5 突然の寒さ
連休二日目。純恋はゆっくり寝坊して、起きてすぐテレビをつけた。
連休なのでテレビは去年の朝ドラの総集編をやっている。これを見ていたら掃除どころじゃないんだよね、と、首をこきっと鳴らして、純恋は部屋に掃除機をかけることにした。
安いスティック掃除機で部屋をぐるーっと掃除して、次に風呂場のタイルの目地を磨いた。台所も油汚れをこすり落とした。トイレも掃除した。すっかりきれいになったアパートに、窓を開けて春の風を入れる。
ベランダのマーガレットは、元気いっぱいに天を目指して花と葉を茂らせている。それだけでもう嬉しくなった。
あれだけ花なんて嫌いだ、と思っていたのに、実際に自分のものにするととてもかわいい。またきょうもスマホでカシャカシャ写真を撮る。
見渡せばアパートあおい荘の周りにはいろいろな草花があることに純恋は気付いた。なんだろう、あの薄紫の花。少し考えて、純恋は花の名前を調べてくれるアプリをインストールした。
そして、アパートの周りを覆っている、暗い緑の葉に薄紫の花の植物をアプリで調べると、ツルニチニチソウであることが分かった。ツルニチニチソウ。名前を反復する。ニチニチソウという花の名前は聞いたことがある。こんな種類もあるのかあ。
純恋は素直にすごいと思った。
もう、窓から見える羊歯高校の桜並木はすっかり満開で、その下でお花見弁当を食べたいなあ、と純恋は思った。桜というのは何度だって言う、エモーショナルだ。
日本人にはきっと、桜に素直に感動する遺伝子があるに違いない。
純恋はすごく機嫌よく一日過ごした。きのうのうちに食材を用意していたので、すごくぼんやりと一日過ごしたが、それは春らしくのどかで気分のいいものだった。
寝る前にテレビをつけて観ていると、天気予報が流れていた。
まあ特に変わったことはないだろう。いつも通りの五月だ。
純恋はベランダに出しっぱなしのマーガレットをちらりと見て、小さく笑ってから、カーテンを閉めた。布団にくるまり、明日もきっと楽しいよね、と目を閉じた。
次の朝、純恋は寒さで目を覚ました。
布団から手を伸ばしてストーブのスイッチを入れる。数秒後、暖かい風が吹いてきて、部屋が温まり始めた。さすがに冬ほどは寒くない。
どうにか布団を這い出して、純恋は寝間着から普段着に着替えた。ちょっと寒いので、デニール数多めのタイツを履いた。
朝ご飯を用意して食べる。テレビをつけると新朝ドラにまだ追い付けます! という番組をやっていて、いや朝ドラ観てたら遅刻しちゃう……とチャンネルを変える。
しかし民放はなかなか馬鹿馬鹿しい番組しかやっていないし、Eテレは昆虫の番組だ。純恋はあんまり虫が得意ではない。
テレビを止めて、食器を流しに置く。食器には適当に水を入れておいて、さてなにをしようかな、と考え、とりあえず宿題に向かう。
なんとかここまで、一日のノルマは進められている。さすが超進学校だけあって簡単に答えを求めるだけでなく自分の力で考えろ、という問題も多い。特に数学の文章題のややこしさがすごい。小中学校の文章題と違うのは、文章がめちゃめちゃ抽象的なことである。
それでもきょうの宿題は終わらせた。
外から、ぽつ、と雨の音がした。開けるのを忘れていたカーテンを開ける。
――マーガレットが、枯れてしおしおになっていた。
きのうまで、あんなに元気いっぱい空を目指していたマーガレットが、花も葉っぱもぐったりしている。死んでしまったのか。純恋はぞくりと怖くなった。
どんな生き物だって死んでしまえば悲しい。お祭りの露天ですくってきた金魚だって、死んだら悲しい。それが植物も同じだということに気付いて、純恋は愕然とした。
世話が簡単そう、という理由で買ってきたのに、たった二日で枯らしてしまった。そして、枯らしてしまったことで自分が動揺していることに、純恋は恐怖すら感じていた。
まだ助ける方法はないだろうか。外の雨は次第に強くなっている。
ああ、きのうラナンキュラスとかアネモネとか調べてないで、マーガレットの育て方をちゃんと調べればよかったんだ。なんでいきなり枯れてしまったのか、純恋はすぐ理由を想像することができない自分がもどかしかった。
どうしよう。どうしよう。
純恋はマーガレットをどうすればいいのか分からなかった。「マーガレット 枯れた」で検索することすら思いつかなかった。その代わりにはたと思いついたのは、部活の活動予定表の存在だった。
リュックサックをごそごそやって、部活の活動予定表を取り出す。園芸部、きょうもやってる。純恋はジャージに着替えてマーガレットの鉢をかかえ、自転車の前カゴにマーガレットを入れて、まっすぐ学校に向かった。
学校に行く途中の道路が、舗装の敷き直しの工事をしていて、なかなか通れないようだったので、純恋は苛立ちながらその角を曲がった。遠回りだが工事の交通整理の人が道を開けてくれるのを待つよりは早いはず。
純恋の心臓は激しく鼓動していた。
マーガレットを助けたい。植物相手にこんなことを考えるなんて馬鹿らしいけれども。
でも、それくらいマーガレットは純恋の心に棲みついていた。
枯れてしまって、もう助からないのかもしれない。
でも、万が一なにか助ける手立てがあるのなら、それを実行したい。
純恋はそう思いながら自転車を飛ばした。学校まで徒歩五分の道のりを、自転車で走っているはずなのに、なんだかとても遠く感じた。
雨で路面は濡れていて、思わず自転車が滑った。バランスを崩して、純恋は倒れそうになる。しかしマーガレットは死守した。肘をすりむいたがそんなのどうでもよかった。
学校の桜並木は、満開のあとの雨で散り始め、校舎横の側溝は花筏の様相を呈していた。
校門を通り、自転車を自転車置き場に止めた。前カゴからマーガレットをとり、純恋は校舎の前をぐるっと回って旧校舎に向かった。いつも楽しそうな声が聞こえるあたり。
――誰もいない。雨だからかな。だめだ、わたしは本当に浅知恵だった。
そう考えて、純恋はひどく落胆した。
純恋はびしょ濡れになって、はあはあと荒く息をついた。旧校舎には、ビニールのかけられた温室のようなものがいくつかあり、そこにはいろいろなサボテンや花が並んでいた。
「――おいおい、野々原じゃないか。どうしたこんな雨の日に。まあ入れ」
五木先生の声がしたので振り向くと、旧校舎のひさしの下に、落書きだらけの古い机を出して、凛堂露草と菊水手毬、それから五木先生がなにやら楽しそうにお菓子をぱくついていた。
「純恋ちゃん、唇が真っ青だよ!」と、手毬。
そこまで言われて、純恋はものすごく寒いことに気づいた。ふらふらとひさしの下に入る。五木先生がタオルを渡してきたので、髪をごそごそと拭き、濡れて重たくなったジャージを脱いで絞る。ほとんど体格がいっしょの露草がジャージを貸してくれた。なんで園芸部がジャージを用意しているのか、純恋はちょっとピンとこなかったが、とにかく有難く借りた。
「まあいまココア沸かしてるから少し待ってくれ。とりあえず火にあたれ」
五木先生はそう言い、地面に置かれたキャンプ用の焚き火台を指さした。火にはヤカンがかけられ、露草と手毬はマシュマロを焼いてぱくぱくと食べている。
純恋はふらふらと焚き火台に近づき、手をかざした。暖かい。
「いきなりどうしたんだ? そのマーガレットは?」
見た目に似合わない男っぽい口調で五木先生が訊ねてくる。純恋は震える声で、
「マーガレット、枯らしちゃって……園芸部のひとに聞けば、わかるかなあと思って」
と、この雨のなか自転車をかっ飛ばしてここまで来た理由を説明した。
五木先生はカップにココアを注ぎながら、
「そうか、それはびっくりするし悲しいよな。ちょっと見せてみろ」
と言い、注ぎ終えてからマーガレットに近づいて、その様子を観察した。
それから一言、「どこに置いてた?」と、純恋に訊ねた。
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