3 手毬と露草

 聞こえてくるざわめきから察するに、どうやらもう放課後らしい。鉄分摂らなきゃな。純恋は心の中でそう考えた。ほうれん草食べよう。純恋はきょうの夕飯を、ほうれん草とベーコンのバター炒めと決めた。


 ベッドをかこむカーテンの向こうに戻る勇気はなかった。もう、一生友達なんてできないんだ。純恋はそこまで思いつめていた。


 これじゃ友愛もくそもないよ。

 そりゃライトノベルのぼっちキャラなら、なにやら人懐こいギャルに懐かれるとか、変人に目をつけられて悪友みたいな関係になったりだとか、そういう展開があるのかもしれない。


 でも、現状純恋に、そういう出来事が起こる気配はみじんもなかった。


 それに、この学校でライトノベルを好んで読むやつ、あんまりいないんだろうな。

 そういう余計なことを考える。


 保健室のドアが開く音がした。

「せんせー! 露草がこけて膝をすりむきました!」

 あ、あのおでこの広い子の声だ。二人で来ているらしい足音もする。


「ぐぬぬ……一生の不覚でござった」と、ライトノベルに出てくるオタクの口調で、眼鏡に長いお下げの子の声もする。


 若くてきれいな養護教諭の先生が、てきぱきと消毒セットを用意して、露草と呼ばれたほう、つまり眼鏡に長いお下げの子の膝を手当てしているようだ。


「園芸部、生徒会に目をつけられたって聞いたけど……」

 養護教諭の先生がおでこの広い子にそう話しかけた。


「そーなんですよ! せっかく作ったポスターはがされて、文句言いに行ったら『これは一年生を募集するためのもので一年生が描くものではない』って言われちゃって。しかもゴミ箱に捨てたっていうから調べたらもう焼却炉に持ってったぽくて」

 そのポスターなら持っている。


 純恋はむくっと体を起こした。ベッドから降りて内履きを履く。

「あ、野々原さん。もう大丈夫?」

 養護教諭の先生にそう心配された。頷いて純恋はポケットからポスターを取り出した。


「これ、捨てられてて可哀想だったから拾ったけど、折り目ついちゃってる」


「おおー捨てる神あれば拾う神ありですな、菊水氏!」


「やめてよー菊水氏って呼ぶの。手毬でいいよー」

 二人は楽しそうにそう話してから、

「ありがとう。これが生命線だったんだあ。あなたなんて言うの?」

 と、菊水手毬と呼ばれたほうに尋ねられた。純恋は自分の女々しい名前を言うのがちょっと恥ずかしかったけれど、

「純恋。野々原純恋」

 と、そう答えた。


「ほほー! 拙者は凛堂露草りんどうつゆくさでござる、露草とでも凛堂とでも、好きにお呼び下され」


「りんどう……つゆくささん」


「そう。で、こっちが菊水手毬きくすいてまり。こう見えてサボテンオタクにござるよ」


「きくすい……てまりさん。わかった、よろしく」


「ちょっとー露草にオタクって言われたくないでござるー!」


「拙者のござる口調がうつったでござるー!」

 露草と手毬はそう言ってあはははと笑った。


 いいなあ、こういう友達が欲しいなあ。

「で、単刀直入に言うんだけど、園芸部入らない?」

 唐突に手毬がそう言ってきた。純恋は、

「ごめん。正直あんまりお花って好きじゃない」と首を振った。


 純恋のいちばん古い記憶は、たぶん日本の幼稚園で花の名前を勉強したとき、教室にいた男の子たちに指をさされて「スミレ! スミレ!」とはやし立てられた記憶である。


 だから純恋はずっと花に興味はなかったし、一般常識程度の花の名前しか知らない。


「わかるでござるよ……花の名前をつけられると花を簡単に好きになれないそのキモチ」


「そーゆーもんなの? あたしもキラキラネームだけど小さいときからサボテンすきだよ?」


「菊水氏の場合はサボテンの名前まで調べないとただのカワイイ名前だから気にならないだけでござる。銀手毬とか金手毬とか、サボテンがよほど好きでないと知らないでござる」

 いきなり情報量が多いぞ、こいつら。純恋はちょっと引いていた。


「ま、気が向いたら活動場所まで遊びに来て。楽しいよ、園芸部」


「どこで活動してるの?」すみれは思わず身を乗り出した。


「およ? お花は好きじゃないのに興味出たでござるか?」


「……ううん。やっぱりいい」

 純恋はそう言って会話を打ち切った。


 手毬と露草は保健室を出ていった。純恋も、帰ることにした。


 純恋はいつも通り、スーパーフジノヤにふらっと入った。ほうれん草とベーコンをカゴにいれて、なにか自分を慰めるために菓子を買おうと思い立って、スイーツのコーナーを眺めた。


 とりあえず赤札の貼られているコーヒーゼリーをカゴに放り込んだ。

 でももっと散財したい。純恋はそう思って、店内を見渡した。


 スーパーフジノヤの店内には、近くの花屋の出張店舗があって、店の入り口には色とりどりの花が売られている。思わずそっちを見に行ってしまいそうになって、花には興味がないのだ、たまたま園芸部のひとたちに優しくされて勘違いしているだけ、と、純恋はそう判断した。


 だいいち花というものは、虫に花粉を運んでもらうためにパンパカパーンと咲くもので、そんなものを可愛い可愛いと世話するのは馬鹿げている。確かにいろんな色があってきれいだ、だけれどそれは虫に愛想を振りまいているのであって自分は虫ではない。


 純恋はそう断定して、夕飯の買い物を終えた。家に帰ろう。宿題をやってさっさと寝よう。学生の本分は勉強である。SNSとかそういう馬鹿馬鹿しいものに時間を使っているヒマはない。情報なんてテレビと新聞があれば充分だ。


 クラスのやつらはつぶやくやつだ映像のやつだ、とSNSを満喫しているようだが、しかし純恋はそういうものに時間を食われるのが馬鹿馬鹿しいので、メッセージのSNSくらいしかSNSを入れていない。


 しかしそれもほとんど誰からも連絡がこない。親からはきょうび使う人なんてろくにいないだろうにキャリアメールで連絡がくる。


 自分の部屋の鍵を開けて中に入る。いつも通りの殺風景な部屋だ。


 ここに、かわいい花とか、観葉植物とか、そういうのがあったら少しはマシになるのだろうか、と考えそうになって、自分が花なんか好きじゃないということを思い出す。


 でも、窓から見える羊歯高校の桜並木は、とてもきれいだ。それは認めざるを得ない。桜の花というのは最高にエモーショナルだ。東京なら卒業シーズン入学シーズンに咲くもので、校舎の桜に見送られて学校を出ていったら最高だろう。


 でもここは東北の田舎町だ。桜は新学期が始まらないと咲かないし、寒い年なら五月の連休まで咲かなかったりもする。エモーショナルといってもうまいことイベントと重ならないのは寂しいな、と、純恋はほうれん草を洗う。


 そう言えば弁当にもほうれん草のごま和えが入っていた、と純恋は思い出す。

こんなにほうれん草を食べたら結石持ちになってしまうのでは、という気がしたが、まあどうせまるまる一把食べるわけではない。適当にバターでベーコンと一緒に炒めて、炊飯器のなかでカピカピになりかけていた白いご飯を茶碗に盛って、その日の夕飯を粛々と食べる。


 花、かあ。

 純恋はベーコンをかじりながら、窓から見える桜並木を眺めた。


 自分はなんで園芸部に興味なんか持ったんだろう? と、純恋は考えた。楽しそうだからだろうか。しかしそれにしたって顧問が五木先生の部活に入る気はない。

 あの先生はひたすら「気合いだー」「根性だー」と叫ぶだけで、そんなんで走ったり跳んだり投げたりするのが上手くなるわけがない。ちゃんと技術を教えてほしいものだ。そんな先生が顧問なのだ、園芸部もきっとそういうノリにちがいない。純恋はため息をついた。

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