかしてなくて……」


「そりゃそうだろうな。生徒会というのは自分たちを高級なもんだと思ってる。下々のもののことなんか気にせんよ」

 一子が、そんなことを思うだろうか。いつも笑顔で一緒に遊んでくれた、あの一子が、そんなふうに周りを見下したりするんだろうか。純恋はよく分からないでモヤモヤした気持ちだった。一子はまぎれもなく、中学のころの親友だったからだ。


「まあとにかく見学していけよ。もう一人部員が入ってくれたら六月以降も存続できるんだ」


「……あの。露草さんと手毬さんは、なんで園芸部に入ったんですか? 先輩とかいないですよね、園芸部……一年生を迎える会の部活動紹介にも出てなかったし」


「あー、あたしねー、もともとサボテンとか多肉植物が好きで、高校に入ったら『たにくらぶ』を旗揚げするって決めてたんだ。でも園芸部が廃部目前で存在してるって聞いて、露草を誘って入部したんだ。露草、中学のころから花が大好きだったから」


「ふひひ……菊水氏とは中学のころからの花マニア仲間でござる」

 なんだこいつら、仲良しか。純恋はちょっと羨ましく二人を見比べた。


「よし、じゃあ簡易温室のなかの花見てけ。あと花壇も。初春の花が終わってネモフィラが咲きだしたんだ。すごいぞ」


 雨はすっかり止んでいて、空は青く晴れ晴れとしていた。

 旧校舎のむこうには、大きな虹がかかっていた。


 簡易温室というのは、ビニールのかけられた棚のことだった。金属のフレームに、薄いビニールがかかっていて、中にはいろいろな花が飾られている。


 なにか宝石の砂利みたいなものが置かれていて、純恋の目はそれに釘付けになった。

「これ……なに?」


「ふっふー。これはリトープスの実生苗だよ!」と、手毬。


「りとーぷすの……みしょうなえ」

 聞いただけではなんなのかさっぱり分からない。純恋はよく分からない顔でそれを見た。

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